プロローグ 最後の任務
雨上がりの集落を、榊は東の丘から見下ろしていた。
榊が率いる救出部隊は十二人。四人は村へ続く街道を押さえ、別の四人は迎えの車と退路を守っている。榊を含む残りの四人が、案内役のユセフと診療所へ近づいていた。
中央に古い診療所があり、その周囲を武装した男たちが歩いている。救出するのは、現地協力者ユセフの妻と九歳の息子だ。二人が囚われている部屋は、板で塞がれた南側の窓から確認できた。
住民を追い出して村に居座る武装集団は、確認できただけで三十人近い。そのうち十二人が、診療所の正面や屋上、近くの納屋を固めていた。
真壁が双眼鏡を下ろした。
「南側は林が壁の近くまで続いています。あそこなら、屋上から見つかりにくい」
診療所を見つめたまま、ユセフが口を挟んだ。
「妻は脚を怪我している。自分では走れない」
榊も南側を確認した。林を出てから厨房の扉まで、身を隠せないのは十メートルほどだ。
「南から入る。真壁は俺と来い」
榊は佐伯と岩瀬へ顔を向けた。
「佐伯は扉の外で待って、二人が出てきたら奥さんの脚を診てくれ。歩けなければ真壁が背負う。岩瀬はここから屋上を頼む」
南側の見張りが建物の陰へ消えるのを待ち、榊と真壁は丘を下りた。診療所の壁まで走り、開いていた厨房の扉から中へ入る。
廊下へ出る直前、男が一人、角を曲がってきた。
男の手が腰の銃へ届くより早く、榊は懐へ踏み込んだ。口を塞ぎ、壁へ押しつけたままナイフを胸へ入れる。崩れ落ちる身体を真壁が受け止めたため、大きな音は出なかった。
榊は先へ進み、二つ目の扉を開けた。
薄暗い部屋の奥で、女性が息子を抱きしめている。銃を持った榊たちを見て、二人の顔が強張った。
榊は銃口を下げた。
「ユセフに頼まれて来ました。助けに来たんです」
「夫は……?」
「近くで待っています。一緒に帰りましょう」
女性の目に涙が浮かんだ。
佐伯を呼び入れ、真壁が女性を背負う。榊は少年の手を握り、来た道を引き返した。
診療所を出たところで、屋上の見張りがこちらに気づいた。
銃口が上がるより先に、丘から一発の銃声が響く。岩瀬の弾を受けた男が倒れた直後、集落のあちこちで怒号が上がった。
「走れ!」
榊は少年を抱き上げ、飛んでくる銃弾へ撃ち返しながら丘を駆け上がった。林へ戻る途中、援護していた岩瀬が右肩を撃たれ、佐伯に支えられて後退した。
林へ入ると、ユセフが妻と息子に駆け寄った。抱き合う三人へ声をかける間もなく、榊は全員を待機させていた小型トラックへ乗せた。
追手の車が迫ってくる。
逃走中に後輪を撃ち抜かれ、トラックは古い採石場の手前で止まった。迎えの車が待つ場所までは、歩いても十分とかからない。だが、脚を痛めた女性と、肩を撃たれた岩瀬がいる。追手を振り切るのは難しかった。
榊は荷台から弾薬と爆薬を取り出した。
「真壁、全員を連れて先へ行け」
「隊長も一緒に来てください。俺が残ります」
「お前は彼女を背負っている。佐伯は岩瀬から離れられない。ここに残れるのは俺だけだ」
真壁は動かなかった。命令に逆らったことなど、一度もない男だった。
「必ず追いつく。だから行け」
嘘だと分かっていても、真壁は「了解」と答えた。女性を背負い直し、仲間たちと採石場の奥へ向かっていく。
榊は横向きに止まったトラックへ爆薬を仕掛け、その陰から追手を撃った。一人を倒せば、残りは岩陰に隠れる。少しでも長く足を止められれば、それでよかった。
やがて脇腹を撃ち抜かれ、榊は荷台へ背中を預けた。押さえた傷口から、熱い血が止めどなく流れていく。
無線から真壁の声が届いた。
『全員、合流しました。隊長、戻ってください』
全員。
仲間も、人質も、生きて帰れる。
榊はようやく息を吐いた。
「了解。すぐに出発しろ」
『隊長!』
無線を切ると、榊は起爆スイッチを握った。
追手が警戒しながら近づいてくる。一人、二人、三人。もっと引きつけたいところだが、指に力が入らなくなっていた。
それでも、三人目がトラックのそばまで来るのを待った。
榊は最後の力で、スイッチを押した。




