5
出産後、紬は十分も経たずに退院した。
夢だからこそ可能な芸当だった。赤ん坊を産み落としたことで、紬の夢を操作する能力が元通りに機能し始めたのだ。おかげで残留していた痛みもきれいさっぱり消し去り、疲弊していた体も、何事もなかったかのように回復させることができた。
すべてが、あのスイーツ店でケーキを食べていたときと同じ快調な状態に戻った。
ただ一つ、紬の腕の中に赤ん坊が抱かれていることを除けば。
「…………」
病院の出口で、二人はしばらくの間、赤ん坊を凝視し続けた。
赤ん坊は柔らかなタオルにくるまれ、すやすやと眠りについている。
「とりあえず……」奏汰が切り出した。「もう、体は大丈夫なの?」
「うん」紬は頷いた。「もう平気。さっきは本当に死ぬかと思ったけど……」
「何が何だかさっぱり分からないけど。……とにかく、お疲れさま、紬」
「うん。ありがとう」
束の間の沈黙の後、奏汰が再び尋ねた。
「それで、これからどうする?」
「さあ……」
紬は赤ん坊をもう一度見下ろした。
「とりあえず、私の家に行こう。この子、何とかしてあげないといけないし」
奏汰は頷いた。
そうして三人は、紬の家へと向かった。
家に着くと、三人は早速紬の部屋に入った。
紬は赤ん坊を自分のベッドにそっと寝かせ、その隣に腰を下ろした。
奏汰も床に膝をついたままベッドに頬杖をつき、赤ん坊をまじまじと見つめる。
生まれたばかりで湿り気を帯びていた赤ん坊の肌は、いつの間にかさらさらと整っていた。家に来るまでのわずかな間に成長したようで、拳ほどだった頭も一回り大きくなっている。目鼻立ちも鮮明になり、あらゆる面でようやく人間らしく見えるようになってきた。
奏汰が赤ん坊から目を離さずに尋ねた。
「一体、この子……何者なんだろう」
「……私たちの子、じゃないの?」
「いや、だからさ。なんで? どうやって?」
「分からないよ。私に聞かないで」
「でも、紬が産んだんだろ?」
「それは、そうだけど……」
会話が途切れた。
いくら考えても答えは出なかった。
あくまで夢の中の出来事であり、実際に「親になった」という実感は湧かない。子供を持つ喜びや母性といった感情も、まだ欠片もなかった。
病院にいたときも今も、ただ困惑しているだけだ。一体どうすればいいのか分からず溜息を吐いていると、ふいに赤ん坊が目を覚ました。
赤ん坊は目を開けると、真っ先に紬を見た。次に奏汰の方をちらりと見たが、すぐに視線は紬に戻った。
そうして母子は、しばらくの間じっと見つめ合った。
紬はつい目を逸らしたくなったが、それができなかった。まるで紬の顔に自分が求める世界のすべてがあると言わんばかりに、赤ん坊の瞳が切実に輝いていたからだ。
やがて、赤ん坊の口元に小さな笑みが浮かんだ。それを見て、紬は思わず息を止めてから、ゆっくりと吐き出した。
――可愛い。
そんなことがあり得るのかと思うほど、十七年の人生で見てきたどんなものよりも可愛かった。
隣を見ると、奏汰もまた紬と同様に見惚れてしまったのか、あるいは相変わらず困惑しているのか、とにかく赤ん坊から目を離せずにいた。
紬は赤ん坊がタオルの中でもぞもぞと動くのをしばらく眺めてから、ベッドを立った。
「ベッド、ちょっと大きすぎるかも」
そう言って、紬は小さなベビーベッドを即座に作り出した。
赤ん坊を抱き上げ、優しくあやしてからベビーベッドへと移す。赤ん坊は紬の腕から離れるとすぐに泣き出しそうになったが、紬がベッドの中に手を差し伸べると、すぐに落ち着きを取り戻した。
赤ん坊は両手を伸ばし、紬の人差し指をぎゅっと握りしめた。その小さくて力強い感触が愛おしくて、紬の口元からは自然と笑みがこぼれた。
「何か食べさせなくていいのかな。授乳とか」
紬が尋ねると、奏汰は困ったように肩をすくめた。
「さあ、俺に聞かれても……。どっちにしろ夢なんだし、わざわざ食べさせなくても大丈夫なんじゃないか?」
「そうかな……」
「とにかく、もうそろそろ現実に戻らないと。外ではもう授業が終わる頃だよ」
「じゃあ、この子はどうするの?」
「置いていくしかないだろ。現実に連れていくわけにもいかないんだから」
「……このまま放っておくっていうの?」
「しょうがないじゃないか。それか……消すか」
「ダメ!」紬は強く首を振った。「消すなんて、そんなことできるわけないよ」
「紬」
奏汰は真剣な顔で諭すように言った。
「産むときにあんなに苦労したから、気持ちはわかる。でも、この子は本物の赤ちゃんじゃないんだ。あくまで架空の存在、夢の中で作られた想像の産物に過ぎないんだよ」
「それくらい、私だってわかってる。だけど……」
紬は赤ん坊の小さな手の甲を、親指で愛おしそうになぞりながら言った。
「それでも、赤ちゃんであることに変わりはないでしょう?」
奏汰は小さく溜息をつき、やがて折れるように頷いた。
「わかった。じゃあ、ここに置いていこう。とにかく俺たちは今すぐ出なきゃならないから」
紬は後ろ髪を引かれる思いで、赤ん坊の手を離そうとした。しかし、赤ん坊の握力は意外なほど強く、簡単には離れてくれない。手を持ち上げると、赤ん坊の腕から体までがぶら下がってくる始末だった。
結局、空いている手を使って指を一本ずつ剥がすようにして、ようやく離すことができた。すると赤ん坊は、行き場をなくした両手をあてもなく振り回しながら、火がついたように泣き始めた。
紬は奏汰に促されるように部屋を出た。
ドアを閉める寸前、隙間から赤ん坊の姿が見えた。こちらを凝視するその瞳には、切実な色が宿っている。
泣き声は次第に激しさを増していったが、奏汰がドアを閉め切ると、すべては静寂に呑み込まれた。
二人は学校に戻るまでの間、一言も交わさなかった。
夢から覚めた後も、赤ん坊の話はタブーであるかのように口に出さなかった。
その日の夜、紬は眠りにつくことができなかった。無理に忘れようとしても、あの赤ん坊の感触が、眼差しが、頭から離れない。
結局一睡もできず、疲労を抱えたまま翌朝を迎えた。




