第5話
『今、ゲームセンターにいる?』
初めてきた亜咲美からのメッセージ。それを見た時、ベンチに座っていた智花の心臓が小さく跳ねた。
もうすぐ学校終わりの学生が、このショッピングセンターへやってくる。毎日学校へ通い、きっちり六時間授業を受け、部活もこなしている子達。今もまばらにいるが、きっとこれから増える。
キーボードをタップして文字を打ち込む。
『ううん、今日は行かないかも』
じっとその文を見つめる。送信ボタンの上で指が止まり、削除ボタンに移動した。あっという間に白紙に戻る。もう一度キーボードを打った。
『うん、今いるよ。どうかした?』
『よかった!私も今から行くから、合流していい?』
智花の指がまた止まる。が、すぐに動き出した。
『いいよ。ゲームセンターの入り口で待ってるね』
『ありがとう!すぐ行く!』
スマホをとじ、ベンチから立ち上がる。ショッピングセンターへ戻る道中、母のことが頭に浮かんだ。
無言で皿を洗う背中を思い出して胸が絞まる。
智花の歩くスピードが、少しだけ速くなった。
「ともちゃん!」
呼ばれて顔を上げる。ネオンのライトの下を、亜咲美が駆け足で近づいて来た。
「あさみちゃん」
制服のスカートを揺らす亜咲美を見て、スマホを握る指に力が入った。
「いてくれて良かった〜。ほんとありがとね」
亜咲美がゲームセンターの中へ入り、智花もそれに続く。途端に騒音が大きくなった。
「昨日のことについて話したくて…」
真剣な表情で亜咲美が言う。
智花はなんとなく、彼女がどこへ向かっているのか分かった。少し歩くペースが遅れる。
「昨日って…あの…異世界のこと?」
「そう。もっと知りたいなって」
智花の胸がざわつく。
あんな不気味な場所のことをもっと知りたいなんて、智花には理解出来なかった。
「スマホで色々調べたんだけどさ、ゲームセンターの異世界って一個もないの」
「いっぱいあっても困るけど…」
「そうだけど!でも…」
二人の足が止まる。例のクレーンゲームを見下ろした。
台も景品もそのまま、店のざわめきが遠くなる。
「ともちゃんも気にならない?」
亜咲美の手がガラスへ伸びる。智花は思わず息を止め、その指先を凝視した。
昨日、ガラスに引き込まれる感触が腕によみがえる。
こつん、と音がして爪がガラスに当たる。
亜咲美も智花も、ガラスを見つめたままじっとしていた。一秒、二秒…。
五秒ほど経って、亜咲美はゆっくり腕を下ろした。
智花の肩から力が抜ける。安堵の息を吐いた。
「なんで入れないんだろ」
「たぶん、もう無理なんじゃないかな…?」
亜咲美が智花へ顔を向ける。
「…ともちゃんも触ってみて」
「えっ?」
「ここに吸い込まれた時、触ってたのってともちゃんだったよね?」
思わず後ずさる。その分亜咲美は距離を詰めて、まっすぐ智花の目を見た。
「えっと…」
「お願い、ともちゃん。一回だけ!」
「えぇ〜……」
両手を合わせて頼み込む亜咲美から目を逸らす。
それでも突き刺さる視線。諦めたように小さく息を吐いた。
「一回だけ…?」
彼女は何度も頷く。
「これでダメだったらもう諦める!」
「……分かった」
亜咲美の顔に笑顔が広がり、智花から身を引いた。
「やった!ありがとうともちゃん、本当にありがとう!」
クレーンゲームの前へ立つ。
深呼吸して腕を上げ、ガラスに手を伸ばした。
亜咲美が息を潜めている。
人差し指がガラスへ触れる。
次の瞬間、腕が強く引き摺り込まれた。あっという間に肩までガラスへ埋まる。
智花の心臓が大きく跳ね、反射的に亜咲美へ手を伸ばした。
「うそ、ほんとに…!?ともちゃん!」
亜咲美の手が左腕を掴んだ。智花が口を開けるよりも前に、二人はガラスの中へ消えた。
内臓が浮き上がり、次に体がふわりと浮く。ジェットコースターで落ちる感覚に似ている、と智花は思った。
二人まとめて地べたへ放り出される。先に起き上がったのは亜咲美だった。
左右反転した内装に、不気味な静けさ。
「すごいっ!まじでまた来れちゃった…!ありがとうともちゃんっ」
「う、うん…」
額を擦りながら体を起こす智花。その姿に、興奮気味だった亜咲美が少し冷静になった。
「あっ、だ、大丈夫?頭打った?」
「大丈夫…あさみちゃんは?」
「私も大丈夫」
亜咲美が手を差し出す。その手を取って智花も立ち上がった。
「本当に来れるなんて…」
何度も辺りを見回して、それから亜咲美を見る。彼女は前髪を整えたあと歩き出した。小走りでそれについていく。
「…ねえ、あさみちゃん」
「ん?」
亜咲美の横へ並んだ。
「…どうして、そんなにここへ来たかったの?」
智花の問いに、クレーンゲームへ向けていた顔がこちらへ向いた。二人の目が合う。
亜咲美は一度目を伏せ、自分のスクールバッグのチャックをつまんだ。
「ともちゃんにこれだけしてもらったんだから、ちゃんと説明しないとね」
亜咲美と智花の足が自然と止まる。つまりながらチャックがひらき、亜咲美の手がバッグの中へ入った。指先で中身を探り、ある物を引っ張り出す。
彼女の右手に握られていたのはデジカメだった。色褪せたピンク色で、ところどころに小さな傷が入っている。
智花はそれを見て首を傾げた。
「デジカメ?」
「そうっ!かわいいでしょ?ちっちゃい頃から使ってるんだ」
「へー…」
親指でカメラを撫でながら亜咲美は続ける。
「今日友達に異世界のこと言ったけど、信じてもらえなくて。証拠写真撮ることにしたんだ」
「そうなんだ…ここまでもう一回来れたんだから、きっと信じてくれるよ」
そう言うと、彼女は頷いたあと口篭った。
初めて見るその様子に智花は目を丸くする。しかし、亜咲美が喋り出すまでじっと待った。
「あのね…実はもう一個理由があって」
「もう一個?」
「うん」
亜咲美はカメラのレンズに目を落とす。
「フォトコンテストに応募しようと思ってるの」
様子を伺うように智花の顔を見た。
「えっと……すごいね。いいと思う」
数秒の沈黙が流れる。智花は床のタイルの色を数えた。自分でもあまりに淡白な返答だと思い、唇を噛む。
亜咲美の苦笑した声が耳に届いた。
「ありがとう。…私さ、写真家になりたいんだ」
タイルから顔を上げる。亜咲美は笑っていなかった。きゅっと眉間にシワをよせ、カメラを握る指に力がこもっている。
「でも写真家って収入が安定しないとか、趣味でいいじゃんとかって。みんなあんまりいい顔しないんだけどさ…」
それきり言葉が続かないようだった。ずっと明るいと思っていた亜咲美が黙りこくっている。
カメラを握る指先を、智花は静かに見つめた。
「そうなんだ…写真家になるのも色々大変なんだね。…でも、カッコいいと思う」
亜咲美は驚いたように眉を上げた。
「え?そ、そう?」
「うん。将来の夢があって、それのために頑張るってすごいこと…だと思う」
真っ直ぐに目を見つめる智花。亜咲美の口が数センチ開いて固まって。それから照れたみたいにカメラに目を落とした。
「そうかな?…ありがとう。ともちゃん優しいね」
智花はむず痒くなって首を振った。
「う、ううん。べつに本当のことだから…」
「あ、ほら!優しい!」
カメラを持ったまま再び歩き出す。亜咲美は振り返っていつもの笑顔を見せた。
「行こ、ともちゃん。戻ったらアイス奢るね!」
智花も釣られて小さく笑い、亜咲美の隣へ立つ。
「前みたいに戻れたらね……うん、ありがとう」
「戻れるよ!なんだかそんな気がするし」
得意げに胸を張る亜咲美。智花はその横顔に、不思議と不安を感じなかった。根拠なんて何もないのに。
2人の足は自然とあの白い空間へと運ばれた。ここには相変わらず何もない。
「ここの写真を撮るの?」
「うん、ここが一番いい」
そう言って、亜咲美はカメラを覗いた。そのまま境界線のギリギリに足を置き、様々な角度からシャッターを押す。
智花は邪魔にならないように一歩下がった。カメラに顔をくっつけてしゃがむ亜咲美は、どこか本物の写真家に見える。
「う〜ん…」
不満げに声を漏らし、果てしなく広がる白に目を向けた。一つ息を吸って、右足が境界線の向こうへ踏み込んだ。
智花の体が固まる。
「えっ…い、行っていいの?危ないんじゃ…」
亜咲美は自分の足をじっと観察し、智花を振り返る。
「大丈夫っぽい!」
「ええ…」
白い空間に浮かんだまま撮影を再開する亜咲美。クレーンゲームに囲まれながら、智花は立ち尽くした。
最後のシャッター音が響き、亜咲美が戻ってくる。カメラを見下ろす顔は満足げに緩んでいた。
「もういいの?」
「うん。待っててくれてありがとう」
スクールバッグへカメラを仕舞っている間、智花はスマホの画面をつけた。もうすぐ六時半になる。
バッグを肩にかけた亜咲美にもその画面が見えた。
「あ、もうそんな時間かぁ。ともちゃんって門限ある?」
「特にないよ……あさみちゃんは?」
亜咲美は苦い顔をした。
「うちはね〜七時半には家に帰ってないとダメなの。早いよねぇ?七時半なんか」
「そう…かな?お父さんとお母さん、あさみちゃんのことが心配なんだよ」
小刻みに首を振る。ポニーテールがぷらぷら揺れた。
「過保護だよ。…私んち割と遠いから、そろそろ帰らないと。ともちゃんにアイス奢らないといけないし」
頷く智花。はじめの場所へ戻りながら、亜咲美は大袈裟にため息をついた。
「あ〜あ、もっと見て回りたかったのにな〜。それで、もっといろんな写真撮りたかった」
智花は横目でそれを見て、一拍黙った。ほんの少し口を開く。
「また来れるよ。…私が来るの、手伝うから」
亜咲美の動きが止まる。それから智花の方へ前のめりになった。
「えっ!?いいの!?」
「うん、今は帰りたいけど…」
「それはそう。でもありがとうともちゃんっ!本当に、ほんっとうにありがとう…!」
智花は小さく息を吐いて笑った。
「…どういたしまして」
例のクレーンゲームの前へ来ると、亜咲美がガラスに触れる。彼女のもう慣れてきたのか、手のひらを押し付けるような形だった。
今度は予想通りだった。消えていく亜咲美の手を掴んでついていく。
帰り道、二人は並んで歩いていた。智花の手には紫色のアイスクリーム。亜咲美はピンク色のアイスを、スプーンで掬っては口に運んでいる。
二人の家は真反対なのだが、亜咲美がもう少し話したいと言うので、智花はある程度までについていくことにしたのだ。
「でも、なんでともちゃんは入れるのに私はだめなんだろう?」
その問いに、智花はアイスをへつる手を止めた。
「う〜ん…私は、いつも長い時間ゲームセンターにいるから…とか?」
「ともちゃんって、いっつもどのくらいあそこにいるの?」
「あ、えっとそれは…」
思わず口ごもり、周りの景色に目を向けた。もう七時半なので辺りは暗い。その上、歩道を照らす飲食店の明かりや、大きな十字路の交差点は、智花の知らないものばかりだ。とたんに引き返したくなってくる。
「あっ」
亜咲美が指を指す。ラーメン店の隣に、二十四時間営業のレンタルビデオ屋があった。自動ドア越しに、小さなゲームコーナーが見える。
「クレーンゲームなら、何からでも入れるのかな?」
話題が逸れたことに安堵しつつ智花は答えた。
「さあ…でも今日は、もう帰ろうよ」
ビデオ屋へ向きかけていた亜咲美の足が止まる。
「…そうだね。ありがとうともちゃん、もうこの辺で大丈夫」
「うん。…じゃあ、ばいばい。気をつけてね」
胸の前で小さく手を振る。亜咲美も手をあげ、腕全体で振りかえす。
「ともちゃんも、気をつけて帰ってね。またね!」
歩いて来た道を戻りながら、智花はアイスのカップに目を落とした。まだ半分残っている。少し食べるペースを落とし、明日のことを考えた。




