8th BASE
一回裏。一点を先制した羽共はツーアウトランナー三塁から五番の乃亜がタイムリーを放ち、二点目を挙げる。打った乃亜は一塁をオーバーランして止まり、笑顔を覗かせながら帰塁する。
(私がバットを短く持ち直したところをちゃんと見てたみたいだね。そうなるとキャッチャーとしては外の球を泳がせたくなる。前の球がインコースだったから尚更だよね)
乃亜がバットの握りを余したのはフェイクだった。菜々花はそれにまんまと騙され、外角の球を選んでしまったのだ。
(今の球をあんな綺麗に弾き返すなんて、予め狙ってなきゃできない。一柳もそうだけど、各打者が私の配球を読み込んで打ってきてる。やられっ放しになるわけにはいかないし、こっちも工夫してリードしないと)
菜々花はマスクを脱いだまま口を真一文字に結び、歯がゆさを滲ませる。ツーアウトまで漕ぎ着けていただけにこの二点目はかなり痛い。ただ下を向いてばかりでは更なる失点を招くことになる。彼女は己の気持ちを切り替える意味も含めて真裕に一声掛ける。
「真裕、ボールは悪くなかったよ。得点圏にランナーがいなくなったわけだし、仕切り直しだと思ってテンポ良く投げていこう!」
「分かった」
真裕も菜々花に呼応して前を向く。打席には六番の馬目が入っていた。
(リードを工夫すると言っても、大胆さを失っちゃいけない。今はピンチでもないし、ストライクを先行させていこう)
初球、外角にミットを構えた菜々花は右腕を強く振るジェスチャーを真裕に送る。真裕はそのメッセージを受け取り、力の籠ったストレートを投げ込む。
「ストライク」
積極的に打ちにいこうとしていた馬目だったが、差し込まれてバットを振り出すことができなかった。この見送り方を見たバッテリーは二球目も同じ球を続ける。
「ストライクツー」
これまた馬目は見逃す。ノーボールツーストライクとしたバッテリーだが、前の乃亜にはこのカウントから痛打を食らった。その嫌なイメージが残る中、次のサイン交換を行う。
(流石にここまで合っていないのは演技じゃない。変化球を挟むと逆にタイミングが合うこともあるし、このまま一気に押し切ってやろう)
(オッケー。私もそれが良いと思う)
二人の考えはぴったりと合致していた。三球目、真裕から投じられたストレートが勢い良くアウトローを貫く。
「ストライクスリー! バッターアウト、チェンジ」
馬目は全く反応できず。変化球が頭にあったのか、見送った後の彼女は真ん丸に口を開けて呆然とする。
「よしよし。よく食い止めた!」
丈を始めとする応援団からの拍手を受けつつ、真裕が小走りでマウンドを去っていく。二点を失う苦しい立ち上がりとなったものの、馬目に対してはストレート一本で捻じ伏せて貫禄を示した。反撃の流れを呼び込めるか。
「乃亜、ナイスバッティング! イエーイ」
三塁側ベンチでは美久瑠が乃亜とハイタッチを交わしてから二回裏のマウンドへと向かう。初回は亀ヶ崎の上位打線を一切寄せ付けなかった。このイニングも同様のピッチングを見せ、味方が得点を挙げた良い流れを確固たるものにしたい。
(乃亜のおかげで二点目が入ったのは大きいな。一点は取られても良いと思えるのはかなり楽だぞ)
美久瑠は少し力を抜いて軽やかに投球練習を行いながら乃亜を待つ。数分して防具を身に付けた乃亜がベンチから姿を現し、二回表が始まる。
《二回表、亀ヶ崎高校の攻撃は、四番サード、ネイマートルさん》
ヘルメットの裾部から金色の髪先を覗かせ、オレスが凛として打席でバットを構える。彼女は試合前にどれだけ心を読まれようと美久瑠を打ち砕くと豪語していた。もちろんその気持ちは今も変わっていない。
(さっきネクストから見てた印象だと、そこまでびっくりするような球は無かった。受け身になっても相手を調子付かせるだけだろうし、ストライクは初球から振っていくのみ)
一球目、美久瑠が内角低めにストレートを投じる。これをオレスは打って出る。
「ショート!」
三遊間にゴロが転がる。打ち取ったと思い声を上げる美久瑠だったが、想像以上に球足が速く、サードもショートも追い付けない。レフトへと打球が抜け、亀ヶ崎に初ヒットが生まれる。
(まじか……。まあ準々決勝ではホームランも打ってるたし、何だかんだでパワーがあるみたいだね)
美久瑠は腰に手を当て、参ったと首を横に振る。対するオレスは表情を変えることなく一塁ベース上でバッティンググラブを外す。
(……何と言うべきか、意図も無く簡単にストレートを投げてきた感じね。どうぞ打ってくださいと言わんばかりだった。だからこそできればもっと良い当たりを打ちたかったけど、低めに来ていた分だけ打球が上がらなかったか)
オレスは満足の行くバッティングができなかったようだ。しかしチームとしてはノーアウトからランナーを出すことができた。何とかホームに迎え入れて一点を返しておきたい。
《五番ファースト、山科さん》
続く打者は嵐。準決勝までは二番での起用が多かったが、今日は五番に座った。右打ちも得意な器用な打者なので、ランナーを進めて後続へと繋ぐには打って付けの選手だ。
(相手が心を読んでくるなら、こっちはあんまり深く考えないことだ。オレスは初球をヒットにしたわけだし、ベンチのサインが出てない以上は私も狙っていくぞ)
嵐はオレスと同じく初球から手を出していく。外寄りのストレートをセンター方向へと弾き返し、快音を響かせる。
「おお! 抜けろ!」
鋭い打球が飛び、一塁側ベンチの選手が賞嘆する。しかし彼らの希望の芽は一瞬にして摘み取られた。
打球の行く先を美久瑠のグラブが阻む。逆シングルで捕球した彼女はその流れのまま左回りで反転し、二塁へと送球する。
ベースカバーに入ったのはショートの馬目。彼女は二塁でアウトを取った後、一塁にもボールを送る。
「アウト」
「ああ……」
一塁側ベンチ、スタンドから溜息が零れる。痛恨のダブルプレーで亀ヶ崎は一気にランナーを失う。
「くそ……」
アウトを宣告された嵐が力無く一塁を駆け抜ける。打球そのものは強かったものの、ゴロになったということは捉え切れていなかったのである。手元で変化する特徴を利用して引っ掛けさせたかった美久瑠の良い様に打たされ、結果的に初球攻撃が最悪の形で裏目に出てしまった。
See you next base……