20th BASE
《五回裏、羽田共立学園高校の攻撃は、一番ファースト、一柳さん》
五回裏が始まる。攻守交替のインターバルで少し冷静になった紗愛蘭は、自身の打席を改めて振り返ってみる。
(おそらく最後の球はフォークのような落ちる変化球だったんだろうな。ボール先行だったし、カウントを整えるために真ん中に投げたと考えるのが自然ではある。ただ暴投した時に渡さんが見せたあの笑顔……、本当はもっと深い意味があるのかもしれない)
紗愛蘭は腕組みをして暫し考えてみる。暴投になった三球目よりも前に、四球目に投げるボールは決まっていたのではないか。
(……ひょっとして、羽共バッテリーは最初からあのフォークでゲッツーを取ろうとしてたんじゃないのか? 正直な話、前の打席の件で私は心に余裕が持ててなかった。カウントもカウントだったし、あのフォークには飛び付くように手を出してしまった。その結果がピッチャーゴロのダブルプレー。まさかとは思うけど、それが全部彼らの計算の上に成り立ったものだとしたら……)
俄には信じられない紗愛蘭だったが、自身の推測は当たっている気がした。羽共バッテリーが心を読めると言われている理由も納得が行くからだ。
(各々の詳細は分からないけど、羽共バッテリーは他のチームの主軸にも私と同じようなことをしてるのかもしれない。とすれば彼女たちは完全に相手の心を読んでいるわけじゃなくて、自分たちの都合の良いように相手の考えを誘導してるんじゃないか? 言うなれば相手の心を操ってるってことだ)
紗愛蘭の見解は正にその通りである。亀ヶ崎がいくらヒットを打っても、いくらチャンスを作っても、現時点ではほとんど羽共バッテリーの手の平で踊らされているだけ。当然それでは勝ち目など無い。
「ファースト!」
打席の一柳がワンボールワンストライクから三球目のストレートを打つ。一塁側のファールゾーンに上がった打球は、ベースを越えて外野に差し掛かる辺りまで飛んできた。紗愛蘭は慌てて前に出る。
「ファール」
紗愛蘭の他にファーストとセカンドも打球を追い掛けるも、追い付くこと者はいなかった。落ちたボールは紗愛蘭が拾ってボールボーイに渡す。
(今はちゃんと守備に集中しなくちゃ。攻撃のことはこの回が終わってベンチに戻ったら皆に話をしよう)
打者はチャンスで打てない打席が続くと、守備の時間帯でもバッティングのことを考えてしまいがちになる。だがそれは新たな隙を生みかねない。守備は守備、攻撃は攻撃と割り切って目の前にプレーに集中すべきなのは言うまでもないだろう。
「真裕、良いボール行ってるよ! このまま先頭を抑え切ろう!」
紗愛蘭は定位置へと引き返す前にマウンドの真裕に声を送る。自らが好機で一打出せていれば、ここまで苦しい展開にはなっていなかった。胸にはそんな歯痒さが渦巻くが、今すべきなのはそれに悶えることではない。エースのピッチングを信じ、それを全力で後押しすることである。
真裕はと言うと、先ほどのファールで一柳を追い込むことができた。二安打を許している相手を先頭打者で迎えるのは巡りが悪いが、ここを抑えられれば良いリズムに乗っていける。もちろんキャッチャーの菜々花もそのことを重々承知している。
(ここは絶対に打ち取りたい。三巡目に入ったし、バッターが一柳だってことも考えたら使っても良いかな)
菜々花の出した四球目のサインに、真裕は深々と頷く。それから初回と変わらぬ高さまでグラブを振りかぶり、足を上げて右腕を振り抜く。
真ん中やや外寄り、打者にとっては少々甘めのコースを投球が進む。一柳は逆方向への流し打ちを狙ってスイングする。
「あれ?」
ところが一柳のバットは空を切った。投球は切れ味鋭くアウトローのボールゾーンへ曲がったのだ。その変化に一柳は付いていけず、空振りを喫するしかなかった。
「スイング、バッターアウト」
「ナイスボール!」
菜々花が真裕に向けて二度三度手を叩く。一柳に三安打目は許すまいと、バッテリーは満を持して決め球のスライダーを使ったのだ。
「やなさん、どんまいです。最後の球ってもしやスライダーですか?」
ベンチに引き揚げてきた一柳に乃亜が尋ねる。一柳は苦笑いしながら、参ったと首を横に振って答える。
「多分ね。噂通り相当良い切れしてる。あれは初見では打てないよ」
「そうですか……。何とか追い込まれるまでに打てる球を仕留めるしかなさそうですね」
一柳から情報を受け取った乃亜は、バッティンググラブを付けてこのイニング中に回ってくるかもしれない自身の打席に備える。真裕たちがスライダーを投げ始めたことで、これまでのように安打を連ねることは難しくなった。だがこれは試合前から予想できたこと。羽共は今の時点でリードしているので、決して失望することはない。寧ろ考え方次第で前向きに捉えられる。
(ここで伝家の宝刀を抜いてきたか。けど本当ならもう一イニングくらい後に取っておきたかったんじゃない? それだけこれ以上の点を与えたくないってことだろうし、私たちが追い込めてるってことだ。こっから更に得点していこうと思うなら、この三巡目でどれだけスライダーを投げさせるかが鍵になりそうだな)
仮に亀ヶ崎がこの後の展開で追い付くなどして七回裏が行われた場合、羽共打線はこれ以降一人でもランナーが出れば四巡目へと入っていく。そうなると一柳などは既に一度スライダーを見た状態で打席に入ることができるため、それだけで彼らは優位に立つだろう。
「センター」
二番の原延がセカンドゴロに倒れた後、三番の吉原は二球目のカーブを打ち上げる。打球は二塁ベースの後ろまでしか飛ばず、センターのゆりが前進してきて捕球する。
「アウト。チェンジ」
真裕は一番から始まる羽共の攻撃を三人で退けた。スライダーを見せたのは一柳を三振に仕留めた一球のみ。後続は他の球種のみで打ち取り、乃亜の思惑は外れる。
「ナイスピッチ! この回こそ点取ろう!」
「チャンスは作れてるわけだし、後は活かすだけだよ!」
前のイニングに大きなチャンスを逸した亀ヶ崎ナインだが、まだまだ闘志は消えておらず、逆転への希望を持ち続けている。六回表の攻撃前の円陣で、紗愛蘭は攻略の糸口を示せるか。
See you next base……