エピローグ
あの事件から数日。私はさくらさんが花園さまに言った通り、そのまま解放されて置屋に戻り、今まで通りの生活を続けていた。
変わったことといえば、朱雀が来ることがなくなったというくらいだ。
なんでも、さくらさんは直々に朱雀に婚約破棄を願い出たらしい。
彼は気が強い人だから、しばらくは立ち直れないだろう。
「なんだかとてもさくらさんに助けられてしまったわ」
結局私は自分一人の力では終わらせることさえ出来なかったのだ。
「黎、ちょっと近い……というか、最近ずっと距離感おかしいわよ」
おかあさんがあんなことがあった後だから、といって休日をくれたため、私は同じく休みを貰っていた黎と居間でくつろいでいた。
お茶を飲んでいたはずなのに、気づいたら後ろから黎に抱きしめられている。
「というか、重い。物理的に重い。離れてってば」
「鈴……」
精神的にも物理的にも重い。
「ああ、もう分かったわよ。ごめんってば。いろいろ考えて、黎は巻き込まない方が良いかなって思っちゃっただけなの!」
「これからは巻き込んでよ。……こないだ言ったこと、冗談じゃないから。重いと言われようがなんだろうが、僕は本気だから」
こないだ言ったこととは何のことだろう?
少し記憶を巡らせて、数日前に私から吹っ掛けた口喧嘩に辿り着く。
「まさか、こないだって……」
「鈴が死んだら僕も死んでやる」
冗談じゃないわ! なぜ、どうしてなの、『晦の夢見草』では黎はこんなに面倒なタイプのキャラじゃなかったはず……
そんなことを考えて、そしてやっぱり一つの答えに辿りつく。
「ああ、私のせいね」
「そう、鈴のせい。……責任取ってよ」
「責任ね……今度の休日は一日黎の我が儘に付き合ってあげる、とかじゃダメかしら」
対価としては全く見合っていないけれど、思いついたのはこれだった。
「それもいいけど、ちょっと軽くない?」
「じゃあ、私が何を言えば黎は満足するの?」
私がそう聞くと、黎は真剣な表情で、
「ずっと一緒にいると誓って」
と言った。
「え、やだ重い」
思わず本音が漏れる。
「責任、取ってよ」
「……他の方法はないの?」
「ない」
彼の返答に、私は少しの間考え込む。ずっととはいつまでだろう。
この先私がおばあちゃんを超えるような歴史に名を残す芸者になった後も、あるいは芸者を引退した後も、ううん、もっとずっとそれより後までかもしれない。
黎は本当に言葉通り、「ずっと」一緒にいてくれることだろう。
想像していたら、なんだかそれも良いかもしれないと思えてきた。これまで何年も一緒にいたもの。これからもなんだかんだ一緒にいるような気がしてくる。
「はあ、いいわよ。一緒にいてあげるわ」
私がそう返すと、彼は幸せそうに微笑んだ。
「そうだ、鈴。一緒に出掛けるんだったら、まず鈴のご実家に行かないと」
しばらくして、黎は何かを思い出したようにそう言った。
「……やっぱり黎、私の両親に何か言ったわね」
「気づいてたんだ」
「そりゃ気づくわよ。昨日お稽古帰りに実家に寄ってみたら、まるで幻を見たかのような反応をされたんだもの。黎はどうしたって何度も聞かれたし」
「ごめん……」
「一体何を言ったの? ああ、そうだ。こないだ持ってたナイフについても説明してもらわないといけないわ。黎はあの時出かけていたんだから、私がさくらさんのお屋敷にいるなんて知らなかったはずよね。なんであんな物騒なもの、持っていたのかしら?」
私が詰め寄ると、彼は気まずそうに目を逸らす。
「説明してもらえるまで、自室に戻らせないわよ」
「分かった、話す。ごめん、鈴」
彼は、私の両親になんだか誤解しか生まないようなことを告げていた話と、ナイフは私を脅すために使うつもりだったということを告白した。
「物騒すぎるにもほどがあるわ。もうやだ、黎がどんどん危ない方向に成長していく……」
「ごめん、鈴に嫌われるくらいなら、多少無理やりでも鈴と二人きりで逃げてしまえば良いかと思って」
「なんか私と駆け落ちするつもりでした、みたいな雰囲気だけど、それただの誘拐じゃない」
私は思わずため息をつく。
実家に帰るのがこんなに気まずく感じられたことはない。
「鈴さん、いらっしゃいますか?」
裏口の方から良く聞きなれた声が聞こえる。
「さくらさんの声だわ。ほら、黎いい加減離れて」
「こんにちは。お元気そうで良かったです。わたしからもお詫びをと思って、今日はこうして伺いました」
裏口を開けると、さくらさんはすぐに頭を下げた。
「そんな、顔を上げてください。私はさくらさんのことを恩人だと思っているんです。さくらさんがいなかったら、今頃どうなっていたか考えるだけで恐ろしいわ。……あれから、どうなりました?」
個人的な興味で、尋ねてみる。
「お父さまは色々と考え直してくれそうです。朱雀さまは、わたしが婚約破棄を申し出たら、とても驚いていらしました。とても落ち込んでいるらしくて。わたしのこと、好きでもなんでもなかったでしょうに」
「自尊心が傷つけられて落ち込んでるだけですよ。自分が相手を振ることはあっても、相手に自分が振られることはないと思い込んでいる人なんでしょう。はあ、今度指名があったときくらいは、慰めてあげようかしら」
「そのままつけいられて、結婚しようとかいわれないでよ、鈴。僕と一緒にいてくれると誓ったでしょう?」
廊下から私たちの会話を聞いていた黎が、横から口を出す。
「はいはい、大丈夫よ。それに私、最近朱雀さまの良い撃退法法に気づいたの」
「まあ、どんな方法ですか?」
「あの人、私が穏やかな対応をしてもきつい対応をしても何も効かないけど、プライドを折ってしまうと、とたんに興味をなくすのよ」
「ふうん、例えば?」
「例えばこないだ、朱雀さまが和歌を習い始めたという話をしてきたの。いつもなら、素敵な趣味ですねって対応するところだけど、「今頃ですか、私は十になるかならないかの辺りには師範の方に褒められる程の腕前でしたよ」って言ったら、不機嫌そうにしてさっさと帰って行ったわ」
自分で言っておきながら、悪女のような振る舞いに少し笑いがこみあげてくる。
「鈴、そんな悪女みたいな笑い方しないでもらえる? まあ、自衛の方法が分かったのは良いことかもしれないけど」
呆れたように言う黎を見て、さくらさんはおかしそうに笑った。
前世の記憶を取り戻したあの日から、私はゆっくりと、でも確実に迫って来る終わりを何度も恨めしく感じた。
どうやっても回避できないのかもしれないと思ったこともあった。
でも、こうして皆で笑い合える今ならはっきり分かる。
やっぱり、私の人生は私のものだ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




