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魔法の木エニシダの香り  作者: 文乃木 れい
慧の目にうつる世界
37/50

とりかえしがつかない たえちゃんの死

 

 英会話を初めてひと月あまりたち、アイリーンと私たちはすっかりうちとけて会話も弾みだした。

いつものように綾さんと八木さんの家に寄ると、彼女はひとりで出てきた。

たえちゃんはぐっすり寝ているのでそのまま寝かせてきたという。

二階で寝てるの、柵してきたしだいじょうぶ。

それでも念のために お隣の加瀬さんに声をかけた。

「加瀬さん、外人住宅いってくる。たえが二階で寝てるけど、もし泣いてるの聞こえたらここに電話して」八木さんは加瀬さんにアイリーンの電話番号を教えた。

 2時間も経ってなかったと思う。外人住宅から帰ってきた。八木さんの家まではほんの20m。八木さんはお隣の庭をちょっとのぞきこむようにして、

「かせさーん、帰ってきたー」と大きな声をかけ、それからそそくさと自分の家に入っていった。

私と綾さんはそのまま四軒先の新田さんの家に行き、預かってもらっているみほちゃんとあさこを庭で待っているところだった。


「かせさん!かせさん!あーー」という、最後は悲鳴のような声を聞いて、みんな凍りついた。ちょうどドアを開けて庭に降りかけていた新田さんが、どどっと庭をつっきり道に走って出ていった。じゃりの音が響いた。


八木さんが家の外で何か叫んでいるのだが、よくわからない。

りょうを抱いたままわたしは新田さんの庭から動けず、綾さんが「たえちゃん」とつぶやいた。足ががくがくしてきた。


 また、砂利道を走る音が鋭く次第に大きくなり、新田さんが庭に戻ってきた。

「電話する!救急車。たえちゃんが」

「どうしたの?たえちゃんどうしたの?!」

綾さんはみほちゃんを置いたまま、八木さんの家に走っていった。

 力が抜けて動けない。

「どうしたの?」と朝子とみほちゃんが不安そうに私を見あげている。

新田さんの声が聞こえてくる。

「はい、 もう息がないんです。はい、はい、‥‥」

こどもたちを連れ新田さんの家に戻す。「中で遊んでて。」

 私をちらっと見た新田さんの顔は真っ青だった。

「八木さんのご主人に電話する。」と名簿をめくっている。

 りょうを抱き 私は八木さんの家に走った。

 

 静かだ。かせさんも、綾さんもみんな2階のようだ。どうしようか、開け放した台所のドアから中に入る。

調理代には、英会話に行く前に作ったのだろう、ラップのかかったコロッケが揚げるばかりにして並んでおいてあった。何事もない平和な夕食がどこかにいってしまった。

二階に行くことはできなかった。

 庭から新田さんが入ってきてそのまま、二階にあがっていった。かすかに救急車のサイレンが聞こえてきた。

 私は 新田さんの家にとってかえした。子供たちの姿を見とめた時、体中の力がふーっと抜けるのを感じた。


 たえちゃんはもう二度とそのつぶらな目をあけることはなかった。救急車が来て、その後警察が来て、ひととおりの調べがおわり、八木さんはようやくたえちゃんを抱っこすることができた。いったん抱っこしたら 彼女はがんとしてたえちゃんを離さなかったという。さるの母親みたいだって自分で言ったのよと、次の日新田さんがその様子を話してくれた。誰かが、保育所と学校から八木さんの子供たちを連れて帰ってきたが、そのふたりのこどもたちのことも傍から話さず、ちょっとでも姿が見えないと、名前を呼び続けていたという。

 「英会話に誘うことがなければこんなことにならなかったのに。悔やんでも悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。八木さん、きっとわたしを憎むと思う。」と綾さんは涙を流した。

そうかもしれない。八木さんは英会話をしたことを後悔し、ずっと自分を責め続けるだろう。そして綾さんだけでなく、今回の英会話にかかわる人、もちろん私も含めてすべての人を憎むだろう。たとえ憎まないにしても私たちの存在は彼女を苦しめるだろう。英会話なんてしなければ きっと あの日の夜は、みんなでコロッケ食べて笑ってたんだろうに。

 気がつくと、そばにあさが来ていて、いすに座っている私のひざの上に頭を乗せて私の顔を見上げていた。

「たえちゃん、しんじゃったの?たえちゃん、笑ったねえ?」

二,三日前にあさが呼びかけたら 全身で反応して喜んだたえちゃんの笑顔を思い出した。

「そうだったねえ、たえちゃん笑ってたねえ」

「あんなに元気だったのに、なんでだろうね、ねえ、あさちゃん」


葬儀は自宅でだった。小さな小さなたえちゃんは、お人形のようだった。

八木さんはおじぎだけを繰り返していた。今だれかが八木さんを持ち上げたら、ものすごく軽くて驚くだろう。そしてそのまま手を離したら、八木さんはそのままどこかに飛んでいってしまうだろう。

  だから、私はそれからしばらく、八木さんがどこかに飛んでいってしまわないかとそんな心配ばかりしていた。

 飛んでいってしまわないかぎり、空っぽの体にも、少しずつ何かが戻ってくるだろう。

  

アイリーンもお焼香に来たが、八木さんは表情ひとつ変えず静かにお辞儀をした。


 「英会話どうする?これから」出棺を外で待っているとき綾さんが小声で聞いた。

「お休みしよ、しばらく」わたしは言って、アイリーンの姿を探した。

 道の隅のひばの垣根に大きな体を隠すようにして立っている彼女を見つけ そばによっていった。

彼女は英語で悲しいと言った。

たえちゃんの死に責任があるわけではないとわかってはいても、きっと私と同じような複雑な思いが渦巻いているのが見て取れた。

 思わず伝えようと思っていたこととは全然違うことを口にしていた。

「来週も行っていい?勉強しなくても お話するだけでいいから」

アイリーンは、もちろんきてください。とうなずいた。



 

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