14- カイマナイナ・ラム
彼女が組織に属し作戦行動の最中であるのなら、アイリーへの生殺与奪を決定するのは彼女の感情ではない。
作戦の目的、あるいは彼女が所属する組織の判断だ。
最も警戒すべきは彼女の持つ能力ではなく、彼女が所属する組織の目的だ。
だが組織対組織の力関係へと状況をもつれこませれば。
第一資源管理局災害対策部事故原因調査室の特別調査官としてアイリーが組織から引き出せる力もまた強大なものだ。
リッカの囁く声が再びアイリーの注意をひく。
『相貌検索完了。彼女の名前はカイマナイナ・ラム。第三資源管理局治安介入部に所属しているエレメンタリスト。他のプロフィールは非公開になっているけれどハッシュバベルのスタッフだという事は確定だね』
言いながらリッカが空中に向けて手を振りシステムを起動させる。
『視線行動検知システム起動』『表情サンプル連結・ギガビオント』『ポリネシアン・エシックス連結』『フィデラル・エシックス連結』『20代倫理観・メインストリーム連結』
『認識機能非同期連結』『認知機能非同期連結』『感情解析システム起動』
カイマナイナの顔を見つめるアイリーは自分の感覚がさらに研ぎ澄まされていくのを実感した。
カイマナイナの視線の動きが意味するもの、僅かな表情の動きから彼女が隠そうとしている感情、本人も意識せずに表出させている性格、揺らいでいる判断。
それらを読み取る能力が飛躍的に向上している事を実感する。
「あなたに出遭ったのは偶然です。私はあなたに何の用件も持ち合わせていない。今希望するのはこの場から立ち去る事だけです。私を解放してくれませんか?」
女が笑う。
自分の力が見込んだ通りの効果を発揮している。アイリーに対する主導権は未だ自分にある。
その確信が生んだ笑いだろう。
「落ち着いているのね? お兄さん……。 身体が動かないのに怖くはないの?」
「恐怖はありません。貴女に殺意が感じられない。殺されないのであればいずれは解放もされるでしょう。同じ結末になるのなら早い決着を希望しているだけです。俺を解放して欲しい。希望するのはそれだけです」
言葉に若干の嘘を混ぜながらアイリーは平然とした態度を崩さなかった。
自分の耳元で囁き続けるリッカの声を聞いている。
『第三資源管理局と保安部、市警察に緊急通報したよアイリー。第三資源管理局からの回答は未だない。2分でハッシュバベル本部から保安ロボットが到着する。3分30秒以内に市警から巡回保安ロボット、7分以内に市警の緊急救難チームが到着する』
アイリーの背後、彼よりも高い位置から頭を抱きかかえるようにリッカが両腕を伸ばしてくる。
身長差からリッカは宙に浮いている形になるはずだがアイリーの眼には背後から延ばされたリッカの細い両腕しか見えない。
アイリーの視界を遮らないためのリッカの配慮だ。
『アイリーの視覚と聴覚はライブ映像として市警に報告され続けている。市警が参考にしやすいポイントを集中して観察して。2分持ちこたえれば状況は変わるよ』
さらにアイリーの視界の中にカメラの画面が現れる。女性と向かい合う自分の姿が俯瞰されて映っている。
高さにすると3メートル位だろうか。
『公園の巡回監視ドローンに支援要請が通ったよ。ドローンからのカメラ映像も取得できた。これでアイリーの周辺の視界は確保されたよ』
『完璧な対応だよリッカ』
『感謝するなら感謝の言葉を言って? わたしのアイリー』
『ありがとう。頼りになるな』
『もっと感謝しても構わないよ?』
リッカの言葉には答えずにアイリーは女性を正視し続けた。
「私に殺意が感じられない……ね? お兄さんは殺意なんて感じたことあるの?」
カイマナイナの瞳の色が暗く沈んだ。
アイリーをモノとしてしか視ていない。
共感を目指しながら相手の感情を探るという動きがゼロとなる。
自分の感情を相手に伝える事を拒む。
あるいは殺すという一念以外に瞳から読み取れる情報がなくなってしまう。
殺意を秘めた表情というのは暗く沈んだ目に宿る。
アイリーは数々の調査実績の中から戻れない所まで辿り着いてしまった殺意というものを幾たびも経験している。
カイマナイナの心に満ちたものは紛れもない殺意。
それも使命感や信念、感情興奮などに後押しされて勢いをつけたものではない。
自分の心を切り替えただけで作業としての殺害を実行できる水準にまで練り上げられた殺意だった。
「殺意という言葉を私に意識させたのはお兄さんの方だからね」
アイリーの心が強い緊張ストレスに晒される。




