15‐ 誤算
※ 痛い表現が含まれます
「身体を動かせないので貴女の方で確認して欲しい。俺の名はアイリー・スウィートオウス。第一資源管理局の特別調査官だ。個人的には貴女とは初対面だ」
純然たる殺意を突きつけられもなおアイリーの声は平静そのものだった。
この男、殺意も理解できない程感性が摩耗しているのか?
それとも自分の殺意を前に平静を保てる強さを持っているのか?
カイマナイナの顔に不審が浮かんだ。
純然たる殺意というのは相手の気分を害する不愉快な雰囲気などではない。
全く予期していないタイミングで不意に大型の獣の死骸を目の当たりにした。その時に感じる恐慌と嫌悪感を自分の体の全細胞に漬け込まれる感覚。
相手の共感情動を有刺鉄線で締め上げる様な拷問的精神干渉だ。
だが平静さに揺らぎも見せずにアイリーは言葉を続ける。
アイリーにとって自分の死は日常に起こる近しい現象に過ぎない。
「俺は貴女の味方でも敵でもない。無関係だ。だが同じ組織に所属しているのならば敵対関係とはならないと思う。どうだろうか、ミス・カイマナイナ・ラム?」
カイマナイナの眼に驚きが湧き上がる。
アイリーが同じハッシュバベルの所属と知って驚いたのだろうか?
自分の名前を不意に呼ばれた事、自分の所属を知られていた事への驚きだろうか?
「……あなた顔つきが変わったわね? あら、よく見ればすごくイケてる顔してる。さっきと別人。二重人格キャラかなにかなの? やだ、ステキだわ」
相手の首筋に鋸の刃をあてて弄ぶ様な殺意はそのまま、カイマナイナの口調に好意的な興味の色が滲み始めた。
そしてその返答の内容はアイリーの想定から外れ過ぎたものだった。
「私が声をかけた時はボサーっとしたまま大人になってそのままボサーっと中年に老いていきそうな間抜けた顔をしていたのに……。 イケてるわ今の顔」
光を飲み込み闇だけを映す双眸はそのまま、カイマナイナの笑顔は一層深いものとなった。
無意識にだろう、指先で自分の唇にふれて弄ぶ。
紅を刷いた唇と近似の紅に塗られた爪が街路灯の微かな光を照り返す。
「素敵な表情をするのね。自分の死を恐れていない……。そして自分の死を受け入れる気もさらさら無い」
カイマナイナの瞳には好奇心以上の、明らかな好意の表情が現れ始めている。
マズい。
アイリーは自分が経験したことのない危機に直面しているのを感じた。
この女は頭が悪い。あるいは頭がおかしい。
強い緊張に加えてアイリーの心に焦りも浮かびはじめる。
命を賭けた駆け引きをする時に最も恐ろしいのは自分の手元に交渉材料がない時ではない。
相手の頭が想定以上に悪かった時だ。
初対面の相手を何らかの事情で危険な存在と判断しその自由を拘束する。
後でどんな経緯を辿ったとしても暴力を介入させたという意味で面倒事が残る非常に重大な判断だ。
特にカイマナイナはアイリーの自由は拘束したが精神的に屈服させた訳ではない。
実際にアイリーは既に警察への通報を済ませている。尋問に掛ける時間が限られているのは、むしろカイマナイナの方だ。
顔つきがどうのという話をする余裕などないはずだ。
アイリーから最優先で聞き出すべき情報が何かを忘れてしまっているのか。
「ステキな顔だわ。死を恐れない事も死を受け入れない事も簡単よ。でも死を恐れずに生き延びるのはとても難しい」
こんな状況にありながらカイマナイナの言葉にアイリーは共感を覚えた。
死を恐れない事は知識が欠如していれば容易い。死を受け入れない事も判断力に欠けていれば難しくはない。
カイマナイナという女性は他人の死を弄ぶだけの女性ではない。
他人の死を自分に置き換えて考え続け、何らかの回答を得た者の1人だ。
自分が窮地にありながらアイリーはカイマナイナに不思議なシンパシーを覚えた。
カイマナイナが笑顔で問いかけてくる。
「貴方は自分の死を恐れずに生き延びるには何が必要だと思う? 私が思う答えを言ったら次の質問をするまでの間だけ命の保証をしてあげる」
リッカがアイリーの耳元で囁いた。
『カイマナイナとの会話に集中したままで聞いて。こちらに向かっていたハッシュバベルの保安アンドロイドが2機とも破壊された。行動記録映像は剣の形をしたもので両断されたところで終了していた。機械を剣で両断なんて物理的にあり得ない。エレメンタリストが他にもいるよ。警戒して』
『市警の巡回保安アンドロイドは?ハッシュバベルの保安アンドロイドよりも重装備だ』
『うん。たった今破壊された。アイリーは作戦エリアに偶然居合わせた異物じゃなくて目標に設定しなおされたと判断した方がいい』
警察組織まで平然と攻撃するのか。
カイマナイナが見せる余裕は警察権力さえ歯牙にもかけぬ力を持っているせいか。
誰かに保護される事で生き延びるというルートはない。
暗い公園の中でアイリーの視界はさらに明るさを増した。自分の体に死が一歩近づいてきたのを実感する。リッカがアイリーに囁く。
『アイリー。次の手を打つから改めてあと3分時間を稼いで』
一般人であるアイリーに警察通報以上の次の手はあるのか。
アイリー自身に思い当たるものはなかった。
だがリッカに対するアイリーの信頼は揺るがない。リッカはカイマナイナとの会話に集中しろと言った。
死を恐れずに生き延びるためには何が必要か。カイマナイナのその質問にどう答えるか。
自分を客観視しても答えは出てこない。アイリーに自分を英雄視する癖はない。
一人の男の姿がアイリーの脳裏にひらめいた。
天才と称され、当時まだ新人だったアイリーには解決の糸口さえ見つけられなかった複雑な重大事故を幾つも解明して生還を続けた男。
兄のライアン・スウィートオウスの姿だ。
彼は日頃何を語っていたか。
「…全部です。生き延びるには全部の要素が必要だ。全部を得意とする必要はない。でも一つでも欠けていたらどんな長所も活かし切れない」
アイリーの言葉をカイマナイナは黙って聞いている。
「…生き延びるには思いつく限りの全部を持っている事。そして状況に最適な優先順位をつける知識と判断力を持つ事」
兄ライアンはそう語っていた。
その言葉が今、この場で自分に冷静さを与え続けている事にアイリーは気づいた。
「自分自身を理解している事が生き延びる絶対条件です。次は俺の話を貴女が聞く番だ、ミス・カイマナイナ・ラム」
相手の返答を待たず畳みかける様にアイリーが続けた。
「俺が今見ているもの、聞いているもの、全て市警にライブ映像として通報され続けている」
カイマナイナの表情に変化はない。
「貴女は自分の力で俺の自由を拘束していると明言している。貴女の身元はもう俺が特定している。今ならば俺が被った被害はほんの一時自由を拘束されていただけで済む。俺はトラブルを回避したい。俺を自由にしてくれ」
背中と胸とに痛みが走った。首を動かす事も出来ないが視点を下に落とす事は出来る。
自分の胸から血に濡れた細身の両刃剣が突き出している。体の中に重みを伴う異物感。
アイリーはドローンが撮影している俯瞰映像を見た。
いつの間に現れたのかアイリーの背後に立つ者がアイリーを背中から長剣で串刺しにしている姿が映っている。
「何をだらだらと喋らせているんだ、カイマナイナ……。 尋問は相手を屈服させてからと、いつも言っているだろう」
アイリーの背後に立つ者の言葉だった。




