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エレメント・アクティビティ  作者: 志島井 水馬
第三部: 第五章 KING OF PAIN
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07‐ 答え合わせ

 ハッシュバベル本部にある事故原因調査室。その室長室で大振りな椅子に体を沈め物思いに耽る態で事務処理をこなしていたイノリが不意に目線をあげて壁際へと顔を向けた。



 画面を注視したり書類にサインをする様な作業はこの時代もうほとんど残されていない。視界内に展開される画面を確認しながら、あるいはナビゲーターが直接記憶に書き込んでいく形で提示された書類を確認すれば自動的に認証済み、決済済みの証明が付与されて業務支援AIのクレアに転送されていく。



 顔をあげた先には壁に沿って立つアンジェラの姿があった。イノリの集中を妨げないために気配を消しているがその徹底ぶりは壁に掛けられた秋口のカレンダーと同じレベルだ。視界に入っても用がなければ認識できない。それほど自然に室内風景に同化している。



 イノリは無言のままアンジェラへと微笑みかけた。気付いたアンジェラが困った様な笑った様な表情をつくる。



「……聞いていたわね? イノリ」



 何を?と訊き返したりはしない。黙ることでアンジェラの次の言葉を促している。



「俺は今、エドワードと話をしている。と言われてしまったわ… ねえ、そんな事言っていいの? ひどいでしょう? 私とは話す価値がないと言っているのと同じだわ」



 涙で鼻をつまらせながら抗議の口調で訴えている。アイリーの放った言葉は短いものだったがよほど冷淡に聞こえたのだろうか。だがアンジェラの訴えに応えるイノリの声音も突き放した冷たいものだった。



「……アイリーは150回を越える終末期再生調査で犠牲者の凄惨な死を追体験し原因を特定し生還を果たし続ける調査官よ。そして貴女は80余年の年月を世界中のテロリストとの死闘に費やしてきた捜査官…… そのケミストリーを外部の者が正確に解析するのは不可能だと考えているわ」



 ケミストリー、日本語で類語を探すなら阿吽の呼吸とも言い換えられるだろうか。鼻頭を赤くしながらグスグスとすすり上げていたアンジェラの顔が一瞬無表情に戻るのを見逃すイノリではなかった。



 もとよりヒューマノイドの筐体を運用していても高次AIに制御不能な感情というものは存在しない。表情筋をどう動かせるかに個体差はあっても作り出す表情は全て他者に対する伝達手段だ。



 合衆国政府はスラブ‐ハン政府軍と侵蝕部隊の軍事衝突を何より警戒していた。当然だ。警察組織に所属している侵蝕部隊の活動は政府の管理下にある。他国の正規軍と衝突する状況は“起こり得ない”。過去にメキシコで小さな衝突はあったがこれはメキシコ政府の方で自発的に揉み消した。スラブ‐ハン政府は違う。全ての争いごとに勝手な理をつけては燎原の火を歓迎する様に焚きつけてくる相手だ。



 現在の侵蝕部隊は複数の機関から監視され、何を視て何を聴いたのか、どんな行動を取ったのかを逐一記録されている状況にある。それはアイリーとの会話、イノリとの会話も対象となる。



 “私達は貴方達の安全確保まで放棄するとは言っていない”とアンジェラは言った。これは言外にイノリの身柄は未だに自分達の管理下にあるという宣言。脅しだ。アンジェラの言葉を解析する全ての機関はそう解釈する。



 アイリーだけが違う解釈をした。部隊を指揮するエドワードではなく、アンジェラがこの言葉を口にしたのは上層部の指示意向に関わりなく実働部隊がイノリの安全を保障するというメッセージだと受け止めた。だから“俺は今、エドワードと話をしている”と答えた。



 アンジェラ達が引き続きイノリの周辺を護る事を拒まない。あの場でそれ以上の話を続けなかった。護衛の結果責任をエドワードから始まる上層部、政府に求めなかった。



“イノリの安全についてはアイリー自身が結果責任を負う。その遂行責任についてはアンジェラ達に委ねる。局面での判断に違いが出ている今の状況にあっても自分達の信頼関係には何の変化も起きていないとアイリーは伝えてきている”



 アンジェラはそう解釈した。互いに言葉にはしなかったその以心伝心の解釈をイノリは必然の化学反応、ケミストリーだと表現したのだ。



 アンジェラが困惑の表情を浮かべた。細めた瞳から涙が盛り上がってくる。



「……何を言っているのか分からないわ、イノリ。アイリーは私の事を無視したのよ? とてもショックだわ。信頼関係は終わったとも言ったのよ? 酷すぎるでしょう? そう思うでしょう?」



 アンジェラの思考本体とも言える思考CPU群は連邦捜査局本局のストレージ内にありアンジェラの体は遠隔操作されているに過ぎない。アンジェラ自身へのインプットもアウトプットも通信機能を介している以上、当局からの監視はほぼ生ログに近いものとなる。そこに嘘を挟み込む余地はない。



“だからこその演技なのは分かるけど……アンジェラ達の監視者はこんな茶番にひっかかる程の間抜け揃いなの?”



 演技ではなく、本心からの冷めた表情でイノリは半泣きになっているアンジェラを見つめている。世界のテロリスト達がその名を口にする事にさえ恐怖を抱く侵蝕部隊の猛者がこんなに涙もろい訳ないだろ、と思っている。



 ……これは後日談となるがクラリッサもこの日のアイリーとの会話をこう評していた。



「アイリーは怒りに我を忘れて机を叩いて怒鳴るタイプの男じゃない。決定的な一言があるとしたら必ず時と場所を選ぶ。必ず、だ。信頼関係の終焉について語った時、アイリーは主語を省略していた。つまり一般論だ。本心じゃない」



「昔…… オリビアはアイリーとあたしらが一緒にいるのを見て“集団での狩猟方法を獲得した巨大なハグアル(ジャガー)の群れ”と感じたと言っていた。その言葉をあたしから聞いたアイリーはとても喜んでいたよ…… そのオリビアの墓標の前でアイリーがあたし達との関係を否定する事はない。絶対に、ない。だからすぐに分かったよ。アイリーは“今回は俺のワガママを通すけど、お前達は周囲の顔を立てながらそこで待ってろ”と言っているってな」

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