02‐ クリスタル・シールド
怨霊が握るハルバードが地面を叩く。土煙が上がる。硬く乾ききった荒野の大地に孔を穿つ程の打撃だ。僅かに離れた場所にいるアイリー達の視界が一瞬だけ土煙で遮られる。
「あっ……のさあ? わたしの名前も聞かずにここまでやる? わたしでなきゃ潰されて死んでたよ? いいの? それで?」
抗議の声が聞こえてきた。土煙が薄れ、中から無傷の女が姿を現す。女を頭上から襲ったハルバードは再び両断され、刃の部分は女の後ろに落ちて転がっている。
「……飼い主の名前はいずれ分かる。吠えかけてきた犬の愛称がポチだろうがパトラッシュだろうが気にする価値はないだろう?」
ネイルソンの言葉は辛辣だった。襲撃者を“飼い主にけしかけられただけのペット犬”だと侮蔑したのだ。僅かな沈黙が流れる。続いたのは女の含み笑いだった。
「あっ……は。わたしが気分よく斬り倒せる状況作ってくれて、ありがとう!」
手にした刀を目の高さに持ち上げ水平に構える。刺突に特化した、霞の構えと呼ばれる形だ。その切っ先から縦に閃光が走る。微かな破砕音が聞こえてくる。
ネイルソンの目が細まった。
「切っ先が触れただけで俺の水晶盾が両断された。何でも斬れるが自慢の能力か?」
「このセロファンみたいなのが盾? 笑える」
一歩、女がネイルソンへ向けて歩みを進めた。再び切っ先から閃光が走る。再び破砕音が聞こえてくる。
「数を揃えるというのは有効な対策だよ。僕と君の間には600層の盾が置かれている。全部を突破できるかな?」
ネイルソンの背後に立つ怨霊の全身から無数の飛礫が打ち出された。尖った先端を持つ鉱物質の飛礫が一斉に女を襲う。女の斬撃がこれを迎え撃つ。
斬り落とすと言っても飛礫の質量に合わせて刃を滑らせるのではない。切っ先が僅かに触れただけで飛礫は両断され失速し地に落ちていく。見極めて一点を突く。その迎撃方法に対して女が取っている霞の構えというのは理にかなった形と言えた。
「……12×5×10で、600。計算は合っているよな?」
ネイルソンが視線をアイリー達の方に向けてそう尋ねた。
「そのヘンはサバ呼んでも、ざっくりした数でもいいんじゃねえの? 戦ってる最中だしさ?」
クラリッサが即答する。ネイルソンが小刻みに首を横に振った。結構、大事なことなんだよ。最小ロットとかもあるし、と答える。
『……アンジェラ』
アイリーが思考通信でアンジェラの名を呼んだ。
『なあに? ベイビー?』
『俺の目には飛礫の材質は様々な種類がある様に見える。ネイルソンは俺達にサンプルを提供するために種類を変えながら飛礫を撃ちだしてくれているんだろう。だが全ては一撃で両断されている』
『そうね』
『ネイルソンの言う盾というのはどんな特性を持っているのか、把握しているか?』
『もちろん、事前に説明を受けているわ。ネイルソンは盾と言っているけれど蜘蛛の巣に近い構造と働きを持つ能力よ。自分と敵の間の空間に平面的な範囲で能力を展開して通過しようとした物質やエネルギーを結晶化させる。試してみたけれどブリトニーの対物ライフルも私のクレイモア地雷も盾は突破できなかった』
『女の斬撃能力は随分不便な、使い勝手の悪いものに見える。欠点だらけだ』
アンジェラが含み笑いを伝えてきた。実際の表情は微塵も動かしていない。
『剣先が触れただけで何でも一度で斬れるが…… 一度に何でもは斬れない。手持ちの刀を触れさせなければ能力が発動せず、触れさせ続けなければ能力は消失するんじゃないか? カイマナイナの頭部を貫いたままの刀を振るっているのは刀を抜いたらカイマナイナの再生能力を阻害できなくなるからだろう』
『良い読みね、ベイビー。私も同じ意見よ』
『ドロシア。カイマナイナの救助を最優先にしてくれ。襲撃者情報収集の優先順位は下げてもいい』
『カイマナイナさんは不死の身です。いずれ自力で帰還すると思いますが、それでも優先して救助しますか? アイリーさん?』
珍しくドロシアが反問してきた。アイリーはカイマナイナの表情を目で追っている。肺を失っているため叫びを上げる事もできずにいるが激痛と敗北感と焦燥感に唇を噛みしめている。意識を保ったままでいるのは明白だった。
『……カイマナイナはこれまでの人生で充分すぎるほどの塗炭の苦しみを味わってきているはずだ。……俺と共に戦う間くらいは…… 尊重される存在であると、俺はそう思っていると、伝えたい。 ……痛みを伴う作戦を強いているんだ、救助は最優先としたい。 ……頼むよ』
『うう…… ごめんなさい。アイリーさん』
『なぜ、ドロシアが謝る?』
実際にアイリーを護る姿勢をとっているドロシアが小さく顔を俯けた。
『私もいちど、アイリーさんに“頼むよ”を言わせてみたかっただけなんです……!! カイマナイナさんの解放はネイルソンさんとカイマナイナさんの共闘再開を意味しています。戦力回復のために最優先するべき対応です。すぐに回収にとりかかります』
『……エドワード。エドワード・スタリオン』
アイリーが続けてエドワードの名を呼んだ。普段は大型二輪車の中に意識のオリジナルを設置しているエドワードがアイリーの視界の中に通信窓を開く。ヒューマノイド姿だ。
『僕の名を呼ぶのは珍しいな。アイリー。どうしたい?』
『日本から来たというエレメンタリストに共闘を持ちかけて欲しい。条件は今後の情報共有だ。どの情報を共有するかの判断と、ヒャクメというエレメンタリストとの交渉を頼みたい』
『僕の本分だね。……ドロシアでなくても、いいのかい?』
『ドロシアには常に俺の身の安全確保を最優先に考えていて欲しい。高次の政治的交渉は君に任せたい』
きゃあ、という喜びの悲鳴が通信回線に割り込んできた。ドロシアがあげた喜びの声だった。これも珍しい反応だった。
取り合わずにアイリーが襲撃者の女へと注意を振り戻す。女は霞の構えのままネイルソンへと駆けだし始めていた。一歩を踏み出す度にその剣先が触れた空間に縦の亀裂が走り破砕音が聞こえてくる。
ネイルソンの盾は実際のところ、防御の役を果たしていない様に見えた。女がネイルソンに肉薄する。怨霊が硬く組んだ両手を女の頭上に振り下ろす。女の刀がこれを横薙ぎに振り払うと互いに握りこんだ両手ごと、怨霊の両腕が切断されて女の背後へと落ちた。
ネイルソンの顔に焦りが浮かぶ。
「はっ! クリスタルシールドとか笑える!! 何の役にも立たなかったな!」
刀を霞の形に構えた女がそう宣言し、刺突を繰り出す。ネイルソンの額に剣先がめり込み、その顔が、体が、縦の閃光と共に破砕した。
「……600枚も盾を並べて、全部を素通しのガラスのまま君の視界を保証してあげていると、盾に映る景色が実際の景色そのものだと、思い込んで疑いもしなかった。君は案外、素直な性格をしているんだな」
女の右耳の後からネイルソンの囁き声が聞こえてきた。突き出した刀が、その両手がクレイモア地雷の直撃を受ける。刀身に刺さったままでいたカイマナイナの頭部が爆発に巻き込まれて飛散した。
「貴女、戦い慣れていないのね」
女の左耳の後から含み笑いを含んだ声が聞こえてきた。最接近した上での暗殺のプロフェッショナル、ドロシアの囁き声だった。




