05‐ 害意
アイリーは大きく目を見開いた。聖母が纏う漆黒のローブが大きく揺れる。屈みこんでネイルソンを護っていた、その背を伸ばし正面を向いたのだ。アンジェラが滞空させていたドローン群も多くが攻撃に巻き込まれて消失した。円陣の最後方まで展開していたドローンからズーム映像が届きアイリーの視界の中に展開される。
不思議そうに両目を見開き、感情のない微笑を口元に浮かべながら黒い聖母はアバルキナを見つめていた。
「……能力の解析を試みるまでもない。こんな脆弱な攻撃では僕に傷を付ける事はできないよ、アバルキナ」
ネイルソンの低い声が聞こえる。応える声はない。
「……僕が何十年…… 自分の腹心を、国境線を、国民を悪意ある暴力から守ろうと足掻き続けてきたか、想像できるかい? 24時間、一日の間隙も作ることなく防御の網を拡げ続けてきた。その年月が生み出したのがこの能力だ」
人が倒れる音がした。アイリーが視線を左右へ動かす。ネイルソンを中心に自分達を取り囲んでいたエレメンタリスト達が胸を押さえ、首を掻きむしる仕草をしたまま次々に倒れていく。
「僕に対する害意は君達の体の中で結晶化する。心臓と肺は何の機能も持たない鉱石に置換えられてしまう。血流も呼吸も止まる。死ぬ事は出来ない。結晶化のエネルギーは君達が湧き上がらせる害意そのものだ。戦う意志がある限り、再生回復が追いつく事はない」
『ネイルソンさんが相手の怒りを煽る様な会話に長い時間を割いていたのはこの為だったんですね!』
ドロシアが感嘆の声をあげる。カイマナイナとミサキに変化はない。ネイルソンへの害意など微塵も持ち合わせていないからだ。
炎と黒雲は消え去り、実体化していた能力は全てガラスの彫像と変化した後に自らの重みで地に倒れ砕け散った。ネイルソンの言葉は続く。
「君達の怒りは正当だ。 ……だからこそ、人間を集め群衆と共に僕を狩り出すべきだった。群衆の眼前で僕を捉え、刃物で僕の首を落として串に刺し勝利を宣言するべきだった。エレメンタリストが数を頼みに能力で僕を罰しても人類の恐怖は拭えない。人が裁きに来たのなら僕は抵抗なくこの身を差し出しただろう」
勝手なことを言うな、ネイルソン。とアイリーは心の中で思った。裁きは第三資源管理局が下している。群衆の溜飲を下げる事と罪を償う事はまったく別の話だ。
『口に出したらダメだよ、アイリー。今、わたしたちは部外者なんだから』
『分かっているよ、リッカ』
「……それぞれの故郷へ帰るんだ。僕への害意が薄まれば結晶化は止まる。君達自身の再生能力で体は回復していくだろう。そして二度と僕と関わり合わない事だ。引き留めはしない。すぐにここから立ち去れ。 ……アバルキナ、君は別だ」
アバルキナの首筋を背後から銃弾が撃ち抜いた。脊椎が破壊され全身を麻痺が襲う。死ぬ事は出来ない。アバルキナは倒れ伏した姿勢から視線だけで背後に目をやった。
もっとも信頼していたエレメンタリストが自分へと銃口を向けている。その顔は笑っている。長い黒髪が風に流されているのが見える。仕立ての良いジャージの上下を思いがけず品よく着こなしている美しい女性。
アバルキナが驚きの声を上げた。予想もしなかった者からの、想像も出来ない攻撃だったからだ。エレメンタリストが銃を使うなど誰が想像できるだろうか。
「裏切ったのか? クラリッサ?」
倒れるアバルキナを見下ろしながらクラリッサが声を上げて笑った。
「あたしは“初めまして”も“どうぞよろしく”も言った覚えは無いぜ? エレメンタリスト。あんた達の後に回り込んだのも数分前の話だ。いつ、あたしを仲間だと思った? 仲間の数がいつ57名に増えたんだ? ネイルソンの“他人の記憶に介入できる”能力をまったく警戒していなかったのか?」
クラリッサが銃口をアバルキナから外し、傍らで呼吸が出来ず苦しむ若い男を撃ち抜いた。
「マシュー・サラトガ。あんたもココに残りな。合衆国人であるあんたが、同じ合衆国人のアイリーが戦いに巻き込まれるのを看過し参戦した。その根性について連邦捜査局は腹を割って話し合いたい」
マシュー、と呼ばれた男が恐怖の表情を浮かべる。
「なぜ、俺の名を?」
「ここにいる全てのエレメンタリスト達も知っておいた方がいい。アイリー・ザ・ハリストスはハッシュバベルの後見を得て活動する組織の呼び名でもある。あんた達全員の相貌認証は完了している。人間が巻き込まれるリスクが目の前にあっても、カンカンに頭にきている時は躊躇なく能力を発動するエレメンタリスト。ハッシュバベルはあんた達の顔を名前を忘れない」
狼狽と恐怖の呻きがあがり始めた。自分達が敗北する事も、この件をハッシュバベルが怒りを以て静観しているという事も、想像さえしていなかった。
怨嗟にも似た呻きに取り合わず、ネイルソンが再びアバルキナへと声を掛けた。
「エレメンタリストであるという共通点だけで、普段は接点もなく互いの存在さえも知らないはずの者をこれだけ集め、代表の様に振舞って僕に処刑を宣告してきた。君ひとりの才覚で出来ることじゃない。 ……首謀者は誰だい? アバルキナ? ……今、ここで苦しんでいるフリをしている3名のうちの誰かかい?」
ネイルソンの問い掛けが終わらぬうちに消えた人影があった。アイリーの目がそれを確認する。二人は消失した。一人は土煙を立てて高速の移動を始めた。
アイリーの背後に立ち、その手をアイリーの肩に添えていたクラリッサがアイリーの眼前に躍り出る。ジャージ姿でアバルキナの横に立っているクラリッサも両手の銃を構え直す。クラリッサのさらに両脇にミサキとドロシアが躍り出た。カイマナイナの足元から黒い色彩が一気に広がる。
『ネイルソンの結晶化が通用しないエレメンタリストがいたのか?』
アイリーの問いに最初に答えてきたのは意外にもドロシアだった。
『私達と同類が混ざっていたという事です、アイリーさん。ネイルソンを処刑するのに、いちいち感情を動かしたりテンションをあげたりする必要のない…… 隙をみつける、そこを突くというもっともシンプルな攻撃を体が覚えている通りに実行するだけの…… プロです』
カイマナイナの足元から拡がった黒い色彩が何の障害物もない地面の一か所で大きな盛り上がりを見せ始めた。
ネイルソンの周辺の空間に亀裂が入り一瞬の雷鳴の後にダムの放水の様な質量で雷撃が放出される。
二人のクラリッサがそれぞれに二丁の拳銃を同時に発砲した。




