05‐ イーサン・チームの強襲
アイリー達が第三資源管理局へと大挙して出向いていた同じ時間。イノリは事故原因調査室の室長専用室で通常業務に就いていた。世界中から届く事故原因究明依頼を配下の調査員とAI群に振り分けている。傍らにはスーツ姿のアンジェラが付き添っている。
「イノリ…… 大切な話があるわ。今、連邦捜査局本局から指令があった。今から中央情報局の強襲部隊が貴女を訪ねてくる。私達侵蝕部隊は貴女の護衛から撤退し、貴女は中央情報局の保護下に入る事になるわ」
イノリが仕事の手を止めてアンジェラへと顔を向けた。アンジェラは人形の様に美しい顔をしている。イノリに見つめられても視線を合わす事もなくイノリの首の下あたりに目線を落したままでいる。
「……貴女達以上の応戦力を持つ部隊が存在するとも思えないけれど? どんな必要があって護衛の交代という話になったの?」
イノリに問いかけられてもアンジェラの表情は一切動かなかった。そして返答は冷淡なものだった。
「知らされていないわ。私も知ろうとも思わない。もう私達の部隊には関係のない話だもの」
アンジェラの視線はイノリの視線を拒んだままでいる。イノリが困惑の表情を浮かべながら重ねて尋ねた。
「クラリッサはこの事を知っているの?」
「当然よ。私達はチームだもの」
「……ドロシアも知っているの?」
アンジェラの口元に笑いが浮かぶ。これまでイノリには一度も見せた事のない冷ややかなものだった。
「もちろん。退屈な仕事から解放されると喜んでいるわ」
上部組織からの命令一つでここまで態度が変わるものなのか。イノリの顔に緊張の色が浮かぶ。
『チーゴ。視線をうろうろさせたくないわ。音声だけで答えて。今の会話を聞いていたでしょう? 助言を頂戴』
『助言ある時は適時伝える。今は目の前の仕事に戻りな』
なんという冷たいナビゲーターだろう。思わず文句をつけようとしたところで事故原因調査室の支援AIクレアから来客があると連絡が入った。多忙を理由に改めてのアポイントを要求させたが大統領特別指令を理由に足を止めることもせず室長室へ向かったという。
「警備の者を呼びますか?」
「無駄でしょう。会うわ」
クレアからの問いかけにそう答えたのと室長室のドアが強制解錠され複数の男たちが進入してきたのはほぼ同時だった。
黒に近い濃紺のスーツ姿の初老の男とスーツ姿の年若い男が二人。いずれもヒューマノイドだ。驚くべき事に若い男の後ろには強襲武装したアンドロイドも2体ついてきている。
「中央情報局特殊戦術群05部隊のイーサン・モンローです。大統領特別指令により貴女の身辺警護に当たります。セーフハウスに案内しますのでご同行願いたい」
初老の男がそう宣言した。挨拶もない。広い額と高い鷲鼻、割れた顎先が印象深い外見をしている。後に控える二人は髪を短く刈り上げサングラスをして顔の特徴を分かりづらいものにしている。
“沸点の低そうな顔、粗暴さを隠そうともしない顔つきの男達。ヒューマノイドなのになぜこんな欠点だらけの顔つきをしているのだろう?”
そう思いながらイノリはアンジェラの表情を窺ってみた。美しい人形の顔立ちのまま、ショーケースに収まっているかの様な無表情のままでいる。イノリに対して何の感情も持ち合わせていないというのが見て取れる。
「……突然の申し出に戸惑っております。お申し出は大変ありがたく思いますが護衛をつけていただく理由が思い当たりません。ご説明を願ってもよろしいですか?」
一団の最後尾にいたアンドロイドが片手を上げた。手首に短い銃身が仕込まれているのにイノリが気付くのとアンジェラの首から上が大口径の銃弾で吹き飛ぶんだのがほぼ同時だった。
流石に息をのんでイノリがアンジェラを振り返る。頭部を破壊されたアンジェラの胸と腹にさらに複数の銃弾が打ち込まれる。
「……我々の任務は護衛対象者の安全を確保する事です。対象者にどんな事情があるかなど我々が知った事ではない。今、この場でのご同行をお願いします」
言葉の一つ一つは丁寧なものだったがイーサンが口にしたのは命令だった。イノリの顔に怒りが浮かぶ。目の前で発砲された程度で萎縮する様な弱い神経は持ち合わせていない。
「拒絶します。これでは拉致誘拐と変わりません。私は何らかの罪を犯した訳でもない一般市民です。国家権力であれ同意なく連行される事には納得がいきません」
イーサンの後に立っていた若い男がイノリがいる巨大なプレジデントデスクの前に歩み寄った。僅かな力みも見せずに腕を振り上げ、拳を作ってデスクに振り下ろす。
マホガニー材の重厚な机が二つにへし折れた。明らかな暴力の示威行為だった。
「失礼。出力調整を誤ってしまいました。後ほど中央情報局に請求書をお送り下さい。机は弁償致します。納得いかないと言うのなら説明しましょう。アイリー・スウィートオウス君は自分の力を過信しすぎています」
ウバンギ首都にネイルソンの怨霊が現れた時、大統領府はアイリーに対して大使館員の保護を要請した。にも関わらずアイリーは東ブリアに留まり怨霊と対峙し、守護者連邦首都で事態を解決する事を優先した。大使館員保護はその後に現地国立病院からの救援が到着するまで待たなければいけなかった。
イーサンはイノリにそう説明した。
「……大統領府からの指令を無視する。これはあり得ない話です。ミズ・カンバルにはアイリー君に大いなる助言をして頂きたい。その期間の安全は我々が担保する。そういう話です」
「私を人質にしてアイリーを管理下に置く。その狙いを聞いて私が同行に応じると思うのですか?」
一団の先頭に立つイーサンが顔を歪めた。笑いの表情なのだろう。鞭を手に動物の前に立つ前時代的調教師の様な表情だった。
「この場でそれを伝えたのは貴女に自分の立場を理解してもらう為です、ミズ・カンバル。我々は貴女の意見を必要としていない。知るべき事を知り、為すべき事を為してもらう。我々は目的の完遂を疑っておりません」
机を一撃で破砕した若いヒューマノイドがさらに身を乗り出してイノリの顔に自分の顔を近づけた。抑揚のない合成音の様な声でイノリに囁く。
「躾を始めるなら早い方がいい。どこで始めようと我々には何の障害にもならない。明日の夜までにはアンタは綺麗な下着と首輪をつけて俺達の靴を舐めながら懇願してくる。“ナルシストの若造に、次はどんな命令をすればいいでしょうか? お教え下さい、ご主人様”」
真横に構えられた大振りのナイフがイノリの眼前に突き付けられる。返答次第でナイフは横薙ぎに振るわれ、イノリの両目は上下に切り裂かれる事になる。室内灯を反射する刃先がそう伝えてきている。
「……貴方達は自分が何を言っているのか分かっているの? ハッシュバベルの本部内でこれ程あからさまな脅迫をして無事に済むと思っているの?」
「勿論。国内全ての土地は我々中央情報局の庭だ。小悪党を相手に国内秩序がどうのと語る連邦捜査局と違い俺達は国家の敵を相手にしている。超法規組織だ。俺達を訴える組織は存在しない。力こそが序列の世界だからだ。安心しろよ、お嬢さん」
若い男がナイフの刃先をイノリの頬へと当てた。
「絶望の後に訪れる諦めは、そりゃあ心が楽になる。安らいだ心持になるそうだ」
侵蝕部隊からの反撃はない。イノリは孤立無援の状態にある。体温が一気に下がり全身の産毛が恐怖に逆立つのをイノリは感じた。
中央情報局強襲部隊のイーサンが冷たく宣言する。
「それでは同行頂こう。ミズ・カンバル」




