01‐ キスの感想
高級飲食店の個室だろうか。小さな一室に円卓と5人分の椅子が用意されている。家電の類は置いていないそれだけの部屋だった。
腰高に巡らされた板張りの壁に天井と同じ柄の壁紙が降りてきている。天井からは瀟洒なシャンデリアが吊り下げられている。窓はない。見渡せばドアもない部屋だった。
仮想現実で構築された部屋だ。テーブルについているのは侵蝕部隊の4人とリッカだ。4人はそれぞれに好みを反映させた私服と髪型、メイクで美しく装っている。リッカはいつも通り肌に密着した競泳水着の様なコスチュームを細い体に身につけているのみだ。
リッカ一人が椅子を大きく引き、うなだれて額をテーブルにつけている。落ち込んでいる。身の置き場を無くしている。そんな態度だった。
「ねえ? リッカ? そのポーズはなあに?」
「アイリーならきっと、こういう態度取るだろうなあと思って真似してる」
アンジェラの問いかけにリッカがそう答えた。含み笑いが4人から聞こえてくる。
「それでは!! 先日、リッカさんがアイリーさんと触覚付きでキスをしたという感想を語ってもらいたいと思います!! リッカさん、どうぞ!!」
ドロシアの宣言に他の3人が拍手で応えた。平時はめったに合流しないブリトニーまで拍手している。
「自分のナビゲーターを恋人替わり、セクサロイド替わりに使う奴もいるがさ。あんた達はそういう関係じゃないだろうがよ? どうしてそうなった?」
クラリッサの声には好奇心が溢れている。納得いくまで引き下がらないという決意も込められている。リッカがアイリーの物まねをしながらボソボソと答える。
「アイリーが脳損傷から思考アルゴリズムを再構築する時に…… 救急救命措置としてアイリーの触覚に干渉する事が出来ましたので…… アイリーがわたしの頬を触って温かいと驚きまして……」
「ほう!! ほほう!! それで盛り上がっちゃって!? ちゅって!?」
「リッカさんはアイリーさんとキスした時にどんな風に感じましたか!?」
クラリッサとドロシアが同時に問いかける。俯いたまま肩と頭頂部をふるふると震わせていたリッカが大きく顔をあげた。満面の笑顔を浮かべている。
「ヤバかった!! 鏡に映る自分の顔を見ながら、ああ、わたしって最高にソソるなあ。キスしてみたいなあ。わたしに。って思った感じ!! それで鏡の自分にキスしたら柔らかかった感じ!!」
「自分自身とのキスになる訳か!」
「そりゃそうだよ。別個の知性同士ではあるけれどわたしとアイリーは一心同体な訳だし。アイリーの求めに応じてこの姿をとっているけれどわたし自身に女性の自意識はないし。むしろわたしにとってアイリーは精魂込め尽くして育て仕上げているわたしの作品だし!!」
「アイリーさんも同じように感じていたんですか?」
ドロシアの問いにリッカは躊躇いなく頷いた。
「アイリーがわたしを性的対象として自慰行為をしたことはないよ。わたしが女性体なのは自分とは違うっていうのをより明確に意識するためだけみたい」
クラリッサが含み笑いを漏らした。
「そうか。リッカはアイリーの妄想まで把握できるんだもんな。なあなあ、あたしら4人を相手にアイリーがセックスを妄想したことはあるかい?」
リッカが片眉をあげた。クラリッサと同質同等の意地の悪い顔になる。
「教えない。クラリッサ達のプライドってもんもあるだろうしね」
「あら、残念。でもアイリーのプライバシーに気遣ってじゃあないのね? なら答えは導かれたも同然ね。本当に残念だわ」
「改善の余地、あり。 ……かあ」
「……流石にそれは興味のない話題だ」
「当たり前じゃないですか!! アイリーさんは今、イノリさんに満たされている状況ですよ?」
4人がそれぞれに勝手な感想を述べている。リッカはそれを見て何も応えずにいる。オリビアの名前は出すなよ…… と思っているが侵蝕部隊にとって興味の核心はアイリーではなく自分達自身にあるのでその質問は出なかった。
ひとしきり他愛のない話に盛り上がったあとでクラリッサが立ち上がった。リッカが顔つきを改める。クラリッサはテーブルから離れ自由な動きが確保できる場所まで移動した。
「本題だ、リッカ。脳損傷から回復している最中のアイリーがネイルソンに殴りかかった時の話だ。アイリーがとった体の動きをあたしが再現する。よく見ていな」
クラリッサの背筋が伸びる。つま先に力を込めながら足を肩幅に等しく開き大胆に腰を落として下半身のバネが重心を揺るがさない姿勢をとった。肩を開きながら脇を締めて左腕を掬い上げる様に突き出し、捩じった上半身を元に戻す力を上から振り下ろす右腕に流し込む。
残心も充分な高速の上下の打ち込みだった。リッカの顔に不審の色が浮かぶ。格闘経験を持たないリッカにはクラリッサの挙動がどれほどの鍛錬を必要とするものかが理解できていない。
「リッカもアイリーもまだ実物を見た事がないよな。アイリーがとったこの動きはエイミーが一番得意にしている斬撃の形と同じだ。寸分も違わず。いや、アイリーの方が鋭かった」
「アイリーに格闘経験はないよ? その動きは偶然が重なって出来るもの?」
「ムリだね。外側を真似るのは簡単だが力の流し込み具合、瞬間の込め具合ってのは長い反復練習がなければ出来ない」
リッカが目を細めた。クラリッサが指摘している通りならアイリーには明らかな不自然が発生している。
「長い反復練習を積めば実現できる。 ……練習の記憶は直接言語化できない非陳述記憶として保持される。その記憶を保持していたからこそ…… アイリーの体はその動きを想起再現できた。ネイルソンの攻撃は非陳述記憶には干渉してこなかった…… アイリーはいつからその記憶を保持していた?」
「リッカにその心当たりがないなら、生まれる前からって話になっちまう」
「それは不自然。アイリーは今まで一度もそんなヘンな記憶の想起をした事がない。死の直前に起こる走馬灯現象なら終末期再生調査の度に起こっている。でもその動きを思い出した事はない。生まれる前からの記憶が仮にあったとしてもアイリーなら幾度も思い出す機会を持っていたのに、想起は無かった」
「嫌な一致はエイミーが得意としている斬撃と同じ形だという点だ。二人の過去に接点はない」
リッカの額に怒りの血管が浮き上がってきた。朝日を浴びた雪山の様な白い陶器質の肌が冷たく青ざめていく。
「わたしのアイリーに下らない干渉は絶対に許さない。エイミーの過去を調べるのはとても難しいとしても斬撃がパターン化されたものなら継承する流派があるはず」
「調べてみよう」
クラリッサがそう請け負った。




