02‐ 親友
クラリッサは指を広げて両掌をオリビアに開いて見せた。
「待て待て。まてまてまて。待てって、あたしは怒っていない! 怒ってないぞ? 嬉しすぎて顔が笑ってるだろ? あたしの顔をみるんだよ、オリビア!!」
クラリッサの姿を認めたオリビアは悲鳴をあげて逃げ出そうとしたのだ。狭い室内、唯一の出入口はクラリッサに塞がれている。オリビアの悲鳴は恐怖の感情そのものだった。
「ごめ…… ごめんなさい!! 許してください!!」
オリビアはクラリッサの不利益になる様な事を一切していない。加害の素振りさえ見せていない。
「生きている事を謝っているのか? だったらあたしにハグさせろ。あたしがどれだけ嬉しいか、喜んでいるか、言葉じゃ伝えきれない。あんたの肩に触れるぞ? 逢えてうれしいよ、オリビア」
怯えて震えるオリビアの肩に触れた瞬間、痛みを与えぬ力と角度で抗う隙も与えずにクラリッサはオリビアを抱きしめた。抱きしめながら装備しているあらゆるセンサーを起動させる。
“ヒューマノイドではない。生身の人間。オリビアの自我はあるがクローンでもない。年齢は20歳前後。オリビアに似ているが完全な別個体だ。生体パーツでくみ上げたレプリカでもない。どうなってんだ?”
「あんたに逢えるなんて予想もしていなかった。あたし達がここに来たのは5年前の予言っていうのを知って背景を知ろうとしただけだ。オリビア? あたし達は変わらず友人同士だし絶対的な味方のままだ。安心してくれ。安心するんだ。大丈夫だよ、オリビア」
オリビアの呼吸が止まる。全身が震える。絞りだされたのは安堵の慟哭だった。クラリッサが優しくオリビアを抱き留め、背を叩きながら長い髪をゆっくりと撫でる。
「若返ったみたいじゃないか、美人というよりカワイコちゃんだぜ? 管理人室にはあたししか来ていない。今はアイリーを呼び戻すつもりもない。何がどうなったのか、あたしに教えてくれるかい? あたしの親友?」
オリビアを抱きかかえながらクラリッサはジャージ姿でアイリーに寄り添っている方の筐体で植物園の最奥部まで散策したいと提案した。時間を稼ぎ取るためだ。アイリーは特に不審にも思わず同意した。
オリビアの独白はかつて理知的だった彼女らしくない程に訥々とした散文で語られた。
今の自分はこの村に生まれ育った20歳になる別人であること。5年前、15歳の時に突然、経験したこともない虐殺の風景を思い出したこと。記憶を遡る様にオリビア・ライアスだったという記憶が蘇ったこと。
村の全滅を思い出し、その日がまだ訪れていない未来であると知ったこと。虐殺を知らせようと努力したこと。
「でも15歳の私には村を出ることすら出来なかった。わずか100km先の村に行くための移動手段さえ手に入れることができなかった」
「当たり前だ。行った事もない村に“あんたら皆殺しの目に遭うよ”なんて伝えに行きたいという子供を大人が連れ出す訳がない。密林は肉食獣と害獣以下の知能しかない武装したバカ男たちが隙間ない縄張りを完成させている。あんたが丸腰で村から飛び出しても1日を生き延びることも出来ない」
慰めではなく事実としてクラリッサはそう告げた。オリビアは未来を知りながら伝える手段を持たなかった事を自分の罪だと思っているのか。クラリッサがさらに言い添えた。
「仮にあたし達に助けを求める事を思いついたとしてもな。侵蝕部隊は異国の子供の未来予知を真に受けて武力展開する事はない。5年前ならアイリーはハッシュバベルの新人だ。あんたの訴えに耳を傾ける事はなかったろう。あんたに罪はないよ、オリビア」
クラリッサの言葉にオリビアは激しく頭を振った。違う、違う、と呟く。意識が再び混乱し始めたのが言葉づかいから感じられる。
「私は…… もし自分に未来を伝える事が出来たら、それが成功したら、オリビアとして生きている私が死なない未来があったら…… 今の私はどうなるんだろうって思ってしまった!! 今の私が消えるんじゃないかと思ったら…… 怖くて…… 怖くて……」
言葉の代わりに嗚咽が溢れ、号泣と変わった。
「私は自分の命が惜しくて村を見殺しにしたんだ!!」
「そりゃあ違う。全然違うな。オリビア。あたしの大事な親友。あたしの顔を見な」
オリビアの反応を待たずにクラリッサが両掌でオリビアの頬を挟んで自分の顔へと向けさせた。クラリッサの顔は優しい笑顔を浮かべている。
「エレメンタリストの非情な暴力にペク族と族長のオリビア・ライアスは最後まで屈しなかった。略奪者を手ぶらで追い返した。一族の誇りに傷をつける事は誰にも出来なかった。オリビア・ライアスは勝利した者として一生を終えた。今はアイリーの王邸の庭に埋葬されている。アイリーはオリビアの墓を訪ねてはオリビアを偲んで悲しみを尊敬の念へと変えていっている最中だ」
「……私のお墓がアイリーの庭に?」
「オリビア・ライアスの生涯はあたし達が尊敬を抱く誇り高いものだった。あんたが悔んじゃいけない。人間が自分の命を最優先に考える事は罪じゃない。胸を張って生きるのに何の遠慮もいらない。今の名前は何ていうんだい?」
「……ネリ・フェルナンデス」
「可愛い名前だよ、ネリ。あんたはこれからネリとして生きていくんだ。アイリーの勇猛な相棒、オリビアはアイリーに愛されながらあいつの庭で眠っている。この村で生まれたあんたはもうペク族じゃない」
「でも」
「あんたが今、アイリーの前に現れたら王邸の庭で眠るオリビアはどうなる? あんたはこの先、どうやって生きていくつもりだ? もう一度復讐にネリとしての生涯を捧げるつもりか? 今の家族はどうする?」
オリビアの記憶を持つネリとして、彼女は俯いて沈黙した。クラリッサに指摘されて気付いたのではない。もう何度も自らに問い直し、答えを出していたのだろう。
「……ごめんなさい」
「謝るのはあたしの方になったよ、ネリ。あんたの事をアイリーに伝える事は出来ない。伝言を預かることも出来ない。……これからあたしはアイリーと合流して早々にこの地を去るよ。ネリとして生きるんだよ? あたしの親友」
「……それでも親友と呼んでくれるの?」
ネリの問いかけにクラリッサは強いハグで応えた。
「命が関わる様な危険が迫ったらあたしを思い出しな。そしてあたしに助けを求めるんだ。大丈夫、あんたが婆さんになる年になっていても、あたしは侵蝕部隊のクラリッサのままでいる。あたしはあんたの親友のまま、助けに駆け付けるよ」
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ジャージ姿の筐体をアイリーに思いきり近づけてクラリッサはアイリーの耳元で囁いた。
「視るべきものは視た。アンジェラも充分だと言っているぜ、アイリー。帰ろう」
なんの疑念もなくアイリーが頷く。クラリッサがもう一度アイリーに囁いた。
「このチビちゃん、可愛いじゃん? チップをたっぷりと弾んでやってくれよ」
「構わないが…… 珍しいな? なにか」
「いいから。たっぷりと頼むぜ?」
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アイリー達が乗り込んだ車が見えなくなるまで見送ったあと、常識外のチップを貰った少女が管理人室へと駆け戻った。
「ネリ姉ちゃん!! 今の旦那さん大金持ちだったよ!? すごい、チップこんなに!! 冬用の塩漬け肉をひとつ、塩抜きしちゃわない? お祝い!! お祝い!! ……お姉ちゃん?」
少女の目の前で姉が優しく微笑んだ。目尻が赤くなっている理由を幼い少女が見咎めることはないだろう。大きな呼吸を繰り返してネリは妹に笑いかけた。
「よし、今夜はご馳走にしようか?」
永くお付き合いいただき、ありがとうございました。第二部はこれで完結となります。
自分が生み出したキャラクターを物語の中で死なせてしまうというのは本当に難しいものだと痛感しました。難しいというか、嫌だったので外伝を設けました。
第三部で本作は最終となります。拙いながらも構想をまとめ次第執筆したいと思っております。
そのときにまた皆さまの貴重なお時間をお分け頂ければこれに勝る喜びはありません。
本当にありがとうございました。




