01‐ ペク族全滅の予言者
親指と中指をつかい、アイリーはスナップ音と出した。擦れのない良い音が出る。気をよくしたのだろうか、2回、1回、2回、とリズムをとる様に指を鳴らし続ける。
「今朝はクリームチーズとスモークサーモンのサンドイッチを食べたんだ。美味かったよ。食事が美味しいと思えるようになった。えーと……この庭に吹く風は好きだな。気持ちいい。 ……白…… 白い花はいろんな種類があるんだね。あまり花の種類に興味を持ったことがなかったから不勉強を痛感したよ。あとバードタワーを横に作ってみたんだ。中に穀物を入れておくから…… 鳥が集まるスポットになれたらいいよな」
アイリーの耳に溜息が聞こえてきた。リッカの声だ。
『すべってる。すべってるよアイリー!! 周りに誰もいないんだから本音を聞かせてあげなよ』
リッカに促されてアイリーは視線を落した。腰高の石碑が建てられている。文字が刻まれている。
彼女は負けるようには造られていなかった。殺されることはあっても、敗北させる事はできなかった。
王邸の庭に建てられたオリビアの墓碑だった。
「……ペク族の村では死者を弔う言葉として生き延びた喜びを自分の言葉で語るのが流儀だと言っていたね。その流儀を守ろうとしたんだが…… 何だろう、実感が湧かないんだよ。オリビア。君にもう会えないという実感が湧かない。我侭ばかりが頭に浮かぶよ。もう一度、会いたい」
口の中でモゴモゴと言葉を咀嚼する。
「友達に…… 親友に…… 相棒になれると期待してたんだ。ミサキやクラリッサみたいに、一緒に困難を突破してハイタッチして喜びを共有できる相棒に。残念という気持ちがまだ湧いてこない。ただ、会いたいよ。オリビア」
アイリーの真横にリッカが現れた。両手の指を組んで祈りの姿勢をとる。オリビアのR.I.Pを祈っている。黙祷の後にリッカはアイリーへと顔を向けた。
『噂話は事実だったよ、アイリー。5年前にペク族の全滅を予言した人間は確かにいた。でも自分から詳細な情報を発信した訳じゃない。周囲の人が“こんな事を言い出した人がいる”と情報拡散した。それでも注目を集めた訳じゃない。ホントに偶然でも起きなければ辿りつけない、細やかすぎる情報発信だった』
『5年前からペク族虐殺が予定されていた可能性はないのか?』
『まあ、あり得ない。ペク族襲撃が仮にアイリーと無関係に企てられたものだとしても計画を5年も寝かせる意味がないし、準備に5年もかかる様な作戦でもない。でも気になる符号はあった。予言はペク族の村から100キロくらい離れた村から発信されていた。相互の村に親しい交流の記録はない。でも300年前に同じ篤志家が二つの村を支援していた』
『イークスタブの人形をペク族の村に託した日本人……だったか?』
『そう。その人物はメキシコ国内で何か所かに植物園を開設してその周辺の村を支援していた。予言があった村にはその植物園が現存しているよ。関連というには薄いけど…… 無関係でもないみたい』
『訪れてみよう。飛行機の手配と日程の調整を頼む』
『ペク族の村に転移してそこから車を出せば2,3時間で着くよ?』
アイリーとリッカの会話にアンジェラが割り込んできた。相変わらず、二人の会話は24時間体勢で傍受されているらしい。アイリーがそれをストレスに感じる事はない。
『その程度のピクニックなら準備に10分もあれば充分よ、ベイビー』
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結論から言えば調査は不発に終わった。現地の村に到着し聞き取りをしてみたが予言自体を誰も知らなかったのだ。日々をその日の暮らしに追われて過ごす小さな村だ。外部との接触も極端に少ない。5年前にほんの短期間、誰かが言い出した“遠くの村が滅びるかも知れない”などという根拠のない話を覚えている者はいなかった。
『不発に終わったというのは一つの収穫よ、ベイビー』
落胆するアイリーにアンジェラがそう告げてきた。
『思いつきを不用意に発信しただけならばSNS上の記録から発信者を特定できる。この村の住民から聞いた話だけれど、という前提つきの話しか得られなかったという事は最初の情報発信者は身元を隠しながら発信していたという推理が成り立つわ』
『面白い聞き込みがあったぜ、アイリー。この村にある植物園には幽霊が出るらしいや。その外見がペク族の村に置かれていたイークスタブの人形そのものみたいだ。植物園に行ってみないか? ペク族の村との関連が何か分かるかもしれない』
クラリッサに促されてアイリーは村の外れにある植物園へと足を運んでみた。植物園とは名ばかりの、野晒しの公園だった。付属の研究施設もなければ観光設備もない。
さらに落胆したアイリーの元にまだ13,4歳くらいだろうか、一人の少女が駆け寄ってきた。
「旦那さん!! 植物園に来たのかい? ガイドするよ?」
『武器も危険物も持っていない。小遣い目当ての地元の子供みたいね。安心していいわよベイビー。気晴らしに園内の散策でもしてみましょう?』
思考通信を通じてアンジェラがそう伝えてきた。目に見える姿ではジャージを来たクラリッサがアイリーの横に付き添っている。護衛のためだ。アンジェラは姿を隠したまま周辺を警戒しているのだろう。
幼い少女がアイリーへと満面の笑顔を向けてきた。日に焼けつくし汗にまみれた肌。洗ったまま自然乾燥にまかせて渦をまいている髪。遊びたい盛りの健康そうな子供の笑顔だった。
「お客さん達、どうしてこんな田舎の植物園を訪ねてきたんだい?」
子供の無邪気な質問を真に受けたアイリーが返答に詰まる。
「ガイドさんの方からそんな質問をされると戸惑うな」
「バカ、あたしらの事を少し話してきかせないと話の広げようがないって言ってんだよ」
からかう様にクラリッサがアイリーへと助け船を出した。子供がクラリッサの方を見て嬉しそうに笑う。子供と言うのはキレイなお姉さん、カッコイイお兄さんというのが無条件に好きなものだ。
“……さて”
子供に先導されながら植物園の奥の方へと歩き出した3人を見送りながら光学迷彩で姿を隠したままのクラリッサはその場で立ち止まった。
ジャージ姿でアイリーに付き添っているクラリッサは大口径の銃を2丁と接近戦用のナイフを装備しているが役割としてはアイリーを安心させるための“見える護衛”を展開する事が目的だった。より戦闘に特化した強襲装備を整えて姿を隠している二人目のクラリッサの方が護衛役としては本命と言える。
『クソド田舎とはいえ治安が良い訳じゃねえ密林の奥地でローティーンの女の子が一人で管理施設の店番? 不自然じゃねえか? アンジェラ?』
『ここから200mほど後方に下がった場所に管理人室があるわ。簡単な庭園管理用具と害獣対策用具を保管する事がメインの、物置に休憩室がついている程度の管理人室よ。そこに大人が一人待機している』
『念のためだ。顔だけでも見ておくか』
アンジェラからの返答がない。不審に思ったクラリッサが問い返すとようやくアンジェラから返答があった。
『そうね。実際の様子を確認してきて欲しいわ。現場対応は貴女に任せる』
『言われるまでもねえ事を念押しする。なんだよ、シリアルキラーでも潜んでいたか?』
『私は判断したくない。クラリッサ、行って自分の目で確かめてきて』
アンジェラは既にドローン群を周囲に展開し警戒を始めている。管理人室に誰がいたとしても、どんな装備を持っていたとしても、侵蝕部隊の二人が怖れる必要はない。だがアンジェラは判断を拒否した。
“こりゃあ楽しめそうな展開だぜ”
音も立てずにクラリッサが管理人室に到達し、慎重に室内の様子を窺った。
広い庭園内の要所要所に設置されている監視カメラの映像を映すモニターがある。カメラもモニターも廉価品だ。画像もさして鮮明ではない。
モニターの前で女が崩れ落ちる様にうずくまっていた。クラリッサからはその背中しか見えない。メキシコ人特有の緩やかに波打つ黒髪。洗いざらした白いシャツ。細い肩と背中。クラリッサの耳が感度を上げる。小さな囁きさえ聞き逃すことはない。
「アイリー…… アイリー……」
女は繰り返しアイリーの名を呟いていた。声が震えている。泣いている。アイリーは来園に際して自分の名を名乗ってはいなかった。何故、女はアイリーの名を知っているのか。
『おい、アンジェラ。目の前の女の個人情報を寄こしな』
『無理よ。メキシコ国内で犯罪歴もない人間の個人情報を私達が容易く入手できると思う? 言うまでもなく私達は密入国している最中よ? 自分の目と耳で確かめるしかない』
『自分の目と耳なら確かめるまでもねえから聞いたんだよ。おい…… あたしらは何を見ている?』
アンジェラの返答を待たずにクラリッサが管理人室に足を踏み入れた。迷彩を解除しフルフェイスのヘルメットを脱いで自分の顔を晒す。
クラリッサの足音に気付いた女が振り返った。クラリッサの顔に泣き笑いの様な表情が浮かぶ。クラリッサ自身も意識せずに作り出した、生まれて初めて作り出した表情だった。
「……クラリッサ?」
「生きていたなら連絡くらい寄こせよ、バカ。 ……なに若返ってんだよバカ。 ……カワイコチャンじゃねえかよ。バカ…… バカ…… ハグさせろよ、オリビア」




