1、空読み姫は離婚を叫ぶ
「い、よっしゃあああーーーっ! よくやったネイリッカーーっ!」
年代物の赤い天鵞絨張り金縁の椅子に片足を乗せて右腕を突き上げる。その姿勢のまま、左手に握りしめた手紙をもう一度読み返して、私はニヤリと口元を引き上げた。
「今まで領主の『表の花嫁』なんていう、無給の有名無実な待遇で肩身の狭い思いをしてきたけれど、それも今日で終わり。離婚一択よ! 自由をわが手に!」
「……ラヴェンテリ、それ、どういうこと? 夫である僕に説明してくれるよね、可愛い奥さん?」
「ぎゃーっ!?」
急に冷気を感じたと思ったら、背後から低すぎる声が降ってきて飛び上がる。手紙を胸に抱きしめて振り返れば、優し気な雰囲気を纏った背が高くやや細身の青年が短い暗めの金色の髪を揺らし、切れ長の紫紺の目をさらに細くして私を見下ろしていた。
「……エ、エリアス、驚かさないでよ。なんでここに? 貴方、まだお仕事中でしょ?」
バクバクと激しく飛び回る心臓を押さえて文句を言えば、エリアスがムッとした表情になった。
「なんでって、大事な奥さんが突然、奇矯な叫び声を上げたら駆けつけるでしょ。しかも、離婚って何? 僕たちの結婚は王命によるものだから、離婚はできないはずだよね?」
「それよ! 聞いて、いや、これを見た方が早いわ、ほら!」
握りしめたせいで、ぐしゃぐしゃになっていた手の中の便せんのシワを伸ばし、エリアスの顔面に突き付ける。
「なに? ……え? 『空読み姫の婚姻の自由』ってどういうこと?!」
「そのままよ! ついに我々空読み姫が『表の花嫁』制度から解放されたのよ!」
「5年前に結婚した僕たちは関係ないよね?!」
「あら。ちゃんと読んで? ……ほら、ここに『すべての婚姻は無効になる』って書いてあるでしょ」
「君こそよく読んで。その下に、『結婚5年以上の場合、離婚と継続、どちらにせよ双方の合意を得ることが望ましい』って書いてあるよ」
二枚目の便せんの下のほうの一文を指差せば、すかさずその下の文を差し返された。
「……私、継続には合意しないわよ? だって私は、生まれた時から王宮内の塔に押し込められて空読み姫として育てられて、挙句、国に勝手に結婚させられて」
「勝手にって、君、うちへ嫁入りした時に、じゃんけんを勝ち抜いてきたって言ってたじゃないか。望んでうちに来てくれたんでしょ?」
「それは、貴方から空読み姫の嫁入り申請があった時に、クックラは宝石の鉱山があって裕福で、まだ『奥の花嫁』もいなくて、領主も若いから最高にいい嫁ぎ先だと姉様たちが言ってたから……」
そう口にした途端、エリアスの紫紺の瞳が見開かれ、そこに映った空色と緑という左右で色の違う瞳が、しまった、と狼狽えた。
この国でごく稀に左右で違う色の瞳を持って生まれる空読み姫は、契約した土地の天候の予測を行い、生まれ持った加護の力で人々のために働く。
皆、何もわからない赤子のうちから城の敷地内にある空読みの塔に集められ姉妹として育てられ、私のように金の髪に明るい空色と緑の瞳だと『天の加護』、茶の髪に明るい空色と濃い茶の瞳だと『地の加護』を持つ。
『天の加護』には、人を惑わすほどの整った容姿と歌で人を癒す力があり、『地の加護』には、大地に力を与え植物を成長させる力がある。
そして、成人年齢が近づくと各地の領主の要請に基づいて『表の花嫁』という名のお飾りの妻となり、衣食住を保証される代わりにその力で領内を安定繁栄させるために働く。
もちろん、領主にはお飾りでない『奥の花嫁』がいて、実権はそちらが握る。私たちは、お給料ももらえず、好きなだけ利用されるむなしい存在だ。だから、嫁入りの要請がくると、皆いい土地に嫁ぐべく、まず条件を確認する。結婚相手より環境のほうが大事なのだ。
……そんなこと、この国の人なら皆知ってるはず。何で今更そんな傷ついたみたいな表情をするの?
「そりゃ、そうだよね。僕たち、結婚証明書に名前を書かれてから初めて会ったものね。結婚式も挙げてないし」
「そうよ。大体、空読み姫はお飾りなんだから式なんて挙げないの。結婚式を挙げたければ、早く『奥の花嫁』様を娶りなさいよ」
「嫌だね」
何故か拗ねた様子のエリアスに、こちらもムッとなる。
このクックラから嫁入りの要請があった時、空読み姫たちが暮らす塔内は条件の良さに大騒ぎだった。適齢期の空読み姫たちはこぞって手を挙げ、15歳で嫁ぐにはまだ早いと思われた私も、ダメもとで行きたいと訴えてみたら候補に滑り込むことができた。
姉様たちが騒ぐほどいい条件のところなら、と軽い気持ちで名乗りを上げたものの、じゃんけんで出した私のパーが全員のグーに勝った。当然のごとく、18の成人を超えた姉様たちからは猛烈な顰蹙をかった。その激しさに、一瞬辞退しようか迷ったけれど、なんとなく、これは手放しちゃいけない権利な気がして、毎日『奥の花嫁』の恐ろしい逸話や不幸な結婚の実態を聞かされて覚悟してここに嫁いできた。それなのに。
……好条件のうち、一番になくなるはずだった『奥の花嫁』の不在がいまだに続いている。エリアスはもう25になるのに、何で『奥の花嫁』を娶らないのだろうか? まさか、私に遠慮しているのでは??
それなら、この話は渡りに船、エリアスは私と別れて自由になって誰かとさっさと結婚したほうがいい。それしかない!
私は気合いを入れて頭ひとつ分高い位置にある彼の目を覗き込んだ。
「私たち、この5年間、この地をよくする同志として暮らしてきたじゃない? それは変わらないわ。ただ、婚姻関係をやめて、仕事上の契約を結び直すだけ。実質は何も変わらないのよ?」
私はこの5年間、エリアスのたったひとりの妻だったけど、実態はただの仕事仲間だった。
結婚したその日から別々の部屋で暮らし、朝食の時に今日はどこの村をまわって歌うかなどお互いの予定を確認し、昼はほとんど別々、夜はその日の報告と次の日の予定を話し合うだけで特に夫婦らしい会話も接触もなかった。そりゃ、たまには街を一緒に歩いたりお祭りに行ったりもしたけれど、その時も仕事一環だったし。
「実態が変わらないなら、離婚もしなくていいんじゃない?」
エリアスが不服そうに口を尖らせ抗議してきた。
「なんで、そんなに離婚が嫌なの?! 法律が変わっちゃったのだから、貴方の花嫁はひとりなのよ!? 私がいたら、いつまでたっても結婚できないでしょ?!」
いらだちが募って、腕を組んでエリアスを睨みつけたら、彼はムッと横を向いて吐き捨てた。
「僕は君以外と結婚したいとは思わない」
「…………は? それって、どういう……」
目が点になって頭の中が大混乱した。
……もしかして、エリアスは誰とも結婚したくなくて、空読み姫である私を隠れ蓑にしてるとか? なるほど、そっちか! だけど、彼は領主だし、いずれ私以外と結婚しないといけない。
「大丈夫よ、エリアス! 今は結婚したくないと思っていても、いつか愛する人に出会えるわ。その時に後悔しないよう、私と離婚して妻の座を空けておく必要が……」
「僕は結婚したい。愛する人にも出会ってる」
……はて?? 彼の言ってることが理解できなくなってきた。
「……ええ? じゃあ、その人とさっさと結婚すればいいじゃない? 今まで何をやってたの?」
ついにエリアスの思考を読むことを放棄して呆れかえれば、彼は私をジトッとした目で見つめてから、顔を横に向けて盛大なため息をついた。
なんだか失礼ね。
「僕は、その人を愛しているけれど、彼女はそうじゃないみたいだから、ゆっくり距離を縮めていたつもりだったんだけどね」
肩を竦めて答えた彼は、それ以上話すつもりがないというように話題を変えた。わざとらしいくらいに。
「ところで、ネイリッカって誰? 花の名前だから空読み姫なんだろうけど」
彼の愛する人について追求したい気持ちはあったけれど、5年の付き合いでこういう時は何を言っても教えてくれないのがわかっていたから、私は大人しくその話題に乗った。
「ネイリッカは、この国で一番貧乏な土地に嫁いだ妹よ。色々あって次期国王妃様と知り合って空読み姫の人権を向上させてくれたみたい」
「彼女は離婚したの?」
「そうみたいね。直ぐに他の人と婚約したようだけど」
彼女はまだ結婚できない年齢だから、と4枚目の便せんを確認しながら答えれば、エリアスが沈黙した。
「……ラヴェンテリ、もしかして、君も他に好きな人がいるの? 僕と離婚してその人と結婚するつもり?」
何故か、とてつもなく暗い雰囲気になったエリアスに首を捻る。
「いいえ。私たち、ずっと一緒にいたでしょ? そんな人がいたらお互いわかりそうなものじゃない?」
……だからこそ、彼が愛する人がいると言ったことが不可解でならない。
「じゃあ、なんで離婚一択なの?」
わあ、最初に戻ったわ。どう言えばエリアスは納得してくれるだろうか、と頭を掻く。ふう、と息を吐いて彼の透き通った紫紺の瞳に私の色を映した。
「エリアス、私は国からお給料をもらえることになったの。貴方に養ってもらわなくても生きていけるようになったわけ。だから、小さな家を借りてひとりで暮らしてみたいの。もちろん、空読み姫として貴方と契約して、今まで通りこの土地で働くわ」
エリアスが目を瞬かせて首を傾げる。
「それだけ?」
「それだけって何よ。私はずっと空読み姫として窮屈に生きてきたの。だから、ひとり暮らしをして、自分のことは自分で決めて、周囲の目を気にせず、やってみたいことをして生きたいの」
「やってみたいことって具体的には?」
「朝寝坊とか、寝間着で一日中ベッドにいるとか?」
「君、意外と怠惰な生活が望みだったんだね」
だって、塔では妹たちの模範になるように、嫁いできてからは空読み姫の威厳を損ねないようにって気を張ってたんだもの。それくらい、いいでしょ!?
「あ、ひとりで買い物をして料理もしてみたいし、ひとりで仕事に行って帰ってきたい。とにかく全部ひとりでやってみたいの!」
「うん、いいんじゃない。でも、まずは本当にひとりでできるか、やってみてからじゃないと離婚は出来ないな」
「どうして!?」
「僕は一応領主で、空読み姫である君を保護する義務があるんだ。君が望むからと言って、今までひとりで何もやったことがないのに、ポンと放り出すなんて無責任なことできるわけがないだろう?」
満面の笑みで言い放ったエリアスの言葉は悔しいほどに正しくて、私は渋々頷いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明るくコミカルな話を目指してみました。さて、どうなるやら……。




