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40  事件後の人々  その5

 晴彦の事件は傷害の方は大勢の目の前での犯行で、両親殺害の方は犯人の晴彦本人が死亡しているため、捜査は早々に終了した。

 宗田たちのイジメの動機は、原田が言った通りだった。

 宗田が一年生の頃から気になっていた女子生徒が晴彦へわざわざ委員会のプリントを届け、親しげに話しかけていたのに晴彦は興味もなさそうにただ頷き返すだけだったのが気に障った、と。

 友達もいない地味な奴のくせに生意気だと晴彦を逆恨みする宗田に、品川が嫌がらせするよう焚きつけ、それに大石が悪ノリした。

 三人で始めた故にそれぞれが他の二人に対しての見栄があり手加減できなかったが、担任の山口に気に入られている自覚があったので、多少のことなら弁解すれば自分たちの味方をしてくれると思い上がっていた。

 海外に留学できたら日本では見られないものを色々見たいと言っていたが、視力を失ってしまった宗田。

 以前のように繊細なイラストを描けるようにまで腕の機能を戻すにはリハビリに相当の努力をしなければならない大石。

 品川は右太腿の怪我は軽かったが、左頬から右顎に向かって斜めに切られた傷が深くて痕が残る上に暫くは話すことができない。

 彼らの未熟で思慮の浅い幼稚な行為の代償は大きかった。


 晴彦の両親の殺害動機については不明のままだった。

 憶測の域を出ないが、やはり宗田たちとの直接対決を譲らない父とそれを追従する母に失望し、このままでは将来にわたって支配されると悲観して凶行に及んだとの見方が強い。

 滞在先の羽崎が晴彦の真意に気づかなかったのは、それだけ強く決心していたため止められないように精一杯平常を装い、悟らせなかったからということで決着した。



 晴彦の事件の捜査本部は解散し、また田舎の警察署の日常が戻ってきた。車上荒しや窃盗など、大犯罪ではないが確実に実害のある犯罪者を追いかける日々だ。

 が、小宮は晴彦の事件から抜け出せないでいた。

 毎晩晴彦になって羽崎の家にいる夢を見るのだ。妙にリアルなので、目が覚めても夢の中での感情が残っていて気持ちが悪い。

 そんな夢を見るのは、晴彦の家庭と自分が育った家庭に少し似た所があったせいだろうと小宮は思っている。



 晴彦の母、由紀子が秀雄の母と折り合いが悪かったように、小宮の母も父の実家とは不仲だった。

 その原因は小宮だった。

 感情があまり顔に出ない小宮を父方の祖母は酷く嫌った。小宮をそんなふうに育てたと母までが悪く言われた。

 父の実家に行くと必ず祖母に「可愛げがない」と罵られる。だからといって寄りつかないとそれはそれでまた「愛想がない」と怒る。

 なのに、父も祖父も祖母に対して何も言わなかった。元々ヒステリックな性格の祖母に意見して、怒りの矛先が自分に向いたら面倒だからだ。

 小宮の母は由紀子のように大人しい女性で、祖母に言い返す強さを持っていなかった。

 母の両親は早くに亡くなっていて、味方してくれる人がおらず、祖母に理不尽な嫌がらせをされる度に小宮を憎んだ。小宮が愛想の良い子供だったら姑に辛く当たられることもなかったと思うことで自分を保っていた。

 父は自分に都合が良ければ他人の痛みには無関心な男で、母の苦しみにも小宮の寂しさにも何の手助けもしてくれなかった。


 母に愛されないのは子供の小宮にとっては酷く悲しいことだったが、二歳下の弟の存在が小宮を慰めた。

 弟は普通に母に愛されていて、小宮とも仲が良かったので母と小宮の間に軋轢が生じそうになるとクッションの役目をしてくれた。

 小宮が変に拗ねて悪の道へ走らなかったのは、弟のおかげだと今も感謝している。

 しかし、弟が結婚した相手の女性が小宮を「何を考えているのか分からなくて気持ち悪い」と言って嫌い、そのせいで弟と疎遠になってしまった。



 罪を犯してしまった晴彦の家に似た家庭環境で育った小宮は、立場上犯罪者の肩を持つような言動は厳禁だと分かっていてもやはり同情してしまう。

 だから、心の奥に押し込めた本音と、今となってはもう誰にも分からない晴彦の心や思考がこうだったら良いという想像が、夢となって現われているのだ。

 夢は所詮夢でしかない。現実ではない。

 いい加減、吹っ切らなければ。もう終わってしまった事件にいつまでも囚われていては駄目だ。

 そう思う一方で、晴彦が何故凶行に及んでしまったのか知りたい気持ちも拭い切れなかった。



 仕事帰りに寄ったコンビニにケーキの箱が積まれているのを見て、今日がクリスマスイブだと思い出した。しかし家族も恋人もいない独り身ではホールケーキを買う気にもなれない。いつも通りに弁当とビールを買って店を出た。

 弁当を食べ、風呂に入った後ビールを飲みながらテレビを見ていたが、どのチャンネルの番組も面白くなかった。

 パソコンで動画でも見ようと電源を入れ、冷蔵庫に入れておいたビールをもう一本取ってきてパソコンの前に座ると、それを待っていたかのように画面に映像が現われた。


 現われた画面を見て――凍り付いた。

 晴彦が撮った写真が映っていたのだ。


 あれをパソコンに取り込んだ覚えはない。

 ファイルを調べたが、どこにも写真の保存はしていなかった。

 ならばこの映像はどうして今画面に出ているのだ。


 マウスを触ってもいないのに映像が変わる。

 数秒ごとに変わる映像は全て晴彦が取った写真だ。


 見たくない。

 このまま見ているとあの写真が映し出されてしまう。


 暗い林の中にいるあの赤いワンピースの少女の。


 見たくないのに変わる映像から目を逸らせない。

 パソコンの電源を切りたいのに体が硬直して動かない。


 ぱたり、と。


 映像が止った。


 暗い林。その中に赤い、血のように赤い色彩が一つ。


 ぱたり。ぱたり。


 映像が動き出す。


 パラパラ漫画のように赤色が少しずつ人の形になり、少しずつ近づいてくる。

 少女の形になり、顔がはっきりと分かるほど近くなったそれは、不意に停止した。

 少女のすぐ傍の木の陰に誰かが立っていた。


 停止した映像の中で、その人物だけが動き出す。


 無表情な少女に近づき、穏やかに笑いながら愛しげに彼女の頭を撫でたのは。


 羽崎だった。



 父に将来のことを考えろと言われた。

 言われるまでもない。じぶんのことなのだから考えに考え、悩みに悩んだ結果ここに辿り着いたのに、これ以上どう考えろというのだろう。

 将来という漠然とした時間を提示されるのも困る。

 将来とは受験のことか。高校生活のことか。大学進学なのか。就職についてなのか。まさか老後を指しているのか。どれにしてもそこに行くまでの障害が今僕を取り囲んでいるというのに。

 父はいつもそうだ。自分の要求を一方的に投げるだけ。助言も相談もない。そのくせ自分の望む答えでなければ不機嫌になる。

 母は父がいる時といない時とで意見が変わるから、僕の真の味方ではない。

 僕を保護し、援護してくれるのは羽崎さんだけだ。

 この世で僕の言葉を理解してくれるのは羽崎さんだけだ。



 唐突に目が覚めた――と言うより、意識が深い水底から水面に浮き上がったという感じが正しい。それも多分一時的なもので、目を閉じればまたすぐに意識が沈んでしまいそうだった。

 今何時なのか、壁掛け時計に目をやったがそこにあるはずの時計がない。ベッドの横には安っぽいパソコンデスクと椅子があった。

 ここはどこだ? 誰の部屋なんだ?

 朦朧とする頭で懸命に考える。

 これは僕の部屋ではない――そうだ、羽崎さんが用意してくれた部屋――――いや、違う。

 違う。違う。違う。違う。違う。

『僕』じゃない。『久住晴彦』じゃない。

『俺』だ。俺は『小宮俊介』だ。


 ここは羽崎が晴彦に用意した部屋ではなく、俺の部屋だ。


 酷く喉が渇いていた。得体の知れない疲労感で重い体を無理に起こして、台所に行き水を飲む。冷えた水が喉を潤すと混濁する思考が少し透明度を上げ、心が落ち着いた。

 また晴彦の夢、いや、正確には晴彦になって羽崎の家で過している夢を見ていた。

 夢を見る度に晴彦の思考や感情をよりはっきりと感じるようになっている。さっきの夢はそれこそ晴彦本人になったみたいだった。

 もっとしっかり考えたいのに、また睡魔が襲ってきた。強力な眠気に思考が食われていく。抵抗らしい抵抗もできないまま深い眠りに落ちて行ってしまう。

 もしかしたら、自分――小宮俊介という人間こそ晴彦の夢の中で作り上げた架空の人物で、今この瞬間は晴彦が見ている夢なのではないのだろうか。

 バカな。そんなはずはない。

 自分は確かに小宮俊介だ。実在の人間だ。

 俺は確かにここにいるんだ。

 そう叫びかけて――――意識が暗転した。

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