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32  証言  その4

「それにしても、失礼ながらこんな辺鄙なところに住んで不便じゃないんですか? 車も自転車もないということでしたが、食料や生活用品なんかはどうしてるんですか」

 写真のチェックを小宮に任せて、井川は世間話を装いながら別の角度から何かを掴もうとするつもりなのか、部屋の中を見回しながら羽崎に問うた。

「特に不便は感じませんね。この家は借り家なんですが、元々常住する住宅ではなく、持ち主が取引先の会社の社長さん達を接待する目的で建てた別荘なんだそうです。持ち主が職を引退した後は、街を離れて海の見える景色を楽しむために使っていたと聞いています。食料品は持ち主がここに来る度利用していた店に週に一度まとめてファックスで注文して配達してもらってますし、日用品など大抵の物はネットで頼めますから」

「どこかに行くときはどうしてるんです」

「どうしても出かけなければならない時は、タクシーで。私は出不精で外出することも殆どなくて、今まで困ったことはなかったんですが、さすがに今回のように、隣の県の警察署まで行かなければならないかもしれない事態は予想できませんでした」

 そうでしょうね、と井川は顔をしかめた。

「交通も含めて立地条件は少々難ありですが、家自体は広くて立派ですね。この家の持ち主ってどなたなんですか」

「ええと、確かどこかの造船会社の元社長さんだったと……すみません、出版社の人の世話で借りたので、私はよく知らないんです。手続きや食料品の配達の交渉など全て、その人がしてくれたので」

 持ち主が高齢になって病に罹り遊びに来られる状態ではなくなったし、親族も利用しないので、人が住んでくれた方が家が荒れないからと格安で貸してもらえたのだそうだ。

 井川の言う通り別荘にしても大きな家で、掃除だけでも大変そうだ。自分だったら頼まれてもこんな所で一人暮らしはごめんだと思いながら小宮が画面の写真を見ていると、ある一枚の写真に妙な物を見つけた。

「これは誰でしょうかね」

 暗い防風林の奥に小さな赤い色。よく目をこらしてみるとワンピース姿の幼い少女の後ろ姿、のようだ。

「林の中に小さい女の子が写っているんですが」

「え? どれですか」

 壁にかかっている絵画が本物かレプリカか談義していた井川と羽崎が振り返った。

 パソコン画面を覗き込んだ二人に、小宮は「これです」と指さして。

 唖然とした。

 写真から赤色が消えていた。

「……どこに子供が?」

「あれ? これの前の写真だったのかな」

 無意識に画面を進めてしまったのかとバックさせたが、防風林ではない写真が出た。防風林の写真に戻し、一つ進めると、今度はフェンスに絡まる枯れた蔦の写真だった。

「おかしいな。さっき確かに女の子が写った写真が」

 最初から最後まで探したが、子供らしい姿が映った写真はなかった。

「何かの見間違いだったんじゃないか」

 羽崎の反対側からパソコンをのぞき込んでいた井川が笑った。

「……そうですね。すみません。花か何かの残像が一瞬子供のように見えたのかも」

 連日の捜査でお疲れなのでは、と羽崎は気遣いをみせた。

「あの、この晴彦君の撮った写真、出来れば久住さんのご遺族の方に差し上げたいと思っているんですが、もらってくださる方はいらっしゃるでしょうか」

「久住君の祖父母がいますが……意向を聞いてみないと何とも」

「これを預かって帰って、聞いて頂く訳にはいきませんか。CDに焼くならすぐできますから」

「申し訳ありませんが、そういうものは預かれない規則になっていまして」

「……そうなんですか。勝手な事を言って申し訳ありませんでした」

 井川の言葉に、羽崎は文字通り肩を落とした。

「しかし、先方が受け取るかどうか、問い合わせることはできます。郵送で良いかどうかも確認しますから、了承されたら連絡しますのであなたから送って差し上げてください」

 井川は情が絡むものは無碍にしない性質で融通を利かせる男だった。そういう面を小宮は素直に尊敬している。

「――あ、ありがとうございます」

 礼を言って羽崎は憂いを帯びた顔をパソコン画面に向けた。

「これは晴彦君が高校に合格したら報告を兼ねて受け取りに来る約束の物だったんです。辛いことを乗り越えるための、一つのご褒美みたいなものにしようと思って。……遺作になるとは思いませんでした」

「申し訳ありませんが、捜査資料用にCDに一枚焼いてくれませんか」

 井川が頼むと、用意して来ると言ってパソコンを持って部屋を出ていった。



「……違うんじゃないですか?」

 晴彦が何かをしでかすと分かっていた上で止めずに帰したのではという疑いに対しての小宮の答えだ。

 羽崎の表情も言葉も演技でなく本心からのように見えた。

 彼は他人の不幸を覗いて密かに喜ぶような歪んだ性格には思えないし、自身に後ろ暗い所があるのだったらわざわざ警察に名乗り出たりしないだろう。

 考え込んで返事もしない井川に、小宮はため息をついた。

「何が気に入らないんですか。善人が嫌いなわけじゃないでしょうに。俺から見たら、羽崎さんも副担任の水島先生も同じ人種に見えますけどね」

「水島先生は、愚痴垂れる口を持ってただろう」

「愚痴なんて言ってましたかね」

「言ってたじゃないか。山口が三年生の担任は初めてだから経験のある自分が補佐に回ってると。その前に山口の父親とあの中学の校長が同期で昵懇な仲だと言ってただろう。だから山口が優遇されて自分が割を食ってるっていう愚痴だ、あれは」

「愚痴を言う善人が好きなんですか」

「利己的な所も見えるような人間味のある善人が好きなんだよ」

 井川が気に入ろうと気に入るまいと、羽崎が晴彦に事件一連の教唆をしたという証拠でもない限り、彼の立ち位置は善良な協力者だ。

 CDを作成して戻って来た羽崎の申し出で晴彦が滞在している間使っていた部屋を見せてもらったが、寝起きをしていた痕跡があるくらいで事件の参考になるものはなかった。



 作り上げた供述調書を羽崎の前で読み上げ、間違いがないか確認し署名と押印を求めると、羽崎は緊張を見せながらも素直に応じた。

 井川が謝辞を述べ暇を告げると、羽崎は深々と頭を下げた。

「大してご協力出来ず、申し訳ありませんでした」

「いいえ、久住君が家出して家に帰って来るまでの間の様子が分かっただけでも相当な収穫でした。何しろその時間の久住君を知るのは、世の中であなただけなんですから」

 井川の含みのある言葉にも羽崎は特に反応しなかった。

 玄関まで見送りに出てくれた羽崎が井川にメモを差し出した。

「私のEメールのアドレスです。仕事に没頭していると電話に出ない質なので、こっちの方に連絡していただけないでしょうか」

「分かりました。後日になりますが必ずご連絡差し上げます」

「あ、あの、それでもう一つお願いが」

 羽崎が言い難そうに口を開いた。

「何でしょう」

「勝手ばかり言って本当に申し訳ないんですが、先方には私の名前や住所を、というか私のことは他の誰にも」

「言いません」

 井川は重々しく頷いて見せた。

「署長から捜査員全員に硬く緘口令が敷かれています。あなたのことは絶対、誰にも話さないようにと」


 異例中の異例の命令だった。

 署長室に招集され、署長自らより強く口止めされ、誓約書まで書かされた。はっきり言って前代未聞だ。

 マスコミが騒ぐ重大事件なので、善意の情報提供者に迷惑をかけないためとしているが、実は署長が町長から直々に頼まれたもので、町長も県知事から要請されたらしい。


「すみません。私もある出版社の編集の人に、とても叱られてしまって」

 羽崎は正体不明で売っている面もある作家だ。それがこんな事件でマスコミに取り上げられてしまえば契約違反になる上に恋愛小説作家としてのイメージダウンにもつながり、本の売り上げにも影響すると叱責されたという。

「どうもその出版社の社長がコネを使って、手を回したようなんです。不愉快な思いをされたのでしたら、お詫びします」

「いや、情報源の秘匿は本来当然ですから。上の人間の事情は、私たちのような末端の者には関係ない話です。それにあなたには出版社との厳しい契約もあるようですし」

 意識的に井川は間を置いて、羽崎の顔を見ながら言った。

「作家というのも大変な商売ですね」

 返答に困ったのか無言の羽崎に「お邪魔しました」と井川は踵を返した。


 玄関を出て早足に歩く井川に小宮が追いつくと、井川はむっつりした表情で呟いた。

「何であの男が気に入らないか、分かった」

「――え」

「あいつ、目に感情が全く出ない」


 頭上を風が吹き抜け、林の木々が鳴る。

 やはり何かの予兆のような気がして、小宮は漠然とした不安を感じた。

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