17 事件 その2
廊下の一番端にある部屋のドアをノックすると応答があった。
「西署の方をお連れしました」
間もなくドアが開き、目の下に隈のできた校長が顔を覗かせた。
「どうも。連日すいません」
事件後何度も顔を合わせてもう覚えられていると思ったのか、井川は名乗りもしなかった。
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしまして」
校長は虚ろな目を床に落としたまま小宮たちを部屋に通した。
「随分お疲れのようですが、大丈夫ですか? 余り寝ておられないようですね」
井川の問いかけに校長はひっそり笑った。
「寝ている暇なんてありませんよ。それでも昨日はもうさすがに限界で、仮眠は取りましたが」
事件直後から教師達への指示とマスコミへの対応、PTAに対しての事件の説明会、生徒全員を集めての全校集会、職員会議に警察の事情聴取と本当に寝る間もないほど事件の後処理に忙殺されているのだろう。
「生徒さんたちは落ち着きましたか」
「一年生と二年生は概ね。三年生は明日から平常通り授業を行う予定です」
高校受験は待ってくれませんから、と言い訳のように呟く。
「担任の山口先生は」
「まだ学校に出てこられる状態ではないようです」
晴彦が同級生に斬りつけたのは朝のホームルームの時間だった。山口は目の前で自分の受け持ちの生徒三人が切られ一人が投身自殺したショックで倒れ、入院した。
「そうですか。どうぞお大事にとお伝えください」
井川は型通りの見舞いを告げた。
「早速ですが、仕事させてもらっていいですかね」
「はい、隣の応接室をお使いください。順番待ちの生徒と保護者の方には別室で待ってもらうようにしてあります」
教師の事情聴取は昨日終わり、今日は晴彦と被害者のクラスメートの話を聞く予定だった。事件に遭遇した未成年の心情に配慮して保護者が同席する。
本当なら生徒の家を個別に回って話を聞くべきなのだが、小さな署のため人手がない。それで時間短縮のため学校に来てもらうよう協力を頼んだのだった。
今日どうしても保護者が来られない者や本人の体調が悪い者は、後日家を訪問する。
井川と小宮は校長に学校の一室を借りる感謝を述べて応接室へ移動した。
一番初めの生徒が来るにはまだ時間があり、資料を出して準備していると、事務員らしき女性が茶を持って来てくれた。
「良い身分だよな」
茶を一口飲んで、井川が不機嫌に言い捨てた。
「え、良い身分って、誰が」
小宮が首を傾げると、
「あの、山口智香って担任だよ」
井川は乱暴に湯呑をテーブルに置いた。
「自分の受け持ちの生徒がやらかした事で上司と同僚が不眠不休で働いてるってのに、暢気に寝てる場合じゃないだろ。それにあの女、怪我した生徒の見舞いにもまだ行ってないらしいじゃないか。俺が校長なら『甘ったれるな! とっとと起きて自分の仕事をしろ!』って叩き起こしてる」
「確かに、多少体調が悪くても同じ教室にいて自分と同じ事件を体験した生徒達の心情を思えば、ここが踏ん張りどころでしょうにね」
「民間企業ならあんな無能、すぐクビだよ」
昨日、事情聴取のため他の刑事が入院している山口と面会した時の話を聞いて以来、井川の山口に対する評価は最低だ。
山口は面会に来たのが刑事だと知ると、事件の状況を説明するどころか、自分はか弱い女性だから中学生とはいえ刃物を持った人間を止める事はできなかっただの、逃げたのではなく助けを呼びに行ったのだの自己弁護に終始し、挙げ句に「事件でショックを受けて傷ついている人間にその事件を思い出せなんて思いやりがない」とヒステリーを起して追い返したらしい。
「逃げたんじゃない、だって? 立派に逃げやがったくせに」
山口が斬りつけられた生徒を放置して隣の教室に駆け込んだ後、様子を見に戻りもしなかったのは他の教師からの事情聴取で確認済みだ。
「普通の女性ならそんなものですよ」
誰だって刃物を振り回している奴がいれば逃げる。
「女でも教師だぞ。生徒守らなくてどうするんだ」
井川の憤りは分かるが、いざという時他人のために命を張れる人間がどれほどいるだろうか。
自分たち警察官は志を持った上で訓練を受け、公務員である故後ろ盾もあるが、一般人それも女性に対してそれを期待するのは無理がある。
そんなことは井川も本当は承知しているのだ。単に山口の教師としての責任感の薄さを嫌悪して、悪態をついているだけなのだろう。
「いっそあの女も斬られりゃよかったんだ」
「井川さん、それは言い過ぎですよ」
小宮も正直彼女に少しの同情も好感も抱いていないが、さすがに言葉が過ぎるとたしなめた。
普段から口が悪い井川だが、人柄は口のように悪くない。
井川が新人の頃、刑事の仕事を教え込んだ先輩が良くも悪くも「昭和の刑事」そのものだったらしく、その影響が深く染みついただけであって、根は署内でも屈指の人情家だった。
昨日も入院中の山口に代わって生徒の心を気遣って家庭訪問に回っている副担任の水島に会った時、親身な労いの言葉をかけて、自分が飲むために買っていた飲み物まで差し出していた。
水島は事件当日風邪で休んでいたが、電話で事件を知らされると熱のある身で髪も整えない寝起きの姿で学校に飛んできた。体調の悪い中、生徒をこれ以上動揺させまいと声をかけて回っている彼と比べると、どうしても山口が不甲斐なく思えてしまう。
「お前は腹が立たないのかよ」
「立ちますよ。これでも今回の事件に関しては、色々な事に怒ってるんですけど」
山口には勿論、イジメをやっていた宗田たちにも、彼らに斬りつけた晴彦にも。
何より、晴彦が事件後自殺してしまった事には特に。
答えた小宮の顔をまじまじと見つめ、井川は呆れたように笑った。
「相変わらずお前はヒョウ介だな」
小宮は余り感情が表に出ない。何があってもいつも飄々としていると評されて、ついたあだ名が『ヒョウ介』だった。
井川が強面の分、小宮は愛想がなくても相対的に優男に見えるが、実は県警の逮捕術大会で優勝したこともある猛者である。百八十センチある長身ではあるが、痩せ型体型で垂れ目の優しげな顔からはそれを想像しにくいだろう。
それにしても、と井川がテーブルの上の資料を手に取る。
「何度見ても、あんな大それた事をするような子には見えないな」
クリップで留められた晴彦の顔写真は、まだあどけなささえ残る笑顔だ。今年の初め父親が買った新車の前で、両親も共に写っている。車を買い換えた記念に撮ったものらしい。
これが家族で最後に撮った写真になるとは、誰も思わなかっただろう。
ため息をついて、井川が資料をテーブルに放る。
「何があって、両親まで殺したんだ、この子は」
誰への問いかけともしれない井川の呟きに、小宮はこれまでの捜査で分かっている限りの事件の内容を思い返した。




