1歳1ヶ月 10 ―――新たな王
驚愕に目を瞠るレジィは、直前まで十数メートル前方にいたはずの私が目と鼻の先にいるのを見て、「ひっ……!?」と引き攣った悲鳴を上げました。
しかしさすがは獣人、考えるよりも先に、闘争本能に従って即座に攻撃を仕掛けてきました。
が、当然ながらその一撃が振るわれる前に、私の攻撃がレジィの身体に叩きこまれます。
再び土壁に身体を叩きつけられるレジィ。
レジィは苦しげな呻き声を漏らしながらも、今度は右方向へと跳ぼうと試みたので、私はそれを叩き潰します。
さらに上に跳んで逃げようとしていたので、それも叩き潰します。
逃げるのを諦めて身体を丸めたので、手足のガードを弾いてから猛烈な連撃を浴びせかけます。
これを、常人の十二倍の速度で動けるレジィと、さらにその五倍の速度で動ける私が行っているのです。
ネルヴィアさんや獣人たちには、わずか一秒程度のあいだにレジィの背後の土壁が激しく削れていく様しか見えなかったことでしょう。
速度制御魔法『砂鉄時計』。
術式自体は単純で、左手の親指と人差し指を接触させている間だけ、この土壁の内部に存在する『空気』と『私』以外の速度に六十を除算しているだけのことです。
つまり私が加速しているのではなく、私以外のすべてが減速されているわけです。
普段の私が操っているのは身体の運動エネルギーですが、今回は肉体全ての速度を支配しているため、彼らの体感時間も減速しています。
要するに、彼らは自分が減速しているということさえ気が付いていないはず。
さらに私は、物質量制御魔法『暴力的寸止め』を併用しています。
これは私の親指と中指が接触している間、拳の先にある空気の物質量に百を乗算するというものです。
威力自体はやや抑えめですが、これをゼロ距離で食らえば獣人でもかなり痛いことでしょう。しかも彼らの体感時間では、空気は六十倍の速度で動いているのですからね。
そして実際はただの寸止めでありながら、パッと見では私が殴っているように見えるはずです。
私は一旦攻撃をやめてレジィの様子を窺うと、彼は身体が半分土壁に埋まっているような有様で、息も絶え絶えに喘いでいました。
さて、これからどうするかと考えていると、不意に背後からの気配を感じます。
私は再び左手の親指と人差し指を接触させると、六十倍の世界に飛び込みました。
振り返ると、そこには鬼気迫る表情の獣人たちが私に飛びかかろうとしているところでした。
強者が絶対の魔族において、強者に飛びかかるというのはかなり勇気の要る行動のはずです。
それに、正々堂々が信条の獣人たちが、背後から複数人で奇襲をするとは思いませんでした。
ここまでレジィを追ってくるほどですから、よっぽど仲間思いなんでしょう。
複数の獣人たちに飛びかかられるなんて普段だったら絶望的な光景なのでしょうが、今の私にとってはさしたる脅威ではありません。
一人ずつ攻撃を叩きこんでから、再び現実時間に戻します。
すると彼らは見えない壁にでも阻まれたかのように、吹き飛ばされて壁に叩きつけられたり、空中で何回転もしながら地面に激しく落下しました。
気が付くと土壁に囲まれた内部では、獣人たちが全員倒れ伏していて、死屍累々の有様です。
ようやくこれで一段落……と思いきや、壁に埋まっていたレジィがよろよろと這い出てきました。なんて丈夫な身体なんでしょうか。さすがは獣人といったところですか。
その赤銅色の瞳には、まだ闘志が燃えているようです。
「……あ、ありえない……このオレ様が、『あの人』以外に……“バルビュート”以外に後れを取るなんて……!!」
バルビュート? それが、レジィが「人間に会いに行くために里を出た」っていうきっかけになった人なのでしょうか?
でも、バルビュートって、どこかで聞いたことがあるような……そんな名前の知り合い、いた覚えはないんですけど……
……あっ、もしかして……!
「ウオオォォォオオオオオオッ!!」
レジィは残る全精力を込めたような咆哮をあげると、再び加速して私に襲いかかってきました。
さっきよりもなんとなく速い気はしますが、今の私にとっては誤差の範囲です。
振り下ろされるレジィの両腕を躱してから、彼の顔面に今までの倍の威力で攻撃を叩きこみます。
そして吹っ飛んでいく彼が壁に叩きつけられるよりも速く、私は彼の背後に走って回り込むと、その背中に攻撃を加えます。
……まさか、こんなドラ○ンボールみたいな攻撃をすることになるとは思いもしませんでした。
続けて私は、彼が吹き飛ぶたびにその先へ走って回り込んでは、また新たな攻撃を叩きこむということを何度も繰り返します。
走りながらチラリと獣人たちの顔を覗き込みますが、彼らは目でさえも追えていないみたいです。
その点、レジィだけはかろうじて私の動きを追えているようですから大したものだと思います。
対応できなければ意味はありませんけどね。
最後にレジィを真上に吹き飛ばすと、私は自身の重量を六分の一に制御してから、近くの土壁へとジャンプします。
そして反対側の土壁まで飛び移る「壁キック」を繰り返しながら、上空へ吹っ飛ばされたレジィへ追いつくと、最後にとびっきりの威力で彼を地面へと打ち落としました。
さすがに身体が頑丈な獣人といえど、ここまですれば動けないでしょう。
私は速度制御魔法を解除してから、ふわりと地面に着地。体重も元に戻して、ようやく一息つきました。
……これは、思っていたよりずっと消耗が激しい魔法のようです。今後は使用を控えましょう。
ああ、疲れた……。早く帰ってふかふかベッドで寝たいです。
私はゆっくり歩いて、地面に転がっているレジィを覗き込みました。
すると彼は「うっ、ぐすっ……ひっく……」と泣きだしてしまってます。今までの不遜な表情とは違い、泣き顔は年相応の可愛らしさがあるので、ちょっぴり罪悪感……。
強さが絶対である獣人にとって、敗北とは存在の否定にも等しいのですから、見た目中学生ほどの彼が泣くほどのショックを受けたとしても不思議はありませんか。
あれだけ傲慢な性格なら、きっと今まで戦いで負けたことがなかったのでしょう。
……ああ、いえ。恐らくは一度だけ負けたか、戦わずして敗北を悟った経験があるはずです。
「鍛錬のリュミーフォート・ユジャノン。まどうしのひとりで、かっしょくぎんぱつのおんなのこ」
私がそう言うと、レジィはびくりと身体を震わせて、私へ視線を向けました。
「バルビュートを……ぐすっ……知ってるのか……?」
「しらないひとのほうが、すくないとおもうけど。なんかいか、おはなししたこともあるよ。ネルヴィアおねーちゃんがもってる魔剣も、リュミーフォートさんからいただいたものだし」
私の言葉に、先ほどまで絶望の色が濃かったレジィの瞳に、キラキラとした輝きが宿りました。
ああ、やっぱり人族最強のリュミーフォートさんは、強さが絶対の獣人にとってはアイドルなのですね……。
なるほど、つまりレジィは最強と名高いリュミーフォートさんにどうしても会いたくって、帝都を目指していたというわけですか。
……そんなアイドルの追っかけみたいな動機で、帝都や自分の里に大混乱を巻き起こすなんて……人騒がせな。
私は心底バカバカしくなって、盛大な溜息を吐きました。
そして倒れてる獣人たちへ視線を向けると、うんざりした声色で言い放ちます。
「ほら、あなたたちも はやくおきて、このおバカをつれてかえってよ。もうこんなことはないように、きをつけてね」
すると、レジィを含めた獣人たちは意外そうに目を丸くさせます。
「……み、見逃して、くれる……のか……?」
「え? だって、ころさないってやくそくしたよね? それにわたし、もともと『まほうでひとはころさない』ってきめてるから」
何を今更、といった気分で私が答えると、獣人たちはみんなポカンと口を開いて呆気に取られています。
魔族の間では、戦った相手は殺すのが基本なのでしょうか?
そして私が殺さないと宣言してから、獣人たちの絶望的な表情が一転して、まるで愛する恋人や母親でも見るかのような目つきに変わりました。
え……あ、あれ? そういえば彼らは、魔族の中でも特に強さが絶対とされる獣人族。
そして『自分よりずっと強い』『群れのボスを倒した』って条件に加えて、直接的な命の危機が去ったということは……
うわぁ!? そっちの犬耳さん、めっちゃ尻尾振ってるー!?
ウサ耳ちゃんも目にハートが浮かんでるし! しかもなんか息が荒い! もしや発情!?
ちょっとレジィ、あなた群れのボスなんですからどうにか……ああっ!? レジィも恋する乙女みたいな表情になってる!!
こ、こうなったら最後の望みはネルヴィアさん……って、誰よりも蕩けきった表情をしてらっしゃる!! ダメだあの子、頼りにならない!!
……こうして私は不本意にも、彼らに“新たな群れのボス”と認識されてしまったのでした。
ち、ちがう……こんな……こんなはずじゃなかったのに……!!