0歳10ヵ月 6 ―――約束
私はどうして邪魔をされたのかが理解できず、混乱した。
なんでお兄ちゃんが、そいつを庇うの?
そんな奴、死んで当然だよ。
だって、もしも私が前世の記憶を持たない普通の赤ん坊として生まれてきてたら、どうなってたと思う?
私とお兄ちゃんは遊び半分に甚振られた挙句に、虫の息になった私たちの目の前でお母さんは辱められて、嬲られて、それからみんな殺されてたに違いない。
こんな薄汚い、浮浪者紛いの盗賊にお母さんが穢されるなんて、想像しただけで吐きそうだ。
切り刻まれて血まみれで横たわるお兄ちゃんを想像したら、頭がおかしくなりそうだ。
そしてその未来を回避できたのは、私が奇跡的に前世の記憶を保持していて、その上 運よく魔導書を手に入れて、しかも解読できて、魔法を習得していたから。
ここまでご都合主義的な幸運が連続して、ようやくその悪夢みたいな未来を回避できたんだよ。
結果的にはみんな無事だったんだから、殺すのは可哀想だ……なんて、そんなふざけたことが言える奴は人間じゃない。
だから私はお兄ちゃんを説き伏せてでも、目の前の盗賊を殺してやろうと息巻いたのだけど……
「こんなやつのために、セフィがてをよごすな!!」
抱きしめられながら叫ばれた、そのたった一言だけで―――私の心を席巻していた嵐のような殺意が、あっさりと霧散してしまいました。
よく見たら、お兄ちゃん、震えてる……
そっか。今まで同じ屋根の下で暮らしてた赤ん坊が、いきなり大人の男を嬲り殺そうとしたら、怖いよね。
それなのに飛び出してきて、私のために身体を張ってでも止めてくれたんだ。
私はお兄ちゃんとの約束を破って、魔法で人を殺そうとしてたのに……
お兄ちゃんはお父さんとの約束通り……私を守ってくれたんだね。
「……ごめんなさい、おにーちゃん。もう、だいじょうぶだよ」
私が微笑みかけると、お兄ちゃんは強張っていた表情を脱力させて、安堵の息を漏らしました。
私はお兄ちゃんの手を握ると、すぐ近くで地面に顔をこすり付けている盗賊を無視して、お母さんの元へと駆け寄りました。
そしてお母さんの上着の袖を魔法で破り取ると、いつも私が浴槽代わりにしている桶に一瞬だけ熱湯を生み出して殺菌し、すぐに冷却。
うつ伏せに横たわっているお母さんの背中の傷口に、よく絞った布きれをきつく押し当てました。
「おにーちゃん、これ、ぎゅっておさえてて。たいじゅうを ぜんぶかけていいから」
「わ、わかった!」
とりあえず応急処置として圧迫止血を試みてみたものの、これが正しい処置なのかはさっぱりわかりません。
それに刀傷への処置は正しかったとしても、あの盗賊の小太刀に付着していた錆びや菌で、傷口が化膿したり病気になったりするかもしれません。
もっと言えば、この村に医者なんているわけがありません。ちょっとした怪我や病気なら民間療法で対処しますが、この傷はそんなものに頼っていいレベルのものなのでしょうか。
大量の汗をかきながら苦痛に耐えるお母さんの表情に、また涙がこみあげてきそうになりますが……私は唇を噛んでぐっとこらえ、お母さんたちから離れました。
「……だれか、おとなのひとをよんでくるね」
「セフィ! いま、そとには……」
「うん、わかってる。だからすぐにぜんぶおわらせて、もどってくるから」
お母さんを止血しながら心配そうに私を見るお兄ちゃんに、私は安心してもらえるように笑みを浮かべます。
お兄ちゃんのおかげで正気に戻ってからすぐに、私は村で起こっている騒ぎに気が付きました。
ついさっきまでは目の前のことしか見えていなかったことに加えて、私の家が村の外れの方にあるため騒動の音が遠く、気が付くのが遅れてしまいました。
……どうやら盗賊はこいつだけではなかったようです。
みんなを、助けに行かなくちゃいけません。
「セフィ!」
玄関に向かって駆け出した私の背中に、お兄ちゃんの声がかかります。
また「やめろ」とか「行くな」と言って呼び止められるのかと思っていましたが、続けてお兄ちゃんが発したのは……
「はやくかえってこいよ!」
「……!! ……うんっ!」
どうしてだろう……身体が、すっごく軽い。
お兄ちゃんに送りだされた私は、怒号と悲鳴の飛び交う 村の中心部へと必死で駆けます。
待ってて、みんな……!!