1歳11ヶ月 6 ―――ダークセフィリア
帝都魔術学園(仮)で私が受け持っている四人の生徒である、お兄ちゃん、メルシアくん、ヴィクーニャちゃん、リスタレットちゃん……その全員が、ついに魔法を扱えるようになりました。
怪我や事故のないようにゆっくりと学習を進めているため、さすがに劇的な成長速度とまではいきませんけれどね。
しかしこの世界での魔術師というのは、類稀なる才能を秘めた天才が、世界最高峰クラスの魔術師を師に持って、幅広い自然科学の知識を究め、古代魔術言語を習得して、数年から数十年もの歳月をかけ、ようやくちょっとした魔法をいくつか習得できるというのが基本なのだそうです。
それを思えば、魔法知識がまったくのゼロからスタートして、学び始めてからたったの数ヶ月で、しかも六歳から中学生くらいまでの幼い生徒たち全員が、それなりの水準で魔法を習得したというのはあり得ざる快挙みたいでした。
私の前世で喩えるのなら……同じ塾出身の小中学生たちが、ノーベル賞を総舐めにしたようなものでしょうか? ……あれ、そう考えると結構大変なことしちゃったかも。
とはいえ、彼らにはまだまだ教えるべきことがたくさんあります。なのでうちの生徒たち全員が“魔術師”の称号を下賜される条件を満たしたとはいっても、まだ気を抜ける段階ではないのです。
ない……のですが。
私は生徒たちの四人全員に魔法を習得させてあげることができたのなら、頑張った自分に“ご褒美”をあげることを以前から決めていました。
具体的には、その一日だけ、普段はできないような贅沢をしまくってやろうという企画です。
この日のために、寝る間も惜しんで考えた贅沢プラン……!
考えるだに恐ろしい……かのマリーアントワネットでさえも、謙虚にパンを齧りながら裸足で逃げ出すであろう、途轍もない贅の極み!
この事は家族のみんなにもそれとなく伝えてあって、なんだかみんな張り切っていました。ケイリスくんなんかは金庫の鍵を取り出していましたしね。
しかし具体的な贅沢プランは当日まで明かさないことにしていたので、あとは決行の日を待つのみ!!
そして私はついに、その禁じられし恐怖の計画を実行に移したのです……!!
翌日の昼過ぎ。私は激しい興奮でニヤけてしまう表情を抑えながらリビングへ向かうと、扉を勢いよく開きました。
リビングではすでにみんな昼食を食べ始めていて、おそらくネルヴィアさんに引きずられてきたのであろうルローラちゃんも含め、ネルヴィアさん、レジィ、ケイリスくん、お兄ちゃん、お母さん、お父さん……この屋敷に現在住んでいる全員が集合しています。
そんな中で、私は一番遅く起きてきて、一番遅く食卓に姿を現したのです。
ケイリスくんが私の分の料理を運んできてくれたのにお礼を言ったところで、私の隣の席に座っているネルヴィアさんが、恐る恐るといった様子で口を開きました。
「セ、セフィ様……? その、お身体の具合がよろしくないのでしょうか?」
「え? どうして?」
「どうしてって……セフィ様がこんな時間に起きてくるだなんて、初めてですよね……?」
ネルヴィアさんの指摘に、私は“にまぁ~”と満面の笑みを浮かべました。
あ、気づいちゃった? そこに気づいちゃったかー。そっかそっかー、まぁそうだよねぇ、気づいちゃうよねー。
見るからにご機嫌な私の様子を、その場にいるみんなが怪訝そうな顔つきで窺っています。
しかし私はそんな視線さえも心地良いとばかりに、さらに機嫌を良くしながら笑みを深めました。
そしてネルヴィアさんに向き直った私は、
「きょうのわたしは、“贅沢モード”なの」
「ぜ、贅沢モード……?」
「そう、いつもはできないような、贅沢のかぎりをつくすの……! だってこれは、がんばった自分へのごほうびなんだから……!!」
私はそう言うと、それですべて説明は終えたとばかりに昼食に手を付け始めました。ああ、その日に初めて食べるご飯が、お昼ごはんだなんて……! こんなこと、この世界に生まれてから初めてではないでしょうか!
ニコニコしながら昼食を頬張る私に、ネルヴィアさんはやや逡巡してから、遠慮がちにそろりと訊ねてきます。
「えっと……その贅沢と、セフィ様がお昼まで起きてこられなかったことに、なにか関係が?」
「え? ちょっと、なにいってるのおねーちゃん!」
私は心外だとばかりに眦をつり上げて、聞き分けのない子供に言い聞かせるような語調で言い放ちました。
「おひるまでねてるだなんて……これ以上ないくらいの、とんでもない贅沢じゃない……!!」
鼻息荒くそう宣言した私に、ネルヴィアさんはポカンと口を半開きにしたまま固まってしまいました。他の家族たちも、概ねみんな同じような反応を示しています。
ふっふっふ……みんな揃って絶句しておるわ……。どうやらやっと、私の恐ろしい行動が理解できたようですね……!
私は前世の過酷な労働環境の後遺症によって、根っからのショートスリーパーです。
前世における普段の睡眠時間は、長くても三時間ほどがせいぜいで、二日か三日徹夜するなんてザラでした。たまにまとまった休憩時間を確保できたとしても、不具合報告や客先からの電話を恐れて、安眠など夢のまた夢といった毎日だったのです。
今世においても、慣れない強力な魔法を使ったあとは少しだけお昼寝をすることもありますが、基本的に一日三時間以上寝ていることはほとんどありません。
そのため常であればしばらく寝ていると、「時間がもったいない……!」という謎の焦燥感に駆られて嫌でも起きてしまうところですが……今日の私は一味違います。なんと早朝に目が覚めてから数時間、ずっと布団にくるまって、何をするでもなくひたすらごろごろ寝っ転がっていたのです!
あぁ、私がこんなにも恐ろしい行為に手を染められるなどとは、自分自身でさえ思っても見ませんでした。
お父さんお母さん、セフィリアは“悪”になってしまいました……!!
ダーク・セフィリアと化した私は、イケナイことをしているという自負心から言い知れない興奮を覚えつつ、しかしそれを気取られないように何食わぬ態度を装って昼食を口に運んでいきます。
こんなにも恐ろしいことをしてしまったというのに、まるでそれが当然のことであるかのように振る舞う……ああ、なんて悪!! これはもう、免許皆伝モノの超一流の悪ですよっ!!
私が己の大胆不敵さに戦慄していると、どうやら硬直が解けたらしいネルヴィアさんが、ちょっと視線を泳がせながら、探り探りといった具合にそろりと質問を投げかけてきます。
「セ、セフィ様……もしかして、ほかにもその……“贅沢”をする予定が、あるのでしょうか……?」
「ふふふ……もちろんだよ。なんせきょうは、“贅沢モード”だからね……!」
自分へのご褒美として、贅沢三昧を追及すると決めた今日……確かに『深夜まで夜更かしして、お昼まで寝る』だけでも恐ろしい贅沢ですが、しかし私はこれだけで済ませる器ではありません。
私はさらに、その上を行きます……!!
「さらにこのあとは、『なにをするでもなく夕方までベッドでごろごろ』と、『特に意味もなくお風呂に二時間くらい浸かる』、そして『陛下に有給を申請』を予定しているよ! ああ、なんて贅沢……!!」
私があまりの贅沢加減にうっとりしていると……不意に、ネルヴィアさんがその大きな空色の瞳を潤ませて、大粒の涙を流し始めました。
えっ、どうしたの!? なに!? もしかして、私が悪すぎてショックを与えちゃった!?
私は慌てて「あっ、でも、その、ちょっと贅沢すぎちゃったかなぁ……?」と弁解しようとすると、ネルヴィアさんはなぜか突然私を抱きしめてきました。
「私がっ……! 私が、人並みの贅沢を教えて差し上げます! ですから、そんな悲しいプランはやめてください……!!」
「……?」
ネルヴィアさんの言っていることの意味がわからずに私が固まっていると、かなり深刻な表情を浮かべたお母さんとケイリスくんが私の元に駆け寄ってきて、
「セフィ、今すぐどこかに出かけましょう! みんなで楽しいところに行きましょう!!」
「お嬢様、セルラード宰相にお願いして、各娯楽施設の特等席に捻じ込んでもらいましょう! どこがいいですか?」
なんだかみんな怖いくらいの勢いで、ぐいぐい私に迫って来ます。
私は状況が呑み込めないながらも、なんとなくこの流れに逆らってはマズイような気がして、みんなに言われるがまま、恐怖の贅沢プランの中止を余儀なくされました。
そして家族のみんなで、賑やかな休日を過ごすことになったのです。
これはこれでとっても楽しくて幸せな一日だったのですが……うーん、なんかこう、釈然としません。




