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呪われた公爵家の庭師令嬢  作者: リッカ


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5 エピローグ

 翌年の春、ヴォルフェン公爵邸の庭は王国で最も美しい庭と呼ばれるようになっていた。

 白いバラが棚一面に咲き誇り、ラベンダーが石畳の縁を飾り、噴水のそばにはエリナが新たに植えたアイリスが風に揺れていた。


 庭師令嬢が公爵夫人になるという話は、最初こそ社交界でひそひそと話題になった。「役立たずの令嬢が公爵家に収まった」と笑う声もあった。

 しかしエリナはそれを少しも気にしなかった。

 今日も温室の中で、新しい品種のヒヤシンスと話しながら、育て方を考えている。後ろから近づいてくる足音が分かった。カイルだ。以前と違って今の彼の足音には迷いがない。


「また話しかけているのか」

「話しかけているのではなく、聞いているんです」


 エリナは笑顔で答えた。


「このヒヤシンスは秋に咲きたいと言っています。季節外れですけど」


 カイルはエリナの隣にしゃがみ込んで、ヒヤシンスを覗き込んだ。


「私には聞こえないが、信じるよ」

「ありがとうございます」

「信じないと怒るだろう」

「怒りませんよ」

「怒る。前に私が植物に話しかけることを笑ったとき、三日間よそよそしかった」


 エリナは少し赤くなった。


「それは……でも、花は傷ついていたので」


 カイルが笑った。最近は笑い方が上手くなってきた、とエリナはひそかに思う。最初は本当にぎこちなかったのが、今では時々不意打ちのように笑うので、エリナの方が慌てることがある。


「エリナ」

「なんですか」

「この庭が咲き続けているのは、君のおかげだ」

「呪いの契約がそうさせているんです。私じゃなくても……」

「違う」


 カイルはきっぱりと言った。


 「この庭が美しいのは、君が花の声を聞いているからだ。花が喜んでいるのは、君がいるから。私には分かる。以前とは庭の雰囲気が全然違うから」


 エリナは温室のガラス越しに、春の庭を見た。

 白いバラが揺れていた。ラベンダーが風に揺れていた。アイリスが朝の光を受けて輝いていた。

 三年間、誰にも咲かせてもらえなかった花たちが、今は声を上げるように咲いている。


「花は正直ですね。嬉しいときは嬉しいと、悲しいときは悲しいとちゃんと伝えてくれる。人間よりずっと正直です」

「君も正直だと思うが」

「そうですか?」

「植物のことになると特にな。私が庭の花に興味を持てなかった頃、君は私に対してかなり辛辣だった」

「……それは」


 エリナは苦笑した。


「花が可哀想で」

「分かっている」


 カイルはエリナの手の甲に、軽く自分の手を重ねた。


「だから好きなんだ」


 ヒヤシンスが、ふわりと揺れた気がした。

 エリナには分かった。花が笑っていることが。



 ◇ ◇ ◇


 その秋、温室の片隅で、黄色のヒヤシンスが一輪咲いた。

 季節外れの花だった。しかしこの屋敷では、そんなことはもう驚くことではない。

 エリナはその花を一輪切って、花瓶に挿した。カイルの書斎の机に置いた。

 午後、書斎に戻ってきたカイルはその花を見て、少しの間動かなかった。


「これは」

「ヒヤシンスです。秋に咲きたいと言っていたので、咲かせてあげました」

「黄色か」

「ええ」

「黄色のヒヤシンスの花言葉を知っているか?」


 エリナは首を傾げた。


「なんですか?」


 カイルは花から目を離さずに言う。


「挑戦。そして、あなたとなら幸せ、だ」


 エリナはしばらく黙っていた。


「……知っていたんですか」

「今調べた」


 カイルはようやくエリナを見た。


「でも、本当のことを言っている」


 エリナは笑った。思わず、声を上げて。

 三年間感情を殺してきた公爵がそんなことを言うようになるとは、誰が想像しただろう。

 花が揺れた。

 カイルは立ち上がり、エリナのすぐそばまで歩み寄った。机の端に軽く腰を預け、見下ろすような近さでエリナを見つめる。


「先週、王都から来た使者が、花の意匠の発注をしたいと言っていたそうだな」


 エリナは少し驚いた。


「よくご存知ですね。まだお返事もしていないのに」

「屋敷の中のことは、すべて私の耳に入るようにしてある」


 その言い方には、隠すつもりのない独占の響きがあった。

 エリナが瞬きをすると、カイルは少しだけ気まずそうに目を伏せた。


「……過保護だと思うか?」

「思います」

「だが、やめない」


 あまりにきっぱりとした返事に、エリナは噴き出してしまった。


「理由を聞いてもいいですか」

「君は、自分の価値に無頓着すぎる」


 カイルの声が、ふと真剣みを帯びた。


「役立たずと呼ばれて育った時間が長すぎた。だから誰かが君を連れて行こうとしたとき、君は断る理由を持たない。私が先に知っておかなければ、気づいたときには遠くに行かれてしまう」


 エリナは言葉に詰まった。三年前まで誰の興味も引かなかった自分が、こうして誰かに強く求められている――その事実が、まだ少し信じきれない。


「どこにも行きませんよ」

「分かっている。それでも、だ」


 カイルがそっとエリナの手を取った。

 指先が触れても、もう何も枯れない。

 それを確かめるように、彼はエリナの手をゆっくりと自分の頬に寄せた。


「三年間、誰にも触れられなかった。触れれば奪ってしまうから、近づくことすら自分に許さなかった。だが、今は違う。君だけは、いくらでも触れていたいと思う自分がいる」

「カイル様……」

「他の誰にも、君の花の声を独り占めさせるつもりはない。王都の依頼も、舞踏会の誘いも、これからは全部、私を通せ」

「……それは、さすがに過保護すぎませんか」


 カイルはわずかに目を細め、低く笑った。


「過保護で構わない。君を失うことを思えばな」


 エリナの頬が熱くなった。花の声には敏感でも、こうした直球の言葉には未だに慣れない。

 他人と距離を置いていた男が、こんなにも分かりやすく独占欲をのぞかせる日が来るとは、誰も想像しなかっただろう。

 けれど花たちは、とうに気づいていたのかもしれない。彼が花を見つめる目と、エリナを見つめる目が、もうずっと同じ温度をしていることに。


 庭では、秋の風がバラの棚を通り抜けていた。白いバラたちはまだ咲いていた。季節をわずかに超えて、もう少しだけ咲き続けていた。

 エリナにはその意味が分かった。

 もう少しだけ、見ていたい。この庭の幸せを。

 花たちもまた、この庭の春を祝っていた。


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