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第50話 インターハイ団体戦

インターハイ個人戦が終わった、その日の夜。

宿舎のミーティングルームでは、明日の団体戦へ向けた確認が始まろうとしていた。

栞代は、部屋の隅で徒手練習を繰り返しているつぐみを見ていた。何も持たない両手で打起こしを繰り返し、足の位置を直しては、また最初からやり直している。

今日、雲類鷲麗霞に届かず、悔し涙を堪えきれなかったつぐみの姿はもうどこにもなかった。じっとしていることの方が苦しそうだった。今のつぐみは、もう全身で次の一射を求めているように見えた。

「おい、つぐみ。少しは休めよ」

「何言ってんだ栞代! 明日は応援で疲れ切るんだぞ。今のうちにイメージトレーニングしとくんだよ!」

つぐみは見えない弓を引き分けたまま言った。

「来年の個人戦では、絶対にあの麗霞をぶっ倒すからな!それだけじゃない、団体も獲る!」

ケロッと言い放つつぐみの強靭なメンタルに、栞代も杏子も顔を見合わせて笑ってしまった。


部屋の中心では、あかねが、明日の団体戦で『大前』を務める瑠月さんに、「明日、頼みますよ!瑠月さんなら絶対イケます!」と賑やかにエールを送っていた。冴子さんも沙月さんも、瑠月さんの横で釣られて笑っていた。

だが、その輪から少し離れた窓際に固まっている三年生たちの表情はひどく強張っていて、言葉もまるで交わしていなかった。


花音部長は膝の上で何度も指を組み直し、理子さんはまゆの記録表を見ているふりをして、同じ行から目を動かしていない。

その様子を見ていた冴子さんが立ち上がった。

合宿を経て、栞代たち下級生と三年生との間のギスギスした空気はほぼ消えていた。それでも、いざ全国大会の前夜となると、花音部長をはじめとする三年生たちの態度には、明らかな『遠慮』と『負い目』が滲み出ていた。

そんな三年生たちの空気をぶち破ったのは、最も三年生に対して壁を作っていた、二年生の冴子さんと沙月さんだった。

「ちょっと花音部長。顔色、真っ青ですよ」

冴子さんが、ズカズカと三年生たちの輪に踏み込んでいった。

「さ、冴子……いや、ちょっと緊張しちゃってて……」

花音部長が力なく笑うと、冴子さんの隣にいた沙月さんも、大げさにため息をついた。

冴子さんは、理子さんやさくらさん、海さん、夏美さんたち三年生を順番に一通り見渡して言った。

「先輩たち、まさかまだ『枠を譲ってもらって申し訳ない』なんて思ってないですよね?」

図星を突かれたのか、三年生たちがビクッと肩を揺らした。

冴子さんは、まっすぐな瞳で三年生たちを見据えた。

「私と沙月、つぐみが、杏子の『瑠月さんに出てほしい』っていう無茶苦茶な決断に賛同したのは、先輩たちがどれだけ死に物狂いで泥臭く努力してきたか……それを知っちゃったからですよ」

「冴子……」

「瑠月さん一人だけに背負わせる気ですか? 予選を突破するには、先輩たちの的中が絶対に必要なんです。私たちが納得して託した『光田の代表』なんですから、もっと図太く、堂々と腹を括ってくださいよ! なんですか理子さん、そのビビりちらかした顔は。夏美さんも、海さんも、あれだけ図々しく道場でゲームしてたみなさんは、どこ行ったんです?」

冴子さんが花音部長以外の三年生のことを「あいつら」じゃなく、名前で呼んだのを、栞代は初めて聞いた。

「冴子、お前、思いっきり言うなあ」

「はい、すっきりしました」と冴子さんは冗談か本気か分からない顔で笑った。

理子さんが続けた。「さくらはゲームしてなかったやろ」

「あ、だからか。すっかり忘れてました」

「えー。ひどーいっ」

さくらさんが、しかし、ほっとしたように明るく叫んだ。

「ま、なんだ、杏子、ほんとに悪かったよ」理子さんに話を振られた杏子は、瑠月さんに夢中になっていた。自分のことだと気づくまで時間がかかったように、ぽかんと瞬きをした。

「いや、理子さん、杏子に申し訳なく思うんなら、明日結果出してください。光田高校にとって久しぶりの全国大会。予選だけで帰りたくありませんよ。せっかくここまできたんですから」

「冴子……」

「私たち、ブロック大会の優勝校ですよ。私たちは同じ光田高校弓道部です。優勝校として誇りを持って戦ってください。私たちも一緒に応援席で戦っていますから」

そうだ。過去はもう関係ない。今はもう完全に同じ光田高校弓道部だ。杏子たちが繋いだ最高のバトンを、冴子さんたちはこうやって三年生に渡そうとしているんだ。

栞代は、二人の不器用で熱い気遣いに胸が熱くなった。

突然、花音部長が冴子さんに抱きついた。

「ちょ、花音部長」

「ありがと、冴子。絶対に予選突破するよ」

「そうですよ。さくらさんも絶対に全国の舞台に立たせてあげてください。杏子の望みはもう明日必ず叶います。団体戦の全国の舞台に瑠月さんが立ちます。あとは先輩たちの願い『三年生全員で同じ舞台に立つ』ことを実現させてください」

冴子さんは、そう言って瑠月さんの方を見た。冴子さんと沙月さんが三年生のところに移動したので、ぽっかりと空いた瑠月さんの隣に、ちゃっかりと杏子が陣取っている。

「その目標に向かって、瑠月さんも最大限協力しますよ。瑠月さん、そうですよね?」

「あ、うん。も、もちろん」

沙月さんが腕を組み、大げさに力を込めて言った。

「データによると、最低でも十本的中させないと話にならないと。十一本でも微妙。多分競射になる。十二本で恐らく安全圏か。そうだったよね、まゆ」

これまた突然話を振られたまゆが慌てて頷いた。

「そうすると、瑠月さんが皆中で四本。残り八本を四人で分けると一人二本か。まあ、花音部長が部長としての責任で三本は的中させるから、残り三人で五本。一人は一本の的中でもいけるのか。楽勝ですやん。私って計算早いなー」沙月さんがおどける。

十本的中でようやく予選突破の可能性が出てくるのか。全国大会はやっぱりレベルが高い。栞代は思わず顔を曇らせた。

「いや、やっぱり大変だよね。そもそもそれ、瑠月さんが皆中前提のプランだし、私だって」花音部長の戸惑ったような声が栞代に届く。

「いや、瑠月さんは皆中なんて軽いですよね、瑠月さん」

冴子さんが瑠月さんに無茶ぶりすると、瑠月さんよりも先に杏子が叫んだ。

「大丈夫ですっ」

三年生の前で杏子がこれほどはっきり声を出したことに、瑠月さんも目を丸くしている。栞代は驚きつつも、口を挟まずにはいられなかった。

「杏子、お前いつから瑠月さんになったんだ。そうだろ、紬」

そう言った瞬間、あかねと、いつの間にか輪に加わっていたつぐみが紬と声を揃えた。

「それは、わたしの、課題では、ありません」

「あー、やっぱり先輩たちはまだ慣れてませんね」

呆気にとられる三年生たちを見て沙月さんがそう言うと、さくらさんが笑い転げ、理子さんも、海さんも、夏美さんも、つられるように笑い始める。

さっきまで窓際に固まっていた三年生たちは、いつの間にか、まゆのノートを囲む輪の真ん中にいた。そして下級生たちがその外側を取り囲んで、大きな輪になった。



翌日。いよいよインターハイ団体戦が開幕した。

高校弓道の華は、何といっても団体戦だという。日本全国の予選を勝ち抜いた強豪校が集結し、技と精神力を競い合う。この特設道場には、選手たちのすべてを懸けた熱気が、昨日以上に満ちていた。栞代は息苦しさまで感じるほどだった。

光田高校の今年の目標は、何が何でも「予選突破」。

その予選突破のラインは、毎年違う。昨日まゆが教えてくれたラインは、少し厳しめで、年によっては九本がラインになることもあるらしい。最後の学校の結果が出るまで目が離せない、胃の痛い時間になりそうだ。栞代は、長い一日になる覚悟を決めた。


試合は午後から。午前の公式練習から戻ってきたまゆによると、三年生は全員、身体の動きが硬くなるほど緊張していたそうだ。無理もない。三年生は公式戦は地区予選だけで、県大会にもブロック大会にも出場せず、いきなり全国大会だ。試合経験が圧倒的に足りない。

しかしその分、三年生たちは一心不乱に練習に打ち込んできた。

緊張の中で、むしろ、三年生たちがどれだけ開き直れるか、かもしれない。

試合は、ゴリゴリと削られるような緊張の中で進んだ。

栞代と杏子たち応援席の祈りは、昨日とまったく変わらない。昨日の輪は伊達じゃない。


大前に瑠月さんを配置し、「最初の的中」を託した拓哉コーチ。それはもともと杏子に与えられた役割だ。本当は杏子が立ってるはずの場所。瑠月さんは、杏子の思いも背負って弓を引いているに違いない。その射は、まるで杏子を見ているような、静かで、美しい姿だった。そして、見事に的中を続けている。

三年生たちも見事に力を発揮している。花音さんが二本、三人の三年生が一人一本の的中を見せ、最後の四巡目を残して、八本の的中。安全圏と言える十二本には、あと四本必要。かなり追い込まれていた。

冴子さん、沙月さん、栞代、杏子、つぐみ、あかね、紬。一列に並んでいる栞代たちは、それぞれの手を握っていた。冴子さんと紬の片方の手は空いていた。しかし、そこには確かに、介添として選手控室で待機しているまゆの手があった。選手控場所にいるまゆの手。一本の大きな輪になっていた。

瑠月さんの四射めも、目標本数のために、どうしても落とせない一射だった。そして。それを決めた。まさに杏子の姿だ。皆中だ。続く海さん、夏美さんがほんとにギリギリで外す。祈りが足らないのか。栞代たちの手に力が入る。理子さん……。

そして。

理子さんの最後の矢。祈りよ届け。

放たれた矢は、的枠ぎりぎりだった。かすった――ように見えた。矢は安土へ食い込んでいる。これはどっちだ。栞代たちのつないだ手が震える。

すぐに表示板を睨むと、そこには「?」のマークが表示された。

は?なんやあれ?あんなんあるんか。どっちやねん。はっきりしてくれ、はっきり。いや、的中にしてくれ。神様。栞代は手に力を込め、祈り続けた。 

射場の時間は止まらない。落の花音部長が、最後の矢を番えていた。視線と祈りを花音部長に切り換えた。つないだ手に、もう一度力がこもる。花音部長が引き分け、会に入る。

離れ。

乾いた音が返り、花音部長の欄に丸が灯った。

よしっ。

これまで本番では結果を出しきれなかった花音部長が、この大事な予選で三射的中。最後の土壇場で踏ん張ってくれた。

確定しているのは十中。

昨日、最低ラインだと言われた的中数だ。

理子さんの矢が的中なら十一中。安全圏とまでは言えない。それでも、この一本の差は、とてつもなく大きい。大きすぎる。

光田高校の五人はすでに退場していた。審判員が、理子さんの的を確認している。

結んでいた手が震えている。

杏子は唇を固く結び、つぐみは瞬きもしない。

おい、紬。ちょっとは気にしろ。紬だけは顔色を変えていない。

それでも、眼鏡の奥の瞳は、表示板から一度も離れていなかった。


審判の人がマイクに向かった。場内に短い説明が流れる。しかし音量が小さく、騒めく場内でははっきりと聞き取れなかった。どっちだよ。

「あっ」

あかねが短く叫んだ。

「?」が消えた。

代わって、丸が灯る。

あたりだ。

的中だ。

十一中。

「よ――」

飛び出しかけた声を、栞代は慌てて飲み込んだ。

杏子が抱きついてくる。栞代もその背中へ腕を回した。隣では、つぐみとあかねが互いの肩をつかんでいる。紬は眼鏡を外し、レンズを拭いていた。

やった。

十一中だ。

落ち着け。

冴子さんが小声で「ちょっと出よう」そう声をかけてくれて、栞代たちは、ほかの観客の邪魔にならないよう一人ずつ静かにゆっくりと席を立ち、観覧席の出入口へ向かった。

扉を抜けた先には、広い共用ロビーがあった。

競技場内から離れた壁際まで進み、周囲に人がいないのを確かめたところで、つぐみが栞代へ飛びついた。

「十一中や!」

「そや!」

栞代も、つぐみの背中に腕を回した。

杏子が二人へ重なり、あかねがその上からまとめて抱き締める。沙月さんと冴子さんは笑いながら握手を繰り返している。

「理子さん、ぎりぎりやったなあ」

「十一中。あの一本はめちゃくちゃ大きい。多分決定的な一本になるやろなあ」

紬は少し離れたところで、立順表に数字を書き込んでいた。

「紬、十一中やで」

栞代がもう一度言うと、紬は顔を上げた。

「もっと喜びいな」

「それは、わたしの、課題では、ありません」

いつもと変わらない顔と言葉だ。

「なあ、つぐみ、あかね、あいつの課題ってなんだろうな?」

栞代が二人にそう訊ねた瞬間、杏子が紬に飛び掛かり、喜びを爆発させた。よろめく紬を抱きしめてぐるぐると回転までしている。杏子に抱きつかれた紬は、立順表だけは守るように、片手を頭上へ高く掲げた。それがまた、喜びの表現に見えて、ついつい笑ってしまう。紬は迷惑そうな表情を浮かべてはいるものの、されるがままに杏子に付き合っている。

「きっと杏子におもちゃにされることやろな」

あかねが呟き、つぐみが頷いた。三人で笑いながら、杏子と紬を見ていた。


ロビーの向こうから、白い道着姿が近づいてきた。

「あっ!」

あかねが声を上げかけ、慌てて口を押さえた。

花音部長たちだった。さくらさんも一緒だ。

競技を終え、こちらへ回ってきたらしい。張りつめていた顔が、緩んでいる。

あかねが両手をつき上げた。「十一中」

花音部長が大きく息を吐き、笑った。「うん。十一中」

「理子さん!」あかねが駆け寄る。

「最後の一本、ドキドキしました?」

「外れたと思ってた。諦めてた。控室に戻ったらまゆが『的中です』って教えてくれてさ」

「まゆ、泣いてたでしょう?」あかねが聞いた。

「理子は泣かせるのが得意やからなあ」夏美さんがおどけた。

「おい、意味ちゃうからっ」理子さんが笑顔で拗ねる。

「いや、まゆ、ずっと泣いてて大変やった。まゆが、みんなに報告してきてくださいって言われて出てきたんやけど。あれは照れ隠しもあるな。考えたら、観客席におったみんなの方が、判定でた瞬間にわかるわな」

三年生たちが笑ってる。

栞代は花音部長を見た。最後の矢を中てたときと同じ人には見えなかった。

「花音部長」

「うん」

「十一中です」

栞代はそれしか言えなかった。

花音部長は笑って、栞代の頭を軽く撫でた。

十一中が通過に足りるかどうかは、後続校の結果次第だった。

「とりあえず、力は出し切ったよ」

そう言った花音部長はとても誇らしげだ。

「瑠月さんに助けられた」そう言って瑠月さんを見た。

瑠月さんは「杏子が乗り移りましたっ」と笑顔だ。その言葉を聞いた杏子がぽかんとしている。

「あの、それって幽体離脱? 瑠月さんに私、取りついたの?」

部員たちが笑う。「今の、そんな恐い話やったか?」あかねが笑う。瑠月さんは「それでもいいけどね」とあらためておどけた。

気がつくと、その笑顔の中で一人、さくらさんだけがやはり緊張を隠し切れないようで笑顔が固い。無理もない、もしこの予選を突破すれば、次は彼女が的前に立つ番なのだから。

それを目標にみんながんばってきた。

そのさくらさんへの思いが、十一中に辿り着かせてくれたんだ。

それからしばらく、みんなで速報を確かめながら話した。時間が進むにつれて、後続校の数字が一つずつ増えていった。十一中以上の学校も増えている。

それまで明るかった花音部長たちの顔が、少しずつ競技者の顔へ戻っていく。

あかねのスマートフォンが震えた。画面には、光田高校が控えとして指定された場所に残っている、まゆからのメッセージが表示されていた。

『競射以上が決定しました。競射に控えたいと思います。そろそろ戻ってきてください』

花音部長が読み終えると、短くうなずいた。

「よし、戻ろう」

理子さんたちも、すぐに表情を引き締めた。さっきまで笑って抱き合っていたのが嘘のように。

「また、あとで。考えたら、まだ何も終わってないからな」

花音部長が言った。

「結果は、まゆと一緒に知りたい」

三年生を始め栞代たち全員が、強く頷いた。

選手たちは指定控場所へ戻っていく。白い道着の背中が、ロビーの向こうへ一人ずつ消えていった。喜びの余韻はまだ胸の中に残っている。だが、これからもっと大きな緊張が、すぐ後ろから追いついてきていた。

十一中。

その数字が十分なのかどうかは、まだ誰にも分からなかった。


紬が立順表にマークを入れて、掲げた。

その瞬間、あかねにまゆから連絡が入った。

「当落線上に残ることが決まりました。競射の準備をして下さい」

画面をみんなに見せる。ひとつほっとした歓声が上がった。

一応残ったというのに、花音部長は一切喜ばずにむしろ顔を強張らせて戻って行った。

それはそうだな。決勝トーナメントが決まった訳ではない。少なくともそのチャンスは残っただけだ。そして、競射になったら更なる緊張を強いられるんだ。

「大丈夫だ。きっと大丈夫」

冴子さんが自分に言い聞かすように呟いた。

「競射になったら、何本ぐらい的中が必要ですか?」

「これも確実に言えることは何もない。枠と同数の高校の数に大きく左右されるし。けど、おそらく二本は最低。三本で可能性高くなる、という感じかな。ここの一本の差がまた果てしなく大きい」

栞代は勝負の厳しさを改めて感じた。このうえ、さらに緊張感を強いられるのか。

皮算用を始めた。瑠月さんが決める。いや、瑠月さんも今までも相当ハードな状況をクリアしてきている。精神力は持つか。大丈夫だ、大丈夫。花音さんはどうか。理子さんは? 夏美さんは? 海さんは? 考えても、まるでまとまらない。


栞代たちは会場に戻る。最後尾で、試合の進行を見守った。

射場では、三十五番と三十六番の行射が続いていた。

弦音が響く。

的中表示が一つ増えるたび、紬の鉛筆が動いた。

紬の膝には、立順表を写した紙がある。学校名の横に的中数を書き込み、その数字を丸で囲んだり、短い線を引いたりしていた。スマートフォンの公式速報と、目の前の表示板を交互に見ながら、ひとつずつ確かめている。

栞代には、その線が何を意味しているのか分からなかった。

競射が決定したということは、十一中の学校が増えるたび、戦う相手が増えるのか。

十中以下が増えれば、光田の決勝トーナメントが近くなることは分かる。それくらいは分かる。けれど、あと、何中の学校が、いくつ出れば決まるのか。頭の中で数字を並べようとするが、緊張が続き疲れた頭では、すぐに崩れてしまう。


「紬」

栞代はたまらず声をかけた。

「見通しは?」

紬は表示板を見たまま答えた。

「それは、わたしの、課題では、ありません」

「いや、そりゃそうだろうけどさ」

つぐみが身を乗り出しても、紬は返事をしなかった。

三十五番と三十六番の結果が出る。

紬の鉛筆が動いた。一度、紙の上を戻り、数字を指先で追う。

どんどん、胸だけが速くなる。みんなが精一杯の思いでここに来ている。誰もがいろんなことを抱えている。うちだけじゃない。失敗を、外れを願うことはしたくない。みんな力を発揮してほしい。と、同時に、やはり他校の的中音を聞くと、複雑な気持ちになる。

紬の息が聞こえてくる気がした。もう今さら一つ一つ考えるのも疲れてしまった。紬に注目することにしよう。栞代は、矢の行方一つ一つを確認し、その都度、紬を見た。

三十七番、三十八番の二校が射場へ入る。

弦音。

的中。

弦音。

外れ。

また弦音。

観覧席のあちこちから、息を呑む気配が伝わってくる。光田だけではない。通過線上にいる学校は、どこも同じように数字を追っているのだろう。沙月さんと小声で話している冴子さんを見る。力強く頷いてくれた。

三十七番の結果が出た。

紬の鉛筆が止まった。

沙月さんが身体を寄せ、紬の紙をのぞき込む。冴子さんも反対側から数字を確認した。

二人の顔つきがはっきりと変わっている。

「何? どうなったん?」

あかねが聞いた。

沙月さんは「まだだよ」と小さく答えた。

冴子さんも紙の上を、最初から数え直している。

三十八番の結果が加わった。

紬は紙の端を左手で押さえた。背筋がさっきよりも伸びている。鉛筆を握る指が、力が入って白くなっているのが分かった。

栞代の喉が鳴った。

「あと何組がどうなったらどうなるん?」

つぐみの声が震えた。

紬はゆっくりとつぐみの方に、人差し指を立てた。

あと一校か?一校がどうなったら、どうなるんだ?

杏子はただ、ずっと射場を見ている。両手を膝の上で組み、指をきつく絡ませていた。あかねはスマートフォンを握ったまま、何度も画面を点けている。

三十九番と四十番の二校が射場へ入った。

最初の一射が放たれる。

栞代は的を見ていたはずなのに、中ったのか外れたのか、もうよく分からなかった。

ただ、弦音だけが胸の内側に響いた。

三十九番の行射が終わる。

表示が確定する。

紬は動かない。

沙月さんが息を吐いた。

冴子さんが、また紙を見た。

まだなんだ。

四十番の最後の矢が放たれた。

弦音のあと、的前から白い旗が上がった。

やがて、すべての表示が並んだ。

紬の鉛筆が一本の数字の横に印を付けた。

それから、紙の上を最初からたどっていく。

一つ。

二つ。

静かに、ただ指先だけが、印をひとつずつ拾っていく。

指先が震えている。

沙月さんと冴子さんも、別々に数えていた。

栞代は息をすることも忘れて、三人の顔を代わる代わる見つめた。

紬の指が止まった。

紙から顔を上げる。

栞代を見た。

交互につぐみを、杏子を、あかねを見た。

冴子さんと、沙月さんと目を合わせた瞬間。

紬は無言のまま、小さくこくりと頷いた。

そして。

みんなの視線を確認して。

今度は、はっきりと大きく頷いた。

その瞬間、あかねの手の中でスマートフォンが震えた。

「あっ――」

あかねが画面を開く。そこには、まゆからの短い言葉があった。

『突破ですっ』

一瞬、誰も声を出せなかった。

文字の意味が、身体まで届くのに時間がかかった。

「……トーナメント?」

杏子が言った。

「そうだ」

冴子さんの声がかすれていた。

「競射なしで通過だ」

次の瞬間、つぐみが栞代の手を握った。

杏子の手がそこへ重なり、あかねが被さる。沙月さんと冴子さんもしっかりと握手している。栞代は手を伸ばし、紬を引き寄せた。

声を出してはいけない。

まだ射場では、次の学校が競技を続けている。

騒いではいけない。分かっているのに、胸の中から何かが込み上げてきた。

「やった……」

誰かが、息だけで言った。

「やった」

栞代も声に出さず、返事をした。視界がにじんだ。

自分たちは弓を引いた訳ではない。応援し続けただけだ。

あかねが涙を拭いながら立ち上がった。

「外、出よ。ここでは無理や」

栞代たちは、できるだけ静かに観覧席を離れた。

もう一度共用ロビーまで来ると、もう誰も我慢できなかった。

「やった!」

あかねが小さく声を出し、ハイタッチを繰り返した。

冴子さんを中心に、もう一度みんなが抱き合う。つぐみは泣きながら笑い、杏子は何度も「よかった」と繰り返した。沙月さんは冴子さんの肩を叩きながら、自分も顔をくしゃくしゃにしている。

紬がまた、輪の少し外にいる。杏子が腕を取り、引き寄せた。

「紬、分かってて隠してたなっ」栞代が嬉しそうに問い詰めた。

「確定するまでは、何も分りません」

「でも、ほんとは分かってたんやろ。途中経過教えんかいっ。まったく紬はしょーがないな。でも、そこが紬のいいとこやな」

紬はしばらく黙ってから、栞代の肩に額をつけた。

「そ、それは、わたしの、課題では、ありません……」語尾が消えかかっていた。

その小さな声を聞いた途端、栞代の涙がまたあふれた。


数分後ロビーの向こうから花音部長が現れた。後に、理子さん、夏美さん、海さんが続いている。

「花音部長!」

杏子が飛びついた。

二人は勢いのまま抱き合った。杏子の顔が花音部長の肩に埋まり、花音部長の手がその背中を何度も優しく、愛おしそうに叩く。

「杏子、ありがとう」

「花音部長、おめでとうございますっ」

「杏子、ありがとう」

「花音部長、おめでとうございますっ」

泣き笑いのような顔で、どこか微妙に噛み合わないやりとりが何度も何度も繰り返されていた。

理子さんが、夏美さんが、海さんが、冴子さんと、沙月さん、そしてつぐみと、それぞれ抱き合っていた。冴子さん……。

ぐちゃぐちゃになり、誰が誰を抱きしめているのか分からなくなった。

みんなと少し遅れて、瑠月さんが、まゆの車椅子を押してやってきた。まゆの横にはさくらさんもいた。まゆの目は真っ赤だったが、涙は流れていない。

まゆの膝の上には、数字と印でいっぱいになった立順表が載っていた。

「まゆ!」あかねが呼んだ。

みんなが振り返る。

まゆは一呼吸置いて囁いた。

「明日は決勝トーナメントです」

花音部長が、まゆの前に膝をついた。

「ありがとう」

その一言で、もともと赤かったまゆの目から再び涙がこぼれた。

理子さんが横から抱きつき、あかねも腕を伸ばす。瑠月さんが車椅子の後ろから身を乗り出し、栞代たちも一斉に近づいた。

また、誰が誰を抱いているのか分からなくなった。

ただ、みんながそこにいた。

射った者も、射たなかった者も。

数字を追った者も、祈ることしかできなかった者も。

だが、一人も欠けずに、光田高校の十一本を抱き締めていた。


喜びを分かち合ったあと、光田高校弓道部は、観覧席で最後まで試合を見た。この大会の雰囲気をきっちりと体験しよう、という拓哉コーチの指示によるものだった。

特に、一本差だった十中の高校による、決勝トーナメントをかけた競射は、改めて弓道という競技の厳しさを目の当たりにすることになった。一本、一瞬で勝負は決してしまう。どれほどの時間をかけて練習し、どれほどの情熱を注いでも、それを表現するのはほんの一瞬なのだ。

栞代はバスケットボールのことを思い出していた。もちろん、勝負を決めるのは、その一瞬一瞬の積み重ねだ。だが、試合中の失敗を取り戻そうとして頑張る、ということもできる。しかし弓道は……。



宿舎へ戻ってからも、光田高校は予選突破という目標を達成したことから、どこか緩んだ空気をまとっていた。


同じ宿舎の鳳城高校は安定の予選一位通過。それでも喜びで浮かれることもなく、粛々と翌日の準備を進めている。そしてもう一校、同宿の鳴弦館高校からは、打倒鳳城への剥き出しの闘志が伝わってきた。

光田高校は宿舎のミーティングルームへ集まっていた。

「二十七位でも、通過は通過やからな!」

「三十二校に入ったんや。胸張ってええやろ!」

つぐみとあかねが声を弾ませ、杏子も何度もうなずいている。

テーブルが、こつんと鳴った。

拓哉コーチが指の関節で天板を叩いていた。

部員たちは口を閉じて、コーチに注目する。

「まず、予選突破おめでとう」

拓哉コーチは部員たちを見回した。

「目標を決めて、そこに向かって積み重ねて、実際に達成した。そのことは簡単なことじゃない。そのことを見せてくれた。むしろ礼を言いたい。ありがとう」

一拍置いて、コーチは続けた。

「その手伝いができたことを誇りに思う」

コーチの目尻が下がった。

「素晴らしいコーチだっただろ?」

と、やはりコーチもご機嫌なのか、珍しい軽口に、笑いが起きた。

「目標を達成した者が、最初にすることは何だと思う?」

拓哉コーチの声のトーンが戻った。

「まずちゃんと喜ぶこと。自分らが積み重ねてきたものを、自分らで認める。まず、それをせなあかんな」

コーチはぐるりと部員を見渡した。

「で、それはもう十分にやったな。一緒に喜べる仲間がいることの素晴らしさも分かっただろう。しかし、次だ。いつまでも喜んでるだけでは、そこでストップしてしまう。それはあまりに勿体ない。次にすることは、達成した目標を過去形にすることだ」

コーチは、テーブルに置かれた予選結果を指で叩いた。


光田高校の予選最終順位は、二十七位だった。

決勝トーナメント進出校の一覧に光田高校の名前が載っている。一回戦の相手は、予選6位、全国でも名の通った名門校、陽炎館高校だ。


「今の君たちはもう、『予選突破を目指すチーム』じゃない。見事に予選を突破して、全国のトップを決める、決勝トーナメントを戦う三十二校の一つだ」

部屋の空気が変わりつつあった。

「次の目標が必要だ。三年生で一緒に決勝の舞台に立ちたいというその目標は、明日、間違いなく叶う」

拓哉コーチは、さくらさんを見た。

「決勝の舞台に立って、どうするんだ? 立つだけか? 部内の選考試合に負けてから、短い時間とはいえ、さらに懸命に努力を重ねたさくらさんを、ただ立たせるだけか?」 

コーチはもう一度花音部長たち四人に視線を移す。

「花音部長、次の目標を聞かせて欲しい。時間が必要だろう。少し話し合ってみても構わない」

花音部長は、側にいた三年生、理子さん、海さん、夏美さん、そしてさくらさんと視線を交わし、全員で頷いた。

「いえ、コーチ。その必要はありません。実は、もうずっと話し合ってきました」

拓哉コーチは静かに頷いた。

「深澤メンタルコーチに教えてもらいました。最後に辿りつくべき大きな目標を決め、そこに至るまでに必要な目標を分割して、まず目の前のひとつを目指すと」

「ああ。その通りだな。それでは、その大きな目標から聞かせて貰えるか」

花音部長は、杏子にちらと視線を送り、深呼吸し、ゆっくりと、そして力強く、はっきりと口にした。

「団体戦での全国制覇です」

おおおっ。下級生たちからどよめきが起こる。あかねが目を丸くし、つぐみが「言った」と呟く。冴子さんと沙月さんが本当に驚いた顔をしていた。杏子が、花音部長を見つめていた。

理子さんが花音部長の隣で笑った。

「優勝しなけりゃ、金メダルはもらえないからな」

理子さんの目も、まっすぐに杏子を見つめていた

「杏子」

花音部長が言った。

「今から、私たちにもこの目標を背負わせて」

杏子は何度か瞬きをした。

やがて、ぎこちなく、それでも何度も強くうなずいた。

もう、部屋にいた誰も、笑うことはなかった。

コーチは当然のことを聞いたとばかりに、表情を変えずに言った。

「大きな目標を決めたら、次は明日やることまで小さくしよう」

拓哉コーチが続ける。

「初戦に勝つ。そのために、最初の一本を丁寧に引く。目標は、夢物語じゃない。今やることを決めるためにある。まず一つ。確実に進んでいこう。その目標への思いを、明日は表現して見せてほしい」

そう言ってコーチは、急に表情を柔らかくし、トーナメント表を指でなぞった。

「それにしても、光田の予選二十七位は、最高の下克上順位だな」

栞代たちも目を落とした。

「初戦は予選六位の陽炎館。勝てば十一位と二十二位の勝者。その先まで進めば、予選三位、二位、一位の山が待ってる」

コーチが笑顔を見せた。

「心配ない。一回戦は魔物が住んでる。強豪だが何が起こるか分からない。勝ったら次は十一位と二十二位の勝者。二回戦には、子鬼が居て、油断した選手の袴を引っ張る悪戯をする。準々決勝には泥棒が住んでて、的中を盗む。準決勝には目に見えない床の穴があり、そこに足をとられると、的中できない。決勝は、えーと、決勝は……残念ながら、完全実力の勝負だ」

「コーチ、今、それ単に思いつかなかっただけでしょ?」

あかねが混ぜ返す。コーチは「ま、とにかく、全部全部経験するように。以上はやく寝て明日に備えよう」

そう言って拓哉コーチは、先に部屋を出ていった。


栞代は表の線を目でたどった。確かに予選順位通りなら、準々決勝からは、三位、二位、一位と対戦だ。

優勝するためには、全国の上位校を次々に倒さなければならない。

「日本一になるなら、必ず強いところを倒すしかない。二十七位から予選トップスリーを順番に倒して優勝したら、誰にも文句は言われへん。これ以上、分かりやすい道はないな。最高の予選結果やったんやなあ」

つぐみが堂々と口にした。

「いけるか、つぐみ?」

あかねが恐る恐る指摘した。

「いけるいける。楽勝や。全部倒したらええだけやん」

「無茶苦茶や……そもそも、あんた試合する訳やないしな」

あかねの呟きに笑いが起こった。


そのとき、理子さんが、輪の外側にいたまゆを見た。

「まゆも、今日はありがとう」

「え?」

急に名前を呼ばれ、まゆが目を丸くした。

「水分も、時間も、速報も、全部見てくれてたやろ。あの一本も、戻ってから言われるまで私何も分かってなかったし」

「理子の『?』が丸になったの、まゆ泣きながら報告してくれたもんな」

夏美さんが言う。

「ちょっとだけです」

「いや、きっとちょっとではなかったやろなあ。目に浮かぶわ」

笑い声の中で、あかねが手を挙げた。

「そういえば、介添えの登録をした六月ごろ、私、まゆに聞いたんですよ」

あかねが楽しそうに当時の話をし始めた。

「『団体はほとんど三年生やろ。まゆ、ほんまに大丈夫なん』って。瑠月さんも居るから、大丈夫やとは思ったんですけど、一応。あの頃、まゆは三年生とまったく話したこともなかったし。ちょっと不安で」

三年生も楽しそうに聞いていた。

「あんたは誰でもすぐに話しかけられるけどな」

つぐみがそう呟いた。

「そしたら、まゆがなんて答えたと思います?」

あかねは胸を張った。

「『大丈夫。わたし、マネージャーだもん。誰が選手でも、支えるのが仕事だから』って」

三年生たちが黙った。

「ほら、あの当時はまだギスギスでしたやん。合宿でようやく雪解けやったけど、あの当時は先も見えなかったし」

花音部長が、まゆの前へ進んだ。

「まゆ」

「はい」

「明日も、よろしくお願い」

深く頭を下げた。

理子さんも、海さんも、夏美さんも、さくらさんも続く。

まゆは慌てて両手を振った。

「やめてください。そんなの、当たり前です」

「その当たり前が、ありがたいんよ」

花音部長に言われ、まゆはしばらく唇を結んでいた。

「なにかできることがあったら、遠慮なく言ってな」

花音部長がそう言うと、まゆは、小さくうなずいた。

「はい。それなら、一つ、ご褒美お願いしてもいいですか?」

「え、なんだい?」

「今日の的中数を越えたところ、見せてください」

えっ?

栞代には、とんでもなく無茶なお願いに聞こえた。

県大会個人チャンピオン、そして、インターハイ個人戦6位の瑠月さんが、明日は抜ける。普通は考えられない配置だが、それが最初からの約束だ。まあ、そもそも考えられないことばかり起こるのがうちの弓道部か。

理子さんが、まゆに声をかける。

「分かった。必ず見せるよ」そう言って、さくらさんの肩を叩いた。

「そんな顔するなって。だれもさくら一人に瑠月さんをカバーしろなんて言わないって。なんといっても、全国6位だぞ。さくら一人には背負わさないさ。みんなでカバーする。なあ、夏美、海」

「ああ、そうだよ、さくら」二人は声を揃えた。

夏美さんに至っては「そのために、実は今日はちょっと遠慮してん」とまで言った。その瞬間、理子さんが、夏美さんの頭をはたいていた。

「いてー。こういう時は軽く突っ込むもんやで」



ミーティングが終わり、三年生が部屋へ戻った。手伝おうとする冴子さんを制止し、「これぐらいはオレたちでやりますよ。休んで下さい」と栞代が言って、一年生が部屋の後片付けをした。

まゆは明日も仕事があるから、まゆも先に部屋に戻るように促した。渋るまゆをあかねに連れ帰ってもらった。

「あかね、帰って来なくていいぞ。まゆを見張っててくれよ」

「おーけー」

あかねがそう言って、まゆを連れて行った。

杏子とつぐみ、そして紬と話ながら片づけていた。

すると、さくらさんが戻ってきた。

「杏子。ごめん、最後にちょっと確認してもらってもいい?」

「はい」

二人はミーティングルームの隅へ移動した。

察した栞代は、さくらさんに聞いた。

「オレたち、出ましょうか?」

「いや、大丈夫」

さくらさんが杏子にチェックしてもらうのは、これが初めてではなかった。合宿から帰った日も、助言を求める姿を見ていた。

さくらさんは徒手で構え、ゆっくりと打起こす。杏子は何も言わず、正面から見たあと、右側へ回り、今度は後ろから見た。

もう一度。

さらにもう一度。

「どう?」

「三回目、会に入る少し前に、左の肩がほんの少し上がります」

「え?」

「あと、足踏みしたとき、右のつま先が最初より少しだけ外へ向いています」

「杏子に見てもらうと、ピクセル単位で追い詰めてくるからな」

いつの間にか後ろに立っていたつぐみが言った。

「ずれてる場所だけピクセル単位で言ってくるだけだから、余計に怖い」

杏子が頬を膨らませる。つぐみはそんな杏子のことはまるで無視した。

「でも、こいつの言うことは、正しいですよ、さくらさん」

さくらさんは頷いた。

「杏子、でももう明日だ。なにかアドバイスないか?」

つぐみがそう言うと、杏子はしばらく考え込んで、顔を上げた。

「足だけ、いつもと同じところに置けているか意識して、肩は上げないようにするんじゃなくて、息を吐いてください」

「息を吐く」

「はい。このタイミングで。それだけでいいと思います」

杏子が実際に自ら示してみた。

「お、めずらし」つぐみが呟く。

さくらさんは何度か足を置き直し、息を吐きながら徒手を繰り返した。

杏子はそのたびに、

「大丈夫です」

「さっきより少しだけ前です」

「今ので大丈夫です」

と、短く答えていた。

さくらさんの顔から、少しずつ迷いが消えていった。

「ありがとう、杏子」

「いえ、そんな。何もしてないです」

「それを何もしてないって言うんか」

つぐみが呆れる。

さくらさんは笑ってた。



翌日。

光田高校の五人が、一回戦に挑んだ。

大前、さくらさん。

二的、海さん。

中、夏美さん。

落前、理子さん。

落、花音部長。


「さくらさん、足ですよっ」

杏子が小さく呟いた。

射場のさくらさんが足踏みをする。

杏子はじっと見つめたあと、わずかにうなずいた。

「ほんまにピクセル単位やな」

つぐみが囁いた。

その言葉通り、さくらさんがいきなり的中を出す。

海さんが続くも、夏美さんが外す。理子さんも惜しい。そして花音部長が落ち着かせるように的中。さくらさんもさらに続く。

その後、海さんも、夏美さんも、理子さんも、見事な姿を見せた。さくらさんは最高の出だしだったが、悪癖がやはり出てしまう。

三射目。会へ入る直前、さくらさんの左肩がわずかに浮いた。

「あっ」

杏子の顔が曇った。

「二つ言ったの、良くなかったな」


結局、さくらさんは最初の二本。

海さんが二本。

夏美さんも二本。

理子さんも二本。

そして花音部長が三本。もうそこに本番に弱い姿は無かった。

派手さは無かったが、海さんと、夏美さんは昨日の成績を超えた。

外した者を次の者が支え、中てた一本を、さらに次の一本へつないでいく。

昨日は瑠月さんの四本が、光田を十一中まで引き上げた。

今日は違う。

五人が協力して、足りないところを埋め合っていた。そして昨日の的中数に並んだ。

相手の的中表示には、光田よりも早く丸が並んでいた。

相手校の十三中が確定した。

光田高校の敗戦も決まった。

二本差。

昨日は瑠月さんが大きく支えた。でも、三年生五人が少しずつ補い合い、同じ十一中へたどり着いた。

一人で背負わなくてもいい。

五人が互いを支えれば、同じ場所までたどり着けるんだ。

光田高校は一回戦で敗れた。

それでも、退場していく背中は、昨日よりも大きく見えた。

栞代たちは、共用ロビーで、三年生たちを待った。

先に出てきた瑠月さんが、杏子の肩を抱いた。

「みんな、すごかったね」

「はい」

杏子はかすれた声で応えた。

「さくらさんも、素晴らしかったです」

「ピクセル単位で追い詰めた甲斐があったな」

つぐみが横から口を挟んだ。

やがて、三年生たちが一般側のロビーへ出てきた。

まゆの車椅子は、さくらさんが押している。

最初に頭を下げたのは花音部長だった。

「ごめん。負けた」

「そこで謝るん、かっこ悪いですよ、部長」

あかねが応えた。

「でも――」

「十一中ですよ。昨日と同じですよ。ちょっと感動しました」

花音部長が顔を上げる。

「ちゃんとかっこいいところ、見せてもらいましたから」

さくらさんが、杏子の前へ来た。

「杏子ごめん、最後、癖でたの分かってたけど、修正が効かなかった。ごめん。教えてもらったのに」

「いいえ。素敵でした。二本も的中したんですから。ちゃんと、さくらさんの射でした」

杏子を抱き締める。

「ありがとう」

「私、何もしてません」

「またそれ言ってる」

つぐみが笑った。

「まゆ、ご褒美もらい損ねたな」

まゆは少し考えてから、首を横に振った。

「いえ、十分です」

まゆは、満面の笑みを浮かべていた。

「次があります。目標は続きますから。あかねに叶えてもらいます」

「え?」

あかねが驚いて声を出し、笑いに包まれた。


二本差の敗戦。

全国制覇には、はるかに届かなかった。


結局、今年も鳳城高校の王座は揺るがなかった。鳳城高校は団体・個人戦の両方で連覇を守った。個人戦は雲類鷲麗霞が制し、史上初の一年生女王となった。しかも、予選から決勝まで一射も外さない全射皆中だった。


帰りのバスが高速道路へ入ると、車内は次第に静かになった。

窓の外を流れる景色を眺める者。眠ってしまった者。スマートフォンで大会結果を何度も見返している者。

栞代がゆっくりと目を閉じていると、通路を挟んだ向こうで、花音部長が冴子さんを呼んでいるのが聞こえた。

「冴子。ちょっといい?」

「はい」

冴子さんが席を立ち、花音部長の隣へ移った。

はっきりとは聞こえないやりとりのあと、冴子さんの声が少し大きくなった。

「私、ですか?」

声は抑えていたが、花音部長の声も聞こえてくる。いいのか? と悩んだが、動くのも不自然だ。

「でも、私でいいんですか」

「冴子がいい」

花音部長は、迷わず答えた。

「瑠月さんのことを考えているんだろうけど、実は瑠月さんにはもう了承を取ってある。それに、瑠月さんは、引っ張るより、後から支えるタイプだから、冴子をしっかりと支えていってくれると思う。私を支えてくれたように」

「そ、そう、ですね」

「冴子は、言いにくいことでも、相手のためなら言える。だけど、突き放すんじゃなくて、最後まで一緒にいてくれる。私たちにもそうだった。冴子なら、誰か一人を置いていくような部にはしない」

しばらくの沈黙があった。

「花音部長……。私に、できるでしょうか。やはり瑠月さんの方が」

「一人でやるんじゃないよ。沙月がいる。瑠月さんも絶対に支えてくれる。まゆのマネージャーの能力は随分と助かると思う」

一人でやるんじゃない……。そうか。花音部長は大変だっただろうな。瑠月さんの存在はきっと大きかっただろう。

「来年は、今までとはまるで違うステージにクラブは行くと思う。杏子、つぐみは既に全国レベルだし。そして栞代、紬、あかね。絶対にいいチームになる。本気で全国を狙える」

栞代は嬉しくて思わず口角がわずかに動いてしまった。

しばらく時間を置いて、落ち着いた声が届いた。

「分かりました。私に、やらせてください」

「頼んだよ、冴子部長」

「はい」

「花音部長たちが残してくれたもの、絶対に繫いでいきます」

「冴子たちの部にしてくれたらいいからね」

「はい」

そうか。冴子さんが次の部長か。うん。冴子さんしかいないな。ちょっと厳しくなりそうだけど。

「栞代」

うっ。冴子さんの声だ。

「お前、聞こえてただろ」

えっと。どうしよう。どうしよう。

栞代は、困ったあげく、目を閉じたまま、微かに頷いた。

しばらくすると、頭をくしゃっとされた。冴子さんの手だったのか、花音さんだったのか。

目を開けて確かめる勇気はなかった。



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