第1話 約束の言葉、始まりの二人
「金メダルを取って、おばあちゃんにプレゼントしたいです」
杏子は、新入部員の自己紹介が始まってから、ずっと落ち着かない様子で周りを見渡していた。指折り自分の順番を数えるたび、顔が熱くなる。早鐘のように打つ鼓動を抑え込もうと、胸の前で作った拳はじわりと汗ばんでいた。
自分の順番がまわってきたとき、最初に名前を言うことも忘れ、胸の奥で育て続けていた目標だけを口にした。
他の新入部員たちが「礼儀作法を身につけたい」「集中力を付けたい」と、どこか無難な目標を掲げる中、杏子の言葉は明確な結果を求めていた。身体の震えとは裏腹に、放たれた言葉は真っ直ぐに的を射抜いた。その瞬間、部室のざわめきが、ぴたりと静寂へと変わった。
その静寂を最初に破ったのは、冷ややかな嘲笑だった。
部室の隅で、スマートフォンから顔も上げずに、数人の三年生が鼻で笑う。
「はいはい、ご苦労さん」
一人が、面倒くさそうに吐き捨てた。
「毎年いるよな、こういう夢見る夢子ちゃん。どうせ、続かねーけど」
スマホから目を上げようともしない。
杏子の肩が、びくりと揺れる。言葉のナイフを突きつけられたように、胸の前で握りしめていた手の震えが止まった。
嘲罵の礫が飛んでくる中、杏子は額に汗を浮かべながら瞳を泳がせていた。動揺は隠しようも無かった。
喉がひりつき、背中にもじわりと冷たい汗が伝う。膝の震えも止まらない。しかし視線を落とすことはなかった。
歪んだ口元で笑う三年生たちを、近くにいた二年生の先輩が、何も言えずに顔を見合わせながら見ていた。
呼吸さえままならない圧迫感の中で、杏子は必死に耐えていた。
――その時。
視線の端で、一人の少女が、弾かれたように椅子を蹴って立ち上がった。
鋭い声が空気を引き裂いた。
「自分が結果出せねえからって、他人の目標にぐちぐちケチつけてんじゃねえよ!」
声の主は、杏子と同じ新入部員だった。瞬時に立ち上がった彼女は、三年生たちを真っ直ぐに睨みつけている。
「なんだと、てめえ……!」
三年生の一人が詰め寄ろうとするが、彼女の射抜くような視線に、足が止まる。
この緊張に割って入ったのに、入り口に立っていたコーチの落ち着いた声だった。
「目標は、大きければ大きいほどいいんだ」
その一言で、空気がわずかに緩んだ。
彼女は胸を張り、鋭い視線を三年生たちとぶつけたまま動かない。
杏子は、強張っていた肩から、ふわりと力が抜けるのを感じた。
――「今日はここまでにしよう」
コーチの声だった。
帰り道。夕日が、校舎を茜色に染めていた。
「杏子、だっけ? オレ、栞代ってんだ」
後ろから、声がした。振り向くとさきほどの彼女――栞代が立っていた。
「たいしたもんだよ。あいつらの前で、堂々と言い切るなんて。めっちゃ、かっこよかったわ」
とても優しい声だった。
杏子は紅潮しながらも、真っ直ぐに見つめ返した。
「あのね、おばあちゃんが準優勝だったんだ。だから、その夢の続きをわたしが叶えてあげたくて。喜んで欲しくて」
その瞳は、茜色の夕日を透かして、まるで内側から発光しているようだった。
「……実はさ」
栞代はふと視線を逸らした。
「オレさ、ほんとはあいつらと大差ないんだ。弓道は個人競技だから、ちょっとくらいサボっても、誰にも迷惑はかからないなって。そう思ってたんだ」
自嘲を纏った声は低く、迷子のように彷徨っている。栞代はわずかに眉をひそめ、痒いところを掻きむしるように自分の項を乱暴にさすると、夕闇の向こうへ声を放り出した
「中学の時さ、ちょっと頑張りすぎてさ。もう、ああいうのはいいかなって思って。高校では、気楽にやろうって」
自嘲を含んだ言葉が途切れ、周囲に再び静寂が訪れる。杏子の瞳に射抜かれたまま立ち尽くしていた栞代は、顔をもたげ、フッと小さく息を漏らす。
杏子は、栞代の瞳の奥に、小さな火花が爆ぜるのが見えた。その視線の先には、自分が見ているものと同じものが確かに写っていた。
「だが、杏子。気に入ったぜ。その目標、オレにできることなら、なんでもするよ。全力でサポートさせてくれ」
栞代はそう言って、笑いながら、頭を掻いた。
杏子は、その言葉に、はにかむように微笑んだ。
「ありがとう。でもね、わたしが欲しいメダルって、団体戦の、なの」
「うん……?」
「だから、サポート、じゃなくて」
――杏子が力強く一歩、踏み込んだ。
「……一緒に、取ろう!」
その言葉に、栞代の呼吸がわずかに乱れるのがわかった。
「え、オ、オレも……? やるの……?」
言葉を失い、戸惑う栞代。一歩踏み出すことを恐れているかのように、立ちすくんだ。
杏子は後ろ手で背伸びをするようにして、もう一度栞代の顔を覗き込んだ。
視線をしっかりと合わせ、小首を傾げ、その両手で、彼女の大きな手をきゅっと包み込んだ。
一瞬も離さなかった。




