025:龍と殴り合った祖父
祖母の時もそうだった。俺が欲しかった言葉をくれた。
だが櫻子の場合は、今まさに悩んでいる件について、直球にして大きく踏み込んだ発言を経て、直接俺を癒そうとしてくれた。
お辛いですね。誰にでも言える言葉だが、櫻子という人龍から発せられた言葉は別格だ。言葉自体に重みがあり、それほどの威厳を持つ者から労われる。荒れていた大海原のような心境が、少しずつ和らいでいく。
「俺は………」
「はい」
「ここにいて、いいんでしょうか?」
「と、いうと?」
あえて尋ねる櫻子。
彼女は多分、渡良瀬家の当主を知っている。義務付けられた戦う宿命を。何人も見てきたからだ。
それでも聞き返すのは、当主候補のひとりではなく、俺自身を見ている証拠だと………感じた。
和らいだ心はいつしか櫻子に信頼を寄せる。それが彼女が培った魅力か。それとも別のなにかか。
どちらでも構わない。櫻子は俺の言葉を聞いてくれる。それも渡良瀬家の関係者ではない第三者として。
「祖母に、ここにいていいと言われました。とても嬉しかった。でも、俺には理由がない。渡良瀬家の義務なんて知らなかった。戦いなんてしたことがない。心構えもないままお勤めに出た時、俺は………多分、状況に流されたんだと思います」
「そうしなければならない。心が判断したのですね」
「でも思考が追いつかなかった。戦う理由もない俺が、中途半端に得た力で戦場に出た。………怖かった。あんな化物、見たことがない。現実じゃないと思った。俺は九九利みたいに昔から鍛えてきたわけじゃない。今日は失敗して、危険に晒して………」
「なるほど。………あなたは、優しい子ですね。自分のことよりも、誰かを心配する。危険に晒したというのは鹿波のことでしょう? ………そういうところは先々代にそっくりです。ああ、あなたの祖父のことですよ。神音の夫です。あの子もまた苦悩していました。渡良瀬家の婿養子になったのですから。部外者でしたし。若い頃はよく泣いていましたねぇ」
「え………」
初めて知る祖父の一面に、顔を上げる。
俺が生まれる前に逝去したという祖父は、写真は残っているが、どのような人物だったのかまでは知らない。
それに優しい子と評価されても、なにがどう優しいのかまではわからない。
「あの子もまた、あなたと同じく悩めるひとりでした。神器を継ぎ、荒ぶる猛者たちと戦う日々に消耗。けれど神音に惚れていましたからね。少しでも内申点を上げようと躍起になっていましたよ。あれは見ていて微笑ましかった」
「は、はぁ」
「あら? ピンと来ませんか。好きな女の子のために頑張る男だったんですよ。大間と神音を巡って殴り合った時は、さすがの私も焦りましたが」
「殴り合い!?」
俺も焦る。ゾッとする。
鹿波曰く「トラックと龍が衝突しても龍が勝つ。これ常識」とのこと。
あの大間という特別な龍と殴り合っただなんて、どれだけ剛毅なひとだったのだろう。無傷で済むはずがない。むしろ命の関わるレベルの怪我をしそう。俺にはできない。
「あの子は泣きながら頑張りました。でも人間。いずれ限界が来る。あの子も私に同じ質問を………あ、いえ。かなり私欲塗れの理由をつけて、泣き言を吐かしたものです。あなたにも、その時と同じ答えをあげましょうね」
龍と殴り合って怪我して限界に来たのではなく、メンタル的な限界が来て泣きついた。………強いのか弱いのか、わからなくなる。
櫻子はそっと俺の頬に手を添えて微笑んだ。
「難しく考える必要はないのです。あなたは少なくとも、誰かに必要とされているからここにいる。戦う理由など、あとから考えればいいのです。そして、どうしても辛いというのなら、神音にそう言ってご覧なさい。あの子も愚かではない。きっと辰くんが、戦わずとも済む道を探してくれるでしょう」
「そう、なんでしょうか」
「そうですよ。私だって今を生きる若芽が、交戦して傷付くのを見るのは辛い。本当なら私が戦えればいいのですけれどもね。これでもお婆ちゃんですから、もう激しい動きはできない。それから、あなたはもっと素直になっていい。そして、いつか理由を得て、力を欲する時が来れば、神器を手にしなさい。本来、あなたの生き方に文句を言える者など、誰もいないのですから」
不思議と櫻子の言葉は、また心に浸透する。
戦わなくていい。そんなことを言われたのは、初めてだ。
俺にはもうどこにも行く場所がない。だからここにいる。それでもいいと、肯定してくれた。
涙が落ちる。泣いていた自覚すらなかった。
「神音はあなたのことが大好きですよ。そして私も。優しい子であるあなたを気に入ってしまいました。あなたはきっと、これから多くの繋がりができるでしょう。まずは身近にある繋がりを大切にすることです」
「………九九利は、俺を認めていません。どう繋がれば」
「あら? ああ、なるほど。あの子も不器用ですからねぇ。言いたいことを素直に言えない代表のような子ですから。心配せずとも、彼女とも繋がりができますよ。なんなら、本人に聞いてみましょうか」
「え?」
「お入りなさい」
入口に目を向ける櫻子につられて視線を移動させる。
木製のドアを軋ませて、なんと鹿波が現れた。聞かれていたかもしれない。すべてを。
なんだかとても恥ずかしくなって、泣き顔を見られたくなくて腕で顔を拭ってしまう。
「立ち聞きしなければならない事情もわかりますけどね。でも、あなたとて望んで不和になりたいわけではないでしょう? お互い悪気はないのですし。………おっと。これ以上のお小言はやめておきましょうね。あなたの気持ちを知らないわけではないので。それを私の口から出してしまうのは、あまりにも忍びない」
「っ………感謝、します」
鹿波は櫻子と目を合わせようとしなかった。
決して毛嫌いをしているわけではない。どちらかといえば祖母同様、信頼している。ただなにか思うことがあるのか、身を捩るなど落ち着かない風体でいる。
「さぁ、今晩はもうお帰りなさい。服も乾きましたし、頃合いでしょう」
櫻子は立ち上がると、捩る鹿波の頭を撫でたあとに俺の服をたたみ始める。布が擦れる音から、信じられない速度で乾燥が完了しているとわかる。
「おや? これはこれは。大間様までいらっしゃるとは。珍しいですわね。神音のお使いですか?」
「ふん。なにを言う。儂の接近に気付かないはずがないだろう。………癪なことに、勝手をやらかす小僧と小娘の尻拭いよ。本当に手を焼かせるガキどもでな」
「あらあら。しかし、それにしては面倒見が良いではありませんか。本当に嫌なら、あなた様は梃子でも動かぬはず」
着替えを風呂敷で包んでくれた櫻子は、ドアから外を見るとニマッと笑う。
鹿波の他にも、外には大間がいた。軽口の応酬を交わすほど、ふたりの仲は親密なのだろう。
ところが俺と鹿波は、約一時間ぶりの再会でも、いつまでも顔を見合わせることができなかった。
すると櫻子が俺たちの手を掴み、大間の前まで移動させると有無を言わさず跨がせた。
「辰くん。なにを成すかもあなたの自由です。でもまた道に迷った時、私に会いに来てもいいのですよ。これでも私、町のみんなの相談を受けるのが趣味なんです。あなたの悩みを、また聞かせてくださいね」
俺たちを乗せた大間は、ゆっくりと上昇する。
翼もエンジンもないのに、軽やかな動作。機械では絶対にできない飛翔だ。
櫻子は来訪を許してくれた。俺は手を振るも、大間の加速によって阻まれた。
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