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012:孫が死ぬぞ

「あんたは………運が良いのか、悪いのか。どっちとも言えないな」


 木造の建設物に入った鹿波は辟易した様子で唸る。少なくとも良い意味ではないようだ。


 照明のない施設は、より冷えていて、空気が停滞し淀んでいる。


 物音ひとつさえしない空間で、俺と鹿波の呼吸音だけがわずかに連鎖した。


「………ここは?」


 石灯篭群の中央にある建造物。碁盤でいえば天元の位置にある。


 広域があり、なんだったら走り回ることもできる。だがこの神職を執り行う場所に合致しているようで、どこか歪な空気はなんだ。壁の代わりに障子張りの戸が左右に。壁があるところは奥の祭事に用いるだろう神棚が飾られているところと、木製の扉がある入口くらいだ。


 天井も高い。屋根が直接見えるくらいだ。


 なぜそれが目視できるのかといえば、雲の隙間から覗く月光と、周囲の石灯篭群の火が光源になっているからだ。火は蝋燭に灯る程度ではあるが、百や二百、あるいはそれ以上も集まれば光源として申し分ない。


「修練所」


「修行でもするのか?」


「そう。私はここで修行した」


「なにを?」


 山伏でもあるまいに、今時修行を口にする少女がいるとは思わなかった。


 真面目な顔をして答える鹿波を笑わなかったのは、彼女の瞳が細められていたからだ。ただ細めるだけでは、いつもの威嚇と変わらないが、空気が違う。真面目になにかを取り組んできた者の目をしていた。


「渡良瀬家は代々、お勤めを義務化されている。その歴史は長く、深い。当主のお婆ちゃんはあの白蛇みたいな龍と契りを交わし、龍使(りゅうし)となった。私が交代するまで老体に鞭打って戦ってきたんだ」


「た、戦う?」


 馬鹿な。と口に出しそうになった。


 祖母は今年で七十二となる。今は杖を突いている。十年前なら杖など必要としなかったが、とてもではないが全力で走れるような体をしていなかったはずだ。


 それが、戦ったと。いったいなにと?


「龍使は日本各地から集まる堕ちた存在と戦い、祓わなければならない」


「堕ち………?」


「正式名所は色々あるけど、今はとにかく堕ちた奴と覚えておけばいい。………さっき、ひとつだけ色の違う灯篭があったでしょ。あれの色が変わることで、なにが堕ちたのか、どこに出現するのかがわかる」


「ちなみに………もしかして、出現するのって、ここだったりするのか?」


「だから運が良いのか悪いのかって呆れてたんだよ。いつも確認する場所で現れるなんてさ。移動する手間が省けたのは良かったけど、来るのはあまり良くないかもね」


 移動に時間をかけない部分が運が良くて、遭遇するのが強敵だから運が悪かったと。なるほど。わかりやすい例えだ。笑えてくる。………笑っている場合ではないのだけど。


「この龍ヶ棲町の下には真龍穴がある。龍穴三大スポットって聞いたことがあると思うけど、あれも一応はそうだけど………ここは違う。もっと深く、大きい。だから集まってきてしまう」


「な、なぁ。なんで俺をそんな危険なところに連れて来たんだ?」


「あ? 戦うからだろ」


「………俺が?」


「他に誰かいるか?」


「お前」


「私も戦うけど、今回は最低限だ。あんたの素質を見るためにここにいる。まぁ安心していい。半殺しにされたら止めてやるから」


 鹿波は襟足に手をやると、またどこからともなく釘バットを取り出した。


 赤銅色に染まったバットに、銀色の釘がぶっ刺さった殺傷力全力全開(わがままボディ)のシルエット。昭和のスケバンに似た容姿ではあるが、今日初めて戦う者として最適解の姿であると本能で理解した。


「───来るぞ」


「え、ちょ………」


 ちょっと待て。そう叫ぼうとした刹那。


 右の障子がうっすらと暗くなった。


 かと思えば、ドタドタドタと激しい足音が鳴り、外の影が移動する。上だ。戸を垂直に移動した不可解なそれは、天井に飛び乗ると、音も無く侵食を開始する。


 黒い液体が天井のわずかな隙間から侵入し、ビチャビチャと音を立てて床に衝突して弾け、大きな水たまりを作った。


 やがて水たまりから浮上した堕ちた存在とやらを目視し、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。






「───始まった」


 大間は厳かに告げた。


「神音。今回は人間のようだ」


「その、ようだね………」


 大間に腰かける神音は物静かに首肯し、境内で発生した異様な空気を機敏に読み取っていた。


「人間の負の感情といえば、小癪にも厄介な部分が多い。近代は特にな。狡猾さを増した人間の感情の集合体の暴走は、支流の家の者でも苦戦し、最悪命を奪うとも聞く。………神音や。お前がそれを望むのなら、儂が行ってもいい」


 大間は一度だけ神社の奥の石灯篭群のある方を一瞥し、それから神音に顎を寄せた。


「だから契約を果たせと? 冗談じゃない」


「お前の孫が死ぬぞ」


「………鹿波もおる」


「当主継承者候補として日々奮起していたあの小娘が、ある日を境に他の継承者候補がなんの功績もなく出戻りした。………面白い話ではあるまい。なんらかの不手際があるやもしれんぞ」


「馬鹿を言うな………確かに、そう思われても仕方がない。だけどね。私は鹿波も孫同然に育ててきたつもりだよ。きっと真意を理解する。今でなくとも………きっと、いつの日か」


 神音はしばらく神社の石灯篭群を見つめていたが、やがて上空の月に視線を戻した。


「悠長にしていれば、事態が好転するとでも? フン。そんなものはお前らしくもない。若かりし頃のお前は毅然として立ち向かったではないか。例え年老いたとしてもその気概は色褪せぬ。ゆえに儂はこうしてお前に恋焦がれている」


 大間は神音の顔側面に巨大な頭を擦り付ける。


 珍しく神音は大間の行為を受け入れた。片手で大間の顎を撫でる。その逆鱗に指が触れようと、大間は年老いた老婆の細い指の感触を愛しんでいた。


「私らしくない、か。確かにそうかもしれない。しかしだね、大間。時代が移り変わるように、世代も変わっていくのだよ。私だって、いつまでも………夫と愛し合った渡良瀬を守りたい。永遠と呼べる時のなかに取り残されようと。誰かを守り続けていたいさ」


「なれば」


「なれば、こそだ。それが叶えば、私はもう人間ではなくなるだろう。大間や。人間でなくなった私を、それでもお前は愛し続けると誓えるか?」


「誓うさ。幼児の頃から見守っていたお前を手放すものか」


「光栄だね。しかし、生命という奇妙で歪な生命の輝きだけは失われてはいけない。世の摂理に従うのが生命だ。それは人間も、龍も同じ。堕ちるわけにはいかないのだよ」


「話をすり替えるな」


「バレたか」


 神音はいつまでも大間を撫でる。大間は愛を叶えるため誘惑を囁いたが、これ以上は無駄だと悟り、黙ったまま神音のされるがままとなっていた。


いつも手に取っていただきありがとうございます!


やっと始まる戦闘に、どうかご期待ください!


もう一話………いえ、二話は更新できます。体力は、まだ残っています!

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