第二百九十八話
未だにヒクヒクと痙攣しているダブルわんこを浴槽へと放置して、一足お先に浴室を去る。
以前南大陸でリリウムと遊んでいた時分に購入した、黒のタンクトップとハーフスパッツっぽい短いズボン姿で水跳ね対策はバッチリ! と言いたいところではあるが、まな板の鯉がビクンビクンするもので、流石に多少は濡れてしまっている。
もう時季で言えば春だ、すぐに乾くとは思うけれども。
ただでさえ黒いのでそう心配もしていなかったが、一応透けていないことは鏡で確認している。女日照りの男衆を前にしたところで、いたずらに情欲を煽るということもあるまい。一応カーディガンくらいは羽織っておこう。
これで終わりと水を抜くなんてとんでもないことだ。せっかく沸かしたのだし、年寄り組とアリシアにも使ってもらわねばならない。二名ほどはお酒を優先して宴会場から動かない可能性があるが、あとの二人は入るだろう。
アリシアはボチボチおねむの時間だし、その前にゆっくりと疲れを癒してもらいたい。魔女っ娘も最近はだいぶ飛行が板についてきた。
(うーん……大丈夫だとは……思うんだけどなぁ……)
足を動かし、手をニギニギしながら一人耽る。しっとり柔らかなマイシスター達の感触を思い返しているというわけではなく、私の神力と《浄化》についてだ。
今まで年長組以外へのエステを封じていたのは、あの訳の分からない時間遡行を再び起こすとマズイからという理由に他ならない。
神力がまるで成長していなかった過去の私は神力を《浄化》として扱えず、生の神力をそのまま身体に埋め込み、擦りつけ、叩きつけ、エステや魔石生成といった現象を神力の本質で引き起こしていた。
これまで抱えていた懸念はこれが要因となっている。ソフィアやペトラちゃんが年単位でタイムスリップする羽目になるのではないか、と。
迷宮の死層を抜けた後も、《浄化》ではなく浄化術式を用いて身綺麗にしていたくらいだ。事象が事象だけに、この辺りには特に気を使っていた。
触らぬ神になんとやら。正直現状を維持しておくのが賢いとは思う。分かってはいる。
それでもなお今回エステに踏み切ったのは、頑張ってくれているお礼を物以外でしたかったということに加えて、いくつか確認と検証をしておきたい事柄があったからだ。
名前を失ったあの日から、私は純粋な人間ではなくなっている。
女神様によって生気精魔に加えて神の力の源を扱えるように身体を拡張されたあの日。身体の中を拡げられる感覚は今でも覚えている。
それでも過去、私は確かに人の枠組みに入っていた。この世界特有の力に加えて、神の力を使うことのできる、人間。
当時から寿命はおそらくなく、老化もしないのは当時も今も変わっていないが、あの頃はまだ人間だったのだろう。
なぜならば、私の名もなき女神様がそう言っていたからだ。人の身で行使できる神力には限度がある、と。
あの頃の私に求められていたのは、コップに入った水をこぼさないように持っておくこと。管理することだ。それを使って何かを成すことを求められてはいなかったし、期待されてすらいなかった。好きにやっていればいいと。
気力や魔力のついでに神力を使えて、私の器の広さや格の上がり易さをもってすれば、気魔力だけでもいずれ生物の枠組みの中での頂点争いはできるかもね、と。その程度のふんわりした助言を頂いたのみ。
それが変わったのは、パイトの第二迷宮で死亡してからだ。
感情を込めて心して聞けと、神格を育てろと、あの短時間に口を酸っぱくして何度となく繰り返された。真の技法に至り、永劫を生き抜き、女神様の遺産を見つけ出してみせろと発破をかけさえした。黙っていても……あえて存在を明かす必要はなかったはずなのに、初めてあの人は私に目的を与え、神力の守り人以上の役割を期待した。
評価が変わったのは、私が変わったのは、本当の意味で後継者だと認められたからではないか──と感じている。
あの時まではまだ、言うなれば使徒に近い試用期間のようなものだったのではないだろうか。リリウム同様、また新たに作り直されたことで、私は真に後継者となるに至ったのではないだろうか。根拠がいくつかある。
この星に月に類する衛星は存在しない。なので一月二月という数え方は意思疎通による意訳に過ぎないのだが、過去と違い、今の私にはその月のものが存在していない。
当然コウノトリが運んでくる世界というわけでもない。長命種は間隔が年単位で空いたりと体の作りによって事情は様々だが、人種の女は定期的に、割と頻繁に使い物にならなくなる。
もしかしたら何年か後に唐突にやってくるのかもしれないが、ここ数年は定期的に襲い来るあの憂鬱とは無縁だ。毎日元気に活動できる。
私は元々、根源に持ち得ていた属性は闇と火だった。
魔法術式での区分で言えば、結界は土や水に光、浄化は火や水に光、治癒はほぼ水で光にも──といった属性に由来するものである。
これだけを参考にすれば、私がなぜ選ばれたのかは全く理解ができない。水や光ウーマンを前提にすべきだろう。私は浄化が少しかすっているだけで、どう見ても不適格者だ。
関係しているかは微妙なところだが、あの泉の暗闇を全く気にすることなく沈んで泳いで、女神様が消えた後にまず頭をよぎった懸念が、これからやっていけるんだろうか……などではなく、自宅のガスの元栓閉めてない! だったことは未だに思い出として残っている。
この属性というものは、欲求に影響を及ぼす。
出会った頃のリューンが魔法の解説の際に火玉を例に挙げ、興味がないかを尋ねてきたのも、私が熱い女だったから。
夜間行動ができるようにあれこれ頑張っていたのも、宝箱からメガネが出てきたのも、もしかしたらその辺が関係しているのかもしれない。
だが今は違う。厳密に言えば違う。全裸で断崖絶壁の神域に置き去りにされたあの日から、私には光の属性が追加されている。これは通常、生涯変わることのない本質的なものとされている。
なので、光と闇と火とかいう、わけ分かんない存在になっているわけだ。
属性の友好関係に反属性など、この辺りには色々としきたりがあるのだが、今の私は色んな……本当に色々な意味でおかしなことになっている。
ちなみにリューンは土と闇で、フロンは火と闇、リリウムはかつては火のみだったが、今はそこに闇が追加されている。
ソフィアは風と光、ペトラちゃんは水、ミッター君は色の好みから闇だと思っていたが実は火で、アリシアは風だ。
類友じゃないけれど、リューンと出会ったのも、フロンやリリウムと馬が合ったのも、かつて聖女ちゃんを突き放したのも、騎士学生組がよく喧嘩していたのも……この辺りの影響なのかもしれない。
十手に留まっていたあの温もりが女神様だったことは確定的に明らかで、それについては疑う余地もない。
私は最初の一人ではない。私の前にも召喚は続けられていて、彼らは失敗したのだろう。そして──いざとなったら、あの人はもう一度やり直す心づもりであったのだと思う。
回りくどく長々と話をしていたが、神器のことも神力のことも、あの人は核心についてろくな説明をしてくれなかった。自分で調べろと言われればそれはそうなのだが、試練にしては些か厳しすぎる。
気力は仕込む必要があることも、魔力の行使に術式が必要になることも、知らなければ無いも同然で、私は運が良かったがしばらくは苦労する羽目になった。狼に殺されていたって何らおかしくはなかったわけで、もうちょっと手心を加えて欲しかったと今でも思っている。
生力と精力については独自調査を続けているし、後者は未だに判然としていない。
大事なことをぼかして、煙に巻こうとしていた……そう感じられなくもない。
普通に生きていれば普通に瘴気持ちとも遭遇する。自分が倒した時だけあの金色の光が生まれて、それが我が身に吸われ続ければ、これが何らかの糧であることには馬鹿でも気づく。
それを倒させ、神力を集め、神格を育てさせ、それを使ってもう一度。もっと優れた後継者を呼び出すために、あるいは成り代わるところまで視野に入れていたのかもしれない。
だがそうはならなかった。瘴気持ちと引き離され、迷宮でのお金稼ぎに夢中になり、いつしかそのことはすっかり忘却の彼方。
盛大に神力を漏らし続けたことによって、迷宮最下層のスライムを倒し続けて、カスみたいな、視認できるか怪しいレベルの光を摂取し続けないと、ろくすっぽ神力が成長できない状況に置かれてしまったわけだ。十手の中で歯噛みの一つもしていたかもしれない、顔ないけど。
それだけに留まらず、私は迷宮で、神様由来のフィールドで、早々に死んでしまったわけだ。迷宮はバグる。神力があの場にぶち撒けられたら、どのような惨事を引き起こすことになったか──。
葛藤したのだろう。容易に想像ができる。そして弄していた策の全てを諦めて後を託した。
ついでにリリウムも使徒にしたんだと思う。最後に残った、女神らしい慈悲の心でもって。
(女神様にどんな思惑があったかは今となってはもう知りようがないけれど……まぁ、こういう見方もできるよね)
どんちゃん騒ぎに巻き込まれていたリューンとアリシアにお風呂を勧め、一人でテントに引っ込んで身体を休める。宴会組は案の定酒瓶を離そうとしなかったので放っておいた。
とりあえず、地球人だった頃の私と召喚当時の私、それに全裸で神域に取り残された私とでは、それぞれ根本的に身体の作りが変わっている。
神力を零さずに扱えるようになった。浄化や結界に適した、女神様自身の光の属性を受け継いだ。やたら戦闘勘が冴えているのも、戦闘狂だったあの人の神格を正式に継いだ影響なのだと思う。
今の私は大半を十手に残し、欠片を宿したモドキではなく、真の意味で神格者だ。私の名もなき女神様同様に使徒を作ることもできるはず。
食事も睡眠も必要だし、神様には程遠いのかもしれないが……神様だって食べたり飲んだりするよね。お供え物とか大抵そういう物だし。
誰かに聞ければ手っ取り早いんだけど、そうもいかないのが辛いところだ。
(生の神力を埋め込めるわけでもないし……大丈夫だとは思うんだけど、今のうちに調べておかないといけないもんねぇ)
手元に十手を《引き寄せ》る。女神様の容れ物。私の半身、私だけの半身。
形も色も重さも、性質だって同じものだが、熱だけが抜け落ちてひんやりとしている。
毎日のように磨いていた。一緒にお風呂に入っては必ず洗い、夜は抱きしめて眠っていた。敵対神の呪いのことがなくたって、肌身から離そうとは思わなかっただろう。これだけが希望だった。
今では血振りをくれて、浄化を掛けて、腰のベルトに下げっぱなしだ。最後に洗ったのはいつになるやら……これはもう、女神様ではなくただの神器。人でも神でもなく亡骸、あるいは物だ。なくなっては困るけど、ただちにどうこうなるというわけではない、ただの神秘の一欠片。
(今の私に使徒をどうこうするっていうアレは生えていないわけだけど……ここでそこに至るかもしれないしね)
テント一枚壁数枚を隔てた先、新たに作った道を進んでいけば、そこはもう瘴気持ちとキメラが跋扈する魔のカーリだ。
いっぱい殺せばいっぱい吸える。魔食獣に優るとも劣らない数百万規模の糧によって、女神様の権能の一つである使徒の任命権が生まれるかもしれない。
急にソフィアやペトラちゃんが消えれば神様の都合はお構いなしに、いかなる属性であっても神力によって人は容易く使徒化してしまうことの証左となる。
『死亡』がトリガーとなって勝手に発動することも考えられる。死なずに済むに越したことないのだが、念の為にこの二人は年長組の誰かとセットにしておく必要がある。
だがもし、髪の毛を埋め込んだリューンのナイフや血を用いたアリシアの杖と同様に、私に選択権が生まれるのであれば──。
たった十年でこれだけ縁が増えるのだ。人との関わりを断たない限り、これは今後も際限なく増え続ける。
どこまで関わっていいのか、引くべき一線の位置、選択肢の有無など、こうして手探りで調べるしかない。リューンとフロンまでならまだセーフだが、聖女ちゃんはともかく、ペトラちゃんはいきなり私の使徒になりました! なんて言われても戸惑うだろう。
剣だって、神力以外にもいくつかの要因が絡まねば神器化しない。リューンやフロンだって未だに普通のハイエルフなのだ。正直確認の意味合いが強く、杞憂で済む予感がある。だからこそ着手した。
今ならちょうど、エステの頻度の差や神格の成長の度合いが検証材料となる。今やるか蓋をするかの二択で、検証欲に負けた。
万が一もありうるし、責任を取る覚悟は決めているが、それでも。それでも──だ。
これはもう性分というか、一種の病気だね。




