第二百九十六話
二本の橋の切り出し、運搬、そして設置までを終わらせてヘイムの砦へと戻った時には、六人ほどいた人間は二人と物言わぬ四つの死体になっていた。
何かが詰め込まれていた樽に背を預けて絶え間なく痙攣しながら面白いことになっているリューンと、隣り合って口から霊魂を吐き出して白目を剥いているソフィア。
ミッター君は光迷宮での秘密特訓でタフネスが磨き上げられていたお陰か仰向けに倒れて深呼吸ができているが、ペトラちゃんは涙の跡もそのまま、うつ伏せに倒れてピクリともしない。死屍累々を体現すればこうなる。
リリウムも二本目の途中で魔力が尽きたらしく、戻って早々に酒をかっ食らい始め、一本空けたところで早々に就寝してしまった。
ボチボチ日も落ちる頃合いなので、死体共をひん剥いてベッドに放り込まなければならないのだが、それが億劫に感じる程度には私も疲れている。
きっとこの死体達は夜が更けてもリビングデッドにはならない。ペトラちゃんも朝までぐっすりだろう。フロンはともかく、まだ幼いアリシアに夜更かしをさせるわけにもいかない。
というわけで、私はこのまま一人でテントの見張りに立たなければならないわけだ。
私は未だにこれがジン災であることを、黒幕の存在を疑っている。
全部が全部誰かの計画の内だとまでは考えていないが、その一端に何者かの悪意が関与していないと断言できるほど、この状況は白くもない。
きな臭いのだ。なぜガルデの上層部はあそこまでのんきでいられたのか。西や東の大陸、そしてセント・ルナなんて南海の孤島に救援を求める前に、どうして北大陸の諸国は団結して事にあたっていないのか。迷宮がバグり、現場近くに不死龍なんてイレギュラーが住み着いているのか。
単に平和ボケしているだけ。利益を独占したかった。ただの偶然。そういった要因が積み重なってこの惨状を産んだ──で片付けてしまうと、痛い目を見そうな気配が匂い立っている。
この臭いがとにかく鼻につく。予感というやつだ。私のこれは、結構当たる。
なれば、常日頃から警戒し続けなければならない。今日も、昨日も、そして明日も。この大陸を離れるまでは。
杞憂であればそれでいい。私は死ぬわけにはいかないのだ。分かっていて手を伸ばした、かつてのあの日のように。
だからまぁ、仕方がないのだ。《結界》で常に自身を覆うのも、《探査》をフル活用してオイタを目論もうとしているまだ見ぬ誰それに対して気を張るのも、明かりを灯して書物に目を通すのも、仕事のうち。
新たに仕入れてきたお茶を楽しむのも業務内。この出費も必要経費というやつだ。今日も今日とて私は本を読む。
砦だけあって見回りができる程度には夜も明るいわけで、灯火が一つ増えた程度、何の迷惑になることもないだろう。
とりあえず、大陸北方面産の早摘みの茶葉に、《浄化》は反応しなかった。
冒険者の一日は、聖女ちゃんの治癒魔法から始まる。
疲労、あるいは断裂しかかっている腱や筋繊維を、文字通り超回復させる。聖なるほにゃららの称号が相応しいこの癒し系の手によって、前日死亡していた四人は瞬く間に蘇った。
残念なことに心の傷は癒せないようだが、それはそれだ。今は身体が動けばいい。
「みんなおはよう。今日もいい天気だね」
「おはようございますぅ……」
白々しい笑顔を添えた朝の挨拶から一日が始まる。空や空気の感じからして、しばらく雨は降らないだろう。絶好の石切日和だ。
今日から三日、あるいは五日でいくつかの岩山を整地しなければならない。更地にしなければならない。
「今日からは細かな石材を切り出して川向こうに運ぶだけだから、よろしくね」
「わかりましたぁ……」
きちんと返事は返してくれるが、主にペトラちゃんの元気がない。今日も起きてきたのはミッター君のだいぶ後、ソフィアとそう変わらない時刻になってからだった。
だが古今東西、兵士の仕事は塹壕堀からと相場が決っているのだ。魔物除け──結界石の効果を知っていても、魔力の壁のすぐ向こうにキメラが大挙している中で安らかに眠れるほど、この娘も豪胆ではない。
堀を作る必要があるかどうかは置いておくが、頼り甲斐のある石の壁くらいはないと、きっと最後まで保たない。
なのでまぁ……心苦しくはあるのだが、お姫様扱いはできないわけだ。この場にいる以上、きっちり働いてもらう。
現在ヘイムの砦に集っている兵士以外の人間の数は、おおよそ三百人程度とのことだ。
うちのパーティが八人、不死龍の討伐目当ての冒険者がおおよそ五十。後者は最大でも六人ほどのパーティで、ほとんどは二から四人程度からなる集まり。単独はいないと聞いている。
ギルドのランクは四級以上での足切りがかかっているらしく、個々の戦闘力はともかくとして、おおよそ人格には問題がないとされている、世間ではおおよそ一人前扱いされているパーティの方々だ。
これに加えてガルデの騎士団がおおよそ百。内訳に関しては詳細を把握していないが、ペトラちゃんによるとほぼ第三騎士団とかいう比較的まともな叩き上げの部隊と、王様が厳選した腰の物がお飾りではない騎士や兵士の混成部隊。船で一緒だった騎士の人もいるとのこと。
鎧と剣ばかりではなく、ローブに杖の魔法士、魔法師も一緒になっている。比率的には剣が七、杖が三といったところか。前線に出られる戦闘要員はこんな感じで、最大動員数は百と六十程度。五級の冒険者がそれくらい居ると考えておけば間違いないだろう。
あとは後方支援の皆様方。大工に石工、治癒士に料理人に召使にギルドの職員まで、割と多種多様な人材が派遣されてきている。
召使の人はあれだ、ほぼメイドさんだ。おそらく夜のお相手要員も兼ねている。砦や荒野には不釣り合いな可愛い子が多い。
ギルドの受付嬢は流石に違うと思うが、それにしてはこちらも若い女性の割合が──。
まぁとにかく、龍以外の魔物には討伐数に応じた歩合給が追加される。その辺りを管理したり、補給物資の取りまとめを行ったり、王都のギルドとここ……中央とのパイプ役を担ってもらうことになるだろう。
私の可愛いお馬さん達のお世話をして頂く御者の方々や、召使の責任者っぽい初老の男性など、こちらが総勢百五十程度。治癒使いは十人ほど帯同してくれているので、瓦解しなければ多少怪我をしたところで戦線復帰は容易のように思える。
建築の人が五十、治癒の人が十、料理の人が三十はいる。メイドの人がこれまた三十はいて、ギルドの人が十五といったところか。
合わせて三百と少し。ちょっとした村といった規模になる。
年単位で活動をすることになり、人員の交代を望めない人達も大勢いる。であればせめて、体と心を休める寝所はしっかりしていた方がいい。
この一件の成否はどれだけ衛生的であるかにかかっている。着の身着のまま数ヶ月、といった冒険者スタイルにはご遠慮頂かねばならない。
であれば洗濯場もしっかりしていたものが必要になるし、帰還者を浄化する専用のスペースも要る。浴槽は無理でも水浴び、シャワーくらいはないとマズイ。雨が降って着るものがない! なんてことになったら困る。簡素なものでいいから竿の上には屋根も欲しい。
しかもこの三百というのはほぼ最小構成だ。東からギース様ご一行が到着すれば人数は倍ではきかなくなる。
それだけの人数を支えることになる炊事場は特にしっかりとしたものが欲しくなるし、食べ物を保管しておく倉庫もかなりの規模が必要になる。
西から押し寄せてきた大軍は……まぁ、合流することなくそのまま帰ってもらえばいい。今は置いておく。
まぁ、村では足りないわけだ。町を作る気概で臨まねばならなくなる。
この一件が片付いた後には、予算次第ではあるけれども、この一帯も草木を生やして再興されることになるだろう。
その時に足場があるのとないのとでは復興速度も大違いだ。上手くいけばこれで余計に報酬をせしめられるかもしれない。
橋を作り、道を作り、町を作る。これは決して無駄な行程ではない。