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アゲイン×2 《クロスツー》  作者: 紺堂 悦文
第五章 魔法の言葉
105/140

オーヴァーチュア

 



 楽園の夜に少しずつ人の姿が溢れ出す。

 小さな囁き声は、やがて話し声に変わり、そのうち大きな怒鳴り声が辺りに響いた。


 それは一軒の廃墟——廃墟とも呼べない瓦礫の山の前で起こった。


「おーれーのーみーせーがーーーーッッ!」


 がくりと膝を突いて涙を流す男。

 遠巻きにそれを眺めている人間達から、生暖かい同情の視線が送られた。



 ——けどなあ、ロックボトムを敵に回す事を公言してるバカを泊めちゃダメだろ

 ——うーん。まあ自業自得よねえ。因果応報ってヤツ?



 勝手な事を言っている野次馬達に向かい、泣いていた男がキレ出した。



「好き勝手言いやがってっ。……こっちは商売なんだよ!! 俺が客を選べる訳じゃないんだ!!」

「……ヘイユー!スタップ!スターップ!!」

「は?」


 膝を突く男が見上げると、そこには人が立っていた。ぼんやりとしたガス灯に浮かび上がるその男の輪郭が、涙のせいでボヤけている。



 ……その男は、丸いメガネをかけていた。

 胸には『萌え魂』。

 上にはチェック柄のシャツを着ていて、退色したクリーム色のチノパンが、なんとも言えない味を出す。

 ……ガス灯に浮かび上がるは異形の小太り。その男の目から下には線を引いたような汗が流れ、それは玉のように身体中に浮かんでいる。

 くすんだ色の金髪が、うねり、逆立ち、まるで太陽のように見えない事もないかもしれないが、よく見るとただの寝癖だった。



「ヘイ、ジェントルメン。膝を突くな。胸を張れ。……スタンダップ!!」

「……なんだよ。ただのオタクじゃねえか。向こう行けよ」

「え……」

「それよりも、てめえら好き勝手言いやがって……!! 俺の身になって考えろよ!! いかにもな悪党が店に来て、断れるか!? お前らだったら断れんのか!?」


 泣きながら野次馬達に向かう店主は、丸メガネの横を素通りした。



 ——なんだよ。俺たちに当たるなよ

 ——うるせえ。なにがロックボトムだ!! あんなのただの暴れん坊じゃねえか!!

 ——だから、私たちに言わないでよ



「……キリエ。帰ろう」

「ちょ、ちょっと待つっす。ダメっすよ……旦那達に怒られるっす!!」

「そんなのボクの知ったことか!! ……あいつ、ボクをオタクって言いやがった!!」


 オタク……もとい、トムことキディ・ジョー・オブライエンの目は、深く沈んでいた。


「ダ、ダメっすよー! ここでこの酒場を直して借金減らすっすよ!」

「そんなもんシカトだシカト!!」


 もうこうなるとトムは手が付けられない。いつもなら紅茶とマフィンを食べさせれば機嫌が良くなるのだが、今はそんな物はない。

 キリエは、別の角度から攻める事にした。


「……大丈夫っす。あたし知ってるっす。トムのカッコいいとこいっぱい知ってるっす。トムはキモオタじゃないっすよ」


 ピクリと。

 丸メガネの体が動く。


「オタクの上に、『キモ』まで加えられた気がするんだけど……」

「ほら、トム言ってたじゃないっすか。なんと、円周率を千桁も覚えてるっすよね。天才っす……」

「……別に、二千でも三千でも覚えられる。面倒だから途中でやめた」

「すごいっす……!! カッコいい(・・・・・)っす!! ……あたしも、そんな事言ってみたいっす!!」


 ソワソワと。

 丸メガネが肩を揺らす。


「それに、あれっすよね? なんたら言うカードバトルの大会で、強過ぎて殿堂入りしたんすよね? カッコいいっす!!」

「ん……、え、あれ〜え? ボク、それ言った事あったっけ? 嫌だなあ〜。別にそんな大した事じゃないのになあ〜。……ところでキリエ、カードバトル? デュエルって言ってくれよ」

「わ、悪いっす。よっデュエルキングッ!! カッコいいーー!!」


 唇を変な形に歪め、トムの顔がひょっとこのようになっている。恐らくニヒルに笑っているつもりなのだろう。

キリエは内心のため息を抑え、言葉を続けた。


「それにほら、なんていったっすか? あの戦争ゲームみたいなの」

「……FPS?」

「そうそうそれっす!! あれも凄いんすよね。強過ぎてあだ名が付いてたらしいじゃないっすか! ……あー、聞きたいなあ。あたし、聞きたいなあ……?」


 キリエが珍しく体にシナを作り『女』を出す。

腰をかがめてトムの事を上目遣いに見る。

まるで、胸を寄せるように膝に手をついた。


 トムのひょっとこの口が動いた。

 ふぅ……。やれやれ、仕方ない奴だ。そんな感じで。



「……『そして、笑う死神は(ラフィング)舞い降りる(デス)』」

「きゃーーっ!! カッコい〜い(・・・・・・)!!」



「うるっっせえぞキモオタ共、ピザでも食ってろ!!」


「「なっっっっっっ!?」」






 ————————————————






「おうジンパチ。早く入れよ」

「なんでお前その姿なの?」


 肩の上で丸まる子狐(クロウ)に促され、迅八は中に入ろうとしたが、その足は動かない。


「うるせえ。早くしろよ。疲れてんだよこっちは」

「……ニコに」

「あん?」

「ニコに、なんて言えばいい?」

「はあ?」

 

 クロウが後脚でガリガリと頭を掻く。


「なにを言う必要がある」

「え……」

「なにを言う必要があるんだよ」


 迅八がその言葉の真意を測る前に、目の前の扉が開かれた。


「なにやってんだ変態。早く入れよ」

「アゼル……」


 アゼルは服を着替えていた。

 部屋着のままで玄関口に立っている。


「……凄い血の匂いだぞ。お前らも着替えて風呂に入れ。そんな血まみれの格好でニコルに会うつもりか」

「アゼル、ニコは、」

「落ち着いてるよ。一応、ジークエンド達は部屋に戻ってる」

「なんで?」

「だから、一応(・・)だよ。……大人の男に拒否反応を出すかもしれない」

「あ……」


 肩の上の子狐を見る。

 千年の大悪魔はつまらなそうにアクビした。




・・・・・・・・・・・・・・・




 迅八が、風呂からあがり体を拭いていると、そこに妹が入ってきた。


「お兄ちゃん」

「あ、シズ」


 シズは迅八の為に着替えを持ってきた。胸に抱いたそれを迅八に手渡す。


「ああ、ありがと……、」


 ——グイッと。

 着替えを受け取ろうとした迅八の手が、シズに強く握られた。


「……ちゃんと殺してきた?」

「な」

「ちゃんと殺したの?」

「……あ」


 目の前の妹の白い肌。

 黒い宝石のような瞳。

 その下の泣きぼくろ。

 無表情な顔。

 昏い目つき。


「そう……」


 握られた手が離れる。


「ねえお兄ちゃん。私も、早く魔術を覚えるから」


 子狐がシズの足元にまとわりつく。

 それに気付いたシズは、微笑んで子狐を胸に抱いた。


「可愛い、です!!」

「うるせえ小娘。大声出すな」


 微笑んだままでシズが言う。


「クロくんは、なにしてた、です?」

「あん?」

「なにをしていたの?」

「…………」


「早く、私が魔術覚えなくちゃ。……クロくん、教えて、です!!」

「うるせえ。てめえの師匠に聞きやがれ」


 シズはクロウを抱いて出ていった。



 迅八は、一人になった脱衣所で、物事を先延ばしにするようにゆっくりと着替えた。扉を開けて脱衣所から出ると、そこにはアゼルが立っていた。


「アゼル……どうしたの?」

「言っておく事がある」


 アゼルも風呂に入った後なのだろう。赤い髪の毛がほんの少しの湿り気を残し、艶やかに光っていた。


「クーロンがロココさんを呼びに行っている。……これからここにロココさんが来るけど、彼女には今日あった事を言うな」

「どういう意味だ?」

「俺たちに巻き込まれた。……それを言うな。ニコルにも言い含めてある」

「おまえ、なに言ってんだ?」

「ニコルは、俺たちとは関係なく襲われた。それを俺たちが助けた。……そういう事にしておけ」

「おまえ、何を言ってんだ!!」


 赤毛の少女の胸ぐらを掴もうとし、迅八はすんでの所で思いとどまる。

 アゼルの事を挟むように、そのまま両手で壁を押さえた。


「謝らなくちゃいけないっ。俺たちのせいだ!!」

「お前のせいじゃない」

「なに言ってやがんだテメエは!! おまえのせいでもあるんだぞ!!」


 赤毛の少女は、ほんの少しだけ俯いた。


「……そうだよ。俺のせいだ。けど、おまえのせいじゃない」


(なに言ってんだこいつは……!!)



 壁と自分に挟まれている少女は、もう完全に俯いていた。その肩を触ろうとした迅八の手が止まった。


(こいつ、震えて……)


 迅八とシズにとって、特別な少女。

アゼルは顔をうつむかせ、小刻みに肩を揺らしていた。迅八はその肩に、そっと手を置いた。


「……っ、なんだよ」

「アゼル、ごめん。 けど、教えてくれよ。やっぱ謝らなくちゃダメだよ。なんで……」

「お前は考えなくていい」

「ちょっと待てよ、そんなの」

「俺のせいだ。……頼むから、ニコルとロココさんには余計な事を言わないでくれ」


 迅八の手をくぐり、アゼルはその場から立ち去った。






 迅八は一人で暗い廊下を進む。


 クロウは言った。

『何を言う必要がある』


 アゼルは言った。

『頼むから、余計な事は言わないでくれ』


 なにも言う必要がない。

 余計な事。


「なんだそりゃ。……そんなはずあるかよ」


 居間へと続く扉を睨むように見る。

 一度、深く呼吸をしてから、迅八は扉の取っ手を握り込んだ。






 ————————————————






「……これ、どうなってる、です? 触ってもいい、です?」

「あ、やめ、姉ちゃん、やめて……!」

「オレのジンにまとわりついてる狐人っておまえかああアアァ? けど可愛いじゃないかよオオオ。……キーー〜ッッ!!悔しいィィっっ!! けど、オレだってやろうと思えばロリ属性くらい……」

「あ、やめてっ、かじらないで……耳やだぁっ!」



 ズコーッ。迅八の頭は床に突き刺さった。



「いでえ!! ……おうコラ小僧! 俺にまで伝わるから盛大にコケるんじゃねえ!!」

「て、て、て、て、……っっテメエら、なにしてんだ!? 殴られてえのかコラァああああ!!」


「ん。……うるさいの来た、です。役立たず、です」

「まあまあ……。オレのジンはやる時はやるよ。まだ本気出してないだけで」

「みんなそう言う、です」


 ソファーの上では、シズがニコルの事を膝に抱いていた。その髪の毛に顔をうずめ、幸せそうに耳を噛んでいる。


「……あ、やだ。みみ、やだぁ……!」

「うちの兄がお世話になってるです。これからは、私がニコをお世話する、です」

「やめろって。怯えてるじゃねえかよっ!」

「一人占めはよくない、です!!」


 迅八は、妹に抱かれているニコルをもぎ取るように剥がす。シズは唇を尖らせて不満な顔をしていた。


「にいちゃん……あの人が妹? 怖いよ……」

「ご、ごめんなニコ。あんなのは妹じゃねえ!!」

「ひどいっ、ですっ!!」


 クロウは少し外れた場所で、皿に注がれたミルクをペロペロと舐めていた。シズとイエリアはソファーの上でブーブーと言っている。

 アゼルはバーカウンターに座り、静かに迅八を見ていた。


 思っていたよりも、和やかな空気。それに迅八はホッとした。


「にいちゃん……」


 迅八の胸の中に抱かれている少女が、小さく声を出す。……黄色いワンピース。ところどころが血に濡れている。


「ごめんね」

「え、なにが」

「ごめんね。にいちゃん」


 狐の女の子。

 迅八の腕の中の、小さなぬくもりが。涙をこぼさないように、笑っている。


「ごめんねにいちゃん……」


(……俺は、馬鹿か)



「服汚しちゃった。ごめんね、にいちゃん」



(何を安心してんだ俺は……)






ぎゅっと。

迅八は、その腕の中の女の子を抱きしめる。

自分の顔を見られないように。



「……ニコ。やっぱ似合うよ。とっても可愛いよ」

「……え」

「本当だ。お姫さまみたいだよ」



 ニコルの顔は見えない。

 迅八の背中に回された手が、きゅっと握られる。



「けど、どれだけ変わってても一目でわかるよ。……ニコ、大好きだよ。俺たち友達だろ?」

「……ゔっ」



 迅八の首筋に熱い熱。

 ニコルの目から流れている液体。



「なあ、約束したろ? また、町の案内してくれよ」

「ゔん……! わがっ、だ……!」



 腕の中の小さな少女が、自分に気を遣っている。あれだけの目に遭って、それでも苦しさを表に出さない。迅八は幼い頃のシズと自分を思い出す。


 いつでも子供は、大人よりも周りに気を遣って生きている。


(……くそっ、くそっ!!……クソッッ!!)


 これ以上、何かを言えば、きっとどこかでボロが出る。迅八は、それ以上なにも言えなかった。






 後ろから扉が開く音が聞こえ、迅八は振り返る。そこにはクーロンと、蛍の光のような女が立っていた。


「ニコ……!!」

「かあさんっ」


 手を伸ばすニコルを、ロココの元に連れていく。腕から下ろすと狐人の少女は、母親の膝にしがみついた。


「この子は……人に心配かけてっっ!!」

「ごめんね。ごめんねがあざんっ」


 振り上げられるロココの手。

 しかしそれは娘の体を打つ事なく、揺れた後、ニコルの背中に回された。


「……おばさん」

「ジンさんありがとう。本当にありがとう。ニコを助けてくれたんでしょう? 本当にありがとう……!!」


 助けたのはアグリアだ。

 それ以前に、迅八達に近寄らなければこんな事にはならなかった。

 泣きながら礼を口にする母親の言葉が、迅八の心を掻き毟(むし)る。


「……ちが、」

「坊や」


 クーロンが、静かに首を振っている。


「ありがとうございます。ありがとうございます……!!」


 迅八には分からない。

 謝るべき所だ。自分が額を床に擦(こす)り付ける場面だ。

 





「……お前が母親か」


 響いてきた声に迅八が振り向くと、居間の入り口にジークエンドが立っていた。特に何もない、いつも通りの顔で、ニコルとロココを見ている。


「は、はい。……あなたは」

「ジークエンドだ。この家の主だ。お前の名は?」

「は、はい! ロココと申します」

「ふむ。呼びやすい良い名だ。……ロココ。一階の端の部屋が空いている。今日からそこで寝泊まりしろ。何かあったらコルテに聞け。以上だ」


「は? ……ジークエンド様、何を仰ってるのか」

「ウチの家政夫が弟子を取った。これから忙しくなるそうだ。お前と娘に家を任せる」

「すみません。……私は学がありません。ジークエンド様が何を仰っているのかが」

「ふむ。簡潔に言おう。ウチでお前らを雇う。仕事の内容はコルテに聞け。……文句があるなら言ってみろ」

「ひっ……!」


ロココが怯えた声を出すと、クーロンがジークエンドに向けて口を開いた。


「ちょっとジークエンド。 やめなよアンタは。怯えちまってるじゃないか」

「……何に怯える。意味が分からん」

「顔(カオ)! 雰囲気(オーラ)!」

「……ふむ。まあいい。後は任せた。クーロン、俺たちは今日は部屋に居る。その親子には勝手に食事をさせておけ。仕事は明日からだ」

「はいよ」


 迅八の関与しない所で、なんだか訳の分からない話が進んでいる。

 呆然とする迅八のすぐ近くでロココは失神しそうになっていて、ニコルは大きく口を開けていた。


「……ふむ」


 ジークエンドは、ポカンとした顔で自分を見ている狐人の少女の顔を見た。

 そして、本当に、本当に少しだけ、その眉毛を困ったように下げた。


「……小さいな。よく食え」


 ぽふん。

 手のひらを一度だけニコルの頭に乗せると、赤毛の男は出て行った。






「わたしのっっ!ですっっ!!」


 がばっ。

 シズが後ろからニコルに襲いかかる。


「わ、わわ! ……やめてっ、姉ちゃんやめてっ!!」

「お姉ちゃん、です!!耳(ミミ)……耳、です!!」

「ちょ、あ……!! やだぁっ、耳やだぁっ!!」


 クーロンが苦笑しながらそれを見ていると、ロココは腰が抜けたようにへたり込んだ。


「おやまあ……。大丈夫だよ『お母さん』。あんたに害は加えない。ちゃんと給金も出るよ」

「一体……、な、なにが起こってるの……?」

「人生の分かれ道さ。……決めるのはあんたらだ」


 閉まった扉を開けて迅八は居間から出る。アゼルは、黙ってそれを見ていた。






「ジークエンドさん!!」

「……む?」


 階段の途中でジークエンドが振り返る。


「どうした? 血相変えて」

「いや、あの……、ありがとう」

「なぜお前が礼を言う」


 迅八は、ジークエンドに頼み事をするつもりだった。ニコルとロココが安心した生活を送れるように、仕事を紹介してくれないかと。

 迅八にはよく分からないが、ジークエンドはこの町の有名人らしいし、冒険者ギルドの大物とも知り合いだ。彼に頼めばなんとかなるかもしれないと思った。

 そしてそれは、思った以上の良い形で叶えられた。


「……ふぅ。アゼルに言われてな」

「アゼルに?」

「泣きながら言われた。……あの親子を助けてくれと」

「えっ」


 階段の下にいる迅八は、ジークエンドを見上げている。二階に備え付けられたガス灯のぼんやりとした光が、後ろから『太陽』を照らす。迅八から、ジークエンドの顔は見えなかった。


「ジン。おまえ甘っちょろいぞ」

「……え?」


「アゼルはあの娘に言った。俺たちに救われた事にしろと。……母親には自分が悪いと言え。そこまで言っていたな」

「あいつ、何を……!!」

「俺たちのせいで巻き込まれた。……それを知ったらあの母親がお前やアゼルに近付くと思うか? 俺があいつらを助けようとしようが受けると思うのか? あいつらは、狐ではなく人間だぞ」


 ジークエンドの顔が見えない。

 その声は、階段を一段一段降りてくる。


「……甘っちょろいのはアゼルも同じだがな。一時的にあの親子の面倒をみても、一体それがなんになる」

「なんだよ。一時的って……」

「俺たちの身内になれば、楽園であの親子に手を出すバカはいない。しかし、なんにでも例外はある。今回みたいにな」

「もうこんな事にはならねえ!! 俺が、」

「おまえ負けたんじゃないのか?」


 一段一段降りてきた声は、床から迅八の足を這い上がると、ゆっくりと絡みつきその胸を抉った。



「……それとな。一時的というのはその先の話だ。……聞いたぞ。あの母親は長くないらしいな。おまえ、覚悟は出来てるのか? どうにもできんぞ」

「だから、余計、ニコルにはちゃんとした仕事を」

「深く。深く深く。……母親が死ねばあの娘は傷付く。おまえ、ずっと見てられるんだろうな?」

「なんで、そんな……」

「覚悟はしておけ。おまえが拾ったのは狐ではなく人間だぞ」

「じゃあ、なんで……」


 ジークエンドは再び階段を登り始め、その背中に向けて、迅八の呟くような問いかけが出た。


「じゃあ、なんでジークエンドさんは、俺のことを助けてくれたの……?」


 赤毛の男の後ろ姿。

 迷いない背中。

 その声にもやはり迷いはない。


「俺は覚悟してある。……おまえやシズが死ぬ事も想定しているし、そうなってもさほど困らん。……ジン。おまえ、甘っちょろいぞ」






 ————————————————






 食事は騒がしく済んだ。


 まだ状況が理解できずに、目を白黒とさせているロココの横にはずっとクーロンがついていた。

 ビクビクとしながら食事をしているロココを見て、自分が望んだ事が正しかったのかどうか、迅八は不安になった。


 ニコルはシズがずっと構っていた。わざとらしすぎる位に明るく。

 イエリアも笑いながらそこに混ざっていた。金髪の天使がなにを考えていたのか、迅八には分からない。


 迅八が居間に戻った時に、すれ違うように子狐が出て行った。

 迅八の目を見ないで出て行ったクロウは、ニコルやロココの事ではなく、なにか別の事を考えているように映った。


 アゼルは、一人で黙って食事をしていた。













「……アゼル」


 居間のテーブルには、迅八とアゼルが二人きり。

 クーロンが、二人を部屋に案内すると言ってロココとニコルを連れていった。

 シズもそこに加わり、イエリアは迅八の目を見た後、やはりシズと一緒に外に出た。


「アゼル」

「……え?」


 聞こえていなかったのか、アゼルはビクリと体を震わせた。


「……なんだよ」

「ごめんな。あと、ありがとう」


 耳を澄ますと、遠くから笛の音が。

 今頃、楽園では大騒ぎだ。

 後始末に奔走する者も、見世物が終わり、それを話のタネに飲む者も。

 それでもこの家の中では物音がしない。

 まるで、世界中で二人きり。

 静かな家。静かな夜。



「決めたよ俺は」


 なにを、と。アゼルは聞かない。

 迅八の声を背景音にして、静かに目を瞑っている。


「決めた事をやり抜く。……迷うかもしれないけど」


 アゼルのまぶたから伸びるまつ毛が微かに揺れる。迅八の声に反応したのかそうでないのか、アゼルはゆっくりと瞳を開いた。



「俺は、あっちの世界で、……なんの力も持ってない子供だった。けど、こっちの世界に来て、なんにもしてないのに『力』を手に入れた」



「……結局、俺はなんにも出来なかった。ニコルとおばさんを助けてくれたのは、アグリアと、お前とジークエンドさんだ」



 生ぬるい風が部屋に届く。

 ゆったりとした部屋の空気がその風に揺らされる。もうすっかり乾いた赤い髪の毛の奥から、緑色の瞳が迅八を見つめた。



「だからさ、だから……やっぱり、俺は強くなるよ。色んな意味でだ。それで俺は、みんなに恩を返すし、おまえを守る。決めたんだ」


 少しだけ強い風が入り込んだ。

 聴こえてくる遠くからの音。吟遊詩人達の楽器の音。






 ほんの少しの間を置いて、赤毛の少女は俯いた。そして、顔をあげるとため息を一つ。

 その顔は、いつものアゼルだった。


「おまえ……。ひょっとして口説いてるのか?」

「え」

「なんだよ。この間から守る守るって……普通、女にそんな事言わないよ」

「く、口説いてねえわっ。別にシズの事も守るし、ニコの事も守るよ!!」

「別にどうでもいいけど……。それより、おまえひょっとして俺より強いつもりなのか? おまえは確かに変な力を持ってるけど、殺そうと思えばおまえなんか一瞬だからな」

「やめろよ。なんでそういう事を真顔で言うの!? もっと笑いながら言えよ!!」


「こうか?」


 そう言って、赤毛の少女が笑う。


「お……」

「ん? なんだよおまえ。口開けて」



「いや、別に」

「顔赤いぞ。バカだからか?」

「バカはなんの関係もねえ……。せめてなんかに掛けろよ。笑いにしろよ!!」






 同じ年頃の少年と少女は、二人きりの夜の中で無邪気に笑いあっていた。



 遠くからは何かの曲が流れてくる。

 二人は気付いていない。

 まだ、誰も気付いていない。






 小さく小さく、風に乗り流れてくるその曲。誰もが知っている、この世界で一番有名なおとぎ話。


 それは、姫君とそれを守る騎士の物語。






 吟遊詩人達の声は聞こえない。

 しかしこの日、風に乗って静かに序曲は流れていた。


『ただ一つの誓い』


 ——鳴動する運命は、静かに時を待つ。




五章本編終了

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