第一話
帝国では農民から元老院議員まで何らかの奴隷であり、兵士である。人の労働を代替する奴隷か、国家を機能させる奴隷か。選定される皇帝もまた同様であり、例外には当てはまらない。誰が訓練しても一定の戦果を、誰が指揮してもある程度の規律を、帝国は天の采配に頼らない戦争に勝ち得て属州をいくつも打ち立てる国家となった。
人による統治を体現しても、しかし神殿という、神の存在を捨て去ることはしなかった。
ゆえに――
皇帝の生娘は神殿に勤めるのが役割である。
一六の歳を数えるまで神に身を捧げ、国家安泰、民草の安寧のためにその一身を犠牲にする。
いかにも、後継者争いの火種を潰す目的でありながらその神性に守られる皇帝の愛の形なのだ。当の本人がそう思うかはまた別である。
大理石で作られた神殿は窓が小さく、さらに固定された黒布で覆われて光を遮断する。各部屋には灯明が申し訳程度に置かれているが、少し離れると人の顔すら識別できなくなってしまう。
小部屋に分かれた廊下を突き進み、さらに神殿の奥へ向かうと神に祈りを捧げる空間に辿る。ここには燈明など存在しない。代わりに、巫女が祈りを捧げる左右に大きな火がたかれるのである。正面にも神炎、神に見立てた炎があるのだから巫女の身体は夏であろうと冬であろうと灼熱模様であった。
(熱い)
本代の巫女、サカニカ。
属州と同じ名である。
彼女は今が朝か、昼か、夜かすら認べる術がない。水は足元を流れてくるものを木のコップで掬い上げて飲めば良いが、食事が流れてくるわけではない。
今日は占いで決められた神の日である。丸一日間火の前に身体を捧げる必要があった。
朝の頃は雑念しか無かったが、時間が経つと熱い以外の感情を見失った。火が弱まれば木をくべて燃え盛るのを維持し、喉が渇けばコップで水を掬う。無心で同じ動作を繰り返していると時間感覚など掴みどころのないものになる。
(から……た)
水を汲もうと木のコップを手に持とうとしたが指先が意識と齟齬を起こした。もう一度掴もうとしても、同じ結果が繰り返されるだけだった。
服が肌に張り付く感覚も、頭が妙に冷える感覚も、揺らぐ火の眼前に沈んでいく。燃え盛る炎が形を得る幻覚すらサカニカには真実として吸い込まれていった。
(お……とう?)
自分の体を掴む感覚すら見失っても、それは致し方のないことだ。
火を見た。
若き頃のサカニカは神殿で生きた時間が人生の大半でありながら、救済という概念を信じてはいなかった。ただ熱い炎の前で踊り、祈り、身を捧げるだけで国家が──父たる皇帝が救われると考えていなかった。
巫女の教養を治めて老神官の言葉に感動したと装い、占いの結果を歪にしても疑われない立場を手に入れた。暇を持て余す神の休日には女官や神官を遣わせて手に入れた俗物的な本を読み解き、神殿の外側がどんな状況かを紐解いた。
今では意味のない行為。
必要のない思考。
皇帝の死を告げるラッパが吹きなされた日、サカニカは真に巫女となった。
神へ身を捧げるだけの傀儡。無駄なことをせず、占いに従って火の前で木をくべる。稀に踊る。
十六の終わりの日まで。
火が父を模す。
「我が娘サカニカよ。覚えておくれ、けして忘るることなきように」
珍しく紫色のマントを羽織る父はオリーブに見立てた金の冠を両手に持っていた。
「この冠は、皇帝のためにあるのではない。帝国のためにある。全てを犠牲にせよ、サカニカ」
神の炎がゆらめき、父の形はすでにない。
火に身体を近づけようにも動かず、手を伸ばそうにも微塵すらも反応しない。それが脱水によるものだと気付いたのは暫くしてだったが、手遅れだ。
炙られる体を逃せないのならば、そのまま息絶えるまで神の炎に身を焼かれるのである。
神官が日を跨いだことを告げに来た足音に、サカニカは意識を手放した。




