虹の向こうの顛末
遠足中止の電話の後、結局は110番をする事無く、テレビをボーっと見続けている。時折、チャンネルを変えてニュースを追っているが、当然乍ら我が家の泥棒騒動に関するニュース等は無い。其の間に益々雨は弱まり、其れでもポツポツと雨は降り続けていた。
其の間に私は、何をするでも無く時間を過ごし。お昼の時間になったので、朝早くに作ったサンドイッチをモソモソと食べ始めた。
「……」
自分で作ったサンドイッチだが、別に美味しくなくはない。だけど、本当なら遠足の晴れた空の下、明るい日差しが心地良い広場で食べる筈だったのを想像すると……矢張り侘しい物が有る。
そして食べ乍ら、昨夜の泥棒騒動の事を思い返す。
あの泥棒。恐らく私と同じで、他人と喧嘩なんてした事が無かったんじゃないかと思えたけれども。其れに加えて、他人の家に泥棒に入るのも初めてだったんじゃないかと思えた。
先ず、玄関からパッと目に付くあの部屋を物色していたけれども。幾ら初めて入る余所の家だとしても、あの部屋が半ば倉庫として使われている部屋だとは、慣れた泥棒ならすぐ分かるのではないだろうか?
加えて、泥棒が初めて私に気付いた時。泥棒は(恐らく反射的に)私に声を掛けたけれど。あの場合なら本来、あの泥棒は私の後ろからコッソリ近づくなり、一気に飛び掛かるなり、すれば良かったのではないだろうか。其れを、悠長にも私に誰何の声を掛けて……だが其の御蔭で、私(と此の家)はこうして無事に居られる訳だけれどね。
そして扨て、此の後の事。あの泥棒は今、どうしているだろうか。思い返してみると、あれだけ酷く打ち据えたので、少なくとも今すぐ真面に行動できるとは思えない。身体ダメージ度合い的に其れは無理なんじゃないかな、と何となく思えた。そして此れに懲りて、泥棒から足を洗うだろうか。少々、勧善懲悪に過ぎるが、つまりは其れが望ましい気がする。
若しくは……逆に泥棒側が『暴行を受けた』と警察へ被害を訴える? 自らが凶器を携えて泥棒に入っておきながら、恥知らずにも子供相手に?
『セートーボーエー』『カジョーボーエー』と云う言葉が頭を過るが……そう考えると、あの泥棒は矢張り、完全に動かなくなる迄……いや、私の力が続く限り、殴り続けるべきだったと反省する。其れと同時に、全く あの泥棒は面倒な事をしてくれたな、と改めて怒りが沸き上がると共に、(当時)コミュ障の私が警察へ通報するのが更に億劫に思えて来る。
などと、サンドイッチを食べ終えて一人悶々としていた処で。
『ガチャリ』
「ただいまー」
父が帰って来た。そして其の儘、私が居る一階の部屋へ入って来る。……父は仕事で、とても疲れている様だった。
「……お帰り、……父さん」
「あれ? お前、遠足は?」
父は私に話し掛け乍ら、手荷物を其処らに置きつつ、冷蔵庫に向かった。
「……雨で……中止に……」
「あぁ、まぁ此の天気だもんなぁ。残念だったな」
と父は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注いで、
「……他の皆は?」
「……未だ……帰って来てないよ」
「そうか」
私の斜向かいに座り、麦茶をゴクゴクと飲み始めた。私 独りでの留守番も、もう初めてではないからか、今更『留守中に何か変わった事は無かったか』とは聞いて来なかった。
「……いやー、しかし急なトラブルで泊まり込みの徹夜での対応になって、全く参ったぜ」
「……お疲れ様」
「まぁ、御蔭で、繁忙も何とか乗り切れたんだけどな。其れでなぁ、……」
と仕事の愚痴?を語り始めた。
……当然、聞かされて特に面白いものでは無いが、父は仕事で大変な目に遭ったのだ。聞いてあげるのも、孝行だろう。
◇
「……でな、今回は部長が中心になって何とか乗り切ったんだが、其の部長の家族が大変な事になってるらしいんだよなぁ」
「……部長さん? ……ひょっとして、前にあのゴルフクラブをくれた、って言ってた人?」
「ん? ……あぁ、そんなのも在ったっけなぁ。そうだ、其の人だ」
昨夜、アレの御蔭で泥棒を撃退出来たんだけど、そうか、其の元の持ち主か。
「……で『大変な事』って、其の……何があったの?」
「ああ、何でもな、部長の息子が少し前に家を飛び出して行方不明?になってるって」
「……家を飛び出して? 家出?」
「まぁ、家出っつーか、其の息子も もう二十代らしくてな。其れが働きもせずに家でゴロゴロしてるもんだから、親子で口論になって、家を飛び出してったらしい」
其れは確かに……『家出』と云うよりも『勘当』『追い出し』の類かな。
「まぁ其の息子、昔から素行が悪くて、学校の勉強は碌にしなくて成績は悪かったし、今も良い歳して髪は金髪に染めるし、だそうでな。体力はからっきしなのか喧嘩で暴れたりはしないそうだが、部長曰く『碌で無し』だな」
「へー」
まぁ確かに、言っちゃあ なんだけど、学校の勉強が苦手な人ってそう云うもんだよね。で、良い歳して……
「……髪を金髪に染めてる?? 其れって父さん……」
「あぁ全く、とんだ不良息子だよな。……勿論俺も流石に、面と向かって部長にそんな風には言わないけどさ。部長だって、ああ云う風に愚痴りつつも何だかんだと息子の事は可愛いだろう……いやあれは、厄介払いが出来てスッキリした感じだったかな?」
「いや、そうじゃなくて、其の……」
「まぁ、徹夜の小休止中に聞いた話だから、多少の誇張は入っていたかも知れんがな。……他にも『今 住んでる市街地の家のリフォーム額が結構 掛かりそうで~』とか愚痴ってたっけなぁ、部長。……ふわぁ~~あぁ。いかん、いかん。喋ってたら眠くなって来た。そう云えば俺は徹夜明けだったんだ。もう寝るから、起こさないでくれ」
と父は席を立ち、コップを流しに片して、自分の手荷物を手に取った。
「……起こさないでくれ、って、あの……晩御飯とかは……」
「ああ、要らないって母さんには伝えておいてくれ。目が覚めたら……自分で何とかする」
『自分で何とかする』って、多分……買い置きのカップ麺でも食べるつもりだろう。
「其れじゃあ、お休み」
「……あっ、あの……お休みなさい」
と、父は部屋を出て行ってしまった。
◇◇
其れから暫くして、
『ガチャリ』
「ただいまー」
今度は兄が帰って来た。そして其の儘、私が居る一階の部屋へ入って来る。……兄は部活動で、とても疲れている様だった。
「……お帰り、……兄さん」
「あれ? お前、遠足は?」
兄は私に話し掛け乍ら、部活のバッグを其処らに置きつつ、冷蔵庫に向かった。
「……雨で……中止に……」
「あぁ、まぁ此の天気だもんなぁ。残念だったな」
と兄は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注いで、
「……他の皆は?」
「……父さんは、寝てる。……母さん達は、……未だ……帰って来てないよ」
「そっか」
私の斜向かいに座り、麦茶をゴクゴクと飲み始めた。……流石は親子と云うべきか、行動パターンも一緒だ。
「……いやー、しかしウチの部活、大した強豪って訳でも無いのに、こんな変な時期に合宿練習だなんて、全く参ったぜ」
「……お疲れ様」
「まぁ皆で泊りとか、修学旅行みたいで楽しかったけどさ。其れでさぁ、……」
と合宿の思い出話?を語り始めた。
……当然、聞かされて特に面白いものでは無いが、兄は部活で楽しい思い出も作れたのだ。聞いてあげるのも、誼だろう。
◇
「……でさ、今回はOBの先輩も合宿に来てくれたんだけどな。練習後の雑談で聞かせてくれた話によると昔、其の先輩OBの同級生にとんでもない奴がいたんだってさ」
「……OBの先輩? ……年齢的には、どれぐらいの人だったの?」
「うん、そうだなぁ、ハッキリ聞かなかったけど、二十代ぐらいの人かな。だから其の人が俺らぐらいの歳の頃ってなると、今から十年ぐらい前か」
昨夜の泥棒も、先程の父の話の家出人も、同じぐらいの歳のようだったけど、……
「……で『とんでもない奴』って、其の……どんな人だったの?」
「ああ、何でもな、ソイツは部活で後輩っつーか弱い者を虐めるような奴だったそうだ」
「……弱い者虐め? 後輩いびり?」
「まぁ、虐めっつーか、ソイツは体も大きくなくて、『暴力を振るう』ってよりも『先輩としての権力を振り翳してネチネチといびる』って感じだったらしい。んで其れが余りにも酷いもんだから、其のOBの人ら皆でソイツを諭して、でもソイツは其れで行動を改めず、結局ソイツは部活を辞めてった(辞めさせられた?)んだってさ」
其れは確かに……『自主退部』と云うよりも『除名』『追い出し』の類かな。
「まぁソイツ、普段から素行が悪くて、学校の授業もサボり気味で成績は悪かったし、校則で禁止されてるのに髪は金髪に染めてたし、体力はからっきしなのか喧嘩で暴れたりはしなかったそうだけど、先輩OB曰く『問題児』だったそうな」
「へー」
まぁ確かに、言っちゃあ なんだけど、学校の勉強が苦手な人ってそう云うもんだよね。で、校則で禁止されてるにも関わらず……
「……髪を金髪に染めてた?? 其れって兄さん……」
「あぁ、全くとんだ不良少年だよな。……んでOBの先輩曰く、風の噂によるとソイツ、今も態度を改めず働きもせず、プータロー(後に云う処のNEET)をやっているんだってさ」
「いや、そうじゃなくて、其の……」
「まぁ、合宿深夜の後輩に対する与太話だから、多少の誇張は入っていたかも知れないけどさ。……ふわぁ~~あぁ。いけねえ、喋ったら眠くなって来た。そう云えば俺は合宿明けだったんだ。少し寝るから、起こさないでくれ」
と兄は席を立ち、コップを流しに片して、自分のバッグを手に取った。
「……起こさないでくれ、って、あの……晩御飯は……」
「ああ、流石に其の時間になったら、起こしに呼びに来てくれよな」
父とは違って其処迄は寝不足ではなく、聢りと晩御飯を食べるつもりのようだ。
「其れじゃあ、お休み」
「……あっ、あの……お休みなさい」
と、兄は部屋を出て行ってしまった。
◇◇
其れから又暫くして、
『ガチャリ』
「ただいまー」
「……うー……」
母達が帰って来た。そして其の儘、私が居る一階の部屋へ入って来る。……仕事や部活動ではないので母は疲れて無さそうだけれど、弟は母に負われて寝ている。
「……お帰り、……母さん」
「あれ? アンタ、遠足は?」
母は私に話し掛け乍ら、弟をソファに座らせ、手荷物を其処らに置きつつ、冷蔵庫に向かった。
「……雨で……中止に……」
「あぁ、まぁ此の天気だものねぇ。残念だったわね」
と母は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注いで、
「……他の皆は?」
「……二人共……寝てる。……兄さんは……晩御飯になったら起こしてって。……父さんは……徹夜だったから……起こさないでって」
「そう」
私の斜向かいに座り、麦茶をゴクゴクと飲み始めた。
「『起こさないで』って云っても、晩御飯は……」
「……『目が覚めたら、自分で何とかする』って……父さん言ってた」
「ふぅん。買い置きのカップ麺でも食べるつもりかしら。……まぁ何にしろ、泊まり込みの徹夜で仕事って、私達パートと違って、正社員は大変だわね」
先の二人とは違って、矢張り母は元気そうだ。……まぁ、弟は疲れたのか眠っているけど。
と、私が弟に目を遣ると、
「……ああ、此の子、式典の間は静かにしてたけれど、やっぱり緊張しちゃったみたいね。帰りの電車迄は大丈夫だったんだけど、其処で寝ちゃったわ。此の天気だし、しょうがないんで駅から家迄はタクシーを使ったわ」
「……お疲れ様」
「まぁ、式の時は大人しくしてたし、式は恙なく執り行われたけれど。……で、里帰り序でにアッチの近況も聞けてね。其れでねぇ、……」
と親戚の噂話?を語り始めた。
……当然、聞かされて特に面白いものでは無いが、母は久方の里帰りで羽を伸ばせたのだ。聞いてあげるのも、団欒だろう。
◇
「……でね、其の噂話に挙がった遠縁の御家庭なんだけれど。其の家族の息子が大変な事なってるらしいのよ」
「……遠縁の家の息子? ……年齢的には、どれぐらいの人だったの?」
「えぇ、そうねぇ、ウチら親族とは直接の血縁も無いし正確な処迄は分からないけど、二十代ぐらいの息子らしいわね」
昨夜の泥棒も、先程の父と兄の話の厄介者(達?)も、同じぐらいの歳のようだったけど、……
「……で『大変な事』って、其の……何があったの?」
「ええ、何でもね、其の息子が少し前に家を飛び出して行方不明?になってるらしいわ」
「……家を飛び出して? 家出?」
「まぁ、家出って云っても、其の息子ももう良い歳だし。其れが働きもせずに家でゴロゴロしてるもんだから、家庭内で口論になって、家を飛び出してったらしいわ」
其れは確かに『家出』と云うよりも『勘当』『追い出し』の類か……いや、先の父の話とソックリだ。
「まぁ其の息子、昔から素行が悪くて、何処ぞの店で万引きはするし、体力はからっきしなのか喧嘩で暴れたりはしないそうだけれど、不機嫌になると八つ当たりで周りの物を壊すし、今も良い歳して髪は金髪に染めるし、噂話でも『碌で無し』よね」
「……」
二度ある事は、三度ある?
「……髪を金髪に染めてるって、其れって母さん……」
「えぇ、全く とんだ不良息子よね。……勿論、遠縁の御家庭の事だから詳しい事情は分からないけど。其れでも、何だかんだ言って息子の事は可愛いのか……いや私だったら、厄介払いが出来てスッキリするかしら」
「いや、そうじゃなくて、其の……」
「まぁ、噂話で聞いた話だから、誇張は入っているかも知れないけれど」
「……ふわぁ~~あぁ。ママ……」
と、弟が起き出した。
「あらあら、もう目は覚めた?」
「……まだ……ねむい……」
「其れじゃあ、ちゃんと着替えて、寝かせつけちゃおうかしら」
そして母は私に向き直り、
「……アンタも、遠足が中止になったなら、宿題とかやっちゃいなさいな。私も、留守の間に溜まった家事を片すかしらね」
と母は席を立ち、コップを流しに片して、家事に取り掛かり始めた。
「……うん……分かった」
宿題なんぞ、休み前に学校で放課後時間を使ってとっくに終わらせていたが。母は弟の世話や家事で忙しく、私が此れ以上を此処に居ても邪魔みたいだ。
「其れじゃあ、お休み」
と弟に声を掛け、私は部屋を出て行った。
◇◇◇
「……ん……」
其れから、休み明けの朝。
私は目を醒ますと、いつもの様に時刻を確認する。
「……」
いつもよりも早い時間だ、と思った処で、
『ジリリリリリ……』
と目覚まし時計が鳴り始めた。
うん、そうだ。今日は日直だから、少し早めに就寝して、少し早めに起きようとしたんだ。
目覚まし時計を止めつつ、寝床から起き上がり、カーテンを開け、外の天気を確かめた。
「……」
結局、雨は昨夕迄パラパラと降り続き、其の後の夜にまたザッと降ったが、朝にはもう綺麗に上がっていた。
……孰れにしろ、と私は毎朝の様に先ずは洗面所へと向かった。
◇◇
トイレを済ませ、顔を洗って、歯を磨いて……と一通りのルーチンを終えて。私は朝食のトーストを独り食べ乍らテレビを点けて見ている。……うん、今朝は私はいつもより早く起きたけれど、父と母は仕事の早番で、兄は部活の朝練で。結局の処は皆、私よりも更に早起きして既に家を出ていた。……弟は父に連れられて、いつもより早く保育園へ預けられるだろう。
『……次は、今日の天気です。……』
他に家族が居ない事と、時刻が普段より早い事を除けば、全くいつも通りの、朝の光景だ。……結局あの後、泥棒騒動の事も金髪の厄介者の事も、家族で話す事は無かった。……結局、あの金髪の泥棒は何者だったのだろう? と思い乍ら、テレビを眺める。天気予報では……今日は雨上がりの晴れた日となるらしい。朝食を食べ終えた私は、テレビを消して自分の部屋へ戻った。
◇◇
そうして私は、自室で登校の準備を整え、ランドセルを背負う。
「……」
矢張り実は、あの泥棒騒動は私が見た夢だったのではなかろうか?
そんな事を考え乍ら、部屋を出て、玄関へ向かう。日常と変わらない廊下、履き慣れた運動靴。
そして玄関で靴を履いて立ち上がった時、傘立ての後ろに、光を鈍く反射する何かを認めた。
此れは……?
! 此れは……!
傘立ての後ろを覗き込み、其れを手に取る。
其れは あの夜、泥棒が持っていた出刃包丁だった。
「……っっ!!」
私は、思い出したくなかった物をハッキリと思い出させられて、衝動的に玄関を開錠し扉を開け放ち、外へと飛び出した。
早朝の、誰もいない静謐な、其れでいて未だ雨の湿り気をたっぷりと含んだ空気。其れと、
「……!」
正面の空には、何故だか無性に腹立たしいぐらい奇麗な虹が掛かっていた。
そして私は。其の大きく掛かる虹へ向かって、手に持っていた凶器を思いっきり投げ放った。
其の忌まわしい忘れ物は、家の前を通る道路を越えて、向かいに広がる空き地の草叢の中に『ガサリ』と落着した。
「……」
目の前の虹が消える迄の数十秒間、私は虹の前で呆然と立ち尽くしていた。
そして虹が消えると、トボトボと家の扉に戻って鍵を掛け。振り返り、虹の痕跡も、あの夜の痕跡も消え去った事を確認すると、もう何事も無かったかの様に学校へと歩み出して行った。
◇◇◇
其れから日々が過ぎ。結局あの夜の出来事については、誰とも話す事は無かった。家族も、夫々の知り合いとの間で噂に上った『自分と直接の縁が無い厄介者』の事など、後に話題にする事は無かった。
そうして月日が経ち。家の周りの郊外の空き地にも、次々と新たな建物が建てられて行った。あの虹が掛かっていた 家の向かいの空き地も、いつの間にか駐車場になっていた。
軈て年月が流れ。私は大人に成り、あの一夜の事など忘れ掛けていた時。私は、どうやってあの泥棒が家に侵入したかを知る事となった。
200x年、雨の降る或る日。就職して家を出て遠く独り暮らしをしていた私に、あの郊外の町の実家で親と暮らしている弟から、珍しく電話が掛かって来た。……特に何か用が有ると云う訳ではなく、暫しの世間話に付き合う事になった。
「いやー、其れで頑張って お金を貯めて、漸く此のハイエンドモデルのケータイを手に入れる事が出来たんだ! ……まぁ、色々と金銭面で切り詰めなくちゃならなくて、苦労したけどね」
「……お疲れ様」
「でも其の甲斐あって、高機能カメラ、音楽プレイヤー、携帯ゲーム、……どれも楽しめてるけどね! 友達にも自慢してるし、……」
どうやら弟は当時 最新機種の携帯電話を手に入れて、其れが嬉しくて誰かれ構わず電話を掛けていたのかも知れない。
……当然、聞かされて特に面白いものでは無いが、弟は満足出来るガジェットを手に入れたのだ。聞いてあげるのも、優しさだろう。
◇
「……でさ、話は変わるけど。つい先日、家の玄関の鍵も新しいのに変えたんだ。いい加減、旧式に過ぎたからね」
「……ふーん。……ウチのアパートの鍵は今時の新しいタイプの奴だけど、ソッチのも漸く変えたんだ。……因みに、鍵屋さんが交換する時、誰が立ち会ったの?」
「親父も お袋も 用事で居なかったからさ、俺が一人で立ち会ったんだよね。……でさ、鍵屋さんが前の鍵を取り外す時、『なんか此の鍵、内側に引っ掻き傷が付いてますね。誰か悪戯しました?』って聞かれたんだ」
「……引っ掻き傷?」
「俺、小学生の頃の或る日に、家に鍵を忘れて学校へ出ちゃった事があったんだけどさ。ウチは共働きだし、皆は俺より帰りが遅いから、其の時、家に入れなくて。で此処だけの話、其の時に偶々持ってたゼムクリップで何とか鍵を開けられないかなーって試した事があったんだ」
「……」
確かに弟は少々オッチョコチョイで、昔々は『夕方、家の玄関扉前でランドセルを抱えて、他の家族が帰って来るのを待ってる』なんて事も偶にあったっけ。
「当然、ゼムクリップを曲げ伸ばしした物を鍵穴に突っ込んでガチャゴチャしても鍵を開けられた筈は無くて、でも其れで無駄に引っ掻き傷を作った事を鍵屋さんに正直に言うのもなんか恥ずかしかったから、咄嗟に『其れ多分、鍵穴にゴミが溜まって鍵の調子が悪くなった時に、ウチの親父が棒か何かを突っ込んで掃除して出来た傷じゃないですかねー』って言っちゃったんだ」
「……そ、そうなんだ」
「鍵屋さんは訝しがってたけど、まぁ何とか誤魔化せてさ、ハハハ」
「……」
其の傷は多分、弟がゼムクリップで鍵穴に悪戯をした時に出来たものではない。
もう忘れ掛けていた、198x年のあの夜、金髪の泥棒が扉の鍵をピッキングして開錠・侵入した際に付けた傷に違いなかった。
……そうか、あの泥棒、そうやって家に侵入していたのか。其れでは、私が幾ら戸締りを確認しても無駄だった訳だ。対策するには……弟が話したように、鍵 其の物をピッキングに強い物へ交換するしかなかっただろう。
では扨て あの泥棒は、あの夜の傷が癒えた後、其のピッキング技術を使って、鍵穴に傷を残さない程に手腕を磨き続けて、他の家々に侵入し続けていたのだろうか?
……其の答えは、更に時を経て知れる事となった。
◇◇◇
202x年、また雨の降る或る日。変わらず独り暮らしをしている私に、あの郊外の町の家で夫婦二人で暮らす母から、珍しく電話が掛かって来た。……特に何か用が有ると云う訳ではなく、暫しの世間話に付き合う事になった。
「……其れで私達二人共 定年退職して、今は夫婦でノンビリと過ごしてるのよ」
「……お勤め、御苦労様でした」
「天気が良ければ夫婦で近所を散歩したり、偶に何処かへお出掛けしたり、今日みたいに天気が良くない日は部屋で夫々の趣味に没頭したり、とかして過ごして居るわ。其れでね、……」
両親は定年退職して、悠々自適のセカンドライフを送っているようだった。
……当然、聞かされて特に面白いものでは無いが、『三人共、誰も結婚はしないのか、孫の顔は未だか』等と言われるよりもマシだ。聞いてあげるのも、贖いだろう。
◇
「……でね、先日の事なんだけれど。ほら、ウチの近所に溝渠が在るでしょ? あそこで死体が見つかったのよ!」
「近所の……ああ、あの町外れの。……其れにしても死体なんて、穏やかじゃないね。因みに、どんな人だったの? ひょっとして、近所の誰か?」
まさか、殺人事件とかじゃないよね?
「其れがねぇ、長い年月の間を見つからなかった死体らしくて、既に白骨化してて身元も分かってないんだって。地元の新聞記事に拠ると、鑑定や僅かな所持品や状況だとかから、恐らく死後約四十年は経っていて、遺体は(死亡当時)20代の男性だそうよ」
「ふーん」
死んでから約四十年で、死亡当時20代の男性、か。生きてたら、私よりも一回り以上は年上、かな。
……って、まさか!?
「……其の人、死因は何だったの? 事故? 事件??」
「死因は……頭に何か打つけたような痕が在ったそうだけど、やっぱり、よく分かって無いそうよ。バールの様な物で殴られたのか、誤って溝渠へ落ちた際に出来た傷なのか。直接的な死因も、頭部打撃に因るのか、溺死なのか。落ちた原因だって、酔っぱらって誤って転落したのか、他の人に突き落とされたのか、誰かに他の場所で殺された後に死体遺棄されたのかも判別ついてないらしいわね」
「……ひょっとして、警察が聞き込みに来た?」
「ええ、ウチにも来たわ。でも、昔、近所で行方不明になった人がいたか~なんて聞かれても、ねぇ。そんなの知る訳が無いし、抑々、当時の近所の人達の世帯構成だなんて、憶えてないわよ」
「……どんな容貌の人だったのかも、分かってないの? 服装だとか、其の……髪型だとか」
もっと言うと……髪を金髪に染めていたのか。
「あら、アンタも気になるの? ニュース記事とか噂話とかに依ると……服装は、ジーンズに灰色のパーカ、あと現場には、踵を履き潰したスニーカーが脱げ落ちていたらしいわね。其の他の所持品は、僅かな小銭と、あとカッターナイフ? がポケットから出て来たとか、懐から折り畳んだ雑誌? が出て来たとか。体格や髪型は……背は低かったそうだけど、白骨化してたから其れ以上の情報は不明ね」
「……そう……」
「此の話題、近所で今、持ちきりなのよね! 其れで、皆の予想だと……」
と、好き勝手な、多くは突拍子も無い推理を、披露し始めた。曰く、浮気現場を見つかった修羅場の果ての衝動的殺人だ、だとか、頭部の打撲痕はトリックと云うかフェイクで本当の直接死因は計画的な毒殺だ、だとか、……。
だけど、其の見つかった死体は、あの198x年の雨の夜に、私がゴルフクラブで殴り付けた泥棒で間違い無いだろう。私達の家を這う這うの体で逃げ出した後、激しい雨の夜を当て所無く彷徨い歩き、其の近所の町外れの溝渠に誤って転落し、其の儘 死んで202x年迄 誰にも発見されなかったのだ。
つまり、私が殺したのだ。
勿論、そんな事を母に言う筈も無く。だが母との電話が終わった後に、自分でもネット等で其の死体発見事件について調べてみた。けれども……其の身元・死因不明の白骨死体については、母が語った以上の情報が得られる事は無かった。『所持品としてピッキングツールが見つかった』『198x年に消息不明となり捜索願が出されていた人物だと分かった』……なんて云う情報も、出て来なかった。其の他の所持品については例えば、溝渠に辿り着く途中で落としたのか、流されてしまったのか、警察が(敢えて?)公表しなかったのか。また身元については、抑々 遺族が捜索願を出していなかったのか。
兎も角、事件については其の後も、私の方でもネットで時々検索してみたが、追加の情報は終ぞ得られる事は無かった。
◇◇◇
「……」
そして、今。私は部屋で一人、ベッドの上で寝転がって居る。
結局は其の後、其の出来事について、何ら情報が得られたり進展が在ったりする筈は無く。また私もあの出来事について、誰かに言う事も決して無かった。当然、私の所に突然 警察らが訪ねて来る事も無かったし、また もしも誰かが私に其の出来事に関して尋ねたとしても、私は平然と「何も知りません」と答えただろう。嘘発見器ってやつを突破する自信だって有る。
其の198x年の出来事について、私は罪悪感を覚える事など全く無いし、無かった。
寧ろ結果論で言うなら、私は最適の行動をしたとさえ思っている。
……あの時、泥棒に立ち向かわず逃げていれば良かったって? 子供の足では追い付かれた可能性もあるし、上手く逃げ遂せたとしても、予定外のタイミングで犯罪が露見した泥棒が、腹癒せに家財へどのような損害を与えたか分かったモノではない。
……行き成り殴り掛かる前に『出てけ』と言うべきだった? そんな悠長な事をしていたら、幾ら武器を携えていたとしても、子供の私が凶器を持った大の大人に敵わなかった可能性も在る。リスクを高めて迄、生殺与奪を他人に握らせてやる義理は無い。
兎に角は結果として、あの出来事は私の人生に於いて『無かった』事になった。けれども、其の後の私の人生に対して、大きな影響を与えたに違いなかった。……いや、其れも違うかな? 私は元来、こう云う性質だった?
……まぁ、そんな益体も無い事を考え乍ら。部屋の窓ガラス越しに空模様を見上げると、雨はもう、すっかり止んだようだった。
「……」
そして私は、あの時と同じように奇麗な虹が出るだろうかと、そんな事を思ったのだった。




