表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/67

第8話 社長査察 ― 「安全第一、命は自己責任」

 労基署への是正報告を提出し続け、はや半年。

 あの執拗な“是正三連撃”を経て、ようやく「受理されました」と連絡が来た翌朝だった。

 ――藤井仁(36歳)の机には、社長直筆のメモが置かれていた。


 《社長による現場査察を実施する。テーマ:安全第一。誠意をもって臨むこと。》


 半年かけて鎮火した火事を、社長が自らガソリンをかけて再点火したような気分だった。

 (……火の気は総務からじゃなく、社長の頭から出てるんだよな……)



■社長、誠意に燃える朝礼


 翌朝八時。

 食堂前のホールに全社員が集合させられた。

 社長(77歳)はスーツをパンパンに張らせ、白手袋をつけ、胸を張る。


 「私はね、社員の命を何よりも大切にしているんです。安全こそ、経営の礎です!」


 (昨日まで“納期のために命張れ”って言ってた人のセリフじゃないですよね……)


 お局(71歳)が横でにっこりと笑い、

 「社長、“命を守る経営”の特集、社内報に載せましょう」


 「うむ、それはいい! “命を守る社長”だ!」


 (……その命、毎日すり減らされてるんですけど)


 社長はさらに声を張った。

 「今回はサプライズで現場を回る。ありのままの姿を見たい!」


 「……了解しました」藤井は苦笑した。

 (“ありのまま”を見たい上司ほど、現実を見た瞬間にブチ切れるんだよな……)



■現場、大パニック


 昼前。社長査察の情報が工場中に流れた。

 組立部はまるで火事場のような騒ぎになっていた。


 組立部長(76歳)が怒鳴る。

 「おい! 社長が来るんやて!? 今日だけでもヘルメットかぶっとけ!」


 ナンバー2(56歳)はげっそりした顔で、

 「昨日も残業でみんなフラフラなんすよ……」


 「社長の前で倒れるなよ! 倒れるなら通路の外で倒れろ!」


 (それ、昼巡回の俺の鉄板だけど……通路は社内だから労災になるだろ!)


 加工部長(75歳)が口を挟む。

 「ヘルメットなんざ飾りだ。うちは“手触りで安全”を守ってんだよ」


 鼻毛爺い(74歳)がモップを持って現れた。

 「見た目って大事だからな! 床、ピカピカにしとくわ!」


 ツルツルに磨きすぎた床で、パートの一人がスケートのように滑っていった。

 藤井は思わず頭を抱える。

 (……安全対策が物理的に滑ってどうする)



■社長、降臨


 社長が現場に足を踏み入れた。

 白手袋を掲げ、ドヤ顔で歩くその姿は、まるで政治家の選挙カー。


 「私は、命を大切にする経営者です!」


 技術部長(61歳)が曖昧に笑う。

 「ええ、どちらのご意見ももっともでございます」


 「誰も意見してないぞ?」と藤井が小声でツッコミを入れた。


 お局がカメラを構えながら言う。

 「社長、“誠意ある笑顔”でもう一枚!」


 「うむ、任せたまえ!」


 その瞬間――。

 社長の足が延長コードに引っかかり、盛大に転倒した。


 ドシンッ。


 全員が凍りついた。


 「社長――!」


 社長は起き上がり、鼻の頭を押さえながら言った。

 「だ、大丈夫だ……! 転倒も経験だ! リスク管理の実地研修だ!」


 (お願いですから、もう経験値積まないでください……)



■現場、カオスと化す


 社長が転んだ直後、ナンバー2が叫んだ。

 「社長が転倒したのは床が汚れてたせいです! 今すぐ磨き直します!」


 部下たちは慌ててモップを手に取り、床をゴシゴシ。

 「俺は昨日も終電まで残って安全対策してたんだ! お前らも根性見せろよ!」


 部長が渋い顔で言う。

 「せやない。掃除は安全活動ちゃう。お前の後始末や」


 (いや、どっちにしても残業確定だろ……)


 お局がぽつりと呟く。

 「誠意があれば事故も減るわよねぇ」


 (誠意がブレーキになるなら、交通安全協会が黙ってませんよ……)



■査察終了、そして“奇跡の広報化”


 午後、社長は応接室でお局と談笑していた。


 「いやぁ、社員たち、実に活気があって素晴らしい! 私の視察中、誰一人としてサボっていなかった!」


 (そりゃ、倒れた社長の前で動けるわけないでしょ……)


 お局がペンを走らせながら言った。

 「“社長、自ら転倒し安全の大切さを体現”――このタイトルでいきましょうか?」


 「いい! 誠意が伝わる!」


 (伝わるのは危機管理の無さですよ……)



■翌日、総務室にて


 藤井の机には、社内報の見出しが躍っていた。

 《社長、現場視察で身を挺して安全意識を示す!》


 藤井仁はコーヒーをすすりながら、ぽつりと呟いた。

 「……いや、身を挺したのは重力だ」


 お局が後ろから覗き込み、言う。

 「次は“再発防止会議”よ。社長が議長を務めるって」


 「……まだ一回目の発生ですよね?」


 「“再”ってつけたほうが誠意が伝わるでしょ?」


 (誠意の多用は粉飾です)


 壁のカレンダーには、赤ペンで書かれていた。

 《社長主導:安全再教育会議/議題:命の使い方》


 藤井は天井を見上げて息をつく。

 (是正の次は査察、査察の次は再教育。

 再教育の次は再発。再発の次は……再提出か)


 その横で、誰かが新しい安全標語を貼り出していた。

 《安全第一、命は自己責任》


 藤井はそれを見つめ、口の端をゆがめて笑った。

 (……やっぱりこの会社、まだ死んでないな)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ