第41話 銅像騒動編 ― “銅(あか)を呼ぶ男”
昼下がりの社長室。
いつもより空気が重い。
社長の机の上に、なぜか彫刻雑誌と粘土の塊。
総務課長・藤井仁(36歳)は、嫌な予感を覚えた。
(この組み合わせ……また“悪いひらめき”の匂いがする)
社長が姿勢を正し、神妙に口を開いた。
「藤井くん。私もこの会社で社長を務めて十年になる」
「はい。おめでとうございます」
「ありがとう…十年というのは節目です。未来に残す記念を作りたいと考えています」
「記念……ですか?」
「銅像を建造したい!」
「…………」
「どうしましたか?」
「いえ、“どうぞう”って言葉が、聞こえた気がしました」
「その通りです!」
(聞き間違いであってほしかった……)
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社長は嬉々として語り始めた。
「この地に立ち、私が十年。経営理念を形にする時が来ました!」
「理念を、形に?」
「そう、“銅”で」
「やっぱり銅なんですね…」
お局が冷静に言った。
「まさか、自分の像じゃないでしょうね」
「よくわかりましたね!その通りです!」
「…即答かよ」
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翌朝、全社員朝礼。
社長がマイクを握る。
「皆さん! 我が社は創立105年、私の就任10年!」
(……いや、百年のうちの十分の一で急に自己顕彰?)
「私は思う。人は去るが、銅像は残る!」
営業課長:「はぁいっ!」
「その“はい”軽くないですか!」
「重くしますっ!」
「重くても銅の値段は上がりません」
お局が小声でつぶやく。
「うちの社長、歴史に残るんじゃなくて“残させる”タイプね」
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会議室。
総務・経理・営業・製造の各部長が集められた。
議題:「社長像の設置について」
「反対意見は?」と聞かれて、全員沈黙。
社長が満足そうにうなずく。
「よろしい、満場一致の様ですね」
(反対したら賞与が消えるからだよ……)
会議後。
全員が廊下に出た瞬間、同時に息を吐いた。
お局:「あんたら、何も言わなかったじゃないの」
製造部長:「あそこで言えるか。命よりボーナスが惜しい」
営業課長:「でもこのままじゃ、会社の恥が後世まで残ちゃいますよ」
「恥というより、銅の塊」
「いや、“負債”の塊」
藤井:「……とにかく止めましょう。何としてでも」
お局:「よく言ったわ、“反社長連盟”結成ね」
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裏作戦①「美術的難癖作戦」
彫刻業者に“社長の顔は難しい”と吹き込む。
藤井:「社長の表情は、写実が難しいそうです」
社長:「なら、理想の私を造りなさい」
お局:「…理想が一番危ないのよ」
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裏作戦②「安全管理作戦」
総務が“設置リスク”を指摘。
藤井:「地震で倒壊の危険があります」
社長:「なら、鉄筋を入れましょう」
「コストが上がります」
「それは“信仰費”で落としなさい!」
(また宗教経営モード……)
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裏作戦③「デザイン混乱作戦」
営業課長が美大卒の知人を連れてくる。
「“モダン抽象”でいきましょう!」
結果、提出されたラフ案は――
巨大な球体の上に“誠意”の文字。
社長:「これが私ですか…」
「魂の具現化です」
「私が“具現化された魂”だ!」
(いや、語彙の暴力だな)
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裏作戦④「地域巻き込み作戦」
町内会長を説得し、景観条例を盾に反対してもらう。
しかし――
社長:「町内会の意見は尊重します」
「やめるんですね!」
「いや、“町内栄誉賞”として申請します!」
「逆に格上げされた……」
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作戦は全て裏目。
“止めようとするほど進む”構図。
その頃、工場の掲示板には試作品の写真が貼られていた。
そこには社長が胸を張り、右手を高く掲げている。
台座には金文字で――
《誠意に立つ男》
お局:「立つなよ、せめて座りなさいよ」
藤井:「もう止められない……」
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そんな中、社長が総務室にやってきた。
「藤井くん、見積りが出ました」
「はい……」
「銅だけで五百万円らしい」
「五百!?」
「ただ、最近“銅の国際価格”が上がっているそうですね」
「そうなんです。LME価格でトン単価が上昇してまして」
「そうか、なら“純金メッキ”にしますか」
「…悪化してます」
お局:「世界経済が会社を滅ぼすわね」
藤井:「むしろ、世界経済が救ってくれそうです」
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数日後。
ニュースが報じた。
《銅価格、過去最高値を更新》
社長が会議室で電卓を叩いている。
「……ふむ、これでは台座も高くつきますね」
藤井:「そうですね、誠意で補える額ではないかと」
「誠意の限界ですか…」
お局:「誠意の天井、来たわね」
ついに、社長は腕を組んで言った。
「今回は、見送ります!」
(世界よ、ありがとう!)
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翌週、代わりに設置されたのは――
新しい看板だった。
《創業百年・社長就任十周年記念 “誠意は続く”》
お局:「このフォント、やたら威圧的ね」
営業課長:「銅像なくても圧ありますよ…」
藤井:「でも……これで済んで本当に良かった」
社長が微笑んで言う。
「いつか銅の値段が下がったら、再挑戦しますよ!」
お局:「…もう上がり続けててほしいわ」
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夜。
藤井は新しい看板を見上げながら、静かに笑った。
(結局、誠意と経済が引き分けか……)
最長老が隣に立ち、手帳を開く。
一行だけ書かれていた。
『人の誇りは銅で残すより、恥を残さぬことに価値がある。』
看板が街灯の光を受けて、ほのかに輝いていた。
それはまるで――
“誠意の墓碑”のようだった。




