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総務課長・藤井仁の憂鬱 ― 臨終雇用は日本の縮図  作者: みえない糸


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第42話 賀詞交換会編 ― “新春の信用不安”

 一月中旬。

 ホテルの宴会場に並ぶ、ずらりとしたスーツの列。

 「賀詞交換会」と書かれた垂れ幕の下で、乾杯前から各社の幹部たちが名刺を取り交わしている。

 シャンパンの泡が静かに弾けるたび、藤井仁(36歳)は、胃の奥がキリキリと痛んだ。


 (あの“決算報告の悪夢”を思い出す……)


 昨年、社長が銀行回りで「3年で売上10倍」「女性比率50%」「大学と連携して未来を拓く」と豪語したせいで、

 翌日から金融機関の問い合わせが殺到。

 彼は三日間、火の出た社長の言葉の“後処理”に追われたのだった。


 「――あぁ、もう来てる」


 会場の入り口。

 社長が黒のスーツに金のネクタイ、手には自作の“経営理念メモ”を携え、堂々と歩み入ってきた。

 その背後には、すでに取引先や銀行の支店長たちが列を作り始めている。


 お局が小声でつぶやく。

 「藤井くん、今年の社長、目に“演説スイッチ”入ってるわよ」

 「……もう手遅れです」



 司会の挨拶が終わり、各社代表のスピーチタイム。

 順番が近づく。

 藤井は社長の手元のメモを覗いた。

 【新年所感】と題された原稿には、びっしりと書き込みがされていた。


 ・「昨年の誠意経営は成功」

 ・「2025年は“理念の輸出”」

 ・「海外にも誠意を」

 (いや、それ地元の信金が聞く話じゃない……!)


 社長:「はいっ!」


 ついに自分の順番が回ってきたので瞬間、マイクの前に立った社長の声が弾けた。


 「皆さま! 我が社は“誠意の輸出企業”を目指します!」


 会場がピタリと静まる。

 金融機関の列が、一斉にペンを止めた。


 「昨年は“誠意経営2.0”の礎を築きました!

  今年はそれを世界へ広げる時です!」


 (……待て。世界? どこに?)


 藤井は汗をぬぐいながら思う。

 (やめてくれ、国境を越えないでくれ……!)



 社長のスピーチは止まらない。


 「私は考えました! 今こそ、“誠意を輸出し、信頼を輸入する”時代です!」

 (どこの貿易ルート!?)

 「我が社は今年、海外市場への“心の進出”を目指します!」

 お局:「心の越境ね……密輸かしら」


 金融機関の支店長がざわめく。

 「海外展開ってどこだ?」

 「東南アジアか?」

 「いや、“心の進出”って言ってたぞ」

 「業態変わったのか !?」



 スピーチ後。

 金融機関のテーブルが、緊急会議のようにざわつく。


 「ついに海外進出計画あり?」

 「聞いてない。信用保証つけたほうがいいか?」

 「輸出? 何を?」

 「“誠意”らしい」

 「誠意って……無形資産?」

 「計上できるか?」

 「会計基準が追いつかん……」


 藤井の隣でお局がため息をつく。

 「金融機関、パニックね」

 「毎年この時期、経済混乱起こすのが恒例になってきました」

 「うちは災害か」



 そのとき。

 マイクを握ったまま、社長がさらに追い打ちをかけた。


 「今年は“誠意債券”の発行も検討しております!」

 (……ちょっと待て、それ金融商品になるの!?)

 「誠意の信頼を可視化し、相互承認するシステム!」

 お局:「もはや通貨ね」

 「我々は誠意経済圏を創る!」


 会場の空気が凍りつく。

 支店長が呟く。

 「……これ、日銀案件か?」



 スピーチ終了後。

 金融機関の人々が次々と藤井に押し寄せる。


 「藤井さん、誠意債券とは?」

 「えー……社長の……比喩です」

 「では海外進出とは?」

 「精神的な意味です」

 「輸出とは?」

 「感情の共有です」

 「……つまり、何もしない?」

 「はい。何もしません」

 「助かります」


 (!なぜ“何もしない”で安心されるんだ……)



 会が終わり、帰りのタクシー。

 社長はご満悦だった。

 「いやぁ、良いスピーチだったな!」

 「……どこが、ですか?」

 「金融の方々、目を見開いてたじゃないか!」

 「ええ、驚愕で」

 「インパクトがあるということは、心に響いた証拠だ!」

 「心臓に響いてたと思います」


 お局が口を挟む。

 「社長、あれ、“誠意債券”の話、冗談ですよね?」

 「いや、本気だ!」

 「……金融庁が泣きますよ」



 翌週。

 総務課に一本の電話が入る。

 「藤井さん、こちら都市銀行です。

  “誠意債券”の詳細、資料ございますか?」

 「……存在しません」

 「えっ、でも社長が……」

 「概念だけです」

 「コンセプトだけでスピーチしたんですか!?」

 「はい。うちの理念は常に先行してますので」

 「先行どころか飛んでますよ!」


 藤井は電話を切り、天井を仰いだ。

 (まただ……また“言葉の爆弾処理班”だ……)



 夕方、社長が総務室を訪れた。

 「藤井くん、銀行は感動していたな!」

 「……震えてましたね」

 「震えは感動の兆しだ!」

 「凍ってたんです」

 「いいじゃないか、“冬の感動”だ!」

 「……春までに溶けるといいですね」


 お局が横から笑う。

 「次は何を輸出すんの? 理念? それとも混乱?」

 「“希望”です!」

 「じゃあまず、社内に入荷して」



 夜。

 最長老がゆっくりとコートを羽織りながら呟いた。

 「藤井くん、あの“誠意債券”とやら…面白いですね…」

 「面白いですか?」

 「ふむ…信頼を金に換える試みです…」

 「でも、裏付けがありません」

 「裏付けがないのが、誠意というものです…」


 最長老は手帳を開き、さらさらと書き込んだ。


 『誠意は信用を装い、理念は通貨を真似る。

  どちらも価値は風次第。』


 藤井は苦笑しながら言った。

 「社長、来年は“誠意為替”を始めますね…」

 「そうなったら、もう為替介入どころじゃないな」


 ホテルのロビーから漏れる明かりが、夜の街を照らしていた。

 そこには、また一つ――誰も換金できない“誠意の信用不安”が、静かに積み上がっていた。


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