第39話 土地買収戦 ― “誠意と情報の静かな銃撃戦”
木曜の午後。
総務課長・藤井仁(36歳)は、再び社長室に呼び出された。
社長の机の上には地図が広げられ、赤い丸が付いている。
「藤井くん、ここだ。この土地を取りなさい!」
「……また唐突に」
「隣の工場が倒産したそうだ。更地が出る。あそこを取る」
「15坪ですよ。使い道ありますか?」
「未来のためだ!」
「未来って、どのくらい先の?」
「明日だ!」
(……うちの“未来”は24時間制限付き)
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倒産したのは隣の町工場。
道路に面し、会社の物流ルートの真ん前。
もし建売住宅が建てば、トラックが通れなくなる。
「すでに不動産業者が動いているらしい」
「……それ、情報源どこから?」
「喫茶“みどり”のママが言ってました」
「ママ情報……」
社長の声が低くなる。
「彼らは都会の金で動く。我々は“地元の情”で勝つ!」
「いや、それで勝てた試しが……」
「君がやりなさい、総務の“外交官”として!」
(外交官っていうより、諜報員だな……)
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翌日。
藤井はさっそく地元の信用金庫を訪ねた。
支店長がため息をつく。
「また社長さん、動いてますね…」
「はい。今度は地上戦です」
「地上戦?」
「情報と情熱で不動産業者に勝つそうです」
「……もう少し金融的に言えませんか」
「…無理です」
支店長は苦笑しつつも協力を約束した。
「まあ、表向きは“当行も関心を持っている”程度に匂わせましょう」
「助かります。うち、匂わせ戦法しかないので」
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その頃、不動産業者も動き始めていた。
都内の建売業者がすでに売主にアプローチをかけ、
「すぐ現金で買う」と言っているらしい。
(こっちは資金調達が“誠意払い”。勝てるか?)
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藤井は情報を集めた。
・売主は倒産工場の元社長。
・土地はまだ抵当が残っている。
・近隣住民は“静かな場所”を望んでいる。
(静かにしてほしい=工場に戻したくない、か……不利だな)
だが、ふと気づく。
売主の奥さんが町内会の会計をしている。
つまり、町内会長の一声で印象が変わる。
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夜、町内会長宅。
藤井は地元特産の最中を手土産に頭を下げた。
「実は隣地の件で……」
「おう、聞いとる。あそこ住宅になるんだって?」
「いえ、うちで引き取りたいんです。物流の安全確保のために」
「ふむ……でも騒音がなぁ」
「その点、改善します。夜間稼働を減らして静音設備を導入します」
「本当か?」
「ええ。“誠意”で」
「出た、“誠意”。社長さん譲りだな」
「違います、“実行する誠意”です」
(口では社長を否定、戦略では完全コピー……)
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翌日、町内会長が売主に一言伝えた。
「隣の会社、真面目なとこだよ」
その一言が大きかった。
しかし、不動産業者は抜け目がなかった。
即日、倍額提示。
売主は揺れた。
(やばい。うちの誠意、金額換算するとゼロ円……)
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ここから藤井の“情報戦”が始まった。
まずは、不動産業者の動きを探る。
地元の喫茶店に通い、営業担当の“常連の足取り”を追う。
注文履歴まで把握する徹底ぶり。
「アイスコーヒー二杯目頼む人は、勝負に出る前兆です」
お局:「スパイ映画か!どこの工作員よ」
「総務課です」
「総務課の職務範囲、広いわねぇ…」
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やがて藤井は、不動産業者が土地の権利関係を確認するため、
法務局で登記簿を取ったことを突き止めた。
(登記簿取った=購入前提で動いてるな……)
藤井は逆手に取った。
支店長と共謀し、あえて「融資検討」の噂を流した。
「あの土地、隣のメーカーが買うらしい。それに合わせて地銀も動いてるらしい」
「え、融資出るの?」
「わからんけど、銀行が後ろにいるらしい」
それが街の商店を通じて、あっという間に回る。
数日後、不動産業者が焦って動いた。
「売主さん、早く決めましょう! 他が動いてます!」
「そんなに慌てて……信用できる話なの?」
「もちろんです!」
(慌ててる時点で信用ゼロ……勝負あったな)
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翌日。
売主が社長に直接連絡をしてきた。
『あなたのところに売ります。地元の会社に残した方がいい』
その報を聞いた社長は拳を握った。
「よし! 勝ちましたよ!」
藤井:「いや、まだ契約してません」
「誠意が通じたんです!」
「誠意というより情報操作です」
「同じことです!」
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契約当日。
不動産業者の担当者が、駐車場で鉢合わせした。
「やられましたよ、藤井さん。噂、うまく使いましたね」
「噂じゃありません、“地域の空気”です」
「うちの社長も“誠意”とか言ってましたけど、
あんたらの方が一枚上手だ」
「うちは“誠意を演算”してますんで」
「なにそれ、AIか⁇」
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契約完了。
会社は土地を正式に手に入れた。
お局が笑う。
「おめでとう、戦場から生還ね」
「疲れました……でも、勝った瞬間に嫌な予感がします」
「なによ」
「…社長が“使い道”を考えてない」
的中だった。
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「藤井くん! 買えましたよ!」
「おめでとうございます!」
「で、どう使いますか?」
(……また丸投げですか)
「土地の使い方は“現場の英知”に任せます!」
(うちに“英知”があったら苦労してません!)
お局:「いっそ、社長の墓地にしたら?」
藤井:「…不謹慎です」
「いや、“経営理念永眠の地”として……」
「余計怖いです」
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数週間後。
土地は更地のまま。
看板には新しく書かれた文字。
《新拠点構想予定地(仮)》
風に揺れ、看板が軋む。
最長老がその前に立ち、静かに呟いた。
「戦で勝って、戦利品の使い道がないのが一番平和ですね…」
手帳を開いて一行。
『情報戦の勝者は、いつも後始末に疲れる。』
藤井は空を見上げ、ため息をついた。
(また社長に“次の地上戦”を命じられる気がする……)
遠くで社長の声が響いた。
「藤井くん! 今度は“海の方”を取りますよ!」
(……もう、“総務課”じゃなくて“侵略課”だな)




