第38話 部長抗争編 ― “拳より重い口の応酬”
月曜の朝。
工場の空気が妙に乾いていた。
総務課長・藤井仁(36歳)は、コーヒー片手に窓越しに現場を見つめる。
(……あの二人が同じ空間にいる。それだけで嫌な予感しかしない)
加工部長――生粋の江戸っ子。
気が短く、口が回り、理屈より気合い。
調達部長――任侠派の関東人。
筋を通すのが命。義理人情が大好物。
二人は仕事上、最も密に関わる。
そして最も仲が悪い。
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発端は、ほんの小さな材料発注ミスだった。
「おい! 昨日頼んだやつ、どこ行った!」
「どこ行った、じゃねぇだろ。お前が“明日”って言ったんだよ!」
「“明日”っつったら、“今日中”のことに決まってんだろ!」
「そんな江戸時間、今どき誰も使ってねぇ!」
「てめぇの感覚が遅れてんだよ、時代に!」
「お前の納期の方がよっぽど遅れてんだろ!」
「うるせぇ! 口動かす暇があんなら、手ぇ動かせ!」
「てめぇが発注書出してから言え!」
(藤井:……朝からバトルロワイヤル。)
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お局がコーヒーを啜りながら呟く。
「出たわね、“気合い対義理”の頂上決戦」
「どっちが勝ちますかね」
「どっちも負けるわよ。声がデカい方が負けるの、会社の常」
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現場の空気は急速に温度を上げていた。
加工部長が一歩前に出る。
「おい、材料が来ねぇと仕事が止まんだよ!」
調達部長も負けていない。
「止まるのはお前の要領が悪いからだろ!」
「要領? そんなもん気合いで埋めるんだよ!」
「気合いで工程回せるか、このヤロウ!」
「やってみな! ワシゃ手動でも魂で回すんだ!」
「魂に納期ねぇんだよ!」
鉄粉が舞い、空気が焦げるような緊張感。
そして、ついに――
「このヤロウ! 表出ろ!」
「おう、上等じゃねぇか!」
首根っこを掴み合った瞬間、工具棚がガシャーンと崩れた。
(藤井:……また備品申請コースだ……)
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そこへ、社長登場。
なぜかスローモーションで。
風が吹いたようにすら感じる。
「――やめたまえ」
声は穏やか、だが圧がある。
二人が一瞬だけ動きを止める。
「ここは会社だ。殴る場所ではない」
加工部長:「社長、こいつが……!」
調達部長:「いや、こっちが……!」
「黙りなさい」
社長は一歩、二歩と前へ出た。
「私はね、昔……喧嘩が強かった」
(…………は?)
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藤井の思考が止まる。
お局も眉をひそめた。
「……今、なんて言いました?」
「“喧嘩が強かった”と言いました」
社長は眼鏡を外し、遠くを見た。
「二十代のころ、取引先との交渉で……“殴り愛”をしたことがあります」
調達部長:「それ愛じゃねぇでしょ!」
「いや、“誠意”の形は人それぞれだ」
藤井:(殴打を“誠意”で包むな)
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社長は語り続けた。
「私は昔、取引の席で……相手の机を“気合い”で割りました」
「物理的に?」
「心で、です」
お局:「つまり割れてないのね」
「気持ちが割れた。だから勝った」
「どういう勝負ですか……」
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調達部長が呆れ半分で言う。
「社長、喧嘩の話してる場合じゃねぇでしょ!」
「いや、大事な話です!」
「え?」
「喧嘩というのは、技術です」
「…技術?」
「殴る前に、空気を読む。これが“管理職の間合い”なのです」
藤井:(新しい研修テーマが爆誕した)
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社長はさらに熱を帯びた。
「若い頃、わたしが商社にいた時に、取引先の専務に『根性見せろ』と言われて……」
「言われて?」
「見せました」
「どうやって?」
「橋の上で」
「え?」
「冬の多摩川に飛び込みました」
「……なんでですか?」
「根性が見たかったのでしょう?」
お局:「見たくなかったと思うわ」
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社長は続ける。
「そのあと肺炎になったが、契約は取れました」
「それ、代償でかすぎます」
「ビジネスとはリスクマネジメントです!」
「リスクがマネジメントしてない!」
藤井:(だめだ、話が“根性ブラック史”に突入した)
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いつの間にか、
調達部長と加工部長は、喧嘩を忘れて社長の話を唖然として聞いている。
社長:「大事なのは勝つことでありません。語ることなのです」
加工部長:「はぁ…」
「喧嘩は相手を倒すためではありません。“理解させるため”にやるのです」
調達部長:「はぁ……」
「わかりますか。拳で交わす信頼関係、これが“企業文化”の原点です!」
お局:「どこの原人文化よ」
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社長は胸を張った。
「君たち、今の喧嘩は悪くありませんでしたよ。確かな熱があった」
「……はぁ」
「だが、方向が違います。殴るなら未来を殴りなさい!」
「いや、物理的には無理です」
「未来を殴りたいと思う気持ちが大事なんです!」
「気持ちで肺炎になるタイプですか…」
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社長は拳を握った。
「私は今でも、殴れば誰にも負けません」
お局:「誰も挑みませんよ」
「なぜですか!」
「殴ったら倒れるからです」
「倒れるのは覚悟です!」
「救急搬送の覚悟ね」
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場が静まり返った。
二人の部長が、ふと顔を見合わせる。
そして、どちらともなく笑いが漏れた。
調達部長:「なんか、馬鹿馬鹿しくなってきた…」
加工部長:「ワシも…社長の喧嘩、一度見てみたいもんだな…」
「昔はよくやりました」
「今は?」
「骨が割れます」
お局:「自己申告、正直ね」
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藤井はその様子を見て、呆れながらも感心していた。
(……あの二人を止められるの、やっぱりこの人しかいないのか)
社長は満足げに頷いた。
「いいですか、君たち。会社とは戦場です。だが武器は拳ではいけない」
「……ほう」
「口です!」
お局:「確かにアンタの口、殺傷力あるわ」
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昼休み。
藤井はお局と廊下を歩きながら呟いた。
「結局、社長の“喧嘩理論”ってなんだったんでしょうね」
「簡単よ。“話せば分かる”の逆。“話しても分からん”」
「つまり?」
「精神的殴り合い」
「納得したような、してはいけないような……」
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その日の午後。
最長老は現場で、一人静かに工具を磨いていた。
藤井が小声で尋ねる。
「部長たち、大丈夫ですかね?」
「大丈夫ですよ…」
「なぜ分かるんです?」
「社長が喧嘩を語りましたから…」
「それで?」
「喧嘩より長い話の方が…誰でも勝てません…」
最長老は手帳を開き、一行だけ記した。
『争いは、強い者が終わらせるのではない。話が長い者が終わらせる。』
薄い笑みを浮かべ、手帳を閉じた。
外ではまだ社長の声が響いていた。
「――だから私は、武器を持たずに勝ったのです!」
その声がエコーのように社内に反響し、
誰もが“この人の口には勝てない”と静かに悟った。




