第35話 ブランド戦略編 ― “社長、Xを始める”
朝礼。
社長がいつものように満面の笑顔で立ち上がった。
「諸君! 我が社は世界に誤解されてしまいました!」
(……それ、ほぼ自業自得ですよ)と藤井仁(36歳・総務課長)は心の中で呟いた。
「しかし! 誤解されるということは、注目されているという事です!」
お局:「炎上と話題性を混ぜてるわよ」
社長は拳を握りしめて宣言した。
「これからは“発信の時代”です! 我が社も公式アカウントを開設します!」
「どこにですか?」
「“X”です!」
「……Twitterのことですか?」
「名前など瑣末な事! 時代の波に乗ることが重要なのです!」
(沈没船にも“波”はあるけどな)
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その日の午後。
藤井は社長室でパソコンの初期設定をしていた。
「社長、まずアカウント名を決めましょう」
「“社長魂”はどうですか!」
「……なんかアカウント停止されそうですね」
「では、“ものづくり侍”にしましょう!」
「いや、侍なら仕事してください」
「“人間品質CEO”!」
(やめてください…)
結局、アカウント名は
@魂で経営
に決まった。
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初投稿。
藤井が見守る中、社長は震える指でキーボードを叩いた。
「本日よりSNSデビューしました! 魂で経営、心で品質! AIにも負けません!」
投稿ボタンを押す音が、まるで爆弾の起爆スイッチのように響いた。
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数分後、通知が鳴った。
いいね:0
リポスト:0
コメント:0
お局:「無風ね」
藤井:「静寂って、こんなに安心なんですね」
社長:「ふむ、世界はまだ寝ている様ですね」
翌日。
社長は再び投稿した。
「我が社の信条は“誠意は電気より早く伝わる”です!」
十秒後、コメントが一件。
『誠意でWi-Fi飛ばすな』
お局:「ネットの民、容赦ないわね」
藤井:「まあ事実です」
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それから社長は完全に“ポスト中毒”になった。
「藤井くん、今日は“いいね”が二件ありました!」
「一件は私ですよ…」
「もう一件は?」
「社内のカラオケ親父です」
「なるほど!やはり魂は繋がっているのですね!」
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翌週。
社長は“#中小企業の底力”というタグを見つけた。
「よし、うちも参加します!」
「#中小企業の底力 我が社は社員の平均年齢67歳! まだ伸びます!」
コメント欄:
『方向が違う』
『平均寿命のほうが近い』
『逆に誇らしい』
お局:「伸びるってどこが?」
藤井:「年金の支給額です」
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やがて、社長の投稿は完全に暴走した。
「AIがなくても心があります!」
「ISOより愛想が大事!」
「会社は書類で動きません、感情で動きます!」
リポスト欄が荒れ始めた。
『それパワハラ上司が言いそう』
『心で納期守れんのか』
『感情駆動型ブラック』
お局:「社長、これ“バズる”の一歩手前よ」
藤井:「“燃える”のほうですね」
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数日後。
炎上が起きた。
社長が投稿した画像――
「笑顔の職場風景」には、社員が写っていた。
背景には“火花が散る溶接機”、そして“安全靴を履いていない調達部長”。
コメント欄は地獄だった。
『ヒヤリハット系インフルエンサー』
『これが日本の魂経営』
『AI導入前にAI監視が必要』
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藤井:「社長! 投稿削除を!」
「ダメです! 誤解は正々堂々と晴らします!」
「今度はどんな投稿するつもりですか!?」
「“誤解に誠意で対応します”!」
「それ追い燃料です!」
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その夜。
社長のアカウントが凍結された。
原因:AIによる自動判定「不適切な経営スピリット」。
お局:「AIまで社長嫌いなのね」
藤井:「学習済みですから」
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翌朝。
社長は沈痛な面持ちで言った。
「藤井くん、時代が私を拒んだようです…」
「いや、利用規約が拒んだんです」
「しかし、魂の発信は止められません!」
「止めてください」
お局:「アンタの“発信”って、ほぼ“放電”なのよ」
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昼。
社長は広報戦略会議を開いた。
「SNSがダメなら、次はYouTubeです!」
社員一同:「やめてください!」
「映像なら心が伝わるはずです!」
お局:「映像に映るのは現実よ」
「ならば現実を編集すれば良いのです!」
藤井:「……悪化してます」
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夜。
藤井はこっそり社長アカウントのログを保存した。
画面の一番下に、凍結直前の投稿が残っていた。
「SNSは魂の鏡。
映るものが歪むのは、こちらの顔が歪んでいるからです。」
藤井:「……最後だけ、やけに正しいな」
最長老が通りかかり、手帳を開いた。
そこにはこう記されていた。
『発信、失敗。誠意、拡散せず。』
そしてもう一行。
『魂、電波届かず。』
藤井は笑って言った。
「……うちのブランド、電波障害ですもんね」
最長老:「いいえ…、停波ですよ…」
蛍光灯がパチンと切れた。
暗闇の中、モニターだけが青白く光り、
社長のアカウント名「@魂で経営」が静かに表示されたままだった。
――その光だけが、まだ少しだけ熱を持っていた。




