第34話 海外取引編 ― “翻訳不能の誇り”
昼下がりの総務課。
藤井仁(36歳)は、英語のメールを前に固まっていた。
件名:《Business Partnership Inquiry》
差出人は、香港の中小商社。
「……また社長、どっかに登録したな」
AI導入失敗、ISO監査で疲弊した会社に、
新たな“国際的トラブル”が舞い込んだ。
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社長室。
社長は満面の笑みで叫んだ。
「来ましたよ! 世界が我が社を認めました!」
藤井:「社長、これ、ただの問い合わせメールです」
「そうではありません、“認めた”と同義です!」
「ISOの認定結果、“是正勧告付き”でしたよ」
「つまり“改良余地あり”! ポテンシャル無限ではありませんか!」
お局:「世界が悲鳴あげるわね…」
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翌日。
朝礼。
社長:「我が社はグローバル化に突入します!」
社員一同、沈黙。
営業課長:「英語しゃべれる人、誰かいます?」
組立部長:「わし、カタカナは読めるで」
調達部長:「そんじゃ、“エーアイ”も“アイソ”も対応済みってことか?」
お局:「あんたらの会話が一番翻訳不能よ」
社長は胸を張った。
「言葉の壁を越えるのは“心”です!」
藤井:(……社長、それでISOもAIも壊滅しましたよね)
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数日後。
社長は藤井に指示を出した。
「藤井くん、まずは英語で会社紹介パンフレットを作りなさい!」
「えっ、翻訳会社に頼まないんですか?」
「外部は使いません! 我々には情熱があります!」
(出た、“情熱=万能理論”)
お局:「英語どころか日本語も危ういのにね」
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藤井は仕方なく、翻訳アプリで作業を始めた。
会社概要:「創業昭和29年。誠意と技術で支えるものづくり」
→ 自動翻訳:「Since 1954. Manufacturing supported by sincerity and technology.」
悪くない。
だが、社長が一行加筆した。
『Our product has soul.』
(製品に魂がある)
さらに――
『We are proud of our human smell.』
(我々は人間の匂いを誇りに思う)
「社長! それ、衛生的にアウトです!」
「何を言うのですか! 日本的情緒です!」
お局:「“スメルス・ライク・オールドファクトリー”ね」
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数日後、香港からオンライン商談の依頼が届いた。
社長は即答した。
「よし、やりましょう!」
通訳は?
なし。
「言葉が通じなくても、誠意は伝わります!」
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当日。
Zoom接続。
画面には香港商社の担当者二名。
社長:「ハロー! アイムプレジデント・オブ・ジャパン!」
藤井:(まずい、もう危険な香り)
担当者:「Nice to meet you. Could you explain your main products?」
社長:「Yes! Our product is……soul!」
沈黙。
藤井:「社長、“parts”とか“machine”とか言わないと」
「いや、魂こそコアです!」
お局:「コアって“核”よ、爆発するわよ」
担当者:「Soul……is it software or hardware?」
社長:「Both!」
(……万能すぎる)
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次の質問。
「Can you guarantee the quality control system?」
社長:「Of course! We have ISO!」
藤井:(“是正中”のほうな……)
「We are very serious about quality!」
調達部長(通訳なしで参加):「Yes! We serious!」
お局:「“病状報告”みたいね…」
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会議中盤。
担当者が図面を共有した。
「Could you check this dimension tolerance?」
社長:「Yes! Tolerance is our philosophy!」
藤井:「意味違う、意味違う!」
社長:「We are very tolerance company!」
(寛容すぎて倒産しそう)
担当者は苦笑してメモを取る。
「Japanese company…very spiritual.」
お局:「もう宗教法人登録ね」
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その後も社長は暴走した。
「We make everything by hand and heart!」
(心で作ってんの、爆弾か)
「We don’t use automation!」
(=ただの人手不足)
「Our old engineer is eighty years old!」
(=労基違反)
担当者:「That’s…very impressive.」
藤井:「(同情の“impressive”だな)」
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商談終了後。
社長はご満悦。
「見ましたか藤井くん! 通訳はなくとも通じたでしょう!」
「ええ、“不安”が通じてましたね」
「心で通じれば十分じゃないですか!」
お局:「あっちは心で警戒してたけどね」
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数日後、香港商社からメールが届いた。
『Your company is very unique.
We hope to visit, but we are afraid of language and safety.』
藤井は苦笑しながら訳した。
「“貴社は非常にユニークです。訪問したいが、言葉と安全が不安です”」
お局:「つまり“怖い”ってことね」
「……国際的に恐れられる中小企業って新ジャンルだな」
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夜。
藤井はデスクでパンフレットの残骸を眺めた。
“Human Smell Manufacturing Company”の文字。
「……もう、この会社の香り、世界に届いてるな」
最長老が通りかかった。
手帳を開き、静かに一言書き足す。
『言葉、越えず。笑い、通ず。誠意、翻訳不可。』
藤井は吹き出した。
「……まあ、確かに。機械翻訳でも無理ですよね」
最長老は笑いながら言った。
「うちは世界に通じなくていいんですよ…潰れなかったら、それでいいんです…」
蛍光灯がまた一つ、パチンと切れた。
それでも、社内にはほんのりと油と笑いの匂いが残っていた。
――この会社のグローバル化は、
“誤訳”という形で世界に広がっていくのだった。




