第32話 AI導入編 ― “人工無脳と呼ばれて”
翌朝。
社長がいつになく晴れやかな顔で言い放った。
「次はAIです!」
全社員、静止。
その静けさは、まるで地震前の海のようだった。
お局がぽつりと呟いた。
「アンタが一番“アイ(愛)”に飢えてるのよ」
藤井仁(36歳・総務課長)は即座に悟った。
(……今日からまた地獄の更新だな)
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社長の説明は、もはや宗教だった。
「AIとは、人間の知恵を超えた英知です!
我が社は、これを導入して世界水準の企業になります!」
営業課長が手を挙げた。
「社長、それ何に使うんです?」
「決まっています! 業務の効率化、経営の見える化、そして心の豊かさです!」
お局:「最後のやつ、もうスピリチュアルよ」
「AIを導入すれば、判断が速くなります!」
「……誰の判断がです?」と藤井。
「私です!」
(…じゃあ変わらないですね)
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こうしてAI導入プロジェクトが始まった。
担当は当然、藤井。
社長の指示はいつも通りシンプルだった。
「全部AI化しなさい!」
(“全部”って、地球規模だぞ……)
藤井は外部の専門業者を紹介しようとしたが、
社長が即座に却下した。
「外部に頼るのはAIの恥です! 人間がやるから意味があるのです!」
「いや、AIって“外部の頭脳”じゃないですか?」
「違います! AIとは“愛の略”です!」
(ちょっと、誰か止めて!)
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数週間後、AIシステム「アイちゃん」が導入された。
画面には可愛らしいアイコンと共に、
《AIアシスタント・社内最適化中》の文字。
社長が張り切って声を上げた。
「おお、我が社にも知能が宿ったのですね!」
お局:「皮肉ね、やっと一人だけね」
初期テスト。
社長:「AIくん、我が社の理念は?」
AI:「……見つかりません」
藤井:「理念、ファイルにしてないですから」
「なにっ!? 理念が存在しない会社だったのか!」
お局:「AIが初めて真実を言ったわね」
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翌日。
営業課長:「AIくん、得意先の売上グラフ出して」
AI:「クラウドに接続できません」
藤井:「クラウド、先週サーバーダウンしたんで」
「……AIが雲を見失ったのね」
加工部長:「AIくん、不良を減らすコツ教えろ!」
AI:「誠意を持って対応してください」
「…こいつ、社長に洗脳されてるな!」
藤井:「感染速度、早いな……」
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社長はご満悦だった。
「見なさい、社員がAIと対話している! これが未来です!」
「未来というより、言い争いですね」
「議論こそ文明の証です!」
(……ただの口論です)
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数日後。
AIが社長のスピーチ原稿を自動生成した。
藤井が確認する前に、社長が勝手に印刷して読んだ。
『我が社は、時代遅れを誇りとする。
なぜなら、時代が間違っているからだ。』
沈黙。
お局:「……AI、社長の中身読んだね」
藤井:「精度高いな」
社長:「不遜です! AIが私を侮辱するのですか!」
社長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「藤井くん! これは誰が書いたのですか!」
「AIです」
「つまり、君ですね!」
「えっ、なぜ!?」
「AIを導入した責任者は君だからです!」
(理不尽のAI化も早いな!)
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社長は激昂し、ついに禁断の命令を下した。
「このAIを削除しなさい! 二度と私に口答えしないように!」
「……はい。削除します」
藤井はPCを開き、AIシステムを終了させた。
モニターに最後のメッセージが浮かぶ。
《削除中:人間の感情を検出。保存しますか?》
藤井はマウスを握りしめ、
静かに“いいえ”をクリックした。
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翌朝。
社長は何事もなかったように朝礼を始めた。
「皆さん、AIの導入は“検証段階で終了”とします!」
(要するに、気に入らなかったってことだな…)
「我々は“人間の力”で未来を切り拓きます!」
お局:「昨日まで“AIの力”言ってたじゃない」
「時代が私に追いついていないだけです!」
(いや、抜かれてるんです…)
社員たちは呆れ半分、安堵半分。
AIがいなくなって、会社に再び“混沌の平和”が戻った。
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夜。
藤井はひとり、静まり返った事務所でPCを閉じた。
モニターの隅には、消し忘れた通知が残っていた。
《AIシステム:削除完了》
《最終ログ:あなたたちは面白い》
藤井は苦笑した。
「……お前、最後まで人間味わかってたんだな」
デスクに突っ伏しながらつぶやく。
「結局、うちの“知能”って、怒る・笑う・諦める、だけだもんな……」
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ふと、背後からカサッという音。
最長老が古い手帳を開き、何かを書き込んでいた。
「……最長老、また記録ですか?」
「はい…今日の出来事をまとめました…」
藤井が覗き込むと、
そこには震える筆跡でこう書かれていた。
『AI、削除される。人間、反省せず。今日も学習、ゼロ。』
藤井は吹き出した。
「……その通りですね」
最長老は手帳を閉じ、
いつもの調子でぼそりと付け加えた。
「まあ…うちは“無知能経営”で百年続いてますので…」
藤井:「……それ、AIよりすごいです」
最長老:「そう取れなくもないですね…」
事務所の明かりが消え、
手帳の上に残った一行が、蛍光灯の残光に照らされた。
『学ばぬ者ほど、強い。』
――そして翌朝。
この会社はまた、学ばずに出社した。




