第28話 納期地獄編 ― “誠意では終わらない夜”
午後九時。
組立工場の灯りが、まだ消えない。
夏の終わり、熱気と金属音だけが残っていた。
「おい、これ本当に明日納めるのか?」
「社長が“できる”って言っちゃったんだよ」
「魂営業のツケ、また現場払いか……」
誰かが笑い、誰かがため息をついた。
その混じり方が、この会社のリズムだ。
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三日前。
例の顧客対応から戻った社長は、全社会議を開いた。
「皆さん。誠意とは、スピードです!」
その“です”が重い。
誰も瞬きすらしなかった。
「顧客から追加のご依頼をいただきました。
通常納期は三週間ですが、今回は“二日”です!」
空気が止まる音がした。
加工部長:「……今、二日って言いました?」
「ええ、二日です」
「二日で金型つくるって、時間の概念壊れてません?」
「できないとは言わせません!お客様の信頼がかかっています」
お局:「じゃあ信頼だけ作っとく?」
「そういう冗談は不要です!!」
社長の“です”が、爆弾のように落ちた。
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午後。
藤井は机に頭を抱えていた。
社長の「誠意でなんとか」指令が、正式な稟議書になっていた。
タイトルは『特急対応プロジェクト(信頼回復型)』。
予算:ゼロ。納期:明後日。責任者:藤井仁。
(なぜまた俺なんだ……総務だぞ……!)
隣でお局がコーヒーを啜りながら言った。
「藤井くん、“誠意”って経費で落ちるの?」
「……落ちるなら、この会社ごと落ちますよ」
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工場は戦場と化していた。
加工部長は旋盤を叩きながら叫ぶ。
「金属が焼けてんぞ! 魂こもりすぎや!」
組立部長:「溶けたら“誠意の証拠”になるんちゃう?」
調達部長:「材料が足りねぇ! もう心で溶接するしかねぇ!」
お局:「心溶接、はい新技術誕生〜」
藤井は深夜に工程表を見直す。
どの段取りにも“奇跡”が前提になっている。
「図面修正:5分」
「部品入荷:気合」
「組立完了:未定(祈り)」
(スケジュール表じゃなくて宗教カレンダーだな……)
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翌朝。
社長は朝礼で笑顔を浮かべた。
「皆さん。疲れていると思います。しかし、“やればできる”は真実です!」
加工部長:「やってもできねぇから疲れてんですよ」
「弱音を吐いてはいけません。弱音は品質を下げます」
お局:「じゃあ音量調整で済むわね」
「私は信じています。あなた方の“魂”を」
藤井:(魂、また召喚された……)
その直後、営業課長が走り込んできた。
「社長! お客様が“やっぱり明日じゃなくて今日の夕方”に変わったそうです!」
社長:「分かりました、受けましょう」
工場全体が一斉に凍りついた。
「社長、それは無理です!」
「“無理”とは、自分に限界を作る言葉です」
「物理的に無理なんです!」
「物理を超えなさい!」
お局:「また出た、“無茶の神託”」
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夜。
工場には眠気と油の臭いが立ち込めていた。
時計の針はもう午前一時。
誰も黙々と作業し、誰も何も信じていない。
加工部長:「ネジが……ネジが笑ってやがる……」
組立部長:「俺も笑うしかねぇ……」
お局:「藤井くん、これ“笑いながら壊れる”やつよ」
藤井:「壊れ方が多様化してきましたね…」
誰かが突然、図面の端に詩を書き始めた。
『ねじるほど ねじれていくよ 人の心…』
「何やってんですか」
「俳句です…心の整理です…」
「今整理してる暇ないですよ!」
別の作業員が呟いた。
「俺…今日から“品質の神”になるわ…」
お局:「就任おめでとう」
そのときだった。
調達部長が、顔を真っ赤にして電話を叩き切った。
「もうダメだ! 仕入先が寝てやがる! 材料が足りてねぇ!」
藤井:「……それ、当たり前ですよ。夜中の一時です」
「待ってられっか! これから行ってくる!」
「え、どこへ?」
「仕入先だ!」
「まさか……!」
「誠意で扉を開けてやる!」
お局:「それ、法律で閉まってる時間帯よ!」
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午前二時。
調達部長は軽トラックで仕入先の倉庫に突撃していた。
門のチェーンを揺らしながら叫ぶ。
「おい! 開けろ! 誠意だ!」
誰もいない。
それでも彼は懐中電灯をくわえ、裏口を探す。
ドアノブをガチャガチャ回しながら独り言。
「うちの現場が死ぬか、お前んとこの鉄が出るかだ!」
やがて、倉庫のシャッターが一部開いているのを見つけた。
「誠意が通じた!」
(ただの風)
彼は勝手に中へ入り、鉄材をトラックに積み込み始めた。
「借りるだけだ……返す! きっと返す! たぶん……!」
帰り道、月明かりの下でトラックの荷台がきしんだ。
「これが“信頼”の重みじゃ!」
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午前三時過ぎ。
トラックが戻ってくる音で、工場の眠気が吹き飛んだ。
「材料、確保したぞおぉぉ!!」
調達部長が、ヒーロー映画のように登場した。
汗と油と誤解で輝いている。
「どこから手に入れたんですか!」
「誠意で!」
「それ説明になってません!」
「魂を見せたら門が開いたんだ!」
お局:「たぶん犯罪のほうが早いわね」
(窃盗予備軍じゃないか……)
それでもその材料は確かに役に立った。
現場が息を吹き返すように動き始めた。
誰も言葉にしなかったが、全員が思った。
(俺たち……もうダメだな…)
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午前五時。
なんとか製品は完成した。
組立部長が叫ぶ。
「できたでーっ!」
工場がどよめいた。
全員が放心した中、社長がゆっくりと拍手を始めた。
「素晴らしい……皆さん、よくやってくださいました。
これが“魂のものづくり”です」
お局:「地獄の成果発表ね」
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午前十時。
営業課長が慌てて戻ってきた。
「社長! お客様が“納期早すぎて準備できてない”そうです!」
沈黙。
藤井:「……つまり?」
「“一週間後に納品し直してほしい”と……」
社長は腕を組み、静かに頷いた。
「なるほど。誠意が、先走ったようですね」
お局:「魂フライング」
藤井:「現場は一周回って悟りましたよ……」
社長は微笑んだ。
「皆さん、これは学びです。“誠意にもタイミングがある”ということです」
その“です”に、誰も返事をしなかった。
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夕方。
藤井は日報を書いていた。
『本日の成果:全員生存(奇跡)。
教訓:誠意は燃料ではなく、火種である。』
お局がコーヒーを置いた。
「藤井くん、火消し役、お疲れ」
「……この会社、火元が社長なんですよ」
「でも消すのが私たちの品質ね」
二人は無言で笑った。
外ではまた、新しい受注FAXの音が鳴った。
紙にはこう書かれていた。
『納期:要相談(短め希望)』
藤井:「……もう“希望”って言葉が怖いです」
お局:「“絶望”のオプション付きね」
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その夜、最長老の手帳に一行が増えた。
『本日も納期達成。ただし、全員の寿命を前借り。』
――“誠意では終わらない夜”は、
こうしてまた、新たな朝を迎えるのだった。




