表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/47

第28話 納期地獄編 ― “誠意では終わらない夜” 

午後九時。

組立工場の灯りが、まだ消えない。

夏の終わり、熱気と金属音だけが残っていた。


「おい、これ本当に明日納めるのか?」

「社長が“できる”って言っちゃったんだよ」

「魂営業のツケ、また現場払いか……」


誰かが笑い、誰かがため息をついた。

その混じり方が、この会社のリズムだ。



三日前。

例の顧客対応から戻った社長は、全社会議を開いた。


「皆さん。誠意とは、スピードです!」


その“です”が重い。

誰も瞬きすらしなかった。


「顧客から追加のご依頼をいただきました。

 通常納期は三週間ですが、今回は“二日”です!」


空気が止まる音がした。


加工部長:「……今、二日って言いました?」

「ええ、二日です」

「二日で金型つくるって、時間の概念壊れてません?」

「できないとは言わせません!お客様の信頼がかかっています」

お局:「じゃあ信頼だけ作っとく?」

「そういう冗談は不要です!!」


社長の“です”が、爆弾のように落ちた。



午後。

藤井は机に頭を抱えていた。

社長の「誠意でなんとか」指令が、正式な稟議書になっていた。

タイトルは『特急対応プロジェクト(信頼回復型)』。

予算:ゼロ。納期:明後日。責任者:藤井仁。


(なぜまた俺なんだ……総務だぞ……!)


隣でお局がコーヒーを啜りながら言った。

「藤井くん、“誠意”って経費で落ちるの?」

「……落ちるなら、この会社ごと落ちますよ」



工場は戦場と化していた。

加工部長は旋盤を叩きながら叫ぶ。

「金属が焼けてんぞ! 魂こもりすぎや!」

組立部長:「溶けたら“誠意の証拠”になるんちゃう?」

調達部長:「材料が足りねぇ! もう心で溶接するしかねぇ!」

お局:「心溶接、はい新技術誕生〜」


藤井は深夜に工程表を見直す。

どの段取りにも“奇跡”が前提になっている。


「図面修正:5分」

「部品入荷:気合」

「組立完了:未定(祈り)」


(スケジュール表じゃなくて宗教カレンダーだな……)



翌朝。

社長は朝礼で笑顔を浮かべた。

「皆さん。疲れていると思います。しかし、“やればできる”は真実です!」

加工部長:「やってもできねぇから疲れてんですよ」

「弱音を吐いてはいけません。弱音は品質を下げます」

お局:「じゃあ音量調整で済むわね」


「私は信じています。あなた方の“魂”を」

藤井:(魂、また召喚された……)


その直後、営業課長が走り込んできた。

「社長! お客様が“やっぱり明日じゃなくて今日の夕方”に変わったそうです!」

社長:「分かりました、受けましょう」

工場全体が一斉に凍りついた。


「社長、それは無理です!」

「“無理”とは、自分に限界を作る言葉です」

「物理的に無理なんです!」

「物理を超えなさい!」

お局:「また出た、“無茶の神託”」



夜。

工場には眠気と油の臭いが立ち込めていた。

時計の針はもう午前一時。

誰も黙々と作業し、誰も何も信じていない。


加工部長:「ネジが……ネジが笑ってやがる……」

組立部長:「俺も笑うしかねぇ……」

お局:「藤井くん、これ“笑いながら壊れる”やつよ」

藤井:「壊れ方が多様化してきましたね…」


誰かが突然、図面の端に詩を書き始めた。


『ねじるほど ねじれていくよ 人の心…』


「何やってんですか」

「俳句です…心の整理です…」

「今整理してる暇ないですよ!」


別の作業員が呟いた。

「俺…今日から“品質の神”になるわ…」

お局:「就任おめでとう」


そのときだった。

調達部長が、顔を真っ赤にして電話を叩き切った。


「もうダメだ! 仕入先が寝てやがる! 材料が足りてねぇ!」

藤井:「……それ、当たり前ですよ。夜中の一時です」

「待ってられっか! これから行ってくる!」


「え、どこへ?」

「仕入先だ!」


「まさか……!」

「誠意で扉を開けてやる!」


お局:「それ、法律で閉まってる時間帯よ!」



午前二時。

調達部長は軽トラックで仕入先の倉庫に突撃していた。

門のチェーンを揺らしながら叫ぶ。

「おい! 開けろ! 誠意だ!」


誰もいない。

それでも彼は懐中電灯をくわえ、裏口を探す。

ドアノブをガチャガチャ回しながら独り言。

「うちの現場が死ぬか、お前んとこの鉄が出るかだ!」


やがて、倉庫のシャッターが一部開いているのを見つけた。

「誠意が通じた!」

(ただの風)


彼は勝手に中へ入り、鉄材をトラックに積み込み始めた。

「借りるだけだ……返す! きっと返す! たぶん……!」


帰り道、月明かりの下でトラックの荷台がきしんだ。

「これが“信頼”の重みじゃ!」



午前三時過ぎ。

トラックが戻ってくる音で、工場の眠気が吹き飛んだ。

「材料、確保したぞおぉぉ!!」

調達部長が、ヒーロー映画のように登場した。

汗と油と誤解で輝いている。


「どこから手に入れたんですか!」

「誠意で!」

「それ説明になってません!」

「魂を見せたら門が開いたんだ!」

お局:「たぶん犯罪のほうが早いわね」

(窃盗予備軍じゃないか……)


それでもその材料は確かに役に立った。

現場が息を吹き返すように動き始めた。

誰も言葉にしなかったが、全員が思った。

(俺たち……もうダメだな…)



午前五時。

なんとか製品は完成した。

組立部長が叫ぶ。

「できたでーっ!」

工場がどよめいた。


全員が放心した中、社長がゆっくりと拍手を始めた。

「素晴らしい……皆さん、よくやってくださいました。

 これが“魂のものづくり”です」

お局:「地獄の成果発表ね」



午前十時。

営業課長が慌てて戻ってきた。

「社長! お客様が“納期早すぎて準備できてない”そうです!」

沈黙。

藤井:「……つまり?」

「“一週間後に納品し直してほしい”と……」


社長は腕を組み、静かに頷いた。

「なるほど。誠意が、先走ったようですね」

お局:「魂フライング」

藤井:「現場は一周回って悟りましたよ……」


社長は微笑んだ。

「皆さん、これは学びです。“誠意にもタイミングがある”ということです」

その“です”に、誰も返事をしなかった。



夕方。

藤井は日報を書いていた。

『本日の成果:全員生存(奇跡)。

 教訓:誠意は燃料ではなく、火種である。』


お局がコーヒーを置いた。

「藤井くん、火消し役、お疲れ」

「……この会社、火元が社長なんですよ」

「でも消すのが私たちの品質ね」


二人は無言で笑った。

外ではまた、新しい受注FAXの音が鳴った。

紙にはこう書かれていた。


『納期:要相談(短め希望)』


藤井:「……もう“希望”って言葉が怖いです」

お局:「“絶望”のオプション付きね」



その夜、最長老の手帳に一行が増えた。

『本日も納期達成。ただし、全員の寿命を前借り。』


――“誠意では終わらない夜”は、

こうしてまた、新たな朝を迎えるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ