第29話 決算報告編 ― “赤字にも魂を”
年度末。
総務兼経理課長・藤井仁は、夜のオフィスに沈んでいた。
蛍光灯の白が冷たい。
パソコンの画面には、血のように赤い数字。
マイナス37,482,000。
今年も、真っ赤に燃えた。
藤井はキーボードの上で手を止め、ぼんやりと呟いた。
「……これ、まだ“経営”って呼んでいいのかな」
プリンターがうなりを上げ、紙を吐き出す。
その音はまるで読経のように一定だ。
お局がコーヒーを差し出した。
「藤井くん、数字の顔色悪いわよ」
「数字も、人も、どっちも真っ青です」
「赤じゃないの?」
「赤は情熱です。血は止まりません」
⸻
翌朝、決算報告会。
ホワイトボードには社長直筆のスローガン。
『数字に支配されるな、魂で決算せよ!』
藤井:(支配されない決算、存在するのか……)
会議室には主要メンバー全員が揃っていた。
社長、調達部長、営業課長、加工部長、技師長、お局、最長老。
空気が既に重い。
重いが、どこか楽しげでもある。
社長が立ち上がり、開口一番。
「皆さん。今年も、魂のこもった一年でした!」
藤井:(その魂、だいたい経費で落ちてますけどね)
「赤字です。しかし、私は誇らしく思っております」
お局:「藤井くん、今年も“誇らしい赤”よ」
「燃えてますね」
「会社じゃなくて、社員の心がね」
社長は胸を張った。
「赤字とは、挑戦の証なんです。守りの黒字ではなく、攻めの赤字!」
営業課長:「攻め過ぎてお客様逃げました!」
調達部長:「材料費も魂価格だったからな」
社長:「誠意に値段はつけられません!」
藤井:「でも請求書は来ます」
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プロジェクターに映る資料。
《決算報告書(作成:総務兼経理 藤井)》
社長:「説明をどうぞ!」
藤井:「はい。簡潔に申し上げますと――
売上は横ばい、利益は地底深くへ。
経常利益はマイナス三千七百万円。
原因は“誠意による特急対応”と、“誠意の残業費”です」
調達部長:「深夜仕入れ費ってなんだ?」
藤井:「ええ、“誠意割増”をつけておきました」
お局:「泥棒が経費精算したの初めて見たわ」
社長はうなずく。
「素晴らしい。数字に誠意が宿っている」
藤井:「宿って出血してるんです」
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スライドが切り替わる。
棒グラフ、折れ線、そして謎の円グラフ。
社長が指差す。
「見てください! この“感謝件数”!」
藤井:「……感謝件数?」
「社員が“ありがとうございます”と言われた回数です!」
お局:「それ、売上じゃなくて回数券よ」
「感謝が増えたということは、信頼が増えた証拠です!」
調達部長:「請求も増えてるけどな」
社長:「信頼と請求は比例します!」
藤井:「(支払い能力と反比例してるけど)」
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昼休み。
藤井とお局は食堂の隅で弁当を広げていた。
お局:「藤井くん、社長のあの“魂決算”スローガン、去年も見たわね」
「ええ、去年は“心で締めろ”でした」
「再利用ね。エコ経営」
「赤字も再利用してるから、環境に優しいです」
お局は箸を止めて笑った。
「藤井くん、あなたさ、経理やってて辛くない?」
「ええ。数字が宗教化すると、もう経理じゃなくなります」
「今のあなた、会計士じゃなくて供養士ね」
「いや、もうお坊さんの方が近いです」
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午後。
第二部「来期方針」。
社長が満面の笑みで掲げた資料。
『来期目標:魂の黒字化』
お局:「うちの会社、宗教法人にした方が早くない?」
社長:「数字より誇りです! 売上より信頼! 利益より感動!」
藤井:「感動は非課税ですね」
調達部長:「非現実でもあるな」
「夢を追うんです!」
お局:「夢って現実逃避の上位互換よ」
社長は拳を振り上げた。
「次は“誠意ポイント制度”を導入します!」
営業課長:「貯めたら何になります?」
「誇りです!」
お局:「通貨にならないマイルがまた増えた」
藤井:「……誠意ポイントって、貸借対照表のどっち側です?」
「両方です!」
「じゃあ、永遠に合いませんね」
「合わないからこそ、人間なんです!」
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夕方。
調達部長が資料をめくりながら言った。
「社長、この決算、どう説明するんです?」
「誠意です!」
「銀行が理解しますかね」
「情熱が伝わればいいんです!」
お局:「去年、それで担当者泣かせたでしょ」
「涙は信頼のしるしです!」
藤井:「(その信頼、返済してないんですよ)」
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会議の最後、社長は感動的に締めくくった。
「皆さん、我々は数字以上の価値を生み出している!
たとえ赤字でも、心は黒字だ!」
静寂。
誰も拍手しない。
だが、お局が小さく呟いた。
「……確かに、心は黒焦げね」
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夜。
藤井はひとり机に戻り、最終決算書を整えていた。
印刷された書類を見つめながら、ため息をつく。
『特別損失:誠意費 37,482,000円』
『備考:社長は満足しているため、精神的には黒字』
お局が帰り際に声をかけた。
「藤井くん、赤字の数字って、生きてる気がしないわね」
「ええ。でも、心拍はあります」
「生きてるだけで黒字よ」
彼女が去ったあと、藤井は独りごちた。
「……心拍、そろそろ止まりそうですけどね」
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その夜、最長老が帳簿を閉じて言った。
「赤は、熱だ。黒は、沈黙だ。
この会社は、熱く沈んでおる」
――“赤字にも魂を”。
この会社の決算は、今日も心の中で黒字だった。




