第21話:内部監査編 ― 不正のない不正会計
「本日は“内部監査”を実施します」
その一言で、社内が一瞬だけ静まり返った。
——が、すぐに誰も動かない。
なぜなら、毎年この“内部監査”は社長による自画自賛ショーであることを、社員全員が知っているからだ。
総務課長・藤井仁(36歳)は、会議室に並ぶ帳簿の山を見つめていた。
(去年の監査で「数字がきれいすぎる」って怒られたんだよな……。普通は逆だろ)
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午前10時。
社長がゆっくりと会議室に入ってくる。
姿勢は堂々、顔つきは“経営の神”モード。
「皆さん。私は不正のない不正会計を目指しています」
(いや、それ矛盾してますよ)
「会計とは、経営者の人格を映す鏡です。つまり私の数字は清らかである」
(人格がそのまま勘定科目に載る会社、聞いたことない)
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営業担当が、おずおずと口を開く。
「社長、今年の交際費なんですが……」
「うむ、私が説明しましょう」
社長はニコリと笑い、ホワイトボードに書いた。
> 『交際費=人間関係の投資』
「ですから“飲み代”ではありません。“人間開発費”です」
(おい、それ新しい勘定科目だぞ)
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お局(71歳・営業事務/前社長の従兄弟)が、机をトントン叩きながらぼそり。
「じゃあ“スナック代”は何? 夜の人間開発?」
「おお、いい表現ですね」
「褒めてないわよ」
社長は満足げに頷く。
「私は、社員が飲みに行くのを咎めません。なぜなら、“経営は潤滑油”だからです」
藤井は頭を抱えた。
(潤滑しすぎて溶けてるんですけど……)
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次の資料に移る。
経費精算書。
社長は堂々とペンを指した。
「この“私的流用疑惑”という赤字メモ、誰が書いたんです?」
藤井は小さく手を挙げた。
「……私です」
「ふむ。では聞きます。会社の車で温泉に行くのは“私的流用”ですか?」
「……社用目的でしたか?」
「ええ、“社員の疲労回復の視察”です」
「……視察、ですか」
「現地調査とも言います」
(ただの露天風呂旅行だろ……)
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監査会議はどんどんスライドしていく。
議題は経理から精神論へ。
社長は立ち上がり、胸を張って言った。
「私は数字より“心”を見ています」
お局が即座に刺す。
「心の残高は赤字よ」
「そこは“未来の前借り”です」
(お金の概念を壊すな……)
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藤井は勇気を出して切り込んだ。
「社長、棚卸資産の評価が合いません。倉庫の在庫が……」
「見た目で判断してはいけません」
「見た目……?」
「モノの価値は“心の在庫”で決まるんです」
「心で仕訳はできませんよ」
「だから“心で監査”するんです」
(だめだ、会話が宗教に突入してる)
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途中で組立部長(76歳)が疲れ果ててうつむいた。
社長がすぐ気づき、
「眠いんですか?」
「いえ、目を閉じて考えてます」
「素晴らしい! それが“内省監査”です!」
お局が小声で。
「寝ても褒められる監査なんて、天国の制度ね」
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昼を過ぎるころ、ようやく監査も終盤。
社長はまとめに入った。
「本日の結論です。我が社に“不正はない”。なぜなら——」
筆を掲げる。
「“不正をする余裕がない”からです!」
会議室が静まり返った。
お局が苦笑しながら拍手。
「名言ね。貧乏は最大のコンプライアンス」
藤井は内心で(もうそれ社訓でいいんじゃないか……)と呟いた。
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その日の夕方。
監査結果報告書が完成した。
表紙には大きく書かれている。
> 『内部監査報告書:不正のない不正会計の実現について』
藤井は署名欄に震える手でサインした。
(いや、実現しちゃダメなんだよ)
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翌朝。
社長は全社員を前に発表会を開いた。
「皆さん、素晴らしいニュースです。我が社は“不正ゼロ”を達成しました!」
拍手がぱらぱら。
「これも皆さんの“忠誠心”の賜物です!」
お局がぽつり。
「忠誠心じゃなくて諦め心でしょ」
藤井は苦笑いしながらメモを取った。
> “不正ゼロ=誰も報告しないだけ”
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夜、藤井は総務室で一人つぶやいた。
「監査って、何を正すんだろうな……」
机の上の報告書を閉じる。
お局の声が背後から飛んだ。
「そりゃ決まってるわよ。監査って“現実”を正す儀式よ」
藤井は天を仰ぎ、深くため息をついた。
「……数字より深い闇がここにある」
蛍光灯の下、報告書のタイトルが光る。
——《内部監査報告書/第0号》
(“第0号”? あ、提出前に消滅するパターンか……)
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そして次の朝、
報告書は机から忽然と姿を消していた。
お局のメモだけが残されていた。
> 「社長が“改訂版”作るって言ってたわよ。たぶん“奇跡の黒字”になるやつ」
藤井は机に突っ伏した。
(もう監査じゃなくて、ファンタジーだ……)




