第二夜(7)
わたしは突如として現れた月梅花を警戒した。同時に、魔力感知と霊感をフル稼働させて、眼の前に立つ月梅花の気配を捉えようと集中する。
それを察したか、月梅花がいっそう口元を歪めた。途端、底冷えするような冷気が漂い始めて、凶悪な殺意と凄まじい覇気が部屋を支配した。
「梅花……我、もう好い、か?」
部屋の入口で立っている月梅花に、満身創痍の劉玉環が脱力しながら問い掛ける。
月梅花は妖艶な笑みを浮かべて、下唇を指でなぞっていた。その全身からは、さらに強烈な殺気が溢れ出していた。ちなみに両手には、蒼い剣と白い剣が握られている。
わたしを斬り付けたのは、その双剣で間違いないだろう。
それは、思わず吐息が漏れるほどの美しい造形でありながら、悪霊に匹敵するほどの禍々しい雰囲気、怪しい霊気を放っていた。
明らかに妖刀の類である。事前に見ていた画像と同じ特徴なので、間違いなく春麒と秋麟と呼ばれた一対の双剣だろう。だが、実物がここまでの妖刀とは思っていなかった。
そんな月梅花は、傍らの劉玉環を庇うように一歩前に出た。
劉玉環は、血だらけになった左腕を抑えながら、床に跪いた。その所作は、まるで王に仕える騎士を思わせる。
「――月梅花さん。本日はこんな素敵なところにお誘いくださり、本当に感謝いたします」
「あー? どういたし、まして?」
月梅花は妖艶な笑みを浮かべたまま、不思議な発音で頷いていた。
わたしは静かに呼吸を整えると、背筋を伸ばして気持ちを切り替えた。月梅花の放つ殺意を呑み込まんばかりに、全力の闘気と殺意を放ち、負けじと威圧する。
一瞬で部屋の中は重力が三倍にもなったかのように重苦しい空気になり、凄まじい悪意と殺意で満ち満ちた。わたしの気迫と月梅花の気迫がぶつかり合う。
月梅花がいっそう嬉しそうに口元を緩めながら、下唇に舌を這わせた。
「朋友。盛り上がったとこ、せっかくだけど、今日はもう、お勘定、かな?」
「――――はぁ? お勘定? どういう……もしや、お開き、ということですか? いやいや、まさか、ですよね!? ここまで盛り上がっているのに、逃げると言うのですか?」
不思議な言い回しをした月梅花に、わたしは驚愕しながら食って掛かる。
それは、正気か疑うほどの発言だ。ここまで盛り上がって、こんな不完全燃焼な状態で、よもや終わりなどあり得ない。
「逃げる? 違うよ。今日、このまま闘ってても、最高に愉しめない。ここ、闘うに適してないよ? 朋友も、最高の舞台で闘うがいいでしょ?」
「――最高の舞台、とは?」
「こんな店内じゃなくて、夜空の下――美しい夜の世界で闘おうよ」
月梅花が両手を大きく広げて、握っていた双剣を部屋の隅に向かって、無造作に放り投げた。投げ捨てるように放られた双剣は、どちらも床に転がる。
何がしたいのか、と怪訝な瞳で月梅花を注視した。
それは戦意喪失ではなく、当然ながら投げやりとかお手上げ、という感じでもない。意図が掴めないが、確実に何かの予備動作に思えた。不気味である。
瞬間、強烈な直感で、ゾワリと背筋に寒気が走った。圧倒的な殺気、強烈な殺意が、背後からわたしの心臓に突き刺さった。
「――――ッ!?」
殺気にビクッと反応したほんの一瞬、月梅花が大きく一歩踏み込んできた。
わたしの隙を突いた一歩は、音を置き去りにする疾さの踏み込みであり、五百蔵鏡が使った【縮地】にも似た歩法だ。真正面からハッキリと視えているのに、全くタイミングが掴めず、ゆえに捉えられない動きである。
まばたきする束の間で、素手の月梅花がわたしの胸元に飛び込んできて、思い切り背中をぶつけてくる。ちなみに、さりげなくその手は、わたしの刀を掴んで抑え込んでいた。
(これは――鉄山靠? グッ!?)
インパクトのタイミングでバックステップして、受け身を取りつつ衝撃を流す。同時に護身罡気での防御も行い、身体を硬直させることでダメージを抑える。
だがそこまでやっても、ダンプカーに激突されたような衝撃が背中から抜けていった。内臓が一斉に揺らされたような感覚と、三半規管を狂わせる揺れがわたしを襲った。
不意打ちの体当たりは、見事に成功である。わたしは思わず苦痛を浮かべた。
とはいえ、この程度で油断はしないし、態勢を崩すほどには至らない――ただし、次の手を誘うためにはあえて隙を作る必要があろう。
「以気馭剣――紫霞繚乱!!」
わざと隙を見せてよろけたところに、劉玉環の叫び声が響き、床や壁に散らかる武器たちが飛び掛かってくる。馬鹿の一つ覚えとしか言いようのない超能力によるそれは、もはや何の面白みもない攻略済みの技である。
こんな程度の攻撃では、どれだけわたしの態勢を崩そうとも通用しない。だからこそきっと、これを囮にして月梅花の追撃が――――こなかった。
「――――は、ぁ?」
わたしは素っ頓狂な声を上げて、眼を見開いた。続く連撃を想定して身構えていたのに、何の衝撃も訪れず、拍子抜けしてしまった。
月梅花は鉄山靠を放った直後、わたしの懐で小さく丸まったかと思った刹那、煙のように掻き消えていたのだ。
気配を断つと同時に、瞬息で部屋の隅まで飛び退いていた。逆に、不意を突かれて動けなかった。
「ちょ、ふざけ――」
「再見、朋友!」
わたしが慌てて月梅花に手を伸ばした時、爆撃じみた刀剣が妨害するように降り注いでくる。
「――チィッ!! この――【暁天・雷鳴】!!」
大きく舌打ちをして、わたしは渾身の【暁天】を繰り出す。しかも今回はさらにその逆袈裟の斬撃に、雷撃の属性を限界まで乗せて放ってみた。
煌めくような白刃の軌跡は、凄まじい電撃を伴って、床から壁、天井までを切り裂き、降り注ぐ武器を粉微塵に砕け散らせた。
音速を超える剣戟は爆撃じみた衝撃波を発生させて、轟音と共に部屋の中に大きく亀裂を刻み込む。
そんな斬撃を紙一重で避けながら、月梅花は重力を無視した歩法で天井を駆け抜けていた。
すかさず逃げる月梅花の背中目掛けて、わたしは雨燕・比翼飛燕を繰り出す。けれど、月梅花は後頭部に眼でも付いているのか、飛翔する斬撃の軌道を、全て紙一重で見切って華麗に避けた。
そうして月梅花は、劉玉環の脇から部屋の外へと駆け抜けていく。
わたしは逃がすまいと、渾身の魔力を纏わせて、八重示現流、終の剣技【八岐大蛇】を放った。
魔力を纏った斬撃が、霊力を帯びて八つの蛇を形作って攻撃対象を追尾する。
八つの蛇はうねるような軌道で、逃げる月梅花の背中に迫り、あと一息で追い付くところで、劉玉環が振るう無形剣に撃ち落とされた。
「――――この、劉玉環ッ!!!」
一度も振り返らず、迷わず一目散に逃げた月梅花の後ろ姿を呆然と見送りながら、わたしは怒り心頭に劉玉環を怒鳴り付けた。
どこまでも邪魔をして、なんて鬱陶しいのか。劉玉環は、この場で殺し切るべきだ。
わたしはグッと身体を捻って、寝かせた刀身を上段に構える。そして、次の瞬間に、全力でもって渾身の振り下ろしを見せて、地を這う剣技――外道之太刀【土竜・轟然地裂】を繰り出した。
しかし、それが劉玉環に届くことはなかった。その手前で突如、爆発したのである。
「なっ!? クッ――そ、がっ!!」
紫電を纏った土竜が床をジグザグに這いながら、劉玉環の数歩手前まで迫った瞬間、床を伝う斬撃にピンポイントで、月梅花が投げ捨てた双剣が突き刺さってきたのだ。それは超能力か何かで、自在に空中を飛び回り、わたしの斬撃に合わせたようだ。
双剣――春麒、秋麟は、凄まじい剣気を孕んでおり、わたしの土竜・轟然地裂と激突した途端、爆弾の如き反応を見せたのである。
「……ここまで、だな。アヤメさん……失礼」
床に穴が空いて粉塵が舞い上がった時、劉玉環が駄目押しとばかりに、手榴弾と音響閃光弾を幾つか放り投げてきた。それらは間髪入れずに大爆発を起こす。
「――――ッ!??」
凄まじい爆風と爆炎が生じて、同時に、三半規管を壊さんばかりの轟音が部屋の空気を震わせた。発生した爆風に阻まれて、わたしは思わず部屋の隅まで飛び退いていた。
この爆発は、劉玉環自身も巻き込むほど大規模なものだったが、ただの身体を張った目晦ましでしかない。当然、劉玉環がこの程度で怪我を負うことはない。
だがこの一瞬の爆発により、劉玉環も月梅花と同様、わたしの前から無事に逃げることに成功していた。気付いた時には、もはや姿はおろか気配さえ追えなくなっている。
「くそ……次は、確実に、殺す……」
こうして後に残ったのは、穴の空いた床と天井まで切り裂いた亀裂、襤褸切れになった従業員の死体に、砕け落ちた刀剣の残骸だけである。
わたしは天井を仰ぎながら、はぁ、と深く溜息を漏らした。少し身体の感度を落ち着かせて、麻痺している三半規管が戻るのを待つ。
「…………嗚呼、火災報知器が鳴っているようですね……パトカーのサイレン、消防車の音も、聞こえてきました……」
しばらくして、音響閃光弾の効果が弱まり、耳の調子が落ち着くと、逆に、部屋の外がだいぶ騒がしくなっていた。
たかだか一分か二分そこらしか経っていないが、しかし、もう月梅花も劉玉環も捕まえることは不可能だった。もう一度、深く大きく溜息を漏らす。
念のため、と気持ちを切り替えて、グランメゾンベルファム全体を魔力感知、霊感で探ってみる。けれどやはり、もはやどこにも気配はない。
わたしは疲れたように脱力してから、霊剣化した【悪霊断ち】を模造刀に戻した。落ちている専用の竹刀袋に収めて、廊下をバタバタと走り回る従業員たちの足音に意識を向けた。
部屋の入口は、落ち着いているとはいえ、爆発の影響で燃えていた。熱気と炎が凄まじい。
ちなみに、この火災のせいで、火災報知器のけたたましい音が店内に響き渡っており、混乱するお客さんの怒号がそこかしこから響いていた。
改めて気配を探ると、店舗の出入口は人が殺到していて、混雑はピークになっている様子だ。
「……あまり、意味のない水、ですね」
ところで、この火災を消火すべく、部屋の中のスプリンクラーは先ほどから稼働しているのだが、どうやら壊れてしまっているようで、水がポタポタと滴る程度しか出てきていなかった。これでは、人を濡らすことは出来るけれども、燃え盛る炎を何とか出来るとは思えなかった。
「まぁ……天井を亀裂だらけにしたのはわたしですから……責任は、感じますけれど」
壊したのは、間違いなくわたしだと理解している。だからこそ、煙と炎の熱波により、どんどんとサウナになっていく部屋への苦情は口には出さない。
とりあえず、ここから脱出はしようと思うが――今すぐ動いでも、仕方ないかも知れない。
精神を集中させて、魔力感知と霊感を総動員する。店外の様子も含めて、周囲一帯を意識下に置いた。
どういうルートで外に出るべきか、どうすれば目立たずに動けるのか、ここからの逃走経路をシミュレーションする。
口元を抑えて、眉根を寄せた表情を浮かべた。
「――あら? 気付きませんでしたけれど、わたし、だいぶ見苦しい格好になっていますね……まずは服を確保しましょう……」
ふと目線を下げると、パックリと裂けた胸元が大きく破れ始めており、わざと胸元を開けている下品な服みたいになっていた。しかも最悪なことに、裂けたスポーツブラもズレて落ちており、挙句、水に濡れて肌にへばりついたことにより、シャツが胸の形で張り付いていた。
これは、かなり恥ずかしいし、はしたない格好過ぎるだろう。しかも、胸がそれなりにあれば恥じることはないのかも知れないが、薄い胸が強調されているのは良い気分ではなかった。
わたしは首を横に振りながら、幾度目か分からない溜息を漏らした。
床で死んでいる従業員の衣服を奪おうかと思ったのだが、血でグチャグチャに汚れていたので、流石に取り換える気にはならない。
こうなると、廊下で騒いでいる従業員を捕まえて、奪うべきだろう。この恰好で外に出たら、痴女として通報されてしまう。
「ちょうど良い背格好の方だと、ありがたいですけれど……」
わたしは独り言を呟きながら、廊下を走る女性らしき気配を察知して、燃え盛る部屋を後にした。
「あ、お客様、大丈夫――ッ!?」
廊下を歩いていると、わたしの格好を見て、従業員の女性が心配そうな表情で駆け寄ってきた。ニッコリと微笑んで見せる。ちょうど同じくらいの背丈だった。
「ご愁傷様です。わたしに遭った不運を嘆いてくださいませ」
「――ぁ!?」
わたしは有無を言わさず、迷わずに竹刀袋から模造刀を抜刀して、その首を刎ね飛ばす。
驚愕の表情で凍り付いたままの頭部が転がり、当然ながらそれに遅れて、切断面から血が噴き出そうになる。それに先んじて、傷口を雷撃の属性で焼き切った。
バチィ、と凄まじい電撃が走り、肉が焼ける異臭が漂ってくる。けれど、見事に切断面は焼け焦げて、出血は最小限に収まっていた。
服が汚れなくて良かった、とわたしは自らの手腕に満足気に頷き、形だけの手を合わせてから、服を奪って厨房に向かう。
店内の気配を探った結果、店外の野次馬のことを考えると、厨房奥にある裏口から脱出するのが、最もリスクがないと判断した。恐らく人と遭遇する可能性が少なく、逃げやすいはずだ。
厨房の裏口からは、人通りの少ない路地に繋がっており、隠れる場所もそれなりに豊富である。
「――あ!? お前、いったいどうして戻って――」
「ん? 誰だ――うぉ、っ!? ど、どういうこと、っ!?」
「おい、こっちはもう大丈夫――って、なんだ、なんだ!? クソ、何者だ!!」
従業員の服装で、わたしは厨房に平然と足を踏み入れる。そこでは、火災に大混乱しつつも、調理器具を片付けたり、火元の点検をしている三人のシェフが居た。
シェフたちは現れたわたしに驚愕してから、見覚えのない顔に気付いて、すぐさまその異常性に気付いたようだ。
一番年上のシェフ――総料理長が、わたしの身体に触れようとしたので、両腕を切断した。
一番若いシェフが、撥ね跳ぶ総料理長の腕に驚き、悲鳴を上げる。そんな二人を横目に、もう一人のシェフは慌てて大きな牛刀を手に持って、わたしに向かって威嚇してくる。
「失礼いたします――ご安心を。痛みは感じさせません」
わたしはそんな三人にニコリと微笑み、次の瞬間に、全員の首を刎ね飛ばした。
残念ながら、三人とも戦闘の経験はないようだった。わたしの剣技に、何の抵抗も、反応すら示さずにあっけなく絶命していた。
一瞬にして厨房の床が血で染まり、首のない遺体が転がった。
とりあえず三人の死体をそのまま、わたしは、片付いている厨房を無造作に荒らして、床一面に油という油を撒き散らす。また、ガスの元栓を開いて、厨房全体にガスを充満させた。
念のため、隠蔽工作はすべきだろう。
「放火魔の気持ちは分かりませんね。何が面白いのでしょうね?」
厨房の裏口から外に出たわたしは、ガスで充満する厨房の中に火を放った。
放り込んだ火は従業員が持っていたジッポライターだが、床の油を燃え上がらせて、たちまちガスに引火する。
ドガン、と空気を揺るがすほどの大爆発が起こり、連鎖的に厨房に置かれていた小型ガスボンベが小規模爆発を発生させていた。火柱が暗くなった空に立ち昇り、夜の空を黒い煙と赤い炎で彩る。
消防車とパトカーのサイレンが大通りに殺到しており、その音を聞きながら、わたしは逆側から駅に向かって歩き出した。
わたしは人混みを避けて、暗がりの道ばかりを選んで進みながら、ふと直感で足を止めた。
「……月梅花さん、逃がしてしまいましたよ? この結果は、柊さんの思惑的には、想定通りですか? それとも、想定外だったのでしょうか?」
誰かの気配を感じたとか、視線を感じたとかではない。本当に、ただの直感である。ふと、わたしは何でもない路地で振り返りながら、独り言のように問い掛けた。
周囲には誰の気配もないし、視える範囲に人の姿もない。しかし、そこに柊南天が隠れているのは、間違いない、となぜか確信できた。
「――ビビるっスねぇ……いつの間に【空無之位】の、見分け方でも修得したんスか? まさか、うちがここで、見付かるなんて思わなかったスよ?」
果たして、柊南天の声が頭上から聞こえた。視線を上げると、塀の上に座っていた。
やはり尾行されていたようだ。気配はなくとも、グランメゾンベルファムを出たときから、どこか違和感があった。
「どこで、気付いたんスか?」
柊南天は塀の上で座ったまま、足をプラプラと振っている。ちなみにその格好は、キャバ嬢衣装のままである。
わたしは首を横に振りながら、もう一度同じ質問を口にする。
「月梅花さんを逃がしてしまったのは、柊さんの思惑的には、想定通りですか? それとも――」
「――想定通りっス。ってか、姿を現したのが、想定外っスけどね」
柊南天は、塀の上から猫みたいに飛び降りると、着地と同時に即答してきた。
「言ったじゃないっスか。梅花嬢の殺人衝動は、まだ最高潮じゃないんスよ? だから、最高レベルに愉しめそうな獲物を、この中途半端な時期に、先走って食べるわけないっスよ? 今日は、だからきっと、下味処理、とかそういうイメージだったんじゃないっスかねぇ――殺す価値があるかないか、それを見極めて、新月に闘うにあたいしないなら、別の獲物を物色するつもりだったはずっス」
「――なるほど、ね。それでは、わたしは、月梅花さんのお眼鏡に適った、ということですかね?」
「最悪ながら、そうでしょうねぇ」
わたしは柊南天に冷たい視線を向ける。柊南天はとぼけた顔をする。脳内で、隠し事は止めてください、と強烈な殺意をぶつけてみたが、バツが悪そうな顔をして視線を逸らすだけで応えなかった。
「柊さんが懸念していたこと――月梅花さんが、わたしの戦闘を学習して、魔力を覚えたり、剣技を盗んだり、でしたか? 確かにそれは嘘ではないけれど、本当の懸念ではなかったのですね?」
真実を教えなかったのでしょう、と、流し目で続けた。露骨に視線を逸らされた。
「わたしが実力の片鱗を見せてしまうと、月梅花さんは興味を持ってしまい、新月まで姿を現さなくなってしまう。だから、出逢い頭に逃がさず殺さないとならない――と言ったところですかね?」
「まぁ、ご明察、っスね。うちの誤算は、今日この場に、梅花嬢が来るはずはない、って推測してたのが、ガチでやってきたことス……よもやよもや、っス」
柊南天のため息に、わたしも大きくため息を漏らす。これだから、隠されるのは嫌なのだ。
「わたしはこれからどうすればいいですか? 勿論、こうなった場合の対策も用意しているのでしょう?」
想定外が発生したとて、それに対する対策は準備しているだろう。その証拠に、こうしてわたしを監視しており、状況を把握しているのだから――
わたしの思考に、パチパチと手を叩いて、柊南天は頷いた。
「ご明察っス! その対策を伝えにきましたっスよ。流石っスね」
「――ええ。それで? 具体的に、かつ簡潔にお願いします」
「はいはいはい、承知ッス。そう怒らないでくださいっスよ。えと、端的に――劉氏を挑発して誘き寄せるか、梅花嬢を待ち伏せするか、の二択っスかね? 劉氏を誘き寄せるのは、まぁ、かなり困難スけど、不可能じゃないっス。一方で、待ち伏せは完全なランダムエンカウントっス。つまりは、運頼み、ってことスけど、どうしまスか?」
ふざけた言い回しだ。ギラリと睨みつけて、舌打ちをする。柊南天はおどけた調子で肩を竦めた。
厭らしい、と悪態を吐きつつ、怒りを堪えて夜空を仰いだ。わたしがどちらを選択するのか、最初から分かって聞いている。
「……誘き寄せる方法は? 困難、というのは具体的に、どう困難なのでしょうか?」
待ち伏せなど、わたしの性に合わない。しかも、運頼み、という出逢える確証がない時点で、その選択をする理由がなさすぎるだろう。わたしはいま、それほど暇ではない。
「挑発に乗ってくるかどうか、が博打っス。うち、劉氏とは面識もないんで、性格がいまいち掴み切れてないっス。だから、確実とは言い難いんスよ……残念ながら」
「挑発された程度で、のこのこと顔を出すような方なのですか?」
「さあ? だから、そこが分からんってのが、誘き寄せられるかどうかの問題点、っス」
柊南天にしては、あまりにも曖昧で不確実性な提案である。ジッと見詰めるが、態度は変わらない。
今回はどうやら、裏事情があって隠している風でもなさそうだ。珍しく純粋に、結果がどう転ぶか未知数と考えているようだ。
出たところ勝負は好きだが、無駄骨になる可能性があるのは好ましくない。とはいえ、それ以外に術がないのであれば、やるしかあるまい。
「分かりました。それでは、劉玉環さんを誘き寄せてください――ちなみに、そうすると月梅花さんも現れる、という認識で間違いないのでしょうか?」
新月に月梅花と闘うのを避けるのが本来の目的である。
それを叶える方策の一つが、劉玉環を誘き寄せること、らしいが、何がどう結びつくのかいまいち理解出来ていなかった。
そんなわたしを嘲るように、柊南天が不敵な笑みで続ける。
「ご安心を。梅花嬢の性格は、劉氏よりも分かり易いんで、ある程度の予想は立つんス。だから、劉氏さえ挑発に乗ってくれれば、必然的に、梅花嬢と闘えるっス――そういうシナリオに持ってくっスよ」
「月梅花さんの性格を知っていると仰るわりに、ここに現れたのが想定外だった、のでしょう? 柊さんの想定は、当てになるのですか?」
「うわちゃぁ……確かに、少しだけ耳に痛いっスねぇ……けど、ご安心を。そこのフォローはしっかりやるっスよ。ってか、流石のうちでも、たった二時間程度じゃ、梅花嬢たちの裏まで手を回せないっスよ」
「――時間がなかった、という言い訳ですか?」
「そスよ? 無茶振りにも答えたいっスけど、うちにも段取りがあるんで――」
ああ言えばこう言う。わたしは溜息を漏らして、これ以上の問答は呑み込む。
大事なのは結果であり、この後、月梅花と闘うことが出来ればそれで充分である。
「あ、そりゃ無理っス――うち、いまから段取るんで、勝負は明日っスね。場所は、九鬼山の頂上付近で、正午から午後十五時までの間、ってところで、どっスか?」
わたしの思考を読んで、柊南天がサラリとそんなことをのたまう。
ふざけるなよ、と瞬間的に本気の殺意を柊南天にぶつけた。いまのこの憤り、昂った気持ちをどうしてくれるのか。
不完全燃焼なこのやるせなさを、どう解消するつもりなのか――お前を殺すぞ、と柊南天の首に、模造刀を押し当てた。
「うぉぅ!? ちょ、ちょ、マジで、タンマ!! んな危険な殺気も、ぶつけんでくださいっス。うち悪くないっスよ? さすがに、この後すぐ、劉氏か梅花嬢を呼び出すことなんざ出来ないっス。ガチ逃げしてるっスからね?」
「店外で、わたしを監視していたのでしたら、二人のどちらかでも、逃亡した先を見ていたのではありませんか?」
「見てたスよ? けど、二人とも、別れて逃亡してたっス。しかもガチ逃げっスから、うちじゃ追い切れん速度でしたよ?」
困った顔で両手を上げているが、これは嘘である。追い切れない速度だった訳ではなく、最初から追うつもりがなかったのだろう。
本気で殺意をぶつけるが、柊南天はダラダラと脂汗を流しながらホールドアップし続けるだけだった。これ以上責めても、確かにもはや手遅れか。いまさら怒りをぶつけて抗議したところで、何もできないに違いない。
「はぁ……分かりました。それでは、今日はもう帰宅して、明日に備えれば宜しいですね? 柊さんを信じても、宜しいのですね?」
致し方ない、と諦めて、気持ちを切り替えた。スッと模造刀を下ろして、竹刀袋に仕舞う。昂った身体も心も持て余しているが、自宅で鍛錬に費やして発散させることにする。
(……先ほど覚えた『護身罡気』も、まだまだ未熟ですし……【悪霊断ち】の雷撃属性も、巧く剣技に乗せられていませんし……)
わたしはもう柊南天からは視線を切って、駅に向かう大通りに出た。
直後、柊南天が苦笑しながら、また連絡するっス、と言って気配を消していた。視るまでもないが、ふたたび空無之位で気配を断ったのだろう。
もはや振り返らず、徒歩で駅へと向かった――途中で、警ら中の警察官に、背負っていた模造刀のことで職務質問されてしまった。どうやら認識阻害の魔術が解けてしまっていたらしい。
わたしはうんざりとした気持ちになりながら、丁寧に受け答えしつつ、隙を見て逃走した。
「……仕方ありませんね……運動がてら、走って帰りますか……」
ビル壁を蹴り上がって降り立った屋上から、わたしを探して慌てふためく警察官を見下ろした。
警察官は狐につままれたような表情で、前後左右をグルグルと見渡している。一本道の路地で、一瞬だけ視線を外した矢先に、わたしの姿が消えたのだから、そりゃあ困るだろう。
「――あら?」
ふとその時、わたしの携帯にメールが着信した。見れば件名には、月梅花、と表示されていた。
「ふふ、ふ……ふふふ……馬鹿に、してるのでしょうか?」
わたしはメール文を読んで、怒りを通り過ぎて笑いがこみ上げてきてしまった。
メールの内容は、招待状の時と同様にとてもシンプルで、露骨な挑発文である。そして同時に、明白な脅しでもあった。
『八月二十二日、二十時に、六花スカイタワーの屋上で待ってる。朋友であれば侵入するのは容易だろうが、難しかったら仲間に頼るのも好いよ。まさか辿り着けないことはないと思うけど、約束が破られた場合には、カフェに居た和服の女性から殺す』
なるほどなるほど、と頷いて、メールの送信者をもう一度確認する。
それは紛れもなく『神薙瑠璃』のメールアドレスからだった。つまりは、そういうことだろう。神薙瑠璃は月梅花に誘拐されているらしい。
「……正直なところ、瑠璃さんがどうなろうと知ったことではありませんけれど――」
知り合いの命をダシにされて、怖くても逃げるなよ、と脅される屈辱は、想像以上の不快感がある。
挙句に、独りで来い、とは明言せずに、仲間と来ても良い、という遠回しの侮辱は、わたしの自尊心を大いに傷付けた。ここまで露骨に挑発されてしまっては、何があっても退く訳にはいかない。
月梅花の異能が【黄泉がえり】であろうと、殺せない【不死】であろうと関係ない。
殺せないからなんだと言うのか――もはや、柊南天の忠告なども糞喰らえである。
「――上等ですよ。月梅花さんの思惑通りに、最高の舞台で身の程を分からせてあげましょう」
わたしはそんな独り言を呟き、沸騰している頭を落ち着かせようと深呼吸する。
昼間と比べればだいぶ涼しくはなったが、まだまだ熱気は残っており、蒸し蒸しとした息苦しい空気が流れていた。だが、そんな気持ち悪い気温などよりも、月梅花からの侮辱による苛立ちの方が、圧倒的に不愉快で不快だった。




