第七夜(1)
やかましいくらいに、野鳥の鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。
わたしは自然に目が覚めて、薄暗い窓に視線を向けた。日はまだ上り切っておらず、白んだ夜明けの空である。雲一つないので、今日は一日快晴になるだろう。
「――昨日と同じ、絶好調の状態ですね」
ベッドから起き上がり、身体の調子を確かめる。
屈伸や柔軟をすると、縫われた傷口が少しだけ痛んだが、これぐらいならば傷などないに等しい。無茶したところで、恐らく傷が開くこともないだろう。
「八割……いえ、九割がた回復しています……身体中に、力が充実していますね」
昨日よりも今日、身体の調子がより良くなっていると自覚する。
ここまでの絶好調具合はまるで、悟りを開いてさらに上の境地に辿り着いたかのようだ。いまならばきっと、梵釈之位をより長く維持出来るだろう。
わたしは高揚した気持ちのまま外に出た。
「清々しい、空気」
はぁ――と、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、白んだ空を眺めた。
多少、血の味が口中に広がったが、心肺機能に影響はない。深呼吸した後に、空手の呼吸法である息吹を行って全身の気脈を整えた。
「……おいおい……玄でも、一日でそこまで回復は出来なかったぞ……末恐ろしいな」
特別治療室と呼ばれていた離れから医院に戻ってくると、受付ロビーで真砂徹とバッタリ会う。
時計を見れば、まだ時刻は五時を少し過ぎた早朝である。朝も早くから、この老医者は何をしているのか。
わたしは正面から睨み付けて、挨拶と同時に問い掛ける。
「おはようございます――柊さんはどちらに?」
「ひい、らぎ……ああ、ホーリーのことか……ホーリーなら、水色の髪をしたお嬢ちゃんの部屋だ。だが流石に、この時間だと起きてないだろう」
「……真砂さんは起きていらっしゃるのに?」
非難めいた口調と、冷めた視線を向ける。言外に、真砂徹はどうしてこの時間に起きているのか、と問い掛けた。
「儂は、ホーリーが連れてきた患者以外を担当している。患者の中には、夜明けからバイタルを確認しないと危険な患者もいるのじゃ――闇医者には、休んでいる時間なぞない」
「――へぇ? それはそれは、お忙しいところ失礼しました。ちなみに、食事はどちらで提供されるのでしょうか?」
「…………恐ろしい、という表現が生温いと感じるとは……イカれた化物だな」
呆れた表情を浮かべて、だいぶ失礼な物言いだった。わたしは露骨に不愉快そうな顔を浮かべて、真砂徹を睨み付けた。
最初の印象からそうだったが、どうしてか真砂徹に対して嫌悪感しか湧いてこない。
「この医院では、流動食しか出していないぞ? アンタが何を食べたいか知らんが、栄養を摂るだけなら点滴がある」
「――栄養を摂取したいのは事実ですが、可能ならば血肉になるモノを口にしたいのですが?」
「馬鹿なのか? いや……化物に常識は通じぬか……森を出て、コンビニへ向かえば良いだろう。車で向かえば、十五分も掛からず着く」
なるほど――確かに、コンビニに向かうのがベストかも知れない。
どうせまだ朝は早い。寝起きが悪そうな柊南天を起こすよりも、散歩ついでにサッと往復した方が良いだろう。
わたしは、ふむ、と口元に手を当ててから、真砂徹の提案に乗ることにした。その場で回れ右をして、医院を出る。
「ん? お、おい!? まさか歩いて行く気か!?」
真砂徹が驚愕しているが、その言葉は無視した。何を驚くことがあるのか、わたしは逆に内心で驚きである。
さて、そうして勝手にコンビニまで向かった。
医院の前から続く森の中には、微かに車の轍があったので、道に迷うことなく見覚えのある公道に辿り着けた。ちなみに、医院に至る道には何の案内もなく、獣道の入口には『私有地につき立ち入り禁止』と書かれた看板が立っていた。
これでは誰も入ってこないし、場所を知っていないと辿り着けないだろう。
軽く山を下りて、散歩と称するランニングをすること一時間強――ちょうど身体がほぐれて、温かくなった頃合いでコンビニに到着した。
わたしはそのまま、適当にお弁当と総菜を買って、イートインコーナーで食事を終えた。そのままついでに、ミュージアムパーク万美術館の前まで足を運ぶ。
まだ時刻は七時半である。当然ながら、開館するには時間が早い。
「警戒――されては、いないのですね」
遠目から美術館の入口を眺めて、昨日と何も変わり映えないことを確認した。さりげなくホームページのお知らせもチェックするが、何か追記されたトピックスもない。
唯一昨日と違うことは、今日開催されるアートホールでの演奏会、世界的ピアニストのイスマイル・オールが来ることを宣伝している点だろう。
この演奏会の反響がどれほどかは知らないが、昨日よりも観光客は多くなりそうだ。
「……さて、今日の作戦をどうしましょうかね?」
わたしは独り呟きながら、そう言えば、と念の為、コンビニにもう一度寄った。労うつもりで、柊南天たちの為に何か差し入れでも買っていこう。
「……本当に、歩いてここからコンビニまで行った、のか?」
わたしが医院に戻ってくると、変わらずロビーで座っていた真砂徹が嫌な顔で呟いた。
かろうじてその服が変わっており、白衣も真新しい物になっていることから、少なくとも朝から着替えはしたようだ。だが、ずっとロビーでしか姿を見ていないので、仕事をしているのか疑わしい。
「何に驚いているのか知りませんけれど、そろそろ柊さんは起きてますかね?」
時計を見れば、既に九時になろうかという時間帯である。もうそろそろミュージアムパーク万美術館が開館する。
「――相変わらず、綾女嬢はハチャメチャっスわ……師匠、ちょいと救急車両借りまスよ?」
真砂徹を通り過ぎて、廊下の奥に向かおうとした瞬間、入口から柊南天の声が聞こえてきた。
わたしは振り向き、誰も居ない空間に目を凝らす――集中して魔力視すると、スッと浮かび上がるように柊南天の姿が現れた。
「……それ『認識阻害』ですか……」
「ご明察っス。使い方次第で、結構、役に立つっスよ」
悪戯が成功した子供みたいな笑みをしながら、白衣を着た柊南天はわたしの隣に歩いてくる。
視線だけ廊下奥に向けると、担架に乗って神薙瑠璃が運ばれてきていた。続いて、同じく神薙翡翠も運ばれてきた。
「応急手当と、出来得る限りの治療はしました。二人とも、何とか峠は越えたっス。安静にしてりゃ、一か月程度で、完治するっスよ」
神薙瑠璃、神薙翡翠を順番に眺めて、柊南天はそんな悠長なことを呟いた。わたしは見下すように睨み付けながら、首を傾げて耳に掛かった髪を払った。
「――翡翠さんは構いませんが、瑠璃さんは動けるのでしょうか? 動いてくれないと、十八くんの救出計画を見直さないとならなくなりますよ?」
「おぉぅ!? だから、そんな脅すようなこと言わなくてもいいじゃないスか……ってか、うちの計画を最初から崩したのは、綾女嬢――――いえ、ナンデモナイデス」
「――それで? 二人の様態は?」
苦し気な表情で眠っている神薙瑠璃に目を向ける。呼吸は安定しており、顔色もそれほど悪くはないが、医者の見立てではどうなのだろうか。
「瑠璃嬢は、動く分には支障ないっスね。けど、まだ魔力が回復し切ってないから、今日は六割程度の魔術しか行使できないでしょう……恐らく、テレポーテーション二回が限度、ってとこじゃないスか? 戦力としては使えないスね」
「最初から戦力で数えてはいません――翡翠さんは?」
「んん? 翡翠嬢スか? そっちは結構深刻っスよ? いや、そりゃ、綾女嬢ほどじゃないスけど、内臓もかなりのダメージを受けてるし、縫ったばかりの傷口も安静にしないと、激痛でまず動けないと思いまスよ?」
柊南天は言いながら、神薙翡翠の腹部に掛かっている毛布をめくる。その脇腹には一筋の縫い目があり、白い肌にうっすらと血が滲んでいる。
確かに、わたしが負った傷ほどではない。この程度ならば、さして問題ないのではないか――
「いやいや、そりゃ、綾女嬢のバグった痛覚なら、大丈夫でしょうけど……普通、このまま動いたら死ぬと錯覚しまスからね?」
「思考を読まないでください」
仕方ない、と溜息を漏らす。
神薙翡翠がもし戦闘復帰出来れば、龍ヶ崎十八を救出する際に神薙瑠璃の負担が減るのだが――まあ、ないものねだりをしても仕方ない。無理強いは出来ない。
「……鶺鴒さんは?」
「鶺鴒嬢は……あー、連れてきまス?」
「いえ、別に不要です。ただ状態を聞いただけなのですが……どうかしましたか?」
柊南天はどこかとぼけたような顔をして、あーそっスね、と言葉を濁していた。
「……ちょい、やかましかったんで、睡眠薬でマジ寝かせちゃいました……いま爆睡してまスよ……起こすの、かなり難しいス」
そんな告白に、わたしは呆れた顔を向けた。
五百蔵鏡を殺すのに、神薙鶺鴒は全く必要ないが、だとしても、だ。やかましいという理由だけで、黙らせる為に患者を眠らせるなど、医者として褒められたモノではない。
「まあ、いいです。それでは、これから挑戦する流れで大丈夫ですか?」
「いや、まだダメっス。とりあえず、翡翠嬢をここじゃない病院に移送しまス。んで、瑠璃嬢も移送して、そこで目覚めさせまス。鶺鴒嬢は当分起きないんで、後で運び出しまスけどね」
担架のまま神薙瑠璃と神薙翡翠は外に運び出された。それを見送って、柊南天も外に出る。続いてわたしも医院を出た。
医院の外には、救急車が準備されていた。そこに担架が運び込まれていく。
運転席には柊南天が乗っており、わたしは助手席に乗る。付き添いの女性看護師が一名、寝ている二人を看護していた。
「ところで、柊さん。五百蔵さんの召喚士モードですけれど、攻略法が存在しているのですよね? あまり聞きたくはありませんが、正攻法ではもう負けてしまったので、今度は勝ち筋を用意して挑もうと思っています。流石に昨日は、少しだけ準備不足過ぎたかな、と反省していますので――是非、攻略法をご教示頂けないでしょうか?」
「……攻略法なんてない、って言っても、どうせ綾女嬢は退かんのでしょ?」
「退く、退かない、とかではありませんよ。だって、攻略法はありますよね?」
探るような視線を柊南天に向ける。スッと自然に顔を背けて、柊南天は車を発進させた。
「攻略法なんてないスよ? あの異能は、だから厄介な――」
「あら? 昨日、柊さんは『召喚士モードを攻略するつもりだとしたら、あんな闘い方じゃ無理ス』と仰っていませんでしたか? どんな闘い方だったら、攻略出来たのでしょうか?」
わたしは昨日の柊南天の台詞を真似しながら、笑顔で首を傾げた。
柊南天が吐いたその台詞は、単純な言い間違えや言葉の綾ではなく、明確な答えを知っている者の言い回しだった。つまり柊南天は、わたしでも勝ち筋が存在していることを認めていたのだ。
柊南天はしばし黙り込んだが、諦めたように答えた。
「ま、確かに? 召喚士モードには攻略法が存在しまスよ? けど、もういいじゃないスか。今日は諦めて、拳闘士モードか魔術師モードで挑んでくださいっスよ」
「それとこれは別でしょう? 攻略法を聞いてから、どうするか決めます」
「はぁぁ――はいはい、左様でございますか……ま、教えますけども」
何やら意味深に勿体ぶりながら、柊南天は呆れた口調で続けた。
「じゃあ、大前提から説明しときまス――『創造』って異能スけど、実は欠点だらけなんス。だってこの異能、当然と言えば当然スけど、創造物を顕現させている間中、ずっと保有魔力の枠を消費しまス。だからこれ、契約した使い魔を召喚して闘わせるより、ずっと燃費が悪いんスよ。しかも、創造する存在が強力であればあるほど、魔力の消費枠は大きくなりまス」
例えば、五百蔵鏡の保有魔力量を100だと仮定すると、サラマンダーや骸骨剣士、マンティコアモドキ一体を創造させるのが、およそ0.1らしい。この創造物が顕現している間は、保有魔力量が数値分減って、その分の魔力は使用出来なくなる。ワイバーン、ゴーレム、ケルベロスが10前後、玄武、バハムート、人形の王女などは20ほど消費するようなので、昨日の五百蔵鏡は、創造物だけで保有魔力を消費し切っていた状態だったそうだ。
つまり創造物を顕現していた為に、魔術を含めたそれ以外、魔力自体も使えない状態だったらしい。
ちなみに、切り札二体『七欲の堕天使ルシファー』『聖騎士リィザ・ファミルの模造人形』は、どちらも100近く消費するようで、創造するだけでも全ての保有魔力枠を使い切るそうである。
この前提を考えると、昨日の大群が、五百蔵鏡の同時に創造出来る最大数なのだろう。あれ以上の飽和攻撃をされていたら流石に勝ち目もないと諦めたかも知れないが、底があるということを知れたのは喜ばしいことだ。
「また、創造物は顕現させてる間中、魔力を消耗し続けまス。だから、創造物ごとに顕現限界も決まってまス。それは強さに応じて時間が短いっス。一番雑魚のサラマンダーで、最大八時間。切り札だと、約三分前後スかね? あと、顕現限界に達するか、もしくは破壊された創造物は、再創造するのにクールタイムが必要になるっス。クールタイムは一番短くても、二十四時間以上が必要っス。ちな、玄武とかバハムートレベルの存在を再創造させるには、およそ五日間は必要スね」
「――へぇ? ということは、今日はもう昨日と同じことは出来ない?」
「ま、そスかね? とはいえ、顕現限界に達していない創造物は、再創造できまスよ? 同一個体を複数準備してるサラマンダーや、マンティコアモドキ、骸骨剣士とかは問題なく創造出来るスね――ま、昨日のスタメン全部を再創造は無理スけど」
なるほど。そうなると少なくとも、昨日わたしが倒した創造物たち――ケルベロスやワイバーン、ゴーレムとは、今日は戦えないと言うことだ。
「さらに欠点と言えば、創造物の行動には、特定のパターンがあるってことスね。魔獣と性質が似てて、同一行動に対して、同一行動を返す特性を持つっス」
「――それはあり得ません。実際に対峙した感想を述べさせて頂きますが、行動パターンが決まっているようには思えませんでした」
わたしは即座に否定する。骸骨剣士やマンティコアのような雑魚は、確かに単純な行動パターンだった気はするが、少なくともケルベロスには、行動パターンは見受けられなかった。
だいたい、行動パターンがあれば、神薙瑠璃たち魔獣討伐の経験者が、あれほどの苦戦などしないだろう。
下らない嘘を吐くな、と柊南天を睨み付ける。そんな心を読んだか、苦笑しながら補足説明してきた。
「綾女嬢の感性は正しいっス。んで、それも実は欠点の一つス。五百蔵氏の創造は、創造物の任意操作が可能なんスけど、操作個体の上限がありまス。具体的には、同時に三体までしか、意識的な操作が出来ないんスよ。だから昨日みたいな状況だと、実質、操作してる三体に、単調なパターンで行動する雑魚多数が援護してるって図式だったんス」
言われると、思い当たる節があり、何より説得力もある。わたしを相手にして、ワイバーンやゴーレムなどの強敵が、結託して攻撃してこなかった。
多対一の優位性があるにも関わらず、数の暴力を最大限発揮してこなかったのは、余裕の表れではなく操作上限に達していたと考えれば納得だ。
「――そう考えると、どれほどの大群だろうとも、恐ろしいのは強敵となりうる創造物だけ、ということですね?」
「簡単に言いまスけど、別に操作しなくても充分に強力スからね? 一応、魔獣みたいに行動パターンがあるってだけで、棒立ちのカカシってわけじゃあないんスよ?」
呆れた調子で溜息を漏らす柊南天に苦笑する。
動きが分かっている敵など、子供と同じ思考力を持った雑魚に他ならないだろうに。
「えーと、んでもって、最後の欠点スけど。この『創造』って異能は、発動させるのに条件があるっス」
「……条件、ですか?」
「そうっス。実は異能を発動する為に、専用の魔術領域を展開するのが必須なんスよ」
「魔術、領域?」
「端的に言い換えれば、特定環境下を準備しないと、創造自体が出来ないってことス。そもそもが、メッチャ限定範囲でしか発動できない条件付きの異能なんスよ。だから、この特定環境下を破壊されたら、創造物は強制的に破壊されまスし、使用できなくなる異能ってことス。んで、この魔術領域スけど、専用の魔力結晶で囲んだ範囲にしか展開できないっス。だから、召喚士モードになる際には、まずこの魔力結晶をばら撒いて、魔力を篭めるってアクションが必要っス。ま、昨日は、事前に準備済みの場所に乗り込んだんで、この条件を満たしたことを知れなかったと思いまスけど」
嫌味ったらしく、わたしに流し目するが、それが何か、と強気に睨み付けた。
柊南天は、はぁ、と溜息を吐きながら、要するに、と続ける。
「これらの大前提を踏まえて、攻略法とはなんぞや、でしたけど――もうお分かりっスよね? 創造って異能は、そもそも持久戦に向かないんス。しかも戦闘範囲が限定的だから、創造物と闘わずにリングアウトするか、魔術領域を構成する魔力結晶を破壊しても勝てるってことス。だから五百蔵氏は、逃げ場のない空間で、魔力結晶を隠した状態で待ち受けるスタイルなんスよ」
過剰なまでの圧倒的戦力を保有しているのに、持久戦に向かないとは皮肉だろう。そして同時に、強力無比な創造物の弱点が、創造物以外のところにあると言うのも衝撃的だった。
「綾女嬢がこれを知ったら、絶対に切り札を出させようと画策するのが目に見えてまスから、言いたくなかったんスよ」
「あら、ご明察ですね。この攻略法を聞いたら、むしろ切り札を切らせるべきと思ってしまいます。これならば、挑んだとしても最悪のケースは回避できるでしょう?」
「いやいや、回避もできんスよ。本当に警告しまスけども……切り札を出されたら、この攻略法でさえ通用しないスからね? ってか、確実に死ぬんで、今日挑むなら召喚士モードは避けてくださいな」
わたしは、ふむ、と口元に手を当てて思考する。
ここまで柊南天に懇願されては、少しだけ要望を聞こうという気持ちになる。実際、あの創造物たちは紛れもなく化物で、愉しい殺し合いではあったが、対人戦というカテゴリではなかった。
召喚士モードの底が知れた今、別に『創造』という異能に拘らなくても良いかも知れない。
「――ちなみに、五百蔵さんの拳闘士モードと魔術師モードだったら、どちらがより強いのでしょうか?」
「相性じゃないスか? ま、綾女嬢のあの戦いぶりを見た後だったら、拳闘士モードを選択する確率が高いと思いまスけどね?」
「あら? どうしてでしょう? わざわざ、わたしの土俵で戦ってくれるのですか?」
「綾女嬢の鬼気迫る戦いぶりを見たなら、うちだったら確実に、拳闘士モードを選びまスよ。そりゃ常識的なところでいけば、遠距離特化、攻撃力偏重の魔術師モードこそ、対人戦じゃ無双スけど。代わりに、防御が薄いスからね。ワイバーンを両断する化物相手じゃ、接近されたら即死スもん。そんなら肉弾戦特化で防御力が高い拳闘士モードで対応するに決まってまス。じゃないとあっけなく死にそうスもん」
柊南天の回答に、わたしは賛同しつつ、この想像と想定を裏切って、期待以上の実力を見せて欲しいな、と五百蔵鏡のことを想った。
「――あ、そだそだ。後ろに置いてある日傘スけど、ソレ、綾女嬢の【魔女殺し】っス。ちゃんと手入れしときましたんで、今日はそれを使ってくださいっス」
「へぇ? これは、星空、ですか? 良い柄ですね。素敵なセンスです」
「しかもソレ、ちゃんとUVカット仕様っス」
日傘の柄を眺めて感心するわたしに、柊南天はドヤ顔を浮かべていた。
「さて。うち、これから、入院の手続きをしてきまスんで、綾女嬢は関係者専用のカフェレストランで休憩しててくださいっス。これ、スタッフ証ス。首から下げてれば、何も言われないスよ」
病院の裏手、救急搬入口の近くで車を停めると、柊南天は病院に電話を架けていた。途端に慌ただしく病院スタッフが出てきて、担架に乗せられた神薙瑠璃を運び出していく。
病院スタッフに説明しながら、担架と一緒に救急搬入口から進んで行く柊南天を見送った。
「今すぐ挑戦したいのに……カフェなぞと悠長な……」
独り言ちつつも、併設されたカフェレストランに向かう。
時計を見れば、もう十一時を回っていた。
ミュージアムパーク万美術館はとっくに開館している。そろそろ早めの昼時、観光客も多くなる時間帯だ。
無関係な一般人が多く居る中で、不審な行動は出来ない。目撃者が少ないうちに、五百蔵鏡の『作業場』に向かいたかったと言うのに――
はぁ、と深い溜息を漏らした。だが、嘆いても仕方ない。
わたしは切り替えて、カフェレストランの隅で洒落た紅茶を注文した。
「――お待たせしたっス、綾女嬢。とりあえず、瑠璃嬢が意識を取り戻したっス。当然ながら事情は、うちから何も説明してないスよ」
「ええ。理解していますよ。それじゃあ、病室まで向かいましょう――ところで、柊さんはこの後、運転手役にでもなってくれるのでしょうか?」
「まさか!? うちはもう〆に向けての段取りと、最後のフォローの準備スよ……ま、美術館内のカフェで優雅に、監視カメラの映像でも視ながら、綾女嬢の健闘を祈りまス」
柊南天は軽口を叩きながら、病院内の最上階に用意された豪華な個室まで案内してくれた。
部屋のプレートには、『神薙瑠璃』と患者の名前が書かれている。
「んじゃ、うちはこれで――あ、くれぐれもスけど、召喚士モードだけは回避してくださいっスよ?」
はいはい、とおざなりに頷いてから、わたしは神薙瑠璃の病室に入った。
「あ、綾女ちゃん!? 無事だったのね!? 良かったぁ――あ、ねぇねぇ、翡翠ちゃんは!? 鶺鴒ちゃんも、いまどこにいるのかしら!? それよりも、アレから何日経ったの!?」
室内に入ってきたわたしを見るなり、神薙瑠璃が捲し立てるような勢いでベッドから起き上がった。途端に、グラリとよろけてその場に尻餅をつく。
呆れた顔で見下ろしながら、わたしはパイプ椅子に腰を下ろした。
「ご安心ください。翡翠さんも、鶺鴒さんも無事……命に別条はありませんよ。ただまあ、翡翠さんは多少入院が必要なようですが」
「……あぁ、良かったわぁ……」
床に尻餅をついたまま、深く安堵の吐息を漏らしている。そんな神薙瑠璃を横目に、備え付けのテレビを点けた。
昼時のニュース番組にチャンネルを合わせれば、いまの時刻と日付が表示されている。
「――今日はまだ、七月二十六日水曜です。五百蔵さんと戦ったのは、つい昨日の話ですよ」
神薙瑠璃はわたしの言葉にキョトンとしてから、ニュース番組の放送を眺めると、ようやく状況を把握した。目をまん丸に見開いて、嘘でしょ、と自分の身体を見下ろしていた。
「な、なにが起きたのかしら!? ど、どうやって――私の魔力もそうだけど、昨日の今日で、あの傷がこんなに治るはずないわよぉ!?」
きゃんきゃんと騒ぎ立てながら、病院着のズボンを脱いで入院用下着一枚になると、自らの右脚をマジマジと見詰めている。
「えぇ〜、あんなに深く抉られてたのよぉ……?」
首を捻りながら、食い破られていたはずの右脚を撫でている。
白い太腿には、痛々しい縫い跡だけが残っており、パッと見は既に完治しているように思えた。傷は完全に塞がっており、この様子から痛みも特になく、後遺症もなさそうである。
どうやって治したのか――それはわたしも知りたいくらいだ。昨日見た傷の深さだと、常人の場合は完治するのに半月から一か月は掛かるだろう。わたしでさえ、自然に完治させようと思ったら、五日は掛かる。
けれど、そんな重傷を、柊南天は魔法の如く一日で治して見せたわけだ。
非凡な医術、龍ヶ崎十八の『治癒』にも匹敵するほどの有能さである。
「さあ? どうしてでしょうね?」
とはいえ、柊南天の存在を明かすわけにはいかない。わたしはわざとらしくとぼけた。
「……絶対、おかしいわよぉ……そう言えば、私、テレポーテーションしたのはいいけど……どこに移動したのぉ? 座標が途中で強制的に変わって……それに、移動した直後から、記憶も……」
「瑠璃さん。昨日のことは、もうどうでもいいです。わたしは、もう一度、十八くんを救出する為に、五百蔵さんに挑もうと思っております」
「――――はぇ?」
納得いかないと眉根を寄せていた神薙瑠璃に、わたしは本題を切り出す。すると、一瞬だけ呆けた顔をしてから、驚愕の後、慌てて首を横に振り始める。
「いやいやいや、ダメよ、綾女ちゃん!? 何を言ってるのよぉ!? あの大群、見たでしょ!? もう一度なんて、絶対にダメよ!!」
昨日の圧倒的戦力差を思い出しながら、神薙瑠璃は必死に首を振り続ける。よろよろと起き上がって、わたしの肩を掴んだ。
「十八ちゃんを助け出したい気持ちは分かるわぁ。けど、その過程で、綾女ちゃんが死んじゃうのは、絶対にダメよぉ!! 私が護国鎮守府に掛け合って、何とか援軍を呼ぶから――」
「――ご安心を。昨日のような展開には、決してならないと約束しますよ。五百蔵さんの異能は、もう発動させません」
わたしは柔らかく微笑みながら、肩を掴んでいる神薙瑠璃の腕を振り払った。トン、と軽く胸元を押して、ベッドに座らせる。
「それに、本日の瑠璃さんの役割は、昨日よりもずっと単純ですよ? わたしと五百蔵さんを、アートホールのテラスラウンジにテレポーテーションさせてくだされば、それで充分です」
「はぇ? あれ? けど、今日って確か、アートホールで、演奏会やってるんじゃ……」
「ええ。そうですよ? だからこそ、です。ご安心を――後始末含めて、全てわたしが何とかします」
「――何を言ってるのよぉ!? ダメよ、ダメ!! 演奏会にはきっと、テレビ撮影とかも入ってくるはずよぉ!? それにテラスラウンジって三階の見晴らしの良いラウンジスペースでしょ!? 絶対にお客さんがたくさん居るはずよ!? 理外の戦闘――と言うよりも、綾女ちゃんの姿を見られちゃったら、大問題になっちゃうじゃない!! 流石に一般人の口コミとかは、護国鎮守府でも揉み消すのは無理よぉ!?」
神薙瑠璃が驚愕した顔でギャアギャアと捲し立てる。わたしの肩を掴んで、前後に揺らすのが鬱陶しかった。
しかしながら、それは当然の反応とも言える。
公衆の面前で、顔を晒す可能性がある行動を取るなど考えられない愚行だろう。特に、殺し合う瞬間を公開するのもあり得ない。
けれど、わたしは柔らかく微笑みながら、特に説明せずただ強く頷いた。
「ちょ、ちょ、ちょっとぉ!? ちゃんと説明してくれないと、私、分からないわよぉ!? 絶対、ダメだからね!? いくらなんでも、綾女ちゃんのそんな無茶までは、とても黙認できませんわよぉ!!」
「黙認せずとも結構ですし、わたしは別に、協力して欲しいとお願いしている訳ではありません――これは強制ですよ?」
ふふふ、と含み笑いを浮かべて、わたしは悪役の顔になり首を傾げた。
「翡翠さんと鶺鴒さんの身柄をわたしが握っていること、お忘れではないでしょう? わたし、瑠璃さんは仲間だと思っておりますので、当然ながら、ご家族も仲間だと認識していますよ。だからいまは、しっかりと療養して頂いていますけれど――本日、ご一緒してくれないとなると、それはもう仲間ではありませんよね?」
「――うぇえ!? お、脅し、なのぉ!?」
「脅し? いえいえ、そんなまさか。ただわたしは、善意で他人を助けたりはしない、とお伝えしたいだけですよ」
神薙瑠璃は有無を言わさぬわたしの迫力に、むむむ、と神妙な表情になってから、俯いて諦めたような溜息を漏らした。
その様子に満足して、さあ、とわたしは立ち上がる。
「サッサと着替えてください。それとも、そのまま出掛ける気ですか?」
わたしの嫌味に神薙瑠璃は不機嫌そうな顔で返して、部屋のクローゼットを覗いていた。
チラと見るとクローゼットの中には、普段の神薙瑠璃とはイメージが違うパンツスーツやカジュアルなデニムパンツが入っていた。
着物姿の印象しかないので、着てもいないうちから似合わないだろうな、と失礼なことを考えていた。
10/27迄、毎日0:00更新




