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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
第五章/円卓に座るモノたち

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第七夜(2)

 わたしは病院の外に出た。

 既に時刻は十二時半、陽射しは最高潮で気温も上がりきっており、かなり蒸し暑い陽気になっていた。


「……ねぇ、綾女ちゃん。本当に、翡翠ちゃんは無事なのよね?」

「ええ、無事ですよ。信頼の置ける名医が、しっかりと看病していますから、お見舞いは、十八くんを救出してからにしましょう――遅くなればなるほど、五百蔵さんの異能が利用可能になってしまいます」


 遅れて小走りにやってきた神薙瑠璃を改めて眺めて、わたしは呆れた顔で溜息を漏らす。

 その格好は、どこぞのオフィスレディだ、とツッコミたくなるほど、暑苦しい漆黒のパンツスーツ姿だ。しかもサイズがピッタリなので、嫌でも身体のラインが強調されていた。

 パツパツの胸元、ピッチリしたお尻が、すれ違う男性の視線を集めていて不愉快でならなかった。


「分かってますわよぉ……でも、心配かしら……本当の、本当に……大丈夫、なのかしら?」


 不安そうにチラチラと振り返る神薙瑠璃は無視して、わたしはタクシーターミナルで待機しているタクシーを捕まえる。


「――お二人さん? どこまで行きますか?」

「ミュージアムパーク万美術館までお願いします」


 運転手はわたしと神薙瑠璃の姿を交互に見比べて、一瞬だけ怪訝な顔をしたものの、何も言わずに車を出した。


「ふぅ……少し、暑いわねぇ……」


 神薙瑠璃は深く腰掛けて、額に滲む汗をハンカチで拭っていた。こんな炎天下の日に、黒いスーツなど着込んでいるからである。自業自得であろう。

 とはいえ、どうしてパンツスーツなのか理由を知っているが故に、わたしは嫌味を口にするのを控えた。

 クローゼットの中に服を用意した何者かは、非常識な趣味と言えるだろう。


「なんかねぇ。今日は、これからもっと暑くなるそうですよ――お姉さんは、これからお仕事かい?」

「え? あ、えと……え、はぃ? 仕事? あ、ち、違いますわぁ」

「あ、それは失礼――なら、お姉さんたちも、コンサート目的かい? 今日はねぇ。なんでも、ミュージアムパークで外国の有名なピアニストがコンサートイベントをやってるんだって――」


 タクシー運転手はチラチラとバックミラーで神薙瑠璃の胸元を見ながら、下らない世間話を続ける。

 それに律儀に答える神薙瑠璃を横目に睨み付けた。


「――黙って、目的地までわたしたちを運んでくれませんか?」


 わたしがピシャリと言い放ち、同時に凄まじい威圧で車内を支配する。殺気を放ってしまうと、運転を乱してしまうかも知れないので、とりあえず恐怖を感じさせるだけに留めた。


「――あ、う!? あ、はい。失礼……しました」


 一瞬だけビクついてから、もう一言もしゃべらず、運転手は車を進めた。


「綾女ちゃん、いまのは……」

「瑠璃さん。まず真っ先に、世界絵画館に向かいましょう――『作業場』を強襲します」


 流れる窓の外の景色を見ながら、わたしは囁き声で神薙瑠璃に答える。

 昨日の『資料保管庫』は明確にハズレだった。ということは、龍ヶ崎十八の監禁場所は、間違いなく『作業場』のはずである。


(……昨日の今日で、移動させることはない、はず……)


 しかし、万が一にも『作業場』に龍ヶ崎十八が居なかった場合は、迷わずに撤退しようと決めた。

 五百蔵鏡の実力を把握した今、神薙瑠璃と行動を共にしている状況下で、真っ先に達成しなければならないのは、龍ヶ崎十八の救出である。


「――綾女ちゃん。念のため、確認しておきますけれども……私は、五百蔵さんを捕捉し次第、すかさず移動させれば良いのよね?」


 神薙瑠璃がミュージアムパーク万美術館のフリーマップを広げて、アートホールを指差した。


「ええ。アートホールの三階、テラスラウンジに、わたしと五百蔵さんだけ、移動させてください」


 アートホールを散策した際に、丁度良い広さの場所があったのを確認している。

 あのテラスラウンジであれば、大立ち回りをしても困らない広さだし、何より入口と出口が一箇所ずつである。窓の外から見下ろすと三階以上の高さもあり、容易に飛び降りることもできまい。あそこならば、目撃者を逃さなくて済むだろう。

 難点があるとすれば、心地好いスペースだったこともあり、恐らくそれなりに人がいると想定できることだ。皆殺しにするだけではあるが、喧しい騒ぎになるのは間違いない。


「……ねぇ、綾女ちゃん。危ないこと、するつもりじゃないわよねぇ?」

「危ないこと、と言うのが、どんなことか知りませんが、面倒ごとにはならないよう配慮いたしますよ」

「…………だいぶ不安だわぁ」


 呟く神薙瑠璃を無理して、わたしは携帯の画面で時間を確認する。そろそろアートホールで開催している演奏会が、三十分程度の休憩を挟む頃合いだろう。タイミングとしては順調だ。


「あー、満車ですね。どこまで入ります?」

「――そこの路肩で下ろしてください」


 そうこうしているうちに、タクシーはミュージアムパーク万美術館のお客様専用駐車場入口、その手前の曲がり道に差し掛かっていた。すかさずわたしは即答して、路肩に止めるよう指示を出す。

 お客様専用駐車場の入口、ゲート式自動精算機の前には、警備員が誘導をしており、何台かの車が案内待ちの状態で並んでいた。

 電光掲示板には『ただいま満車』のランプが光っているが、入れ違いに数台の車が駐車場を出て行っていた。

 しかしわたしたちは、そんな駐車場事情に付き合う必要はない。タクシーを駐車場に入れる必要など全くないのだから――

 タクシーはハザードランプを点灯させながら、道路の端に車を寄せて停車した。


「ありがとうございます。代金は八千と五百――」

「――領収書お願いします」

「あ、かしこまりました」


 わたしは神薙瑠璃を蹴飛ばす勢いで外に出して、タクシー運転手に一万円札を手渡した。

 お釣りと一緒に領収書を受け取り、サッと後部座席に忘れ物がないか確認して下車する。

 わたしたちが下りると、タクシーはすぐさま来た道を引き返していった。


「暑い、わねぇ……早く、行きましょ?」

「暑いのは自業自得でしょうに――言われずとも、寄り道せずに向かいますよ」


 胸元を緩ませて、パタパタと手で仰いでいる神薙瑠璃に呆れながら、わたしは混雑している入口に向かう。道中、だらしない神薙瑠璃の胸元に目を奪われている複数の男性とすれ違ったが、不愉快そうに睨み付けたら顔を逸らされた。


「……瑠璃さん。はしたないですよ……」

「えぇ? そんなこと言われたって、困るわぁ……だって、暑いわよぉ、このスーツ――」

「――ちなみにどうして、下着を付けていないのですか?」


 小声でチラ見すると、神薙瑠璃が一瞬だけ困った顔をして、それから恥ずかしそうに顔を赤くさせた。口をへの字にしている。


「病室に、合うサイズが、なかったんですよぉ……それに、綾女ちゃんが急かすから、途中で買うことも出来なかったですし……」

「はぁ……恥じらいがあるのであれば、暑いのは我慢して、胸元を隠してください。一緒に歩いているわたしが恥ずかしいです」

「わかっていますよぉ――あ、室内は涼しいわぁ、良かった」


 入場口に足を踏み入れた途端、寒いくらいに効いている冷房の風を受けて、神薙瑠璃が喜びの声を上げる。

 わたしはサッと周囲を見渡して、万が一の事態に備えた。だが、杞憂に終わる。


「――待ち伏せは、ないようですね」


 研ぎ澄ました集中力でもって、ホール内に居る全ての入場者の動向をチェックした。

 一階エントランス、二階ロビーエリア、吹き抜けになっている三階通路部分を含めて、わたしたちに何らかの視線を向けている人間を確認した。

 それらの視線は、全員男性であり、少しも悪意や殺気がなかった。

 どうやら興味本位で、神薙瑠璃のスーツ姿に目を奪われているだけの男性諸氏のようだ。

 また、怪しい動きをしている入場者の動向も窺うが、わたしたちを監視する動きでもなさそうだ。

 喧嘩別れしたカップルの片割れだったり、トイレに急いでいる子供だったり、誰かにサプライズする準備をしている友達グループだった。


「……どうかしたの、綾女ちゃん? まずは世界絵画館に向かうのですよねぇ?」


 ふと立ち止まって押し黙っていたわたしに、神薙瑠璃が首を傾げた。

 ええ、とわたしは頷いて、迷わずに目的地へと歩き出す。人混みを通り抜けて、世界絵画館に向かう案内図通りに進んで行った。

 地上二階建ての世界絵画館は、外から見ても分かるほど盛況な様子だった。

 入口で大勢の観光客、特に外国の団体客が騒いでいるのが見えた。


「混んでる、のねぇ?」

「少し遅い昼食の時間ですからね。けれど問題ありません。目的地は、世界絵画館の中ではありませんから」


 世界絵画館に入るのが億劫そうな神薙瑠璃に、わたしはフッと笑って建物の裏手にある不思議な円柱のオブジェへと向かった。

 真夏の炎天下、しかも丁度、太陽が真上に来ている一番暑い時間だ。流石に、周辺を散歩している奇特な観光客は少なかった。


「ここ、です」


 暑い、暑いと文句を垂れ流す神薙瑠璃を連れて、日傘を差したわたしは、巨大な円柱のオブジェ『欲望』を指差す。

 わたしの指差した先には、赤黒い義眼をしたカードリーダーがある。それをジッと見てから、神薙瑠璃は首を傾げた。


「綾女ちゃん、目敏いですねぇ。よくこんなヘンテコなカードリーダーを見付けられるものですねぇ……んん? ああ、なるほどぉ。魔力視すると、扉状になってるから気付けたのですか?」


 神薙瑠璃はそう言って独りで納得していた。なるほど、馬鹿ではないようだ。

 わたしはそんな神薙瑠璃の後ろに一歩下がって、周囲の気配を探った。ここから『作業場』に入れるはずだが、その瞬間を目撃される訳にはいかない。


「瑠璃さん――監視カメラ、ってありそうですかね?」


 言うだけ無駄かも知れないが、わたしは神薙瑠璃に警戒を促す。


「ちょ、ちょっと、待ってくださいねぇ……監視カメラも含めて、私たちを認識できないよう、阻害の魔術結界を張っちゃいますから……」


 サラリとそんなことを言われて、わたしは神薙瑠璃を凝視した。すると、気配はそのまま、煙がスゥっと霧散するように、神薙瑠璃の存在が希薄になった。柊南天の認識阻害ほどではないが、匹敵する程度には強力な魔術である。

 魔力を瞳に集中させて、神薙瑠璃を魔力視すると、周囲を魔力の光が緩やかに包み込んでいた。半径5メートルの四角柱のような結界が張られている。

 神薙瑠璃が疲れたように息を吐いた。


「これで、私たちの姿は、周りからは視えないわよぉ……数分だけどねぇ」

「そんな芸当が出来るのであれば、最初から教えてくれませんか? 昨日の侵入時がもっと楽になったのではないですか?」

「言う前に、綾女ちゃん、突撃しましたわよねぇ? それに、私は翡翠ちゃんと、鶺鴒ちゃんには、結界じゃないですけど、認識阻害の魔術を掛けてましたよぉ? 綾女ちゃんは、そもそも別行動――」

「――嗚呼、もういいです。サッサと向かいましょう」


 わたしに落ち度があったかも知れないが、もはやそれは不問だろう。とにかく今日は、これからのことが問題なのだから――

 カードリーダーに白いカードをかざした途端、ピッ、と電子音が鳴り、カシャン、と壁が開いた。

 現れたのは、地下に続く階段だった。


「どことなく寒い? 冷房が、随分と効いてそうですわねぇ……」

「……そうですね」


 神薙瑠璃は気が抜けるような台詞を吐いていた。

 それに適当な相槌を打ちながら、地下の暗闇から漂ってくる冷気に顔を強張らせた。

 確かに、外気の暑さと比べるならば、階下の空気は身震いするほど涼しいだろう。しかしこの冷気は、決して気温が低いからだけではない。

 強烈な警戒心、周囲に叩き付けるような殺意、鋭く研ぎ澄まされた気配が、わたしと神薙瑠璃に、無意識の恐怖を感じさせていたからである。

 対面していなくても、地下に居る何者かが五百蔵鏡であることを理解した。武者震いと同時に、思わず口角が上がってしまう。

 いっそう精神を集中させた。

 魔力感知の精度も向上している為か、地下の構造が脳裏に浮かび上がり、そこに居る何者かの気配も感じ取った。


(――二人分の息遣い……空間的には、だいぶ広い……何を、しているのでしょうか?)


 独りは部屋の隅で、張り付けられたように動かない。身動きが取れないのだろうか。荒く苦し気な呼気から察するに、負傷していると思われた。

 恐らく、この気配が捕らわれの龍ヶ崎十八だろう。

 もう独りは、そんな龍ヶ崎十八らしき人物を見上げるように、少し離れた位置で座っていた。凄まじい殺意を垂れ流しているのはこの何者かであり、手元で何やら作業をしている気配がある。


「――誰だ!?」


 階段を下りきり、だだっ広い空間に二人分の姿が見えたとき、わたしはわざと足音を立てた。途端、五百蔵鏡が驚いた声を張り上げていた。

 どうやら今の今まで、侵入者に気付いていなかったようだ。


「よほど集中していたようですね? 昨日ぶりです、五百蔵さん。さて、第二ラウンドを始めましょうか?」


 わたしは愉しげに皮肉りながら、軽やかなステップで地下空間の中央に躍り出した。

 すかさず室内を見渡す。

 室内は物置のような何もない空間で、正方形の造りをしていた。端から端までの距離は、およそ30メートルほどだろう。天井は五階分に相当するほど高く、吊るされた鳥のようなオブジェが電球の役割を果たしていた。

 そんな室内の正面の壁には、一面、幻想的なアートが描かれていた。それは天使と悪魔の戦争を描いたような絵であり、終末世界と言われても違和感のない壁アートだった。

 アートの中央には、どうしてか真っ白い十字架が描かれており、龍ヶ崎十八はそこに鎖で吊るされていた。

 五百蔵鏡は、吊るされている龍ヶ崎十八を観察するように、正面からやや右側に陣取り、高級そうな木製のイーゼルに巨大なキャンバスを立て掛けて、椅子に座ったまま絵を描いていた。

 どんな絵を描いていたのかは、わたしの位置からでは見えない。


「……おいおい、まさか。昨日の今日、だよ? 君、あれだけヤラレて、また僕に挑むつもりかい?」


 五百蔵鏡は驚きながらも、さりげなくキャンバスを庇うように回り込んで、わたしと対峙する。

 捕らわれた龍ヶ崎十八よりも、背後のキャンバスのほうが大事な様子である。その反応に、少しだけ何が描かれているのか興味が湧いた。


「あらあら、まさか油断ですか? わたしは昨日、しっかりと言いましたよ――『また、明日にでも逢いましょう』とね?」

「……そんな捨て台詞をして逃げた相手が、言葉通りに来るとは誰も思わないよ?」

「それが油断でしょう?」


 わたしは意識を五百蔵鏡から逸らして、恐る恐ると階段を下りてきた神薙瑠璃に視線を向けた。それは致命的な隙である。侮っていると判断されても仕方ないほど余裕の態度だ。

 そんな隙を前に、しかし五百蔵鏡は動かず、壁際に逃げる神薙瑠璃を注視していた。


(……誘いには乗らない、か……格上の強者が、格下のわざとらしい隙を突くことはないようです……想定通りですね)


 クスリ、とほくそ笑む。

 そんなわたしの笑みに怪訝な表情を浮かべながら、五百蔵鏡は後ろ手で、キャンバスをイーゼルから外していた。すると、足元の影が盛り上がり、ヒトガタとなって現れて、キャンバスを抱えたまま溶けるようにまた床下に消えていった。


「え? いま、モノを格納した、の? まさか、空間に隔離したのかしら? あ、そっか……理論的には……そっか……出来る、けど……え? 凄いわぁ……初めて見ました」


 突如現れたヒトガタの影に、ではなく、キャンバスを抱えて消えたその光景に、神薙瑠璃は酷く驚いている様子だった。信じられない、と目を見開いて、しきりにそんな驚愕を口にしていた。

 何やらよく分からないが、五百蔵鏡の魔術は、凄腕の魔術師である神薙瑠璃から見ても感嘆するレベルらしい。

 ところで、五百蔵鏡はキャンバスを退避させた途端、露骨に安堵の表情に変わっていた。

 何が描かれていたのかは分からないが、あのキャンバスはそれほど大事だったようだ。いっそう興味が湧くが、それは今回の目的とは異なるので、残念だが捨て置こう。

 五百蔵鏡は冷静な顔になると、改めたようにわたしへと向き直る。


「――突然の来訪には驚いたが、昨日の今日で何か変わったのかな? 不意打ちをする訳でもなく、S級の新顔ちゃんを救出する訳でもなく、いま僕と対峙している意味はなんだい?」

「意味? 決まっているでしょう? どちらが強いか、殺し合って確認する為に、こうしてまた遥々とやってきたのですよ?」

「ほぉ? 素晴らしいね、本当に。それでこそ『特Sクラス因子』足り得る。昨日は、まさか逃げるとは思わなくて、だいぶガッカリしたが――」

「――昨日は前菜です。小手調べのつもりだったので、アレをわたしの全てと思われるのは心外です」


 最後まで言わせず、わたしは日傘の仕込刀を抜き放つ。全身から相手に負けじと強烈な覇気を放ち、集中のレベルを最高まで引き上げた。


「なるほど。その刀が【魔女殺し】か。道理で刀剣マニアのオフィサーがあれほど騒ぐはずだ。この僕でさえ、思わず見惚れるほど美しく――なんて禍々しい刀身をしているんだ」


 わたしの振るう仕込刀の刃を一瞥して、五百蔵鏡は目を輝かせながら呟いていた。

 どうも、と会釈だけして、さあ、と気合を入れ直す。


「ふむふむふむ、そうか……その刀を握った君こそが、噂に名高い【人修羅】となるのか。確かに、確かに。この威圧、昨日は前菜だな」

「ええ。愉しみにしてくださ――ふッ!」


 瞬間、膝を折って身体を横に倒した。

 斜め上に袈裟斬り、勢いをつけて踊るように回転。持ち手を変えて裏拳の要領に、横一文字に空間を切り裂く。そのまま階段まで跳び退いて、唐竹割の一刀両断を披露した。


「ほぉ?」


 音もなく、血が飛ぶこともなく、わたしを囲もうとした影のヒトガタたちが霧散する。手応えは人を切り裂くソレだが、後には何も残らず、床に溶けるように消えていった。


「面白い魔術ですね……けれど、こんな影でわたしをどうにか出来るとでも?」

「思ってない。だが、おまけの魔術師は、そうでもないようだぞ?」


 指摘されるまでもなく、神薙瑠璃がこの突如現れた影のヒトガタに対応できないのは理解していた。視線を向けずとも、悲鳴を上げつつ苦戦している様を感じ取っている。

 だが、そんな神薙瑠璃を助けるつもりはない。ましてや、意識を向けることもしない。まだ五百蔵鏡が本気を出していないとはいえ、誰かを庇って闘えるほど、わたしに余裕はない。


「きゃ――こ、の……氷の槍!」


 タン、と軽やかな跳躍で、わたしは天井付近まで跳び上がる。仕込刀を背中まで振りかぶって、目にも留まらぬ速さで振り下ろした。


「雨燕・比翼飛燕――穿ち月・千々乱風」


 落下しながら刀を握り直して、飛翔する斬撃に眉を顰めた五百蔵鏡に、続けて穿ち月を繰り出した。


「まさか、とは思うが――」


 五百蔵鏡は迫り来た飛ぶ斬撃を拳で叩くと、雨粒を思わせる勢いで降り注ぐ怒涛の穿ち月の全てを、左拳のジャブで打ち返して見せた。


「――この程度が、本気か?」

「っ、ぐぅ!?」


 穿ち月・千々乱風の連撃を捌き切った後、トドメとばかりにわたしの脇腹を右拳のストレートが貫いた。落下の勢いを利用したカウンター気味の一撃に、吹っ飛んでそのまま床を転がって悶絶する。

 咄嗟に拳をぶつけて鳩尾の直撃は避けたが、それでもダメージは小さくない。


「僕を相手に、手を抜いてるなら疾く死ね」


 五百蔵鏡は縮地にも似た歩法で、ゴロゴロと転がるわたしの前に先回りして顔面を足蹴にした。防御は間に合わず、一撃で鼻の骨が折れて曲がり、鼻血が噴き出した。

 わたしは走り抜ける激痛と呼吸困難な状態を意に介さず、寝転んだまま逆手で仕込刀を一閃する。


(――九天一閃!!)


 身体中のバネを利用して、逆袈裟に斬り上げる奥義【九天一閃】――仕込刀に纏わせた剣気が、わたしの魔力と絡んで凄まじい斬撃となり、床と壁、天井までもを一直線に切り裂いた。

 けれど、それは五百蔵鏡には届かなかった。

 五百蔵鏡は掠り傷どころか、冷や汗さえ掻かずに、気付けばわたしと距離を取っていた。


「いまの、とても芸術的だ。ビックリするよ――魔術じゃなしに、魔力もほとんど利用しないのに、君の技はどれも理外の破壊力を持ってる。なるほど。【人修羅】こそ伝説の化物だ、という通説は眉唾ではないようだ」


 五百蔵鏡は床から天井まで伸びる一筋の斬撃跡を眺めて、感心したように息を吐いている。そんな様に不敵な笑顔を見せながら、わたしは折れて曲がった鼻を無理やり戻した。

 改めて刀を構えて、五百蔵鏡と向かい合う。

 五百蔵鏡は左足を前に半身で、左手で顔面をガードしつつ右手はダランと下げていた。不思議な構えだが、あの姿勢こそが、柊南天から聞いていた『拳闘士モード』だろう。


「ふふふふ――」

「ん? 何がおかしい? まだこれからだぞ?」


 思わず失笑してしまったわたしに、五百蔵鏡は怪訝な表情を向けてきた。

 格上が本気になっている状況で、圧倒的に不利な格下が笑ったのだから、訝しむのは当然だろう。しかし、この逆境こそが何よりも愉しいのだ。


「――瑠璃さん。今です、十八くんをっ!!」


 仕切り直してここからが本番、というタイミングで、わたしは意識を五百蔵鏡から外した。そして、影のヒトガタを倒し終わった神薙瑠璃に向かって叫んだ。

 そのまま無防備な隙を見せつつ、壁に捕らわれている龍ヶ崎十八に顔を向ける。


「逃がすわけがないだろ? ワンパターン過ぎる。通じると思うのか?」


 瞬間、当然のようにその隙を突いて、五百蔵鏡はわたしの背後に回り込み、羽交い絞めにしつつ首を絞めてきた。同時に、龍ヶ崎十八を捕えていた鎖が魔力を放ち、半透明な結界が生まれた。


「テレポーテーションの魔術は強力だ。だがその欠点は、対象の身体の一部が、術者と同じ地平に着いていないと不可能なことだ。当然、魔術による結界に閉じ込められている対象も不可――」

「――存じていますよ。だからこそ、五百蔵さんは引っ掛かってくださいました」

「ん? なに? っ、まさか!?」

「綾女ちゃん、任せましたよぉ!」


 わたしの思惑に気付いた刹那、神薙瑠璃の瞬間移動が成立した。

 クソ、と吐き捨てて跳び退こうとする五百蔵鏡の腕を掴んで、わたしはニヤリと笑った。

 足元に魔法陣が展開されて、次の瞬間、景色が切り替わる。


「ここは――」


 わたしから飛び退いた五百蔵鏡は、すかさず周囲を見渡す。すると、寛いでいた一般人たちが、突如現れたわたしたちに驚きの顔を見せていた。

 事前に相談していた通り、ここはアートホールの三階、一般客が休憩出来る寛ぎのテラスラウンジである。いまはちょうど演奏の幕間のようで、ざっと見る限りでも五十人以上の一般客が居た。


「ぉお!? なんだ、なんだ!?」

「きゃぁ――何、何!?」


 周囲の一般客が、わたしたちの姿を見て、その異様な空気を感じ取って、わーわーと騒がしくなる。

 それを横目に、わたしは仕込刀を寝かせて構えた。

 狙いは五百蔵鏡の首であり、その背後には目を見開いて驚きと共に立ち竦む男性客が見えている。


「――さあ、ここからが、第二ラウンドですよ!」


 わたしは何の躊躇もなく高速で踏み込んだ。刃を寝かせた突きのような直線的な攻撃だ。

 とはいえ、どれだけ高速であろうとも、五百蔵鏡にとっては避けるのは容易だろう。

 五百蔵鏡は、チッ、と舌打ちしつつ、真後ろの男性を横に押し退けていた。また自らも男性を庇うようにして倒れ込み、突きを避ける。

 なかなかの反射神経だ。だが、無関係な他人を庇う余裕が、その判断を鈍らせたようだ。


「ぎゃぁあ――」

「ッ!? なに!?」


 余裕さえ見せて避けた瞬間、突きは横薙ぎの斬鉄に変わり、無関係な一般客ごと周囲を切り裂いた。

 コンクリート壁を豆腐のように切り裂き、男性の右腕を刎ね飛ばす。五百蔵鏡はそれでもかろうじて避けることに成功して、肩口が少しだけ切り裂かれた程度で済んでいた。


「え!? 何、何!? 刀!?」

「……おいおい、何かの撮影か」


 男性の腕から吹き出す血が床に広がるにつれて、その光景が現実であることを認識し始める。周囲が段々と騒がしくなっていき、恐怖が辺りを支配し始めた。


「君、馬鹿なのかっ!?」

「千に散り、朱と染まれ――【天が紅】」


 わたしは五百蔵鏡のその驚愕に応えるように、渾身の力で踏み込んで無差別に辺り一面を血で染め上げた。それは空間を横薙ぎに一閃する奥義であり、超高速の連続した斬撃である。


「きゃあああ!!」

「さ、殺人鬼、だ!!」

「助けてぇ!!」


 一瞬で数十人が血の海に沈み、わたしの身体は返り血で真っ赤に染まる。

 見れば、悔しそうな顔で右腕を負傷した五百蔵鏡が立っていた。その背後には、恐怖で顔面蒼白になっている七歳くらいの女の子が尻餅をついていた。

 どうやら、庇って負傷したらしい。


「甘いんですね、五百蔵さんは――」

「――ここまでイカレてるとは思わなかった。僕も流石に、これは予想外だ」


 わたしは極上の笑みを浮かべながら、五百蔵鏡と向かい合う。

 いつの間にか火災警報器が鳴らされており、それ以上に喧しい悲鳴が溢れていた。

 寛ぎのスペースであるはずのテラスラウンジは、阿鼻叫喚の地獄絵図となっていた。


「――わたしは、容赦しませんよ」

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