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外道に生きるモノ  作者: 神無月夕
人修羅を継ぐ者
3/85

第二夜

 

 五十嵐葵の事故報道は、わたしの裏工作が功を奏したようで、事件性などまったく感じさせないひどくアッサリとした報道で終わった。


 翌日の朝、九鬼市のローカルニュースで、『蒼森山の大橋で事故発生。死傷者三名』――とだけ放送されて、飲酒運転だったのではないか、とか、居眠り運転だったのではないか、とか、若いニュースキャスターとコメンテーターが議論していた。


 わたしは朝食のパンとサラダを食べながら、そんな下らない報道を横目に、次の標的をどうするか考える。


 師父から与えられた試練のもう一つ――『巫道サラと戦う』こと。

 そう、戦う、ことである。

 勝ち負けについては明言されず、戦うことさえ出来ればクリアだというのだ。

 それはつまり、どういうことだろうか。


巫道(フドウ)サラ――五葉女学院で雇われている臨時の養護教諭。年齢は二十九歳、未婚。アメリカ人の母親と、日本人の父親のハーフで、現在は父方の実家に住んでいる。実家は神職、九鬼神社の神主で、彼女は跡取りでもある、ですか」


 調べた限りのプロフィールを見るに、特段、戦うことが困難な理由は見当たらない。


「一週間のうち、四日は学校に勤務している。予定通りなら、今日も勤務日のはず……」


 わたしは言いながらテーブルに置かれた一枚の写真に目を落とす。

 そこには、満面の笑みで屈託なく笑う金髪の白人美女が写っている。

 カメラに向かってダブルピースをする白衣を纏った金髪の外人――三日前に撮った巫道サラの写真だ。


「……それにしても、信じられないスタイルです」


 その胸のボリュームは思わず嫉妬するほど巨大で、腰は見事に引き締まっている。写真越しでも、スタイルの良さは際立っている。しかも実際のデータも、完璧の一言に尽きるだろう。

 身長177センチ、BWHは上から、96、61、86――そのグラマラスボディに、天真爛漫、無邪気で天然な性格をしていると言う。

 ちなみに美貌は、赴任わずか三ヶ月で、五葉女学院のミスコン優勝を果たしたほどである。


「女子力ではまるで勝てる気はしませんけれど……」


 わたしは写真に写った巫道サラのダブルピース姿を眺める。

 巫道サラの噂に、運動が得意という話はなかった。どころかむしろ、周囲からの噂だと、典型的なインドア教諭で、保健室からほとんど出歩かないと言う。


 しかし、師父が『戦う』ことを試練にしているだけあって、只者ではないのは間違いない。


「…………それが証拠にこの写真、望遠レンズでの隠し撮りですのに」


 この写真はそもそも、五十嵐葵を調査している過程で、わたしが学校をサボって撮影した写真だ。巫道サラの出勤時間を見計らって、待ち伏せで撮影した隠し撮り。

 ――にも関わらず、巫道サラはわたしの気配を嗅ぎ取って、一瞬のうちにポージングしたのだ。


「愉しめそう、ですね」


 少なくとも舐めて掛かれる相手ではないだろう。

 わたしは久しぶりの強者の予感に、ブルリと武者震いした。

 拍子抜けだった五十嵐葵のせいで、ずいぶんと昨日は不完全燃焼だった。それを払拭できるくらいには、きっと巫道サラは期待できそうだ。


 わたしは、パン、と自らの両頬を叩いて、気合を入れる。そして、あらかじめ用意しておいた五葉女学院の制服に着替えた。変装である。

 今日は土曜日――授業はないが、部活動は行われている。


 今回の計画は、部活動にやってきた五葉の生徒になりすまして、校内に侵入。保健室で、巫道サラと戦う算段である。

 あまり練った計画とは言えないが、出たところ勝負も偶には良いだろう。


「……というか、正直、一刻も早く戦いたいですし」


 わたしは期待に膨らむ自身の薄い胸に触れながら、師父から譲り受けた杖状の仕込刀【魔女殺し】を竹刀袋に入れて、自宅を出た。



 無意識にスキップしそうになる足取りを努めて抑えて、わたしは堂々と五葉女学院の正門を通り過ぎた。

 一応、ガードマンとして厳つい警備員が突っ立っていたが、わたしの制服をチラと見て、特に何も言わずに見逃してくれた。

 そんな杜撰な警備に、心の中で失笑すると共に感謝する。おかげで、スムーズに侵入できる。


 五葉女学院の内部は、土曜日には思えないほど、多くの生徒が歩いていた。

 彼女たちは健康的な汗を流しながら、きゃいきゃいと楽しげに部活動に精を出している。

 渡り廊下を通りながら、横目に広い校庭を見渡す。すると、運動部系の部活動が、元気よく声出ししながら練習している。なんとも平和な風景だ。

 わたしはそんな中、勝手知ったる我が物顔で、校舎内に入っていった。


 バロック調の如何にも格式高い校内は、活気のある校庭とは別世界で、静謐な空気に満ちて、ひと気がなかった。だが、まったく無人ではなく、チラホラと文化部の生徒が見える。


「――ねぇ、あんな綺麗な子、うちにいたっけ?」

「――あの制服二年でしょ? 何組かな?」


 廊下ですれ違う何人かの生徒からは、好奇の視線と共にそんなことを囁かれた。しかし幸いにも、わたしに声を掛けてくるほどの度胸を持った生徒はいなかった。


 わたしは事前に下調べした見取り図を頭の中に広げながら、校内の一番奥にある保健室へと向かった。


 堂々たる足取りで、迷いながらも保健室に辿り着くと、中から何人かの生徒の気配がする。

 思わずわたしは舌打ちしてしまう。

 流石に、無関係な生徒がいる前で、巫道サラに喧嘩を売るわけにはいかない。警備員を呼ばれてしまっては興ざめも良いところだし、そもそもそんな状況では、巫道サラは本気など出さないだろう。


 わたしは興奮する気持ちを深呼吸で抑えて、そ知らぬ顔で保健室を通り過ぎると、廊下の角に身体を隠した。そうして、保健室から部外者が出て行くのを、ジッと待つ。


 しばらくして、ようやく保健室の扉が開き、ジャージ姿の生徒が三人、嬉しそうな顔で出て行った。

 そんな三人の生徒を、廊下に出て見送る巫道サラの姿を認めて、わたしは満足げに頷いた。

 さて、これでようやく本題だ。


「――ネ、そんなトコ隠れて、いったい何の用カナ? 怪我、シタ?」

「っ!?」


 瞬間、わたしの真横から、片言の日本語が聞こえてきた。

 わたしは息を呑んで、ビクリと身体を震わせる。同時に、勢いよくその場から飛び退くと、瞬間的に竹刀袋から仕込刀を取り出して、正眼に身構えた。

 見ればいつの間にか、廊下には、白衣のポケットに手を突っ込んで、悪戯が成功した子供みたいに無邪気な笑顔をした金髪美女が立っていた。

 ほんのつい一瞬前まで、三人の生徒を見送っていたはずの巫道サラ、その人である。

 わたしは思わず、にやける顔を抑えられなかった。圧倒的強者と対峙した感覚――興奮が、抑えきれない。だがそれと同時に、背筋が凍るような恐怖も感じていた。


「ドシタノ? ソレ、杖……ううん、木刀カナ? 人に向けたら、危ないヨ?」


 巫道サラは無警戒な様子で、一歩、当然のように距離を詰める。サラサラと金髪が風に流れて、ふんわりと甘い匂いが漂ってきた。

 肩口に掛かるウェーブした金髪、男女問わず魅了できるだろう美貌、目の前にしてつくづく実感させられるスタイルの良さ。

 戦闘を行う前から、ありとあらゆる要素が、わたしに力量差を感じさせる。


「ネェネェ、本当に、ドシタノ? 保健室に用あるナラ、ナウ、誰もいないヨ?」


 巫道サラは、沈黙するわたしにそう微笑みかけて、当たり前のように背を向けた。

 しかしそれは油断でも何でもない。完全に背を向けているのに、まったく隙がなかった。


(…………まったく、気配を感じなかったです)


 わたしは保健室に入っていく巫道サラを見送って、ゴクリと唾を飲んだ。そして、期待以上の化物だ、と誰に語るでもなく声に出して、保健室に入った。


「――あ、来たネ? で、何の用カナ?」


 保健室の中では、巫道サラが椅子に座って待っていた。

 待ち構えていたわけではなく、普通に仕事をしながら、わたしが入ってきたところで、振り返ったのだ。


「ふぅ――――巫道サラ、さんで、間違いないですね?」

「ウン? イエス。そーだよ?」


 わたしは後ろ手に保健室の扉を閉めて、さりげなく鍵を掛ける。

 その行動に、巫道サラは首を傾げる。


「わたしは――【人修羅】の後継者です。個人的な事情で申し訳ありませんが、貴女に挑みたく、ここまでやってきました」


 それは戦闘開始の宣言だ。巫道サラの反応によらず、どんな返事をしようがお構いなく、わたしは問答無用に斬りかかった。

 椅子に座る巫道サラの脳天目掛けて、神速の抜刀術を披露する。

 全身全霊の歩法【飛天】――瞬きの一瞬で距離を詰めて、殺すつもりで仕込刀を振り下ろす。

 無論、既に刀は抜き放っているから、真剣である。


 会心の不意打ち。

 この技であれば、恐らく師父でさえも満足に反応できないだろう。


「Wow――――ビックリだよ?」


 ところが巫道サラは、反応したどころか、余裕さえ見せてそれを躱した――のみならず、わたしの顔面に裏拳を寸止めまでしてみせる。

 ブォン、と顔を撫でる風圧、それに遅れて、巫道サラの座っていた椅子が真っ二つに割れた。

 わたしは咄嗟に返す刀で斬り付けたが、巫道サラは笑顔のまま、舞うような優雅な動作に音もなく距離を取っていた。

 翻った白衣の裾が切れたが、被害はたったそれだけだ。


「……ふ、ふ、ふ……なるほど、なるほど」


 わたしは込み上げてくる自嘲を堪えながら、まったく嗤えないな、と心の中で呟く。つぅー、とこめかみを冷や汗が流れ落ちて、自らの未熟さが無性に恥かしくなった。


「……『()()()巫道サラと闘うこと』……でしたか……」


 わたしは震える声で、師父から与えられた試練の内容を復唱した。

 巫道サラはわたしの呟きを耳にして、キョトンとした表情で首を傾げる。

 彼女のその態度は、今まさに命を狙われたとは思えないほど緊張感のないものだった。闘気はおろか、敵意さえ微塵も感じない。

 巫道サラにとっていまのわたしの行動は、ちょっと脅かした程度にしか思われていないようだ。


(…………本気どころか、いまのわたしでは……相手にも、されませんね……)


 わたしはここに到ってようやく、師父の言葉の意味を理解した。

 いかに自分が井の中の蛙であり、強くなったつもりで自惚れていたか――こんな人外の化物を目の当たりにしたら、嫌でも痛感せざるを得ない。

 確かにわたしは――圧倒的に、経験値不足である。強者との戦闘経験が足りないだろう。


(――――とはいえ、これで引き下がれるほど、わたしは潔くありません)


 チャキ、と仕込刀を握り直して、萎えそうになった気持ちを奮い立たせる。

 巫道サラという化物との実力差は痛感したが、逃げるという選択肢は存在しない。決して勝てない強者が相手だろうとも、まだわたしは戦える――戦える限り、命を賭すのが外道之太刀の流儀である。


「?? 何したいのか、よく分かんないケド――今の動き、直線的で、分かりやすかったヨ?」


 これ以上ないほど殺気と闘気を漲らせるわたしに、巫道サラは不思議そうな顔をしながら、そんな指摘を口にした。そして何事もないかのように、整えられたベッドの端にちょこんと座る。

 対峙するわたしと巫道サラ。だが、両者の温度感は火と水ほども違っている。

 

「ふ、ふ……直線的で、分かり易い、ですか……ご指摘、どうもありがとうございます」

「イエス、どうイタシマシテ! あ、ケド、凄いスピーディだから、気を落とすことないヨ?」


 わたしはヒクつく口元を必死に抑えて、厭味ったらしく呟いた。それに対して巫道サラは、まったく空気を読まずに、満面の笑顔と弾けるような元気の良い声でそう言った。


「……ふぅ――気落ちなぞ、しません。けれど……このままでは、本気を出させるどころか、戦いと呼べる領域にも踏み込めませんね」


 巫道サラの余計な一言でついカッとなりそうになった心を深呼吸で落ち着かせて、わたしは冷静に攻め込むタイミングを窺う。

 不意打ちにさえ余裕で反応できる巫道サラの反射神経と運動神経を考えれば、正攻法ではお話にならないだろう。決定的な隙を突いたうえで、さらにはわたしの命を賭けて、ようやく手が届く――かも知れない。それほどの相手である。

 まったく認めたくはないが、事実として、わたしと巫道サラにはそれほどの絶望的な実力差がある。


「師父が『勝敗問わず』と言うのが納得です。いまのわたしには荷が勝ちすぎる――――まぁ、だからこそこんなに、心躍るのでしょうけれど――」

「ココロ、オドル? ソレ、何のアニソン、だっけ? んん? 思い出せナイ……」


 わたしの独り言に、見当違いの言葉を吐いて首を捻る巫道サラ。それが本気か冗談かは分からないが、間違いなくふざけている。


 ――どうやら巫道サラは、わたしのことを舐めている。そもそも、まともに相手をするつもり自体ないようだ。


「上等、です!!」 


 これが計算尽くの挑発行為だとしたら、まんまと罠に嵌ったことになるが、だとしてもわたしは、もはや攻めるタイミングを窺う様子見など出来なかった。

 ダン、と床板を踏み抜かんばかりの勢いで踏み込んで、渾身の斬り払いを繰り出す。


 煌めく白刃、音速の斬撃――しかし、巫道サラはそれを避けず、ジッと冷静に眺めていた。


 恐らく、寸前で見切れる自信でもあるのだろう。巫道サラほどの強者ともなれば、悔しいことこの上ないが、わたしから後の先を取ることなどさして難しくないに違いない。


(けれど――やれるものなら、やってみなさいっ!!)


 わたしは繰り出した斬り払いを振り抜く直前で、手首を返して振りかぶり、同時に、急ブレーキするが否やバックステップして、刀の間合いの外側まで飛び退いた。

 わたしのそんな唐突なバックステップに、巫道サラが、はてな、と怪訝な表情を浮かべる。

 

 勝負は一瞬――この刹那に、わたしは全てを賭けた。

 考え得る限りの最高の連撃を繰り出して、巫道サラに叩き込んだ。


 何もない中空を切り裂く白刃の軌跡――外道之太刀【雨燕(アマツバメ)】という剣技だ。これは飛翔する斬撃である。

 虚を突くその先制の一撃が、ベッドに座る巫道サラを強襲した。


「Wow――」


 巫道サラから驚愕の声が上がる。しかしそれも当然だろう、初見で飛ぶ斬撃(アマツバメ)を避けることは困難である。

 

 ――とはいえ、そこは巫道サラ。雨燕のような小技で倒せるほど、弱くはない。


 案の定、巫道サラは驚きつつも、雨燕をさも当然のように捌いた。いや、捌いたというよりも、掻き消してみせた。

 まったく信じたくないことだが、眼前に迫った真空刃を、サッと振るった拳の拳圧で吹き飛ばしたのである。そんな芸当が出来るなぞ、まさに化物と形容する以外に言葉がない。


(まぁ、躱されるところまでは、想定通りですけれど――)


 想定通り、と心の中で強がっていたが、実際に躱されて悔しい気持ちも多少あった。これでも、本気で殺すつもりの斬撃だったのだ。

 けれども、そんな悔しさはすぐさま忘れた。そもそもこの雨燕の真の意図は、次に繰り出す大技のための布石である。

 そして布石は見事に成功した。巫道サラの意識を、ほんの刹那だけ、わたしから逸らすことに成功した。


 この刹那、蜃気楼の如くわたしの身体が揺らめく――歩法【陽炎(カゲロウ)】。ミスディレクションを用いて、相手との距離を縮める歩法である。

 残像を伴って巫道サラに接近して、本命の大技を必中させる。


「――――ハァッ!!」


 わたしが裂帛の気合と共に繰り出した剣技は、外道之太刀の中でも、最速にして最も広範囲の連撃――【無形羅刹(ムギョウラセツ)】だ。

 予備動作なく、一太刀目の初速から最高速度で縦横無尽に斬り込む剣舞である。

 剣技の出処を悟らせない為の歩法陽炎。そこから繰り出す始動を読ませない全方位の斬撃。

 いかに巫道サラが人外の化物でも、不意を突いたうえで、避ける余地のない斬撃の袋小路を浴びれば、無傷では済むまい。 

 

「――嗚呼、コレ。そっか、そっか」


 果たして、わたしの繰り出した必殺の大技、無形羅刹は、それでも巫道サラには届かなかった。いや、届かないどころか、前髪を揺らすことしか出来なかった。

 巫道サラは、わたしが想像していたよりも遥かに人外で規格外な超人だったようだ。


「……これほど、差があるとは……考えたくも、ありませんでした……」


 諦観の滲んだ乾いた声が、わたしの口から漏れ出た。

 秒に満たない寸毫の絶技の果てには、切り刻まれたベッドと、まったくの無傷で涼しい顔をした巫道サラが立っている。

 わたしは悔しさを通り越して、もはや悲しみを感じつつ、巫道サラの笑顔に視線を合わせる。


 現実に起きたことを否定するつもりはないが、それでも到底信じられない結果である。それは、まさに悪夢のようだった。

 わたしが放った必殺の剣舞――歩法陽炎から繰り出した無形羅刹は、その全ての連撃が、切っ先を反らされただけで軽く叩き落とされたのだ。

 しかもそれは、反射神経と動体視力頼みの力技な芸当ではなく、わたしの動き、剣技を見切ったうえでの完璧なまでの捌きだった。

 圧倒的に身体能力で劣っているのは理解している。

 けれど、そんな体力面のみならず、技術面でさえも敵わないという事実を突き付けられて、わたしは絶望的な気分になっていた。

 ちなみに無形羅刹を捌く際に、巫道サラはわたしの肩をポンポンと叩くほどの余裕さえ見せていた。

 この実力差をゲームで例えるのならば、わたしは所詮名もない村人Aで、巫道サラは魔王を討伐した後の勇者か英雄である。


「思い出したヨ――『ヒトシュラ』って、あのゲン爺ちゃんの事、ダヨネ?」


 無傷で立つ巫道サラは、ポン、と手を叩く仕草をして、嬉しそうに何度も頷いていた。疑問形で問い掛けているくせに、答えなど求めていない様子で自己完結していた。


「玄、爺ちゃん、とは、なんて馴れ馴れしい……巫道さんは、師父をご存知なのでしょうか?」 

「ご存知――うーん、イエス、カナ? 昔ね、戦ったことあるヨ? さっきの技、どっかで見覚えあったから、んー、って考えてたんだケド、やっと思い出せたヨ」


 巫道サラはわたしを指差して、ねぇ、と首を傾げた。


「ところで、ヒトシュラの後継者、って事は、ゲン爺ちゃんの、グランドーター?」


 巫道サラの流暢な質問に、わたしはギリギリと歯噛みした。

 ここまでの実力差があれば当然なのかも知れないが、ここに至っても巫道サラには戦う気がなかった。


「――ええ、そうです。孫娘です」

「Wow!! やっぱりネ~、そうだと思ったヨ。ゲン爺ちゃんって偏屈だったから、絶対ファミリーにしか、技を教えない気がしてたんだヨ」


 物が散乱して悲惨な状況になった保健室に不釣合いの弛緩した空気を放つ巫道サラに、わたしは完全に毒気を抜かれる。

 そもそも、ここまでやって手も足も出ない――どころか、巫道サラは攻撃を寸止めしている。

 これではまるで模擬戦だ。これが仮に、本当の戦いだとすれば、わたしは最初の一撃でとっくに死んでいるだろう。いま生きているのは、ただただ巫道サラの慈悲に過ぎない。

 わたしは自らの未熟さを認めて、疲れたように溜息を漏らすと、放っていた殺気と戦意を霧散させた。

 結局、いまのわたしでは、命を幾ら賭けようとも、逆立ちしたって巫道サラには敵わない。


 わたしは仕込刀を鞘に収めてベッドの上に放り投げると、もう完全にお手上げとばかりに、両手を挙げて巫道サラと向き直る。

 巫道サラは満足げに微笑んでから、少しの逡巡の後、ボロボロになったベッドの端に腰を下ろした。


「あ、そういえば! ワタシ、アナタの名前、まだ知らないケド――自己紹介、プリーズ?」

「……わたしは、鳳仙(ホウセン)綾女(アヤメ)と申します。県立三幹(サンカン)高等学校普通科に通う、二年生です」

「アヤメちゃん、か――ん? アヤメちゃん、三幹ナノ? アレでも、そのセーラー服、五葉のだよネ? ドシタノ?」

「お店で普通に買いました」

「Wow、普通に買えるノ?」


 驚く巫道サラに、わたしは呆れ顔で頷いた。

 学校指定の制服なんぞ、特別なことをしなくても購入できる。


「なるほどぉ――あ、ところで、用事って何だっけ?」


 巫道サラは、とぼけた様子で首を傾げた。その優しい笑顔は、子供の悪戯を許す母親みたいな笑顔だった。分かっていてあえて聞かない、そんな空気を含んでいる。


「…………ひとまず、今日のところは諦めました」

「ふーん、そう? まぁ、いつでも保健室に来てくれれば、相談乗るからネ? 例えば、武術のお稽古が希望なら、優しく手解きしてあげるヨ?」


 わたしはその台詞に、グッと拳を握り締めて怒りを堪えた。

 それは明らかな嫌味だ。意図してか、意図せずかは分からないが、不愉快な言い回しに違いはなかった。


「ええ、その際は、ぜひ宜しくお願いいたします……しかしまさか、ここまで実力差があるとは、想像さえ出来ませんでした。わたしもまだまだ未熟です」

「んー? 未熟っちゃあ、未熟かもだケド――少なくともアヤメちゃん、全盛期のヒトシュラより、ずっと強いと思うヨ?」

「――お世辞は、結構です」


 明らかに嘘と分かる巫道サラの台詞に苛立ちつつ、わたしは、ところで、と前置いて、先ほどから感じていた疑問を口にした。


「巫道さんは、わたしの師父――【人修羅】蒼森玄と戦ったことがおありとのことですけれど、どういったご関係だったのでしょうか?」


 どう考えても、巫道サラと師父との接点がまるで思いつかない。二人とも、人外の化物であるという共通項以外に、関係性が見出せなかった。

 わたしのそんな疑問に、巫道サラは途端キョトンと目を瞬かせて、次の瞬間、破顔して爆笑した。


「HAHAHA――まさかアヤメちゃん。ワタシを知らなかったノ? 嗚呼、そっか、なるほど――だから、あんなに真正面から来たのかぁ」


 巫道サラは、米国のホームコメディに出てくる登場人物みたいなテンションで豪快に笑いながら、バンバンと両手を叩いていた。その仕草は非常に不愉快だった。

 ついつい全身から殺意と戦意が溢れてきたが、グッと飲み込んで質問を続ける。


「――巫道さんを知らない、とはどういう意味ですか?」

「ノーノー。巫道サン、じゃなくて、ワタシのことは、サラでOKヨ?」

()()()()。巫道さんは、裏社会で有名な方なのでしょうか?」


 巫道サラの意見を無視して質問すると、彼女は不貞腐れ顔を浮かべた。その顔を見て、ほんの気持ちだけ胸がすく。


「……有名、とか、無名とか、そういうことじゃないケド――ちなみにサ、アヤメちゃん。アヤメちゃんは【魔女】の存在を知ってるノ?」

「魔女、ですか? ヨーロッパの伝承に登場する魔法を使う人間のこと、でしょうか? それとも何かの比喩表現でしょうか?」

「HAHAHA――そっか、そっか。つまりソユコトかぁ。ゲン爺ちゃん、意地悪だネ~。アヤメちゃんにこの世界のルール、教えてあげてないのカ」


 うんうん、と楽しそうに笑いながら頷く巫道サラに、ヘイトがどんどん上昇する。一方的に納得される様を見せられると、苛立ちしか生まれない。


「――巫道さん、この世界のルール、とは何か、ご存知でしたら、教えて頂けないでしょうか?」


 しかしそんな感情は我慢して、わたしはこめかみに青筋を立てながらも、低姿勢に教えを乞うた。強くなるためならば、敵に教えを乞うことに躊躇などない。

 巫道サラはわたしを見て、うんうん、と何度か頷いていた。


「アヤメちゃんはサ、ドシテ、ヒトシュラに成りたいノ?」

「【人修羅】こそが、最強の称号だからです。わたしは【最強】になりたいだけです」

「サイキョー、か。本当に、ゲン爺ちゃんみたいだネ。もうナウで充分ストロングなのに――」

「――充分? 妥協なぞ出来るわけがないでしょう? 少なくともいまは、巫道さんよりも強くなりたい、と思っています」

「HAHAHA! ソダネ~、ワタシを超えないと()()()()()なんて夢のまた夢、だネ」


 巫道サラはむかつくドヤ顔で、爆笑しながら的外れの言葉ばかり吐いた。けれど、爆発しそうになる感情を必死に堪えて、わたしは巫道サラの戯言に付き合う。

 必要な情報を聞けるのならば、一時の我慢など容易いものだ。


「――と、ソーリー、ついつい笑っちゃったヨ。じゃ、せっかくだから、悩めるアヤメちゃんに、二つの事実だけ、教えるネ?」


 ひとしきり笑った後に、巫道サラはピースサインを見せながら、荒唐無稽な話を始めた。


「この世界には、【魔女】って呼ばれる存在がいるんだヨ。魔女は【魔法具(アーティファクト)】って呼ばれる神の奇跡を具現化する武器を宿して生まれて、しかも特殊な異能を擁して、魔法までも操る存在なノ。世界の理の外側――理外の存在を束ねる異常者、それが魔女だヨ。ちなみにその魔女が擁する力は、自衛隊一個師団なんて軽く壊滅させるほどで、それはもう核兵器に代わる大量破壊兵器って言われるヨ。魔女イコール『人型リーサルウエポン』とまで形容されるヨ。で、そんな魔女を、あらゆる外敵から護る存在を【魔女の騎士(ウィッチナイト)】って言うノ。この魔女の騎士は、魔女からの加護を得ることで、常人よりも凄くストロングになるノ――ワタシは、そんな【魔女の騎士】ですヨ?」


 えっへん、と豊満すぎる胸を張る巫道サラに、わたしはただただ胡散臭い視線を向ける。

 正直、何を言っているのか、意味が分からない。確かに巫道サラの強さは、人外の化物としか表現できないほど驚異的な強さである。それでも、いきなりオカルトじみた話をされても困る。

 わたしは目に見えないものを信じない性質である。


「ネ? ゲン爺ちゃん、ワタシのこと伝えてなかったんでしょ? ワタシが【魔女の騎士】だって知ってたなら、真正面からチャンレンジしてくるなんて、無謀極まるヨ?」

「…………仮に、巫道さんが魔女の騎士だ、と告げられていたとしても、結局、わたしには何のことか分からず、正面から挑んだと思いますけれど?」

「HAHAHA。そっか、そっか――ソダネ~。だって【魔女】のことも、ナウで知ったんだもんネ?」


 巫道サラの無邪気な笑いが、非常に腹立たしい。まともに受け答えする気がないのならば、ハッキリとそう言えば良いのに――と、わたしはこれ見よがしに舌打ちをした。


「お、苛立ってるネ? カルシウム足りてるかナ? ――と、脱線しちゃったヨ、ソーリー。ま、そんな事実が一つ目で、もう一つの事実ってのはネ。コレは、ショックかもダケド、言うネ?」


 若干声のトーンを落として、さも深刻そうな顔で、巫道サラはふざけたことをほざいた。


「【ヒトシュラ】って、もうずっと前から()()()()()()()()()()? 世間的には、十二年前にワタシと闘って負けたことが原因で、引退したしネ。ちなみに、いまサイキョーって呼ばれてるのは、【緋色の雷神】OR【破壊神】、そのどっちかだと思うヨ?」

「――ふざけたことを! 百歩譲って、仮に、もしも万が一、最強の号をいまは【人修羅】以外の誰かが持っていたとして、わたしが取り返せば済む話でしょう? そんなことよりも、十二年前に、巫道さんと闘って、師父が負けた!? 十二年前とすると、巫道さんが、まだ十七、八のときのことでしょう? ハッ――わたしが分からないと思って、適当なことを!」

「チョ、チョ、待ってヨ。信じたくないのは分かるケド、事実だヨ? だいたいサ、アヤメちゃんも高校二年生なら、同い年くらいだヨ? 与太話じゃないって分かるよネ?」

「まったくお話になりません――本日のところは、これでもう失礼いたします」


 わたしはぴしゃりと話を切り上げた。これ以上はとても、巫道サラの話に堪えられなかった。怒りで頭が沸騰しそうである。

 だが何よりも苛立つのは、こんなふざけたことを口にする巫道サラに、完膚なきまでに負けた自身の弱さだった。

 負けた手前、どれほど巫道サラの話が嘘くさかろうとも、わたしにそれを否定する権利はない。否定の言葉は、結局、負け犬の遠吠えにしかならないからだ。

 そして、それを分かっていて口にしている自分が、あまりにも惨めでならなかった。


「あ、そ? OK――じゃあ、今度は怪我したときにでも、来てネ?」


 背中に投げられたその台詞は無視して、わたしは急ぎ足で五葉女学院を後にした。


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