第二夜/前編
七月十日月曜日、午前五時半。
今日は、土曜日の雨模様、日曜日の曇天から一転して、爽やかな晴天で、日が昇るや否や、蒸し蒸しする熱気があった。
気温は25℃、湿度は80%、不快感のある暑さである。
わたしは日課の鍛錬を半分程度で早々に切り上げて、順調に回復している身体を撫でながら、シャワーで汗を流した。
食事の用意は既に出来ているので、サッサと食べて支度を整えようと思っていた。
わたしは今日、と言うよりも今週、何が何でも登校すると決めている。
今週は夏休み前の最終週であり、七夕祭の後始末や、各教科においての宿題や課題の通達、一学期範囲の復習などで、授業らしい授業はせずに半日で終わる。しかも授業はないのに、芸術科目や奉仕科目などの出席日数が稼げるボーナスウィークなのだ。だからこそ、絶対に欠席はしたくない。
そんな風に考えながら、わたしは烏の行水のようなシャワーを終えた。
「……特段、連絡もありませんね」
下着さえ身につけず、タオル一枚羽織った全裸のままでリビングに戻ってきて、真っ先に龍ヶ崎十八からの連絡を確認した。けれどメール一つ来ていない。
龍ヶ崎十八は昨日、結局、護国鎮守府に呼び出されてそのまま帰ってこなかった――いや、帰ってこない、という表現は適切でないかも知れないが、とにかくわたしの自宅に戻ってこなかった。
龍ヶ崎十八の心配は全くないが、護国鎮守府に呼び出された、と言っていたのを覚えている。
ともすれば、わたしにも護国鎮守府から呼び出しがあるかも知れない――呼び出されたならば、貴重な出席日数が奪われてしまうので、嫌だな、と考えていたのだが、どうやら杞憂になりそうだ。
「あら? と、優華さんか……」
ふとその時、ピロン、と為我井優華からSNSメッセージが来た。一瞬だけ、龍ヶ崎十八からの連絡かと思った。
わたしはフッと苦笑して、為我井優華のメッセージに返信する。
『おはよぉ! 朝から暑いねぇ。綾女ちゃん、今日は、学校来る? 今日から半日だから、どっか遊びに行こうよ~』
『おはようございます。調子は良いので、登校しますよ。けれど今日は、放課後に用事があるので、遊びのお誘いはご遠慮いたします。ごめんなさい』
わたしは為我井優華の返信を待たずに、テレビの電源を点ける。垂れ流されるのは、特に変わり映えないニュースばかりだ。
「そう言えば……優華さんは毎年、この時期、凄く緩んでましたね……」
わたしはしみじみと呟いてから、毎年、遊び惚けている為我井優華の顔を思い出す。今年もまた、いつもと同じ緩み切った顔をしているのだろう。そして、夏休み終盤になって、出されていた大量の課題と宿題を前に真っ青になるのだ。
相変わらずだな、と少しだけ呆れる。為我井優華のその気持ちだけは、まるで理解出来ない。
わたしの通う三幹高等学校は、期末テストを一つの節目と捉えており、それが終わると長期休みを謳歌して英気を養え、という教育方針がある。その為、期末テストが終わると途端に、授業全体に対する熱が下がる傾向にあるのだ。教員たちのやる気も露骨に低下するし、生徒たちも同様に気持ちが緩む。その緩みはテスト直後に催される学校行事のせいもあり、いっそう拍車がかかる。
だからだろうか、三幹高等学校の長期休みでは、宿題と課題が大量に出されることでも有名だった。気持ちがたるんでいても、最低限の勉強は実施せよ、という学校側の思惑だ。良く言えば生徒の自主性を重んじているのだが、悪く言えば放任主義とも言える。
まあそうは言いつつも、三幹高等学校の理念に自学自習があるので、宿題も課題もその延長でしかないと思うのだが――そう思っているのは、わたしを含めてごく少数の生徒だけだろう。
「――日々鍛錬を行うのは当然で、己を高める為の勉強も積み重ねるのが自然でしょうに」
全裸のまま呟いて、テーブルに用意していた朝食を口に入れた。
朝食はわたしが準備したもので、バナナとミルク、完全栄養食を謳うプロテインバー1つというラインナップである。内臓にまだ疲労があるので、胃に優しい食事を意識した結果こうなった。
普段は味など二の次で効率重視な食事をするわたしだが、ここのところ龍ヶ崎十八の美味しい食事を提供されていたからか、少しだけ味気なく感じた。
食事をしながら、他愛ないニュースを眺める。
週明けにしては珍しく、何のトピックスもなく、世間はいたって平和だった。
わたしは食事を食べ終えて、制服に着替えた。時刻は六時半を少し回った。
「今日はもう、そろそろ出かけましょうか」
普段の登校よりも一時間近く早い。けれど、これ以上自宅に居ても、別段やることはない。学校の準備を整えて、そそくさと家を出た。
外の熱気はむわっと来たが、本格的に暑くなるのはこれからである。
「……この時間帯、空いてますね」
通学バスに乗り込むと、わたし以外誰も乗っていないことに感動した。この時間に出たのは、ある意味で正解かも知れない。
わたしは空調の利いたバスに揺られながら、昨日夜に届いた自称『相棒』からのメールを読み返す。
『綾女嬢、待ち合わせしましょ。十日月曜日の十七時半、以下のURLの場所にお越しくださいっス。勿論、食事は奢るスよ。予約は綾女嬢の名前でしときました』
メール本文のURLを押すと、最近話題のお好み焼き屋『モダン柊』という店舗の情報が出てきた。そこは以前、為我井優華からおススメされた飲食店だった。
「随分と、ふざけた文章ですよね」
わたしはボソリと呟き、改めて店舗情報を詳しく見て、眉根を寄せる。
ここまで怪しいと、もはや何からツッコミを入れるべきか迷ってしまう。
店舗紹介には、全席完全個室、完全予約制、年中無休、予算千円~、当日来店は応相談、という記載があり、料理の画像ではなく、ピースサインをする店長の顔写真があった。
他人様の店舗事情をとやかく言うのは控えるが、まず当日来店が応相談なのに、完全予約制とはなんぞや――いや、そんなことより何よりも、顔写真の下に『店長兼オーナー兼料理長兼、唯一の従業員柊南天』と記載されているのは、如何なモノだろうか。
『――口癖が、ふむふむ、なるほど、なるほど。分かります、分かります。つまりそれは、って言うの。面白い人だよぉ』
わたしは昨日の電話口でのやり取りを思い返しながら、為我井優華から聞いた話を総合して、まず間違いなく、相棒を名乗った相手が柊南天だろうと当たりを付けた。
「……逃げも隠れもしない、という意思表示なのでしょうか?」
どんな心境でインターネット上に顔を晒しているのか、わたしは首を傾げるしかなかった。何を目的として飲食店など開いているのか、それさえも疑問である。
とはいえ、そんなこんなも含めて、直接尋問すればいいか、と納得して、外の景色に視線を向ける。もうとっくに明るい時間だが、まだそれほど歩いている人はいなかった。
そうして、学校に最寄りのバス停で降車する。
学校近くになると、わたしと同じように、意味もなく早めの登校をしている学生がチラホラと歩いていた。そんな見慣れた光景を眺めていた時、ふと前方の正門付近が騒々しいことに気付く。
騒がしい、と視線を向けると、そこには見慣れぬ外人女性が立っており、遠巻きに何人かの生徒が囲みを作っていた。
ざわめいているのは、その遠巻きに囲む生徒たちのお喋りである。
「……なんですか、アレは?」
わたしはその異様な光景に怪訝な表情を浮かべて、思わず足を止めてしまう。すると、見慣れぬ外人女性がわたしの姿を認めて、軽やかな足取りで近づいてきた。
その外人女性は、息を呑むほど美しい白人だった。
北欧系のモデルとしか思えないほどの美形で、凛とした表情がどこか中性的だ。パーマの入ったブロンドのショートヘア、彫りの深い目鼻、抜群のスタイルに170センチ後半はあろう高身長をしていた。薄いTシャツにホットパンツ姿で、白磁の肌を魅せ付けるように露出している。胸はそこまで大きくはないが、Tシャツが汗で張り付いて、胸の膨らみが強調されていた。
青く澄んだ双眸で、真っ直ぐとわたしを射竦めている。
その双眸を真正面から受け止めた時、わたしはふいに七夕祭を思い出した。
「あ――織姫・彦星コンテストの会場入場列で、車椅子の少年と一緒に居た女性ですね」
明らかにわたしに向かって歩いてくるその外人女性を前に、小さく呟いて手を叩く。
コンテスト会場を訊ねてきたので、答えた覚えがある。外人女性はその後、しっかりと会場入り出来ていたのも覚えている。
わたしは心の中で独り、役に立てて良かった、と頷いた。すると、ちょうど目の前で立ち止まり、外人女性はぺこりと頭を下げてくる。
「つい先日は、どうもありがとう。お嬢さんのおかげで、面白い見世物が観覧出来た」
「あ、いえいえ、どういたしまして……ところで、どうかしたのでしょうか?」
わたしは怪訝な表情で、話しかけてきた外人女性に問い掛ける。いきなり先日のことを感謝されても、反応に困るだけだった。
何の用事があってここまで来たのか、誰に用事があるのか――そう続けようとした時、外人女性は唐突に名刺を差し出した。
「私は天桐・リース・ヘブンロード。私立天桐大附属高等学校で、理事長をしている者だ」
「……は、はぁ……私立天桐大……理事長、さん?」
わたしは一歩たじろぎながら、とりあえず名刺を受け取り、天桐・リース・ヘブンロードと名乗った女性と名刺を見比べる。
名刺には確かに『私立天桐大附属高等学校理事長、天桐・Wreath・Heavenlord』と明記されている。
しかし、この自己紹介が何の意味を持ち、ここに何用なのか。わたしは混乱しながら、首を傾げる。
すると、天桐・リース・ヘブンロードは鋭く周囲を一瞥してから、わたしにだけ聞こえる声量で衝撃的なことを呟いた。
「お嬢さんが、まさか【人修羅】とは思わなかった。申し込んだ依頼を断られたから、直接、直談判に来たが、正直ガッカリだ」
「……貴女、何者ですか?」
わたしは瞬間的に背負った竹刀袋に手を伸ばした。けれど、その動きより疾く、天桐・リース・ヘブンロードはわたしの腕を掴んでいた。
わたしとそう変わらない華奢な腕なのに、その腕力はゴリラよりも強いだろう。肉体の限界を外しているのに、捕まれた腕はビクともしなかった。
「『人修羅信者』と、でも名乗っておこう――だが、もういい。当代の人修羅がこの程度なら、うちの末席を向かわせた方が、よほど良い仕事をする」
「――――くっ!?」
天桐・リース・ヘブンロードは吐き捨てるように言って、フッと力を抜いた。
瞬間、わたしは周囲の目など気にせず、竹刀袋から仕込刀を取り出して、振り下ろす所作と同時に、居合い抜きで胴体を薙ぎ払った。
乙心一統流朱之太刀【天地双撃】――素人目には、何が起きたか全く分からないほど高速の二連撃だ。
わたしからすると基本的な剣技だが、凡人相手ならば軽く即死させられる自信がある。
しかしその剣技を、天桐・リース・ヘブンロードは完璧に見切って躱していた。あまつさえ、躱したうえでわたしの胸元に掌を添えて、スッと後ろに押し出す真似をしている。
「……っ!?」
その刹那の攻防だけで、本気だったら胸元が貫かれていたぞ、とでも言われたような敗北感を味わった。のみならず、天桐・リース・ヘブンロードがわたしを見る視線は、まさに雑魚を前にして落胆する人間の双眸だった。
わたしは一瞬で頭に血が上り、全身の血液が沸騰するような怒りを覚える。グッと腰を落として、この場で殺す、と殺意を全身に漲らせる。
「私は恐らく、【人修羅】というブランドに夢を見ていたようだ。所詮は裏稼業とはいえ、理外ではないのか……すまない。もう用事は済んだ」
けれど、わたしの強烈なその殺意を軽く受け流して、流れる動作でスルリと脇を通り過ぎていた。あまりに自然な足取りに、わたしは反応すら出来ない。
慌てて背後に振り返って、仕込刀を中段に構えた。刹那、天桐・リース・ヘブンロードのだいぶ先、通学バスから降車してきた為我井優華の姿が見えた。
「――ッ!? チッ、この!!」
「――――あ、綾女ちゃんだ!! おーい!! おっはよ~!!」
わたしは咄嗟に仕込刀を竹刀袋に納める。それを見越したように、もはや振り返ることさえせず、天桐・リース・ヘブンロードは歩き去って行く。
パタパタと駆けてくる為我井優華の脇を素知らぬ顔で通り過ぎて、そのままどこかの路地に曲がって姿を消した。
「ちょ、ちょっと、さっきの外人さん、凄い美形だったねぇ!? 綾女ちゃん、知り合い?」
為我井優華はわたしの前にやってきて、開口一番、姿の見えなくなった天桐・リース・ヘブンロードのことを話題に挙げる。
わたしは一瞬だけ顔を伏せて、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
ここまで一方的にコケにされて、雑魚扱いされたことが許せない。しかも、わたしの実力不足を、ではなく、人修羅という称号を貶された。この怒りは、激怒という表現では生温いほどだ。
(――必ず、殺す。天桐・リース・ヘブンロード!!)
心の中で決意して、わたしは静かに深呼吸する。この怒りを為我井優華に見せる訳にはいかない。
「……綾女ちゃん? どしたの? 生理?」
わたしの心の葛藤などお構いなく、為我井優華はマイペースに首を傾げてきた。その言葉に少しだけ気持ちが緩んで、わたしは苦笑交じりに顔を上げた。
「違います、よ。朝の陽射しと優華さんが眩し過ぎて、目が眩んでしまっただけです」
「あ、言うねぇ、綾女ちゃん。でも、アタシを誉めても何も出ないぞぉ?」
隣に並んで正門に向けて歩き出す為我井優華を見て、わたしもそのまま正門へと向き直る。とりあえずは学校に登校するのが先決だろう。
「――――って、そうそう! 綾女ちゃん、今日はどしたの? なんで、こんなに早い登校なの?」
「ええ、どうしてでしょうかね? かくいう優華さんは、どうしたんですか?」
「あ、なんか誤魔化してる? ま、いいや。うん、うん。アタシは夏休みに入る前に、奉仕科目の点数を少しでも稼ぎたいから早起きしてきたんだ~。おんなじ理由で、淑ネェも掃除当番してるし」
「……嗚呼、そう言えば……生徒会長は、早朝清掃のボランティアをやっているんでしたね」
「うん、本当に、抜かりないよねぇ。わざわざ目立つところで、しかも割とラクチンな奉仕をやってるのがさ。ズルい、って言うか、あざとい、って言うか……早朝の清掃ボランティアだったら、奉仕科目の出席も稼げて、先生たちにも覚えがめでたくて、しかも内申点も高い――そこまで貪欲にポイント稼ぎするマインド、アタシには真似出来ないよぉ」
話しながら正門を通り抜けると、ちょうど、駐輪場付近を掃除している生徒会長為我井淑可の姿を目撃する。
為我井淑可がやっているのは、必修単位の奉仕学習科目に該当する清掃ボランティア活動だ。休校でない限り、毎朝六時から七時過ぎまで行う奉仕活動で、為我井優華の言うようなラクチンさは一切ない。むしろ奉仕学習科目の中でもダントツに大変な活動と言われている。その代わりに、参加者にはかなりの内申点が付く。
「生徒会長は相変わらず、完璧ですね」
「……うーん。不肖の妹からすると、淑ネェは清ネェの劣化コピーだよぉ?」
「実の姉妹には、とても厳しいのは為我井家の家訓か何かでしょうか?」
遠目に為我井淑可を眺めていたわたしに、為我井優華が辛辣なコメントを口にした。それに苦笑しながら答えて、わたしたちは教室に向かった。
教室には流石に、まだ誰も来ていない。わたしはとりあえず自席に鞄を置いて、お手洗いに向かう振りで水天宮円の教室に向かった。
一方で、為我井優華はそそくさと図書館に向かって駆けていく。貸出図書の整理という奉仕科目があり、整理員の立候補をしに行ったのだ。図書整理は一番楽な奉仕科目で、内申点は低いが、奉仕時間がとても短いことで生徒たちには人気の活動だった。
「…………流石に、この時間ではまだ登校していませんね」
わたしは水天宮円の教室を覗き込んで、落胆の吐息を漏らした。教室にはまだ誰もいなかった。
仕方ないか、と踵を返した時、冷ややかな殺意が頬を撫でた。瞬間、わたしは廊下を振り返り、ニヤリとほくそ笑んでいた。
廊下の先には、ちょうど階段を上がって登校してきた水天宮円の姿があった。水天宮円は心底疲れた顔をして、これ見よがしの溜息を漏らしていた。
「おはようございます、水天宮さん」
「――おはよう、ございます、鳳仙さん。もう、復帰、でしょうか?」
「ええ、勿論。とはいえ、完治はしておりませんよ? ですので、今週は、ゆっくり療養させて頂こうと思っておりますよ?」
わたしは歩いてくる水天宮円に近付き、飛び掛かれる間合いで立ち止まる。一方で、水天宮円は間合いなど気にせず、躊躇なく近づいてきた。
「あれだけやってめげない心は、本当に脱帽いたします。しかしながら、ここまで平然とされると、わたし、とても怖くなりますよ――それで? 復帰を伝えに来ただけでしょうか?」
水天宮円はわたしを見詰めて、鞄の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。廊下を見渡すが、この時間は誰も居ない。
わたしはキナ臭くなる空気を胸いっぱいに吸って、けれど、グッとその戦意を堪えた。
「御礼を伝えようと――十八くんを呼んでくれた際、わたしの服を替えてくれたのは、水天宮さんですよね? 十八くんに裸を見られるのは、恥ずかしいので助かりました。ありがとうございます」
「……裏があるようにしか思えませんよ? いったい何が目的でしょうか?」
「そんなことはありません。嗚呼、それともう一つ。これは宣言ですけれど――夏休み中に、わたしは水天宮さんを超えます。なので、連絡先交換しませんか?」
わたしはニッコリと笑って、携帯電話を取り出す。
本当の目的は、連絡先を交換することである。連絡先さえ把握していれば、準備が整い次第、何度でも挑戦できる。
しかし、そんなわたしの思惑を知ってか知らずか、水天宮円は憂鬱そうな表情で頭を抑えて、フルフルと首を横に振った。
「ご遠慮いたします――それこそ、鳳仙さんが仲間になってくださるのであれば、すぐにでも交換いたしますけど……」
「あら? つれないですね。連絡先程度も、交換してくれないのですか?」
「わたしたち神言桜花宗に所属して頂けるということで宜しいしょうか?」
わたしの問いに、水天宮円も問いで返してくる。
わたしは、ふぅ、と溜息を漏らしてから、低い天井を仰いで、用は済んだとばかりにその場を離れる。
「――とりあえず、もう行きますね。所属するかどうかは、ジックリ検討しておきます」
「ええ、宜しくお願いします。それでは、ごきげんよう」
わたしが立ち去るのを最後まで見送ってから、水天宮円は自分の教室に入っていった。それを背中で感じてから、わたしも教室に戻る。
教室内はそこそこの人数が既に登校しており、誰もが今日の放課後にどこで遊ぶか、夏休みで何をするかなど楽しげな話題に興じている。
そんな中でも、羽目を外さず黙々と自学自習に勤しむ生徒も何人かいた。期末テストで上位の生徒だった。わたしも勉強する生徒と同じように、暇を潰すべく自席で復習を始めた。
とりあえず今回も学年一位にはなれたものの、二位との差は、七教科で僅か18点だった。圧勝とは言い難い結果である。少したるんでいたかも知れない。
来学期の中間では、そんな失態は演じないようしっかり勉強しておこう――
そうして、朝礼開始の五分前、予鈴が鳴り始める頃合いになってようやく、為我井優華が教室に戻ってきた。思ったよりも図書整理が進んでいないのか、それとも想像以上の労働だったのか、憔悴した顔で疲れきっていた。
そんな為我井優華を横目に、優雅に入ってきた担任を眺めて、広げていた教科書を仕舞う。
「――あら? 十八くん、からですか?」
机のうえを綺麗に片付けて、念の為に携帯電話の電源を切ろうと画面を見たところ、つい三十分ほど前に龍ヶ崎十八からメールが来ていた。
わたしはメールの内容を読んで、クスリと苦笑した。
『綾女さん、体調大丈夫? まさか登校してるの? 安静にしてないと駄目だって言ったのに! とにかく今日は俺、学校を休んでるから、早めに帰って来てくれ。相談したいこともあるし――』
相談したいこととは一体なんでしょうか、と思考しながら、わたしは、後で連絡します、とだけ返信して携帯電話の電源を落とした。
朝礼では特に目新しい連絡事項はなかった。
夏休み期間中に羽目を外し過ぎず、歓楽街には近寄らないようにとか、当たり前の注意事項が通知されたくらいだ。
そして本日の授業は、英語と数学、選択芸術と、七夕祭の後始末で半日が終わるスケジュールだった。
「夏休み期間中は、部活動以外での校内立ち入りは禁止だから、くれぐれも破るなよ。また図書室の利用も制限されているから、利用する場合には事前に申請するのを忘れないように」
最後にそんな忠言を口にしてから、担任は教室を出て行く。部活動に所属しておらず、図書室利用もする予定がないわたしには、まったく無縁な話である。
ほどなくして、本鈴が鳴り、一時限目の英語教諭が入ってくる。
さて、気持ちを切り替えて、学生の本分を全うしよう。
「――それじゃ、気をつけて帰れよ。それと、まだ休みじゃないんだから、くれぐれも遅くまで遊ぶことのないように」
担任がそう締め括ると直後に日直の号令がかかって、ようやく放課後になった。
当たり前と言えば当たり前だが、何のイベントも起きることなく、滞りなく本日の授業全てが終わりを告げた。
為我井優華も珍しくわたしに絡まず、休み時間のたびに図書室だったり、家庭科室だったり、理科準備室だったりと、長期休み中の奉仕活動を行う為の準備で奔走していた。おかげで、少し寂しい気持ちはあったが、終日、気楽に過ごせた。
ちなみに放課後になるや否や、ほとんどの生徒が早々に帰路についていた。
教室はあっという間に誰もいなくなる。用事があると伝えていたので、為我井優華もわたしに声を掛けずに、速攻で遊びに出向いたようだ。
同級生全員を見送り、さてとわたしも立ち上がった。
わたしにとっての本題、メインイベントはこれからである。
鬼が出るか蛇が出るか――わたしは今一度、待ち合わせの場所を確認してから、教室を後にした。
目的地までの距離を調べると、さして遠くはないようだ。
電車と徒歩でおよそ三十分ほどだろう。学校から最短で向かってしまうと、待ち合わせ時刻よりだいぶ早い時間帯に到着してしまう。
わたしは時間的な余裕があることもあり、あえて最寄り駅の一つ手前で降りた。そして、万が一の尾行にも備えて、迷った振りをしながら遠回りに目的地に向かう。
目的地『モダン柊』の場所は、インターネットで事前に調べていたこともあってか、いとも簡単に見つけることが出来た。それでなくとも、シャッター通りと化している商店街の中で、唯一、堂々と営業している店舗だ。迷うことはなかった。
わたしはとりあえず遠巻きに店舗の位置を確認してから、間違えた風を装って来た道を戻った。
そのまま周囲を散策して、立地状況を頭に叩き込む。
どんな店舗がどこにあり、どこの道がどう繋がっているのか――敵陣に斬り込むのに、何も知らない状況は悪手である。
相手は待ち伏せしているのだ。何が起きても不思議ではない状況ならば、最悪を想定して綿密に準備しておくのが常套だろう。
だいたいにしてこの件では、龍ヶ崎十八を呼ぶことが出来ない。
何故ならこれは完全に私用であり、わたしと龍ヶ崎十八たちが属する【護国鎮守府】とも、水天宮円たちが属する【神言桜花宗】とも無関係である。
わたしの過去の個人的な柵如きに、龍ヶ崎十八を踏み込ませるわけにはいかない。
(――そもそもまだ、十八くんへの好感度はそこまで高くありませんもの)
わたしは自嘲しながらも、大きく周辺一駅分を散策し続けた。ちなみに、周辺地域は人通りも少なく、民家の類もあまりなかった。
国道である大通りには、車がチラホラしか交通しておらず、道路に面しているビル群はまさに仕事中の雰囲気をしている。当然ながら、商業施設の類もありはしない。
「……制服姿だと、少しだけ目立ちますね」
わたしはボソリと呟いた。
一応、手に持った携帯にカモフラージュのマップを表示させながら、迷子の様相でフラついているのだが、この景色の中で制服姿の女子高校生は違和感しかない。
見渡す限り学生が寄り付くような施設もなければ、雑貨屋もカフェもないし、そもそも歩いているのはスーツ姿の営業マンばかりである。忙しない様子で歩くそんな営業マンたちは、わたしとすれ違うたびに、額の汗を拭いながら奇異の眼を向けてきた。
「――ねぇ、キミ、可愛いね? さっきからここら辺を歩いてるけど、誰を探してるの? それよりもオジサンとじゃ駄目かな? オジサンこう見えても、結構お金持ってるよ?」
「…………」
「ねぇねぇ、キミなら、オジサン奮発するよ? どうかな? オジサン、早いからすぐだよ?」
ずっとグルグルと周辺を歩き回っていると、露骨に下心ありきで声を掛けてくるスーツ姿のサラリーマンがいた。気持ち悪い声で、わたしを下卑た視線で見てくるが、それには一瞥することさえせずに無視を決め込んだ。
だがそのサラリーマンは、執拗にわたしの後を付いてくる。なんとも鬱陶しいことである。
「なぁなぁ、いいだろ? オジサン、キミみたいな娘、すっごい好みだしさ。お、どこ行くの――」
仕方ない、と一向に諦めないサラリーマンに業を煮やして、わたしはさりげなく路地裏に入った。そしてあえて振り返り、会心の笑みを浮かべて首を傾げた。
「――喋らないで頂きたいです。息が臭い」
瞬間、わたしの言葉と笑顔のギャップに思考を停止させてから、サラリーマンは顔を真っ赤にして唾を飛ばしてきた。
「く、臭い、だと! このっ、メスガキッ!! お高くとまってんじゃねぇぞ!? どうせ、パパ活だろ!? 誰が相手でも股を開くんだろ――――ガァ!?」
「ええ、確かに。貴方相手にでも、はしたなく股を開いてしまいました。殺さないだけ、感謝してください」
わたしは薄汚いサラリーマンの苦情を最後まで言わせず、ハイキックで意識を刈り取った。
あえてご要望に応じて、スカートがめくれるのもお構いなく、大股開きに蹴り上げる。とはいえ、わたしの下着を目撃する前に意識はなくなっているだろう。
豚のように肥え太った体格をしたそのサラリーマンは、受け身どころか反応さえ出来ずに、顔面からバタリと倒れ込んで、ピクピクと身体を痙攣させていた。
嘘偽りなく、見た目通りの雑魚である。もしかしたら刺客かも知れない、と一瞬でも期待したわたしが馬鹿だった。
わたしは残念そうに溜息を漏らして、携帯の時間を確認する。なんだかんだと、そろそろ十七時に差し掛かっていた。
「そろそろ、向かいますか」
わたしは倒れ伏したサラリーマンをわざと足蹴にしてから、今度は真っ直ぐに『モダン柊』へと足を向けた。
迷った振りはもうしない。
むしろ最初から知っていたとばかりに、わたしは迷わず背筋を伸ばして目的地へと歩いて行く。




