第二夜/中編
時刻は十七時二十五分。約束の時間の五分前である。
わたしは深呼吸してから、ガラリ、と入口を開けた。目的地である『モダン柊』の入口は、昔ながらの居酒屋風の引き戸だった。
店舗内の装飾は和風で、BGMはクラシック音楽が流れていた。
入ってすぐ脇にはレジカウンターがあり、レジ横には男女兼用のトイレが設置されていた。
正面を見ると、飛び石が敷かれた風情のある一本道の通路があり、奥に進むと段差のある小上がりが見える。小上がりの脇には靴箱が置かれているので、そこからは土足厳禁のようだ。
小上がりの脇にも通路があり、そこからはとても香ばしい匂いが漂ってきている。雰囲気から考えると、そこは調理場だろう。
「らっしゃせ~! 何名様っすか~? ご予約の方っすか――」
わたしは入って少し進んだところで立ち尽くした。
すると、調理場と思しきところから、聞き覚えのある幼く甲高い声が響いてくる。あまりにも気の抜けたその口調に、ついつい気持ちが緩みそうになったが、すぐに引き締めて、竹刀袋から仕込刀を取り出した。
わたしはいつ襲い掛かれても良いように、仕込刀を構えて腰を落とした。
「――ややや? こりゃ、お客さんじゃなくて、綾女嬢じゃないっすか? 時間に正確っすね!」
しかし、わたしの懸念は杞憂に終わる。
現れた何者かは、襲い掛かってくるどころか、隙だらけで両手を上げたまま、調理場からゆっくりと出てきた。
「んじゃ、早速、こんなとこでの立ち話はアレなんで、奥座敷に案内しまスよ」
電話口で聞いた声と同じ声、同じ口調で喋る何者かは、その外見からでは、年齢どころか性別さえも判断し難い姿をしていた。
凹凸の全くない少年じみた体格、身長は低く猫背で、パッと見た印象は中学生だ。
長い前髪が顔の半分を隠しており、後ろ髪は首元のところで切り揃えられている。その中途半端な髪型のせいで、男性にも女性にもどちらにも見える。
それでもかろうじて女性と判断出来る要因としては、女物の割烹着を着て、声のトーンが女性寄りな為である。
わたしは警戒を解かずに、口元で笑みを形作っているその女性を睨んだ。
殺気をぶつけて、反応を伺ってみる。けれどそんなわたしの警戒など気にせず、女性は、アハハ、と笑っていた。
「こっちでス。今ちょうど、お客さんが居ないス――まぁ、普段からほとんど予約入れてないんスけどね!」
自虐的に笑いながら、女性は無防備に背中を向ける――瞬間、わたしは容赦なく仕込み刀を抜刀して、油断している女性の背中に飛びかかった。
大きく踏み込み、一息で仕込刀を振り下ろした。
乙心一統流も外道之太刀も使わない。まずは力量を測る為、力任せに唐竹割をお見舞いした。
「おぉ!?」
「…………はぁ?」
女性の感嘆の声と、わたしの素っ頓狂な声が重なり合う。
結果として、わたしの唐竹割は見事に女性を一刀両断した。女性は全く反応する素振りさえなく、脳天から足元まで左右に切り裂かれた。
しかし、割れた死体は血飛沫を上げることもなく、煙のように揺れて消失した。
「――――いやぁ、感動ス。想像通りの鬼畜外道っぷりスね、綾女嬢」
わたしは仕込刀を振り下ろした姿勢のまま、周囲を鋭く探る。だが、狭い店内にあって、前後左右上下のどこを見ても、誰の姿もなければ気配も感じない。それでいて、声は当たり前のように正面から聞こえてきていた。
手応えは間違いなくあった。斬った確信が持てるくらいに、肉を裂いた感触もあった。
「そんでいて自信家で、情報以上に雑で御粗末ス――マジで魔力視さえ知らないド素人さんスね。魔術師相手に、身体能力頼りの典型的なプルファイトは無謀極まるスよ。そんな浅薄な思考と対応じゃあ、今後、理外の連中を相手取るのは厳しいんじゃないスか? 命がいくらあっても足らないス――ってか、うちも、そんなんじゃ相棒として考えるのは心許ないスねぇ~。不安になっちゃうスよ?」
わたしを侮辱するような言葉と、深く長い溜息が聞こえてきた。
わたしは集中を一段階引き上げて、五感をより研ぎ澄ませた。刹那、背後で響く駆動音に気付いてハッと振り返る。
店舗の入り口、引き戸のところから、大型機械が駆動するような怪しげな音が鳴り、同時に、ガラガラとシャッター音がした。
見れば、引き戸の手前が物々しい鉄格子で封じられていて、シャッターも下りてきていた。どうやらわたしを閉じ込めるつもりなのだろう。
「――チッ! 斬鉄!!」
わたしは想定外の展開に、すかさず撤退を選択した。
得体の知れない相手に対して準備不足は致し方ないにしても、手の内が暴かれてる状況で、敵地内に閉じ込められるのは悪手だ。
これは一旦、仕切り直すべき――瞬間的にそう判断して、わたしは迷わず入口に駆けた。
引き戸の奥のシャッターがどんな素材か、防火なのか耐風なのか、どれほど厚みがあるのかも分からないが、いますぐに逃げなければ、事態は悪化するだけである。
鉄格子とシャッターがすかさず展開されたことを考えれば、相手は準備万端でわたしを待ち構えていたに違いない。このままここに居ては、次に何をされるのか分からない。
幸いにして、鉄格子とシャッター程度ならば、まだわたしの剣技で切り抜けられる。相手が次の手を出す前に逃げるべきだろう。
わたしはここを突破してから、どう逃げるか、どこに逃げるかを思考しながら、剣技【斬鉄】で鉄格子を斬り付けた。
「っ――ぅぁがぁ!?」
けれど、鉄格子に刃先が触れた寸前、ビリビリバチバチ、と凄まじい電撃が全身を走り抜けた。
その威力は雷に打たれたと錯覚するほどの衝撃で、わたしは爆発したかのように吹っ飛んだ。たったの一撃だったが、この雷撃でわたしの身体機能は完全に麻痺してしまい、受け身さえ取れず、無様にゴロゴロと通路を転がった。
これはスタンガンの比ではなかった。凄まじい電流、電圧だった。
わずか百分の一秒にも満たない感電だが、一瞬にして皮膚のあちこちが熱傷を負ってしまった。毛先からも焦げて嫌な臭いが放たれている。鼻の中と目の毛細血管も切れて、恥ずかしながら鼻血と血涙を晒してしまっている。
喰らったのが常人であれば、恐らく気絶どころか、即死するのが確実な威力だろう。修羅之位で肉体限界を超越したわたしでなければ、間違いなくここで終わっていた。
体中から煙を出しながら転がるわたしに、どこからか驚いた声が聞こえてくる。
「うわぁ……いやはや、死なないかなぁ、って心配してましたスけど……よもやこれで、気絶すらしないなんて、マジ超ド級の化物スね……そのタフネス、蒼森氏よりもずっと化物じみてるスねぇ。あの雷撃を堪えるって、もはや人の領域じゃないスからね? 雷と同じ威力なんスよ? 百人が喰らって、百人とも一撃で心停止確定の威力スよ? マジで呆れるス」
「――ごっ、ほ……ブッ、ハッ……はぁ、っ……くっ、そ……どこ、にい、る……?」
「いやぁ~、ってかねぇ……そもそも、意識があるだけじゃなくて、少しも戦意喪失してないとこなんか畏怖するしかないんスわ」
血反吐を吐きながらも、わたしはよろよろと立ち上がる。
ビクビクと震えだす脚を無理やり気合で捻じ伏せて、手から零れそうになる仕込刀を強く握った。そんなわたしを前に、軽やかな調子の声だけが響いている。
どこにも姿は見えないが、どこからかわたしを見ているのは確実だった。この状況を完全に把握している。
(……監視、カメラもないのに……どこに……)
気を抜けば一瞬で気絶しそうになる意識を必死に繋ぎ止めて、わたしはいまにも倒れそうな身体を気力で支えた。
「あ、えと、その、綾女嬢? うち、電話でも言いましたけど、人修羅の相棒っスよ? 相棒って意味、分かりまス? 共に仕事する仲間って意味スよ? だから嘘偽りなく、うち、綾女嬢に危害を加えるつもり全くないスよ? なので、綾女嬢も、そんなバリバリの殺気は引っ込めて欲しいス」
「……ぐ、ぅ……す、姿も、見せず……わたしを……攻撃、した分際、で……何が、危害を……加えるつもりがない、など……都合の良いことを……」
「いやいやいや、攻撃て――それ、自業自得じゃないスか!? そもあの雷撃、攻撃じゃなくて、鉄格子に備わってる自衛機構ス。あの鉄格子、特注なんスよ。とっておきの雷魔術が付与されてるス。だから触れた瞬間、触れた相手に対して、問答無用に雷が落ちるんス。つか、マジで躊躇なく斬り付けるとは……そりゃ綾女嬢の性格なら、うちがああ言えばこうなるだろ、とは考えてたスけど……ここまで想定通り、蒼森氏とおんなじ行動だと、正直、めちゃビビるス――あ、けども、蒼森氏は魔力視が使えてたスから、雷撃喰らうなんてなかったでしょうし、雷撃ごと斬ってたスけどね」
いちいち癇に障る話し方だ――わたしは胡乱な意識を怒りで塗り潰して、身体の制動を一刻も早く戻そうと集中するが、感電の後遺症は少しも薄らぐことがなかった。
気合と根性、脳内麻薬の分泌量を操作して興奮状態になる程度では、動くことさえままならない。これを癒すには時間が掛かる。
わたしは弱り切っている情けない姿を晒さないよう強気に、苛立った口調で言葉を続ける。
「貴女……人修羅の、相棒……と仰って、ましたけれど……いったいどこが、相棒、ですか? 貴女の言う、相棒、とは……致命打の、ツッコミを……繰り出す……殺伐とした、関係、なのです、か?」
「致命打のツッコミて、笑笑っス。しかもそれ、まったく棚上げっスねぇ――そっくりそのまま返すっスよ? 綾女嬢は、相棒ってどんな関係を想像してるんスか? いきなり問答無用に背後から斬り掛かるような関係なんスか? あれ、流石にドン引きするほど、おかしいっスからね?」
「……残念、ながら……わたしは……そも、そも……貴女を、相棒と、認めて……いませんよ?」
「お、おおぅ――そりゃ悲しいスねぇ。うちの一方的な片思いじゃないっスか。ま、綾女嬢がそう言うのは、正直、端から理解してましたけどね。あ、つって、そこんとこ、とりあえず今はどうでもいいス。こんな会話してる暇あるなら、取り急ぎ応急手当しまスわ。そのまま放置ると、下手すりゃ、手遅れになって死んじゃいまスよ?」
そんな声と共に、ふらりと調理場の辺りから、ふたたび割烹着姿の女性が現れる。その姿は間違いなく、先ほどわたしが両断したはずの女性だった。
ふらりと現れた女性は、まるで再現VTRの如く、先ほどと全く同じ動きを繰り返した。
口元に笑みを形作ったまま、両手を上げて無防備にわたしの前にやってくる。そして、こっちだ、と言わんばかりに、クルリと反転して店舗の奥へと歩き出す。
まさかホログラムの類なのだろうか――先ほどと寸分違わぬ同一所作で動く女性の背中を睨み付けながら、わたしはその可能性に思い至った。
そんな可能性に気付いた直後、女性は心を読んだかの如く、真実だと頷いてみせた。
「おお! 気付いてくれて良かったっス。そスよ、そスよ。案内役として、そこに姿を現したのは、うちの分身――魔術で投影した、幻影、っスよ。だから、どれだけ斬り付けても、襲い掛かっても、暖簾に腕押し。うちを傷付けることは出来ないス。うち、痛くも痒くもないっス」
「…………」
「ん? ああ、斬った時の質感が気になったスか? それ、うちの超能力っスね。これ信じる信じないは綾女嬢に任せるんスけど……うちこれでも、それなりに強力な精神感応能力を持った超能力者なんスよねぇ~。精神感応能力って知ってまス? ああ、そーそー。いわゆるところの、テレパシストっス。直接間接問わず、感応領域に存在する相手の精神に干渉して、意思疎通を図ることができるス。だから、幻影を斬った瞬間、綾女嬢の触感に肉の手応えを伝播させて、触感を勘違いさせたわけっス」
「………………」
「ネタバレは信頼の証っスよ? うち、綾女嬢を相棒だと思ってるからこそ、こうして素直に包み隠さず答えてるんじゃないスか――ちな、いまうち、綾女嬢の精神に接続出来てるスから、綾女嬢が何考えてるか思考が読めてるスよ? だから、こうして会話成立してるんス」
わたしはその台詞を聴いた瞬間、一瞬だけ思考が停止する。
そんなはずはないという否定的な思いと、確かにそう考えると辻褄が合うという肯定の思いがせめぎ合って、激痛のせいもあり意識が遠のいたのだ。
「ニヤリ、と。あざス。いまの思考停止、いただきました! これで感覚領域も支配成功ス! こうなっちゃったら、流石にもう、うちの精神感応から逃れられんスよ?」
思考が止まった瞬間、いきなり軽いノリで感謝の言葉を告げられた。
その声がわたしの耳に届いたのと同じタイミングで、わたしの視界がブラックアウトする。
「――――ッ!?」
「あ、いやいや、そう警戒しないで欲しいス。これしとかないと、うち、怖くて姿を現わせないスよ? そもそもうち、基本的にシャイなんで、誰とでも直接対面するってしてないんスよ。だいたいの場合で、さっきみたいに幻影応対してるんス。でもでも、相棒に対してだけは、しっかりと生身で逢うのが礼儀ってもんじゃないスか? だけども、いま生身で現れると、綾女嬢、間違いなく斬り掛かってくるスよね? そしたらうち、瞬く間に死んじゃうんで――とりま、精神感応で視覚を奪わせてもらったス。これで何も見えないっスよね?」
軽やかな口調でそんなことを言って、わたしの状況を確認してくる。
その問いには答えず、わたしはキョロキョロと周囲を見渡した。しかし、視界に映るのは深遠の闇だけだ。眼は間違いなく開いているのに、光が一つも見えない。盲目になった気分である。
「よしよし。大丈夫そうスね」
そんなわたしの戸惑う反応に満足したのか、気配を伴った足音と、満足気な頷きが調理場から聞こえてきた。今度は幻影ではなく、女性の本体が出てきたのだろう。
わたしは音の方に顔を向ける。すると、その方向からも声が聞こえてきた。
「それにしても、音しかない世界で冷静さを失わない。本当に、恐ろしい人ス――蒼森氏もそうでしたけど、綾女嬢もイカレタ精神力の強さスね。一瞬でも油断してくれなきゃ、うちの精神感応が入り込めやしなかったスよ。なんで一番簡単なはずの視覚を奪うのに、これほど疲れるんスか? つか、どして魔力抵抗もないくせに、うちの精神感応を拒否れるんスか? しかも全身激痛で、ただでさえ精神力も思考力も弱ってるはずなのに――ま、そんな綾女嬢だからこそ、蒼森氏がお墨付きを出したんでしょうけど」
「……そんな、ことより……いま、わたしは……どう、なっているの、でしょうか?」
「そんなこと、て――ま、安心してくださいス。尋問とか拷問がしたいするわけじゃないス。いまはただ単に、直接対面する為、視覚をシャットアウトしただけス。あ、そうそうそう。ついでに、応急手当するんで、暴れないよう触覚もシャットダウンするスよ?」
そんな言葉が聞こえた次のタイミングで、唐突に身体の感覚もなくなった。
脱力したとか、麻痺しているとか、そういった次元の話ではなく、文字通りに全身何も感じなくなった。それはまるで夢の中で漂っているような気分で、地に足がついていない感覚だった。
わたしは不安になって身体に命令を送るが、指先一つすら動いた感覚もなく、また視覚もない為、実際に動いたかどうかさえ分からなかった。
「うぉお――ちょ、危ないんで! いまちょっと、身体を動かすの、止めてもらえないスか? つか、この出力でさえ、完全に支配出来ないんスか……信じ難い。マジ化物っスわぁ」
耳元でそんな台詞が囁かれた気がする。だが、それだけだ。
何が起きているのか、何が起きたのか、わたしは無感覚の暗闇で、ただ茫然としていた。
そんな中で唯一、幸いと言えることは、感電の後遺症だった激痛が消えたことだろう。おかげで意識を保つのが楽になった。
「……んんんん!? え、いや、え、これ、え、マ、マジスか!? なんでこんな重傷で、動けてるんスか!? え、えええ!? いや、ちょちょちょ……え、えええ!? マジでこれ、魔術の加護なし、って信じられんス……」
「失礼な――――あら? 声がスムーズに出ますね」
「うおぉ!? ちょ、ちょ、ちょ、待っ! 気楽に喋らないでもらっていっスか!? 自覚ないでしょうけど、いまかなり大量に血反吐ったっスよ!? こりゃ、ヤベぇや――でも、安心してくださいス! うちって、自称『ブラックジャック』で、またの別名を『現代のアスクレピオス』って名乗っているんス。そんなうちが居るからには、死んでなければ治して見せるスよ!!」
「……自称? 他称ではなく? 自称で、しかも名乗っているって、誰からも呼ばれていないのではありませんか?」
「ぁあああああ――いやいやいや、いちいち、うちの台詞に、ツッコまないでくれないスか!? そりゃ話し掛けたうちが悪いっスけど、マジ、黙ってて欲しいス!! さっきの感電で、内臓に深刻なダメージ受けてるじゃないスか――――って、まずもって、ここに来た時点で、既に半死人みたいな身体だったんスか!? うわぁ……こりゃ、正気じゃねぇわ」
「…………」
耳元に届く痛烈な駄目だしを聞きながら、とりあえずわたしは、言われた通りに黙ることにした。少なくとも、ここまでのやり取りから察するに、わたしに危害を加えるつもりはなさそうだ。
ふぅ、と心の中で息を吐いてから、わたしは静かに納得する。
相棒と見るかどうかは別として、この女性は【人修羅】の相棒に足るだけの慎重さと狡猾さは持っているらしい。裏社会に精通していることも含めて、今後の付き合い方を一考するだけの価値はあろう。
さて、そうなると真っ先に知りたいのは、この女性が何者かということだが――
「あ――自己紹介、してなかったスね。うち、お察しの通り、柊南天って、ちゃっちい人間ス。このお好み焼き屋『モダン柊』を経営してて、店長兼オーナー兼料理長兼従業員で、同時に、医師免許持ちの天才外科医ス。あとは……そスね。さっきも紹介したと思うスけど、精神感応能力を持った超能力者スね。巷で言うところのテレパシストでスわ」
「…………」
「おやおや? 本当に、事前調査通りの鋭さっス――いま、思考した推測通りス。より正確には、半径15メートル内が感応領域の限界っス。だから、実はうち、最初から調理場に隠れてたんス。いまは綾女嬢を隠し部屋の医療室に連れ込んで、簡易手術の準備をしてまスよ? お、お? 疑り深いのは、良いことっスねぇ――動眼神経麻痺の症状は、例えば、急にまぶたが下がったり、目が内側や上下に動かなくなったり、外を向いたりすることス。ついでに、心肺停止はCPA、心肺蘇生法はCPRっすね。どスか? こんなんで疑い晴れたスか?」
柊南天を名乗った女性は、わたしが口に出さず、思考しただけの問題に対して即座に正答していた。
馬鹿にしか思えない話し方をしている癖に、想像以上に博識である。とはいえ、わたしは別に医学部志望でも何でもないので、この問題に即答出来たからと言って医師であることの証明は出来ないだろう。
ただし確実に分かることは、柊南天が思考を読めるという点と、相当に賢いという点である。これはどちらも中々に厄介だ。
わたしが何を考えても読まれてしまうし、先回りして適切に対策されてしまう。
「だからぁ、心配しないでくださいス。うちは綾女嬢の敵じゃないス――ってか、綾女嬢って、本当に冷静で聡いっスよね。そスよ。うち、綾女嬢の思考は、表層までしか読めないっスよ? 綾女嬢じゃなけりゃ、深層まで読むのは楽なんスけど……綾女嬢、精神力が強過ぎて、直接触れててさえ、精神防御を突破できんスよ。ああ、それも推測通りスよ? うちに戦闘力はないっス。護身術程度しか動けないス。だからさっきの刀捌きも、まったく目で追えなかったス」
柊南天は、わたしが頭の中で問うたことに、笑いながら答えてくれた。
その声音からは、ここまで全て計算通りだ、と言わんばかりの自信が伝わってきていた。わたしはもう抵抗出来ないのだろう、と確信している空気が伝わってくる。
実際、確かにもう抵抗するつもりなどなかったが、出来ないわけではない――非常に些細であまりにも下らないことだったが、柊南天の計算通りに物事が進むことが癪に障っていた。今後のわたしたちの関係を構築するうえでも、ここで侮られるのは気に喰わない。
相棒を名乗るつもりであれば、ここでわたしの性格と限界を教えておく必要がある――
「――――なるほど、なるほどぉ。いやぁ、その通りではありまスけども、その精神構造、ちょいと理解できないっスわ。って、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいスよ!? いま治療中で、動くの厳禁っスよ!」
わたしがスッと精神集中を高めた途端、その思考を読んだ柊南天が慌てた様子で言った。
すると、すぐさま視界が開けて、白い天井が眼に入ってきた。ついでに、すぐ傍に居る白衣姿の柊南天と点滴が見える。
柊南天は不衛生だった前髪を上げて額を見せており、わたしの右脇腹付近をまさぐっていた――否、まさぐっているのではなく、メスを片手に開腹しており、何やら内臓を弄っているように見えた。恐らくは治療だろうが、盲目的に信じることは出来ない。
「いやいやいやいや、ちゃうちゃうちゃうっす!! 治療っス、治療っス!! 内臓が炎症してる箇所を応急処置してるっス――速やかに縫合するんで、マジで、ちょい待ってくださいっス!」
「…………」
「はいはい、そスよ、そスよ!! うち、もう白旗っスから――お願いっスから、このまま治療させて欲しいっス。綾女嬢が考えてた通り、うちの精神感応能力は、本気の綾女嬢の精神防御を突破出来ないらしいス。つまり精神接続してても、意図的に感情を高めたりとかすれば、精神支配を外せるっス! けど、いまそれを試されると、不要なディフェンスが起きて、手術が失敗するっス! 綾女嬢には麻酔打ってないんスから、下手すりゃ死ぬっスよ!! だから、身動きは当然、喋るのも禁止っス!!」
心底わたしを心配した様子で、柊南天は真剣な眼差しを向けてくる。
わたしは柊南天のその形相に満足して、仕方ない、と身を委ねた。
スッと瞼を閉じて、昂った気持ちを落ち着かせた。
(とりあえず、信用させて頂きます。相棒と認めるかは別にして、貴女――柊さんは、わたしの敵ではない、と思うことにしましょう)
わたしは声に出さずそう告げる。すると、柊南天の安堵の吐息が聞こえてきた。
これで少しは柊南天を慌てさせることに成功しただろう。少しだけ溜飲が下がる。
天邪鬼なわたしとしては、誰かの思い通りに動かされるのが耐え難い苦痛だった。
「本当に、難儀な性格っス――ま、この狂った業界には、逆に向いてるんスかねぇ? 少なくとも、人修羅って称号には向いてるとは思いまスけども。あ、そいや、蒼森氏もだいぶ天邪鬼だったっス」
「…………」
「はいはいはい――遺言とか、うちが託された内容や、知ってることは全部教えるっスよ。けど、少しだけ思考するのも、黙っててもらえないっスか? 治療に集中できないっス――あ、これ、面倒っス。やっぱ麻酔、使わせてもらうスわ。三時間くらい、寝ててくださいっスわ」
柊南天は煩わしそうに言って、わたしの右腕に注射を打っていた。薄目を開けてそれを眺めていると、突然、睡魔が襲い掛かってきた。
仕方ない、少し眠ろう――わたしは意識を手放した。




